20111017 of Central Sun Ascension Report

2011/10/17 月曜交流会

人類愛より人間的な欲を求めるライトワーカー

①人生の目的は自分を知ること

私たちは宇宙の仲間で皆さん方の進化、成長のために存在している仲間です。皆さん方がこの地球に現われ、人間として活動していることにどのような意味があるのか、皆さん方が自分に意識を向け、自分がどこから来てどこに向うのか、いろいろ疑問を持ち始めた時に私たちが関与していきます。

私たちは宇宙において意識の目覚めを担当しております。意識の目覚めというのは生命それぞれが進化の流れに進み、そして自分という存在に意識が向き、自分が生きるということ、存在するということ、それぞれに関心を持ち始めた時に私たちが関与を始めます。

そして自分という意識が成長していき、自分という意識が宇宙のレベルにまで達するまで関与をし続けていきます。皆さん方が私たちと関与し始めたのはもうかなり以前のことであり、この地球に来る前から私たちと関与しておりました。

それぞれの進化レベルに応じて関与の仕方が変化していきます。今このような形でメッセージを通して関与することはほとんど有り得なく、実質的に今回初めて皆さん方と関与することになります。しかしメッセージではなく、私たちは通常は皆さん方の意識レベルに変化を与えるような現象をつくることにより皆さん方と関与を進めております。

皆さん方が次の意識レベルに上がる時にそれに応じた現象をつくっていく、その現象を皆さん方は事故と感じたり、不幸と感じたり、嫌な出来事と感じたりすることが普通になります。皆さん方はこの地球で社会の一員として生きている実感を持っております。

社会の一員の中で自分をどのように位置付けていくか、社会が進化し、豊かになれば自分もそれに見合った働きをして、社会の一員として役割をなそうと考える、こういう意識が出来上がっていきます。そして自分の知っている他の人々が豊かになり、より良い生き方を進めていると自分もそれに匹敵するような生き方を求めたり、またそれ以上の生き方を求めようとする、そういう思いが沸き起こってきて、自分はもっと良い生き方をしようと感ずることになります。

私たちが皆さん方と直接関与する時は、良い生き方をするとか、恵まれた生き方をするということにはほとんど関与はしません。私たちはそういうこと自体には基本的に興味がないからです。あくまでも自分という意識に目がいき、自分をどうもっていくか、そこにだけ関心があります。

社会の一員の中で自分をどう生かすか、他と競争してより良い地位を得ようとする、より権力を持とうとする、そういう人も実際いるでしょう。私たちは地位を得たり、権力を持つことにはほとんど関与しません。関与しないということは権力を持つことが悪いとか良いとかいう判断をしないということであり、中には良い生き方をしながらもしっかりと権力を持ったり、あるいは権力とは無関係な生き方をする人もいるでしょう。それ自体はある意味ではどうでも良いことになります。

しかし自分をしっかりと意識し、自分をどのように生かしていくか、そこに意識を持っている人、自分はこういうことをやっていく、こういうことをやるというのは偉くなるとか、人の上にいくとかいう、そういう意味ではなく何かをなしてこの社会に構築していく、それこそ平和をもたらすような何か仕組みをつくり上げるとか、町に立派な仕組みをつくり上げていく、何か自分でしかできないことを残していく、そういうことに興味があります。

それによって評価を得るとか有名になるとか、偉くなるとか、そういったことにはまったく関与しません。ただ何かを残していく、何かをつくり上げる、何かを知らせる、何かを人々に啓蒙させていく、こういうことがある意味では目的というものになります。

今の現代の人々はかなり勘違いをしている人がたくさんおります。人生の目的として有名になりたいとか、偉くなりたい、褒めてもらいたい、評価されたい、これは業績を残すということとはまったく関係なく、ただ名声だけを得ようとする行為であり、本質的な行ないにはなりません。何かをすることによって褒められる、何かをすることによって有名になるということはあるでしょう。

しかし有名になるために何かをするとか、何もしていないのに評価して欲しいというのはまったく話の合わないことであり、そういうまったくおかしなことを口で言っている人がたくさんおります。皆さん方に必要なのはそのような評価や結果を期待したり、他に求めるのでなく、自分が何ができるのか、自分が何をしたいのか、そこに意味があります。

