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2020/11/23 宇宙交流会:「和美意識の故郷の世界」 |
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太陽光線そのものにカルマが入っている |
①魂の進化段階に応じて魂の裁きは変わる
私はセイントクラディウス。
光の聖者と呼ばれております。もちろん自分ではそういう言い方をしません。皆さんの意識の概念からつくった名前になります。
光の聖者というのは宇宙の聖者と同じ意味と理解してもかまいませんが、いわゆる次元という言葉を使うと、6次元、およそ6次元に存在しているマスターの世界が、地球の人から見れば光の聖者と認識されております。
6次元という世界は人間のすべての進化の流れを修了し、新たなる光の世界、スピリットの世界へ向かうための土台を作っているのが光の聖者になります。
いわゆる地球の人々が認識している光は物質的な光であり、地球上の第三密度の肉体で認識できる光というものを物質的に作り出し、肉体人間が光の世界のように感じられる仕組みを作っているマスターたちの集まりになります。
したがってこの光の聖者の世界は、物質世界をすべて光で仕組みを作り、光をコントロールし、人間が物質的な光の世界から抜け出ていくように仕組みを作っている仲間になります。
私たちはこの物質宇宙、物質地球を作り、進化の流れに従うように意識を向けながらも、この物質世界を修了すると、本来のスピリチュアルな光の世界に入っていけるように流れを作っております。
皆さん方の物質世界、物質的な地球という肉体人生の流れにおいて、光というものが何を意味し、人間の進化にどういう影響を与えているのか。皆さん方はすでに光と闇の戦い、光、光の進化、いろんなレベルにおいて光ということを普通に使っております。
しかし私たちから見ればあくまでも物質的な光、理解できる光であり、この物質的な光は皆さん方の物質意識を進化させるためにつくられた仕組みになります。皆さん方が頭で考え、頭で判断し、頭で理解する。この頭というのがいわゆる物質的な脳の働きであり、この物質的な脳の働きを動かしているのが物質的な光になります。
皆さん方はこの物質的な光を太陽光線として受け入れると同時に、太陽光線を生命エネルギーを通して肉体を生かす、肉体が生きることによって脳が働き、肉体そのものが機能し、生きているという感覚を与える。これらはすべて太陽から送られてくる物質的な光を皆さん方の生命エネルギーに変換し、自分が生きているという感触を得るようになります。
皆さん方がこの太陽光線によって生きるという実感を手にする、生きることが最初の目的ですが、そのうちに何のために生きるのか、どこに向かって生きるのか、そういう疑問が現れてきます。
このどこへ、何の目的で生きるのかを考える時期がきた時に第三密度という進化の流れに入ります。したがって第三密度の人間というのは生きるということに疑問をもち、生きる意味、生きる目標、人生とはそもそも何なのか、どこに向かって何を目的に生きるのか、いろいろ考え、そこに向かっていくのが第三密度の世界になります。
この人間の第三密度の世界に太陽から太陽光線が流れてくる。第三密度の人間が太陽光線を受け取り、それを進化の流れに使っていく。こういう仕組みの時に、太陽から送られてくる光が大きな進化をもたらしていきます。
その時に進化することは正しいこと、善なることであり、それによって肉体も進化し、意識も進化し、より良い人生を手に入れようとする。より良い人生、充実した人生や満足を得る人生、そして人間が多くなってきたとき共同作業で皆で喜びを得る、皆で仲良くなる、皆で良い感覚を得る、この幸福感、幸せ感が目標になっていき、そこに向かって進化を進めようとします。
この時の人間の意識においては、光の方向というのは幸福感、幸せ感を得ること、喜びを得ること、皆が幸せになること、これが第三密度の人間の意識の目標になります。
その時の人間は太陽光線を幸せになる方向へ、幸福になる方向へ使い、人間がそこに向かって光を活用していく、これが第三密度における光の使い方であり、最終的には幸せを手にする、そこに向かって光を使うことになります。
そこに向けて光を使うような方向性、光を活用する方向性が光の方向性になり、正しい太陽光線の使い方、正しい受け取り方、光をいかに正しく受け取り、人生に生かしていくか、これが光の方向性、光を使う方向性になっていきます。
