/阿弥陀/無量寿/無量光/力のあるものにすがる弱さ/自分から気づき這い上がる/
2020/5/6 特別セミナー:阿弥陀如来 |
このメッセージのいいねポイントは |
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すがる心を見せつける |
①自分から光を出し無量光となること
無量光。光限りなしと理解されております。しかし本来の私の働きは天界において天の者たちを見ていきながら、光の調整、バランス、光そのものの輝きをながめております。
天界には無数の仲間がいますが、それぞれの働きにおいて光の使い方を学んでおります。人間が地上世界で学びを行なっているように、天の者たちは光の使い方を学んでいきます。
天の者たちはいわゆる大神様から与えられる光を受け取りながら、自らの光を使うことを教わっていきます。大神さまの光をただ受け入れる、受け取るというだけでは進化することができず、いかに自分自身が光を出していくか、自分の力で自分の光をどう出していくか。
この自分が光を出すということを学んでいくのです。
この今の人間世界に当てはめたとき、人間という姿をまといながら皆さんも同じように光を出すことを学んでおります。
私の目から見える皆さんの世界は皆さんがどのような光を出しているか、どこに光を出しているか、それを見ていることになります。
人間がしている光にはいくつかの種類があります。一番よく輝いているのは家族を思う光、我が子を大事にする、家族の者たちを守る、この家族に対する思いが光となって流れております。
人間世界から見ると、仕事しかしていない男性の評価が低くなってきていますが、単純に光だけで見たとき、仕事だけしている男性の光はそれなりに輝いております。家族を守る、国を守る、皆のために頑張る、そういう光が流れております。
ただこの男性の光は漠然とした家庭のため、国のためという光であるために、自分から出ている光がどこにどう流れていくのか、誰に流れていくのか、この光の目的、到達点、光の行く先が定まっておりません。
光が出ていてもどこに流しているのか、どこまでどう流れていくおか、この目的が明確になっていないのが特徴になっております。それでも男性の多くは自分は頑張っている、家族のため、社会のため、会社のために頑張っているというこの意識でが、自分自身はこの光で守られております。
自分自身はこの自分が出した光で自分が喜びを感じ、自分自身を明るく輝かせております。これまでの第三密度という意識の世界においては、それでも十分に貢献することができました。
しかしこれからの第四密度の世界に入っていくと、この輝き方はあまり役に立たなくなっていきます。どこへどういう光を流すのか、目的は何なのか、これを明確にしない限り光ではなくなってしまいます。
第四密度においては光にならずただ自己満足する自分だけの輝きになっていき、自分の世界からほかの人の世界に光が流れることができなくなっていきます。
そのためにどこに光を流すのか。漠然と家族のために、漠然と国のためという思いは自分だけの世界になるり、光はどこにも流れていきません。
どこにどう流すのか。この具体的な目的を知る必要があります。その意味においてただ良いこと、良いことをすれば光が出ていくという意識はもうあてはまらなくなってきており、どこにどういう光を出すのか、その具体的なものが要求される時代になります。
女性の場合はほかの人を思う心、ほかの人の気持ちを分かってあげる、ほかの人の思いを感じ取ってあげる、慰めてあげる、そういう心からくる光があります。これは男性的な光とは異なり、自分自身も相手も一緒に喜ぶ、一緒に輝く、一緒に味わう、こういう感覚の光になります。
したがって価値観が違う人や、判断が異なる人とのあいだにはこの女性の光は届かず、自分だけの世界に留まってしまいます。同じ価値観、この同じ価値観や同じ思いが前提条件になっているために、価値観が異なる人や思いの違う人、そういう人に対してどうやって光を届けていくか。価値観が違う人や心が違う人、感情がある異なる人、そういう人に光を流していくのがこれからの女性の光の出し方になります。
第四密度の世界に行ったとき、女性は自分によいことや自分が喜ぶことではなく、相手の価値観や心を感じ取り、相手に合わせた光を流し、相手はそれを喜ぶことを自分自身の喜びとする。相手につながり相手が安心したり相手が安らかになる状態を見て、自分も安らかになる。これが第四密度における女性的な光の出し方になります。