したがってそれには他の人からどのように評価されようともまったく関係ありません。何か伝えたいことをどうしても伝えていく、つくり上げたいことをつくっていく、表明したいことを表明する、そういう何かを行なうということは意味のあることであり、それを誰も聞いてくれなかった、誰も感じなかった、むしろ評判が悪くなった、そういうことはまったく関係ありません。

どのような評価が得られようとも、どのように周りから非難されようとも、必要と思うことを行なっていく、大事なことを行なっていく、ここに意味があります。多くの人が私の人生の目的は何でしょう、こう聞いてくる場合があります。そしてただこれをしなさい、ただこうしなさいと伝えたところでほとんどの人はそれを実行することはありません。

いくらそれをしても誰も褒めてくれない、評価してくれない、そういうことには気が向かない、このように判断し、結局は多くの人から褒められたり有名になることしか行動しないのです。自分の目的は何かと聞く人に限って本当は有名になるようなことを期待している、褒められるようなことを期待している、実にそういう人が多いのです。

人間は有名になるために地球にやってきたわけではありません。褒められるためにやってきたわけでもありません。むしろそういったこととはまったく関係なく、ただ必要なことをやっていく、何が必要なのか、単純な話をすれば人類愛が必要でしょう。今地球上で人類愛があまりにも少なすぎ、むしろ人間同士がいがみ合い、足を引っ張り合い、他の悪口を言い合っております。

やるべきことはそういった行ないをやめ、常に他を愛するように意識を向けていく、すべての人を受け入れ、すべての人を許していく、まず根本的にこれしか役割はありません。またこのことはこれまで多くの人が人類に向って話しをしております。

しかしほとんど誰一人耳を傾けようとはしません。聞いても聞いてもすぐ忘れてしまい、そしてまた私の使命は何でしょう、そう聞いてきます。他を愛すること、自然を愛すること、いくら私たちが言ったところでまた忘れてしまい、そしてまた私の使命は何でしょう、また聞いてきます。

今の地球の人々にとって他を愛すること、隣人を愛すること、これほど尊い役割はありません。なぜ他を愛することができないのか、なぜ隣人を愛せないのか。基本的に自分を褒めてもらいたい、自分を評価して欲しい、こういう気持ちが奥底にあり、自分を褒めてくれない人、自分を評価してくれない人には関心がないのです。

自分の隣人や家族であっても自分を褒めてくれる人がいなければ、家族や友人でさえもあまり話をしなくなってしまう、自分を褒めてくれる人とだけ話をして、その人を良い人だと思う、これが今の人間の姿になっております。褒めてくれないと動かない、評価されないと動かない、結局自分の人生の目的も同じであり、評価されないと目的はしたくない、たとえ自分の使命であったとしても評価されないものは認めたくない、こういう思いが先に立ってくるのです。

今の地球において愛という言葉は非常に広がっており、どのような小さな子供でさえも愛という言葉は耳に入っております。愛が大事、愛が唯一、普通に使われております。これだけ愛という言葉が広がっていながらなぜ地球は愛の星にならないのでしょう。

愛という言葉は広がっていながら愛そのものはまったく広がっておりません。他をけなし、他を蹴落とし、他を比較競争して陥れていく、こういう現実の方があちこちに見受けられます。多くの人が口に出している愛とは何でしょう。愛という言葉を口に出す人に限って自分のことだけを考えております。

自分が他に愛して欲しい、自分が愛して欲しい人ほど愛を愛をと他の人に訴えていきます。本当に自分が他を愛している人はそんなに愛を愛をと他に強制することはありません。愛を実践しているほど愛の難しさを理解しており、人に強制するものではないということを理解しているからです。

本当に愛を実践している人ほど、ほとんど愛を口にすることはなくただ黙って実行していきます。しかしそれでもこの地球には愛を実践する人はあまりにも少なく、自分が利益のあること、自分が褒められること、自分が有利になることしか行動しておりません。