第三密度の初期のころでは、この基本的な集団生活、お互いに幸せになる集団生活を進めていきますが、いわゆる文明が発達してくると必ず何らかの独占的な意識、自分だけ光を使う、自分が多くの光を使い自分が多く使った光を自分のために使っていく、そういう人々が現れてきます。
そして集団生活の在り方も集団をコントロールする、あるいは集団同士で戦い、ほかの集団のものを自分のものにする、そういう時期がいつか現れてきます。これはある意味では避けられない現象であり、いわゆるこの宇宙に存在する第三密度の光そのものがそのようなカルマを身につけております。
太陽の光そのものがカルマを身につけており、ほかの惑星やほかの天体で第三密度の光を間違って使った、第三密度の光を好ましくない方向に使った、そういうカルマが別の天体に現れてきて、光そのものにカルマが入ってきます。
その時に太陽光線からくるカルマも感じてしまうと、つい自分のために使ってしまう、自分たちのグループのために使ってしまう、そういう行動をとる人間が現れてきます。
したがって第三密度に入った人間そのものは太陽光線の光を受け取る時に、このカルマが入った太陽光線を使うと自分たち自身がカルマを受け取ってしまい、独占的な意識、ほかのものをとってしまう意識、こういったものがカルマとして目覚め、動き出し、人間がそれを行動することになります。
こうやってほかの天体で作られたカルマを今、自分の天体で体験する、そういう現実になっていったとき、この独占的な行動やほかのものをとってしまうという、ほかの天体のカルマを体験することは、光なのか闇なのか、こういう質問が現れておりました。
宇宙の法則からしたとき、どのような理由にしろ、どのような状況にせよ、本来の光と違う使い方をしたとき、それはすべてカルマになります。カルマを作るということは宇宙の法則に反することを行動したことになり、それは神々の世界から見れば光でない方向を選択したこと、つまり闇、ネガティブな方を選択したという風に理解されていきます。
したがって独占する、自分のものにするというカルマが流れてきたとき、そのカルマに負けずに世のため人のために光を使えば、光を選択したことになり、仮にカルマがあったとしてもそのカルマにそのまま負けてしまい、カルマを選択すると光でない道を選択したという風な言い方がなされていきます。
このカルマを伴った太陽光線、光がやってきて、カルマに負けずに正しい光だけを使い、いっさいネガティブな意識を生み出さなかった。これは光と共に生きている人であり、光の人間、光の道を選んだという言葉を使って良いでしょう。
しかしカルマとしてのネガティブな選択肢がそこにあり、つい光でない選択肢をとってしまった、これはやはり光の道でない方を選択した、闇を選択したという風に判定され、その人は光ではない道を進むことになります。
常に光とともに光であり続けること、光の道を選択し続けることというのは、宇宙からやってくるさまざまなネガティブなカルマ、こういったカルマに負けることなく常に正しい道を選び続ける、これが宇宙から見た光の道になります。
もちろん自分自身が作ったカルマも戻ってくるでしょう。以前、間違ったことをした、光がない道を選択した、その時にまた同じカルマが戻ってきて、光の道を選ぶのか、また光ではない道を選ぶのか、こういう選択が訪れてきます。その時に今度は正しく光を選べば、光の道を選択したと認定されるでしょう。
また同じ間違いをする、また同じ選択肢、光ではない道を選択したときに、当然、またカルマが大きくなってしまい、より強いカルマとして記録されていきます。こうやって毎回違う道を選択したとき、光を選ばなかったという選択肢がだんだん強くなっていき、そのうち毎回、間違った道を選択する生き方が身についてしまいます。
人によってはこれが正しいこと、これしか方法がない、こういうもんだ、こうやって正当化していく場合があります。光ではない道を正当化する、ここまでくるとほとんど心が闇の心に変わっていきます。
ただの選択だけではなく、心が闇の心に汚染されていき、もうすべての選択肢において自然と光ではない道を選択する、光ではない道を正当化し、それが正しいものと思い込んでしまい、常に光ではない道を選択し続ける。こうなってくると闇の心になっていき、心がどんどん光のない心へと変わっていきます。