こういう自分からは光を出す、自分自身がいつでもどこでも誰にでもどこまでも光を出す。それが皆さん方一人ひとりが無量光になった状態になります。
自分自身が無量光になる。この無量光の光を流していきますので、自分で感じてもらいます。男性の場合は頭で感ずることが多いかもしれませんし、女性の場合はハートで感ずることが多いかもしれません。あまり限定させずにただ無量光として受け取ってもらってもかまいません。
アドバイスは省略
②すがる心をなくすこと~無量寿如来
無量寿如来と呼ばれているが、阿弥陀如来として呼ばれたとき約半分近くは私が現れてくる。特に悩んでいる者、困っている者、助けてほしいと求めている者、こういう者たちに対しては私が現れてくる。
阿弥陀如来として救いを求めている者、生命を助けてほしいと願っている者、そういう者たちが私にはよく見えてくる。これまでの1000年以上の仏教の流れにおいて、阿弥陀信仰、阿弥陀如来にすがる人間の意識はとても強いものがあった。
当時は神という名前よりは阿弥陀様という名前の方が強く浸透していた時期があった。その頃はまさしく神にすがるような心で病を治してほしい、死にそうな者たちを救ってほしい、家族の問題・健康の問題を早く治してほしい。そういう願いをもつものだ多く現れてきた。
しかし私は病気を直したり、寿命を長くしたりすることはできない。あくまでも精神的な安心感、解放される思い、執着しているもの、しがみついているものを楽にさせる。そういう働きを主にを行なってきた。
当時も今も人間がもっている執着、何に執着しているか。やはり一番強いのは死にたくない、生きたい、健康になりたい、これらが大きな大きな執着であった。
今でもそこはあまり変わらず、死にたくない、病気を治してほしい、もっと豊かにしてほしい。こういう思いは共通している。私ができることは、豊かにさせたり健康にさせることではなく、自分自身の心の動きを自分で理解できるように、執着は自分が作り出したもの、自分で生み出したものだということを理解してほしい。
そのためには自分が相手に対して何を言っているか。相手に対して相手を傷つけることを平気で言う、相手が落ち込むことを平気で言う、まずそれに気づき、それによって自分の病気が現れてくる。相手を傷つけることによって自分がケガをする。相手を落ち込ませることで自分が自信をなくす。相手を悪く思うことによって自分が悪い噂を言われる。自分のしたことによって自分が不愉快な体験をする。これに気づかせることが私の役割になっている。
したがって気づく意志のないものはいくら阿弥陀様、阿弥陀様と救いを求めても何も効果はない。
自分の人生は自分で解決しなければならない。神や人間を救うのが目的ではなく、如来や菩薩も人間を救うことが必ずしも大前提ではない。迷っている者、傷ついている者、進めないものを導くのは共通しているが、間違って認識していた場合、まず間違いに気づかせることから始まる。
何も自分の間違いに気づかずに、ただ救ってほしい、長生きさせてほしい、病気を治してほしい、これには何も効果はない。間違った認識をしていることを理解すること。それは、すべての現実は自分が作り出していること。自分が体験した不快感や嫌なことは自分自身の責任であること。神のせいではなく、如来や菩薩のせいでもなく、ましてや相手のせいでも家族のせいでもない。自分が作り出したもの。
カルマという一つの働きがあるが、カルマが悪いわけではない。カルマは気づかせるために存在している。カルマがなければ気づくことができないであろう。カルマは自分が他になしたことが自分に戻ってくるだけであり、自分に戻ってきて不快感を感ずるのは、そこが間違っている、自分が相手からされたこと、社会からされたことは自分が相手にしたこと、社会にしたことであり、自分が何をしたのか、自分が相手や社会にどういうよくないことをしたのか、それを理解してもらうためにカルマが働きを行なっている。
したがってカルマによる現象、いわゆる嫌なこと、不愉快なこと、つらいことがあったとき素直に自分が同じようなことをいつ、誰に、どのようにして行なったのか、できればそこに意識を向けてほしい。