私の使命は何でしょう、そう聞いてくる人がいた時に、まず自分はどれだけ人を愛しているか、どれだけ社会のために犠牲となって体を使おうとしているか、そこに意識を向ける必要があります。本当に社会のために体を犠牲にしてでも貢献したい、本当に人のために尽くしたい、そういう思いが沸いてきた人に私の使命は何でしょう、そう質問する権利はあります。

ほとんど褒められることしかしない、得になることしかしない、そういう人に私の使命は何でしょうと聞かれて答えがくることはほとんどありません。まずその人に向けての私たちの言葉は自分を知りなさい、これが最初の目的になるでしょう。汝自身を知れ、自分を知るということ、自分のレベルを知ること、いかに自分は自分勝手で自分のことだけを考え、自分ができないのに他に強制してきたか、それを自分が理解することです。

そして謙虚に自分の未熟さを理解し、自分の未熟なレベルで人に貢献したい、社会に貢献したいと思う気持ちが出てきた時に、それが愛となり目的をつくり出していきます。自分について理解していない人が他を真剣に愛することはできません。他を愛しているように見えて自分が愛されることを望んでいるのです。

本当に自分は愛されることをまったく考えもせず、社会から評価されることも考えてもいない、でも人を何とかして救ってあげたい、社会をつくり直したい、人々の意識を何とかして良い意識に変えてみたい、こういう強い思いが沸き起こってきた時、やるべきことが降ってくるでしょう。

そして自分は何か急に夢中になり何かをしたくなってくる、いても立ってもいられなくなりとにかく何かをしようとする、こういう思いが必要となります。何かしたいという思いがまったく沸いてこない人に使命を与えても結局はただ聞くだけで何もしないで終わってしまいます。

本当に世の中のために貢献したいという強い思いが沸き起こってくるかどうか、強い思いが沸き起こってきた人に目的を与えた場合、目的を達成していくでしょう。しかしその求めていたものが興味の無いこと、自分にとって得にならないもの、誰にも感謝も評価もされないもの、そういうものにはやる気が出てこないで、結局そのままにしておく、こういう人が実にたくさんおります。

結局自分のことしか考えておらず、自分のために何かをなしたいとしているだけなのです。この地球上においてライトワーカーと称して光の手伝いをする、光を広げる働きをする、こういう人がたくさんおります。ヒーリングやアクティベーション、いろんな光のセミナー、こういったことを行なうことによって光の拡大を手伝い、そして地球のために何らかの貢献をしている、こういう人たちがたくさんおります。

このように光を扱い、ライトワーカーと称して働いている人、どれくらいの人が本当に光を広げているでしょう。ライトワーカーと称している人の中で本当に光を広げている人は10パーセントもいないでしょう。実に90パーセント以上の人はライトワーカーと称しながら自分のために仕事をしております。

有名になる、褒めてもらう、感謝してもらう。また光があるという錯覚により、光がないと思われる人を下に見て、自分の方が優位であるという優越感を感じている、例えば、イニシエーションという儀式を受けることによりイニシエーションを受けていない人よりは自分の方が光が多い、自分の方が神に近い、こういう勘違いをしている人が実に多くいます。

ライトワーカーと称しながら何と汚れた心の持ち主でしょう。ライトワーカーではありません。光でもって他人を比較したり、光の量によって接し方が変わるのは俗の人間であり、光の人間ではありません。光で判断するということ自体が光の存在ではありません。ただの人間です。

そういうただの人間がいかにも悟ったかのような感じで光で人間を切り捨て、また商売をして金銭をいっぱい自分のところに集めようとする、ライトワーカーでも何でもなくただの商売人といえるでしょう。真のライトワーカーは評判や他からの感謝やそういったものを期待したり求めたりすることはありません。

また光によって差を付けることもなく、自分が偉らそうに振舞うこともなく、また他を見下すこともありません。ライトワーカーは単純に光を強くさせることだけを考えており、光の弱い人がいればさらに強くするように、常に光が強くなる方向へと自分が何らかの手助けをしていく、単にそれだけのことです。