そのうちに光ではない心が支配権をとると、初めから光ではない方向を正当化し、そこに向かうような人生の流れになっていきます。もう光が半分以下になってしまうと、ほとんどの行動が光ではないものの行動になってしまい、この状態で結果としてその人の行動には光がない行動をとり続けることになります。
ここまで光がなくなってくると、ほとんど普通の人間として生活することはできず、必ず大きなトラブルを引き込むことになります。いろんな問題を起こす、常に光と闇の戦いが普通になるような現実を体験する、こういう状態になっていき、もう何が正しいのか、何が間違っているのかがまったく分からない、気づかない、そういう状態の人生になっていきます。
ここまでくると人生そのものが光ではない人生として修了し、汚れた魂のままでこのカルマを修復する新しい人生を作ることになります。もちろん次に生まれてくる時もこの間違った判断、カルマが入ってきて、初めからかなり間違った世界で人生を進めることになります。
初めからおかしい社会、初めからおかしい国や地域、そういうところに生まれてきて、自分がもっている間違った価値観、間違った認識が普通であるような場所に生まれていきます。
それでもハイヤーセルフや守護靈、守護神たちは少しでも光に戻るように全力を尽くしてサポートしていきます。したがって一つひとつの選択肢において、なるべく光のある方向、そこへ意識するように背後の者たちが全面的に協力をすることになります。
普通は人間の初期の段階においては、光で生まれてくるために初めは光だけの選択をすることになります。しかしだんだん意識が進化し、知識が身につき、いろんな人間と交流していくうちに、光ではない道が現れてきて、どちらを選択するか、このどちらを選択するかにおいて、初めは光の方を選択していきますが、だんだん周りの環境、家庭環境や社会の環境に応じて光ではない道を普通に選択する、光がない道が正しい光があるかのように教わる、そうすることによって光ではない道を選択するように変わっていきます。
多くの光の存在たちはこの時期に光の道を選択し続けるように、光ではない道を選択しないように全力を使って背後から手伝っていきます。しかしそれに負けてしまい、結局は光ではない道を選び続けてしまう。その段階で光の存在たちはかなり方針を変えることになります。
光の道を選ぶというよりは、正しい判断力、正しい心を身につけるように援護の仕方が変わっていきます。その人が正しい考え、正しい心を身につけ、人を思う心、正しい道を選択すること、そこを常に意識するようにしていき、一つひとつの選択において少しでも良い方向、正しい方向へ向かうように援助がなされていきます。
人を思う心、社会を思う心が育っていき、少しでも正しい方向、良い方向へ向かう心ができてくればそれを優先させ、正しい選択、よい選択を取り続けることによって、結果的に人生における選択を光の選択へもっていくように導いていきます。
しかしそれぞれの選択において、正しい方向、良い方向を選択しようとしてもその地域全体が間違った価値観をもっている、社会や国全体が間違った価値観を教えている、そうなると個人的には良くないと思っていても国や社会の基準に合わせるために、仕方なく間違った方を選択する。この間違った方を選択する生き方において、これが慣れてくるとだんだんこれが正しい選択と思ってしまい、初めは疑問を感じていた間違った選択をいつかは自分の中では正しい選択として認識するようになります。
この段階で光ではない方向性が完全に定着してしまい、それ以降はどういう選択をしても自分にとっては正しい選択、良い選択という風に認識されてしまい、光ではない選択の方向へ向かっていきます。
はじめは良い心、正しい判断力を身につけさせようとして、いろいろ指導していきますが、だんだん社会で生きていくうちに、社会の基準に合わせる、皆に合わせるという心が身についてきて、心そのものが正しい心ではなく、間違った心、間違った判断力を正当化するようになります。
だんだん正当化する意識がまた強くなってくると、何をやってもそれで正しい、間違ったことや悪いことをやっていてもそれは正しいと思い込むようになっていきます。この悪いことをやっていても正しいと思い込む、この段階で魂のレベルに悪影響を与えていき、魂のレベルでかなり濁った魂、ひび割れするような感じや固くなってしまって融通性のない魂、そのような魂へと変化していき、純粋な光が出なくなっていきます。