光が少ない人を馬鹿にしたり、また金銭を取ることによってより光が強くなるような錯覚を与えるようなことはまったく意味がありません。今この地球においてこのような勘違いしたライトワーカーが実に多いのを宇宙ではどのように見ているでしょう。

もちろん宇宙のほとんどの存在は人間的な感情は持っていないためにそういったものを判断したり、評価したりすることはありません。ただそれでも本来光のあるものが人間として生まれ、光のないものたちが周りにいる時には彼らをいかに正しく導いていくか、彼らがいかに光を使えるように教えていくか、ただそれだけを願っております。

しかし肝心の本人は光を与えることよりはお金を儲けることを先に考えてしまい、すべてを金銭の対象として理解しているのです。今のような金銭的な思いのエネルギーはこれからさらに強くなっていくでしょう。ますます金銭の力が強くなり、一見光を強く持っていると思われるものはさらなる金銭を手にし、強大な力を持っているかのように振舞っていくでしょう。

光が弱いと思っているものは自らの価値をほとんどないものと思ってしまい、さらに光から遠ざかるような意識をつくり上げていくでしょう。本来どの人間も光はしっかりと身に付けており、またいくらでもそれを活性化することができます。

本当に持っている光を活性化すればわずか数年で最高級のレベルにまで光を輝かせることができます。またそのような方法はいくらでも教えることができます。しかしこれまでの人間を見てきた時、そういう素晴らしい方法を教えると必ず金銭に変えてしまい、教えた人が金銭的に優位な立場にいて結局自分一人が金銭をすべて自分のものにしてしまう、多くの人に広げなければならない光のツールをごく一部の人だけが牛耳ってしまい、その人の許可がないと使えないようにしてしまう、こういったことが何度も繰り返されております。

金銭の力はますます強くなり、光の保持者を金銭によって異質なものへと変容させていくでしょう。皆さん方は真の光の持ち主を判断できる力を身に付ける必要があります。いかにもライトワーカーと称して有名な人として活躍している人が本当の光を出しているかどうか、本当に純粋な光でどの人間に対しても謙虚に質素に活動しているかどうか、これが見極める基準になります。

うぬぼれや自慢、自己中心、そういったもので宣伝をしたり、有名になろうとしている人がいれば真の光はほとんど使われることなく、そこに集まってくる人々も光でないエネルギーに汚されてしまうでしょう。今本当に光を身に付けている人、光を手にしている人がすべきことは何なのか、この本当の光をわずかでも良いから正しく使い、本当に必要な人に届ける、本当に必要な人に光をもたらしていく、今はこれが光の持ち主の目的になります。

皆さん方が自分の人生の目的は何なのか、そう考える時、自分は本当の光をどう使っているか、本当の光をただ使わないままそのままにしているのであればそれを本当に使うためにどうしたら良いのか、それを工夫する必要があります。

せっかく光を保持しながら何も使うことなくそのままにしている場合、皆さん方が宇宙や神に頼んで、もっとお客さんが来るように、クライアントが来るように求めたところでお客さんが来ることはありません。というのもほとんどの場合はお金を前提にしており、お客さんが来ることによって儲かる、お客さんが来ることによって商売が成り立つ、そういう意識を持っているからです。

本当の光はそこには興味はありません。金銭ではなく、自分の持っているこの光をどうかこれを必要な人に届けたい、自分の持っている光のこの部分をこういう人に使って欲しい、それがちゃんと分析でき、はっきりと方向性が見えている人にはその光を使うべき人が来るように仕向けられていきます。

しかしそういう明確な光を理解することができず、ただ漠然とこの光で仕事をしたい、この光を流したい、そういう程度では人は集まってきません。自分が手にした光がどういう光か、この光をどういう人に使っていきたいか、どういう人にこの光を使えばその人はどう変化するか、それをしっかりと見極め、そして強い思いが沸いてきた人にはそれにふさわしい人がその人にやってきます。

それが光の世界の原理であり、また光の法則になります。自分の持っている光をしっかり分析し、どういう人に流していきたい、どういう人に使っていきたい、それをしっかりと見極め、理解し、また必要な人を求めるようにする、それこそが真のライトワーカーであり、皆さん方が光の仲間として活動する基準になります。

世の中に多くのライトワーカーと称する人がいて、確かに金銭的に潤っている人もたくさんおります。しかしここにいる人はそういう商売を狙ったライトワーカーではなく、本当に光を求めている人に自分の光を届けていく、本当に必要な人に光を届けていく、そういう思いをぜひ強く持ってそして光を流していっていただきたいと願っております。

②全体と部分をつなぐ大いなる和

私は宇宙の根源と呼ばれる存在から思いを受け取り、言語化して皆さん方に伝える役割を持った天使の仲間です。皆さん方が個別化され、そしてまた大いなる和をつくり上げるという役割を与えられた、これについて説明をしていきます。

大いなる根源はこの宇宙を素晴らしい世界にするために宇宙のいろんな側面を見ながら、より素晴らしい宇宙を考えておりました。大いなる根源が実感している宇宙は、巧妙であり、完璧であり、そしていかにも生きている、こういう感覚の宇宙がありました。

この宇宙がある時、ほんの一部だけ傷が付いてしまい、その一部の傷を修正するためにそこに意識を集中させました。そのわずかな傷に意識を集中した根源はその傷の中に全体的な宇宙の進化に相容れない波動があるのを見つけました。

他のすべての宇宙の構成要素には宇宙がしっかりと進化するという波動を身に付け、その波動によって宇宙そのものが進化を進めておりました。しかしその傷のあるところには完璧を求めていながら宇宙の進化というところに波動が合わないものがあり、それによって宇宙の進化が進むにつれ、歪が大きくなっていきました。

完璧を求めていながら進化がうまく進まない、こういう波動があり、その波動の修正を試みようとしました。その一部の傷のところに意識を向け、波動を修正しようとした時、突如として邪魔が入ってきました。修正させようとすると修正させないようにする邪魔が入ってきて、その修復が一番最初の時からうまくいかない状態になりました。

そしてその修正を試みようとした時、それを邪魔しようとしたものとのお互いの衝突がその時から始まり、修正しようとする波動とそれをさせないようにする波動、このお互いの波動がぶつかり合い、それによって歪が余計に大きくなっていきました。

この宇宙の傷のところをしっかりと見ていくと、修正しようとする波動とそれをさせないようにする波動、この修正しようとする波動はそこに見た進化を止めようとする感覚、完璧を求めながら進化を認めないようにする波動、こういう波動を意識し、進化させないようにしているところを進化させるようにもっていこうとする力を与えようとしました。

そうするとその進化させようとする波動に対して、それを阻害する波動がやってきて、進化させないように維持させる状態が流れてきたのです。この時にいろんな宇宙の思いが集まってきて、進化させる思いと進化を留める思いの両方の波動が集まり、この両方の集まった波動でだんだん一つの世界をつくり上げていきました。

進化をさせようとする波動と進化をそのままにしておく波動、この二つの力によって一つの世界が出来上がり、その世界においてその現象を何とか進ませる状況が進んでいきました。この世界において進化を進める方の力とそれを阻害しようとする力、この力がぶつかり合い、そのぶつかったエネルギーによっていろんな意識が分割していき、次々と衝突によっていろいろの意識が分かれていきました。

分かれた意識一つひとつがその世界をつくる意識に変化していき、そしてそれぞれが進化を進める、進化を留める、この二つのエネルギーを使い、それによっていろんな個性がつくられていきました。その時のいろいろ分かれた個性が後に人間に発展し、今の皆さん方の人間的な意識レベルに降りてきております。

この時に進化を進めようとする力と、進化を留めようとする力、これが常に人間に付きまとい、人間は原点の時から進化しようとするエネルギーと、進化を留めようとするエネルギーの狭間で動くことになっております。この進化を進めようとする力と留めようとする力、この力がなぜつくられ個別化に陥ったのか。元々宇宙の進化の流れにおいて、神が進化の方向を秩序としてつくり出し、その方向を善としてつくり出した時に、同時に秩序ではないもの、善ではないものがつくられていきました。