いわゆる本来の魂の光が出ない状態に魂が変容してしまう、これを一般に悪い魂、ネガティブな魂、光のない魂という言い方をする場合があります。ここまで魂が傷ついてしまったり壊れてしまうと、すぐに修復するのも困難になり、魂の世界でいろんな作戦を立てることになります。
初めは両親から愛され、とても良い家庭が育っていく。それによってヒビのある魂が少しでも安らぎ、良い明るい魂になっていく。魂が幼少期の頃、両親から愛され、日々を少しでも和らげ、十分に光の魂として生きられるぐらいに育てられていく。このようにして人生の初期の段階で恵まれた生活をすることにより、魂の歪みを修正する。こうやって良い魂として、復活し、その人自身が良い判断、良い心ができるように変わっていく場合があります。
こうやって魂がある程度、修復されるころ、そのころまた過去に間違ったこと、前世において間違った判断、よくない行動をとったカルマが現象化されるようになります。そして以前はよくない行動をとったり、よくない判断をしたことがまた戻ってきて、そしてまた同じ間違った行ないをしてしまう、また同じように相手を傷つけたり自分勝手な行動をとったりすると、また魂が歪みを作ったり歪んだりする現象が現れたりします。
こうやってせっかく幼少期の頃、両親から可愛がってもらって良い魂に復活しても、結局はその後でまた本来の汚れた魂、傷ついた魂、ひび割れた魂にまた戻ってしまう場合があります。
人生の選択において結局、光ではない方を選択していき、また元の好ましくない魂に戻ってしまう。これは光の道を選択したことになりませんが、それでも非常に難しく、魂そのものがかなり難しいテストの魂、難しいレベルを人生に与えているために、その時どきの選択によっていろんな判断がなされる場合があります。
ただ人生を終えたとき、結果的に魂がネガティブな魂、ひび割れた魂やかなり固まった魂のようになって人生を終えた時は、やはりその魂に見合う世界へと進んでいき、魂が少しでも回復するように、本来の魂の修復ができるように、進化の流れが進められていきます。
結果としてこの魂は光の道を選択できなかった、光の道を選択しなかったという風に判断されていくでしょう。
今の皆さん方の人生において、こういうカルマとのかかわりにおいて、本来、仕組まれたカルマの通りに人生を進め、それによって歪んだ魂、好ましくない流れを通過したときは、やはり光を選択しなかった、そのように判定されてしまうでしょう。
闇を選択したのかどうかは一概に言うことはできません。単に気がついていなかった、分かっていなかった、無知であった、この単なる分かっていない、無知という判断と、闇の囁きによって光ではない道を選択した場合では、かなりその結果が異なってきます。
闇の囁きとは別に、自分でただ間違った場合はそれほどを悪い判定はされません。しかしネガティブな存在と一緒になってしまい、ネガティブな判断をしてしまった時は、闇を選択したという言い方がされるでしょう。
その時にはそれなりに自分で責任をとる必要があり、責任をとる最初の段階がまず魂にしがみついている闇の者たちを取り除く、これは自分の力で行なう必要があります。しかし自分の力で取り除くのにはかなり時間がかかります。
肉体の人生を終えても闇のものがしがみついているときは、このしがみついている闇のものを取り除くまで、物質世界で、地上界に残ってしまう場合があります。この場合、肉体がなくなっても魂のレベルで浄化する必要があり、人によっては数千年も数万年も地上に残って浄化する場合があります。
しかしそれでも浄化している間においては、少しずつ闇の部分を浄化し、本来の状態に戻っているために、この期間においてはある意味では光の道を選択していることになります。
したがって場合によっては、暗黒の世界やネガティブな世界に閉じ込められていても、そこで少しずつ闇が浄化されていくのであれば、光の道を選択していることになります。そういう意味においていろんな状況によって光を選択しているかどうかは、言い方が異なってきます。
今までの皆さん方の第三密度の世界においては、そこまで考えなくても単純に良いこと、正しいことをしていれば光の道であり、人を傷つけたり、人の進化の流れを妨害する、ほかの人の進化を妨害すればすべて悪の行動になります。
もちろん自分自身が率先して悪の道に入るのは完全に悪の流れですが、ほかの人の進化を妨害することも悪として判断されていきます。ほかの人が悪の道にいきそうになったのを止める、光の道へと導いていく、こうやって正しく光の道に導くことができれば、その人は光の道を選択したことになるでしょう。