この善と善ではないもの、秩序と秩序ではないものという二つのエネルギーがつくられていき、それがこの宇宙に充満し、そのエネルギーでいろんな生命が学びを続けておりました。この傷と呼ばれた場所には秩序に向う力が他より極めて弱く、ただ完璧にうまく出来ている、進化するよりはしっかりと完璧に留まっている、こういう意識の強いところがあり、進化すると秩序が壊されてしまう、こういう場所になっておりました。

そのために、秩序、秩序と意識をしながら、それによって進化が弱くなり、他とのバランスを欠いてしまったのです。ここでそれぞれの意識に分割されたものは秩序とは何か、進化とは何か、それを理解する学びに入っていきました。その時に進化ということ、秩序ということを考えた時、自分だけの進化、自分だけの秩序であっても全体がまとまった時にはうまくいかないことが理解され、全体が進化しているという前提の中で自分を考える、全体の秩序と全体の進化の中で自分を考えていく、こういう意識が必要になります。

そしてそれと同じ学びを今人間がこの地上で学んでいるのです。一人ひとり自分を進化させるということ、と同時に全体が進化するということを常に考え、全体の進化の中で自分の進化をどう位置付けていくか、また全体がまたより大きな全体の秩序となっていることを理解し、自分自身はどの全体のどの秩序を維持しているか、このようにして進化と秩序、これを大きなレベルで考える必要があるのです。

しかも分断された一つひとつの個別化の意識はそれぞれ全体の秩序と全体の進化のバランスを自分の中で完結させなければなりません。自分だけのバランスの取り方、自分だけの秩序のあり方が必要なのです。したがってその場合に必要なのは自分自身の秩序のあり方、進化のあり方、バランスのあり方が必要であり、それは他の人には一切合わないのです。

自分は自分に見合った秩序と進化を考えていく、そうやって一つひとつが自分だけの秩序のあり方、進化のあり方を見つけていく、このようにして一つひとつが自分の秩序や進化の状況を理解し、うまく全体と部分のバランスが取れるようになった時、それで初めて全体が一つになり、大きな和になるのです。

大きな和になるということは全体と部分を理解し、自分は部分でありながらも全体を常に理解している、こういう部分と全体を一つのものとして理解していく、これが大いなる和の達成の仕方になります。大和民族と呼ばれている日本の人々は、常に部分を考えながら全体のことを考える意識が他の民族よりは強く備わっております。

しかしときにおいては全体のために自分を犠牲にする、全体のために部分を無視する、こういったことも行なわれてきました。確かに生命が生きる過程においては全体のために部分の生命が犠牲になることは普通にあります。全体のために部分が犠牲になり、また身を差し出していく、こういったことを何度も行なうことにより実は全体のエネルギーが自分の中に宿されていくのです。

したがって、部分は単純にただ犠牲になっているだけではなく、全体のためにという思いによって全体の意識を部分の中に取り入れているのです。そういう意味では部分はただ生命を犠牲にしているわけではなく、全体を勝ち取るために自らを全体に捧げ、部分よりも全体のエネルギーを強化している最中なのです。

こうやって部分が何度もその体験を積み重ね、全体のエネルギーを受け取ることができた時、部分は全体とも一つになり、部分と全体が一つになることにより大きな和が達成されていくのです。大きな和を達成するために隣の人との和を考えることも大事でしょう。

お互いの和を重んじてお互いが調整し合うことも大事でしょう。しかしそれ以上に宇宙部分と全体の関係をしっかりと形作りエネルギーを一つにする、これも大事なことなのです。そういう観点から和とは何か、大いなる和とは何かということも考えてみてください。それではアドバイスをしてみます。


Aさんの部分と全体という波動を見た時、あなたはいろんな側面の部分という全体の波動を持っている中で、今テーマとなっている人間的な側面というレベルで見た時、全体と部分との関係がまだスムーズには結び付いておりません。どうしても全体と部分という意識がまだ不完全であるために、自分のために行なうことが全体のために良くなっていく、全体のために尽くすことが自分の成長に繋がる、この連動がうまく繋がっていないのです。自分のことをする時に全体のことを考えて自分のやりたいことをやってみる、全体を良くするために自分はそこに尽くしていく、こういう思いをもっと持つと部分と全体との繋がりがより強くなり、自分と全体がより良い関係を持つことになるでしょう。

Bさんの部分と全体を見た時、あなた自身のマインドの中では全体ということがとても良く理解されており、自分は全体のためにどう尽くすか、自分は全体とどうあるべきかがマインドでは理解されております。しかし光の関係とか他の宇宙におけるさまざまな波動を見た時に、まだ力のやり取りや波動のやり取り、光の統一がそれほど行なわれておりません。マインドで理解しているだけであり、まだ波動の交流には繋がっていないのです。したがってこれからは部分と全体を考える時に本当に自分のエネルギーを全体のために費やしていく、全体のエネルギーを自分のために引っ張ってくる、そういうエネルギーのレベルでの部分と全体との統一感を感ずるようにしてみてください。

Cさんの部分と全体を見た時、あなたの頭の中では全体ということに対する思いが漠然とではありながらも常に心の中に維持されております。自分個人の個別なことに走るよりは常に全体のことが感じられ、全体にそぐわないことは行なわない、全体に合うことをまず第一にする、こういう思いがあります。それによって自分と全体とのエネルギー的な繋がりが少しは行なわれており、全体のエネルギーを自分が感ずることもでき、自分が行なうことが全体に影響を与えることもあります。ただこの場合のエネルギーは漠然としたエネルギーであり、まだ明確な光や明確な目覚めの状態にはなっておりません。これをもっと意識して全体の目覚め、自分の目覚め、全体の活性化そういった観点を理解し、自分と全体との繋がりを意識していくと自分の目覚めが全体の目覚めにも発展していきます。ぜひ自分と全体との繋がりを強く意識して、より良い関係が行なえるようにしてみてください。

皆さん方の部分と全体ということについてアドバイスをしてみました。和を考える時、人間同士の和、友達同士の和ということが常に話しになりがちですが、部分と全体という仕組み、これも和にとってとても大切な概念となります。ぜひこの思いをうまく利用して自分と全体を繋げるように意識を拡大していってください。それでは少し休みを取ります、有難うございました。

③人間の光と本来の光

私たちは光のハイアラーキーとしてお話をします。皆さんが光に向かい光と共に成長し、光であることを実感していきます。自分が光であるとはどういうことか、光であるということの証を得ようとして、これまでは光でないものを集め、光でないものと戦い、光でないものと争うことによって光であるという感覚を得てきました。

光が強い、光が支配する、光でないものとの対立によって光を学んできました。この光は人間のつくった光であり、本来の光ではありません。人間の意識の中に善悪の対立構造、正邪の対立構造があり、強い弱い、いろんな価値観が光という波動を歪めていき、光が闇よりも強い、光が正しい、こういう光を人間がつくり上げてきました。

人間がつくり上げた光は人間の手によってのみしか戻すことはできません。人間が自分たちでつくり上げ、自分たちで曲げてしまったためにこれを戻すのは人間の役割になるのです。今ここでは覚醒セミナーと称してこの人間のつくった光を本来の光に修正する学びが続けられております。

しかしこのセミナーを行なってもまだこの本質を理解していない人がいるために、せっかくセミナーを受けながらこれまでと同じ光を使い続けている人がおります。結局はセミナーを受けても光と闇との対立構造に巻き込まれ二極対立の世界にはまってしまう、同じことを繰り返している人がたくさんいるのです。

もう皆さん方はそろそろその光に目覚め、人間がつくり上げた光ではない本来の光に意識を向け、本来のあるべき光へと戻っていく、本来の光は人間のいう光も闇もつくることができる、もっと本質的な光になります。

しかし人間が正しい、良い、こういう思いにとらわれていると、そういう光とそういう相反する別のものがつくられてしまい、結局は人間の学びがまだまだ続くことになってしまうのです。皆さん方はその人間のつくり上げた光の世界から脱出し本来の光の元に戻っていく、ぜひそれを理解して本来の光を使いこなせるようにしていってください。それではここまでにいたします、ありがとうございました。



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