しかしほかの人を正しく光の道に導いたときに、何らかのを満足感、優越感、自分の慢心の心が動き出せば、それは光の道ではなく、やはり間違った心になってしまいます。
ほかの人を導くというのは本当に難しく、純粋な心で、完全に光の心で導く必要があり、少しでも認めてもらう、ほめてもらう、分かってもらう、こういう意識があればもう闇の心になってしまいます。
光の道は闇の心がいっさいない状態で、光の方向へ進む流れであり、そのためには本当に何が光で何が闇なのかを理解している必要があります。
これからの第四密度の世界においては、この光と闇の判別がさらに難しくなっていきます。光が強くなると同じレベルの闇の者たちがやってきて、皆さん方がこれから五次元の光、五次元の光を身につけ五次元の光で生きようとすると、五次元の闇のレベルが邪魔をしにやってきます。
いわゆる宇宙レベルの闇、宇宙レベルのネガティブなものがやってきて、皆さん方を間違った五次元世界へ導くようにささやいていきます。これまでよりもさらに巧妙な闇の者たちがやってきて、どういう方面でどのように判断しても、完全に光の神様、光の天使にしか思えない、そういうやり方で近づいてきて、実際にはいつの間にか闇の五次元世界に進んでいる場合があります。
巧妙に巧妙に皆さん方の心を誘惑し、分からないように方向を変えていきます。完全に光の五次元世界を進み続けるというのは、人によってはかなり困難なテーマになるでしょう。
今まで間違った宗教、間違った指導者、間違って教わったこと、そういう経験のある人はそれらをことごとく五次元世界で再体験することになります。間違った指導者が現れたり、間違った宗教が現れたりするでしょう。それは第三密度の時に間違った光、光ではない光を選択したときの体験をまた五次元世界で繰り返すことになります。
何が光か、これを本当に理解する必要があり、基本的に他を思う心、これがまず第一に必要であり、自分自身の正しさに意識を向けている人はほとんどの人がネガティブなものにやられてしまいます。
自分は正しい、自分は正しい選択をした、そういう意識をもちたい人は必ずそこに闇が入っていきます。自分のやることが常に正しいかどうかを考え続けている人も闇を引き込んでいきます。自分の選択が光であることを願っている、祈っている、こういう者たちも闇を引き寄せやすくなっていきます。
したがって本来は純粋に、何も考えず、結果的に光の道を採用しているのが好ましいですが、やはり間違わないと何が光なのか、分からなくなります。したがって最初の段階においては光の五次元世界の闇に負けたり騙されたりしたも、ある程度、許されることが多くあります。
もちろん許されるといっても、間違ったことはまた再体験する必要があり、間違った世界にいって間違いだということを気づくような体験が必要になります。したがって皆さん方から見たとき、間違いを犯さない、すべて正しい光だけを選ぶ、そういう意識もなるべく弱くしていってください。
あまりそこに厳密になってしまうと魔が入ってしまいます。光を求める意識、光の道を歩き続けるという意識は必要ですが、間違ったからと言って落ち込んだり、自分を責めたり、あるいは他者のせいにしたりしないようにしてください。
意識そのものは光を求める意識をもち続けながらも、間違った時にすぐに修正する、すぐに戻る、すぐに新しい光の道を探し出しそこに向かう、そういう修正する働き、やり直す働き、これを身につけていってください。
決して自分を責めたり、誰かのせいにしたり、あるいは屁理屈を言ってごまかしたりするのではなく、常に別の新しい道を見つける、こういう修正する意識を身につけること、それを五次元世界で学ぶことになります。
すでに皆さん方はその道に入ってきているために、これからの選択において間違った道を選択した場合でも、そこで落ち込んだり悩んだり、正当化せずに、すぐに新しい光の道を見つける、別の新しい道を見つける、そういう意識をもってすぐに正しい光の方向へ向かおうとする、この意識を身につけることです。
こうやってすぐに修復する力、すぐ別の道を見つける力、これを身につけていくことが光の道であり、よりよくうまい光の道を見つける意識が光の意識であり、そこに智慧が要求され、常によい光の道を選び続けること、それを皆さん方の目標とする光の方向性として理解しておいてください。
それではアドバイスにいきます。
※個人アドバイスは省略します。