自分が他に直したことを自分で見つけ理解し、自分で解決できる。そのようにして一人ひとりが目覚め、理解し、気づき、前に進んでいく。そういう働きを行なっているのが無量寿の役割となる。
多くの人にとってこの働きはなかなか理解されていない。ただすがるだけ、ただ崇めるだけ、拝むだけであり、自分は何一つ努力をしようとしていない。気づかない者、気づこうとしない者はいつまでたっても現実を変えることができない。
現実を理解しようとする、現実を自分の力で変えようとする。それによって現実が変わっていく。自分で気づき自分で変えようとして、自分なりに努力をした者に対しては、私は全面的に援助を行なう。自分で見つけ理解し、努力をしている者には完全にその者の中に入り、協力する。それだけは信じてかまわない。
しかし努力せずにただ他人のせいにする、社会のせいにする、こういう者には私はまったくつながることすらできない。つながらない者は何も光を感ずることもできないであろう。
謙虚な心で素直に自分の心を感じ、自分の行なったカルマをよく見つけていき、自分から言動を変えていく。その意識を正しく身につけていってほしい。
アドバイスは省略
③古来から地球人類を導いてきた阿弥陀如来
阿弥陀でございます。光の仲間として奉仕できることを喜びとしております。阿弥陀のテーマで今日は学びを行なっております。私の世界に意識を向けてくださったことを感謝しております。
この阿弥陀の世界は、皆さん方の地球から見たとき、オリオンの広い領域に重なっている阿弥陀の世界になります。この阿弥陀の世界はオリオンにおける光のシステムをすべて完了させ、新たなる進化に向かう領域になっております。
したがって阿弥陀という世界から見たとき、地球や日本という世界はほんのわずか世界であり、本質的にはこの銀河系宇宙の生命の流れの中で、それぞれの意識の進化、生命の進化の役割を行なっております。
よく神という言葉が表現されてきます。今の皆さん方の地球の人々の概念では、神も如来も菩薩もほとんど区別はついておりません。物質的な人間の世界をすべて完了させ、すでに手にしている智慧や光を使って人間を進化させていく。そういう存在はすべて神、天使、マスター、如来や菩薩、そういう言い方にされております。
あえてそこで区別をつける必要はないでしょう。ただ今の私たちの世界から見たとき、皆さん方がもう少し理解できる仕組みを説明していこうと思います。
今、私の世界はこの阿弥陀の世界、オリオンの領域においてある大きな光の世界があり、この世界からいろんな世界に仲間たちが奉仕に出かけていきます。この地球においては地球を担当している光の存在がいて、この地球を担当している光の存在の許可をもって地球に入ってきました。
この地球を担当している存在の許可がないかぎり、私たちは地球の進化に関与することはできません。この阿弥陀の光の仲間たちが地球に入ってきたのはムー大陸のころの時代になります。
まだ今の日本人という意識が形成される前の段階であり、そういう意味においては日本ができる前から地球に関与しております。もちろん私たちは特定の国や人種を見ているわけではなく、ムー大陸のころにやってきたといっても私たち自身は地球全体の進化の流れを眺めておりました。
特に最初のころはアトランティスの地域の人から始まっていき、自分という意識を作り出しながらやはり間違った方向、本来の意識の流れとは異なる方向へと動き出した時に、私たちが関与し始めておりました。
最初はアトランティスのころの働きを強く行なっておりましたが、途中でレムリアあるいはムーという大陸がいろいろを動き出したときに、アトランティスとレムリアの間での人間の強烈な意識、攻撃する、奪う、排斥し合う、こういう現象が起きた時に、私たちの世界からの働きかけが大きく動いていきました。
初め地球にやってきた仲間だけではうまく対応することができず、改めてオリオンの世界からほかのより輝く者たちを招き、そして多くのいわゆる菩薩、如来たちが仲間として入ってきて、この地球における活動を強く行なっていきました。
ただそのころは仏教とかそういう意識はなかったために、ただの光の守り神、ただの光の存在、そういう感じで受け入れられていたでしょう。仏教として形が作られ始めたとき、さまざまな光の存在たちが、お釈迦様を通してより体系化した世界を教えていきました。
その時にお釈迦様がもっている考え方、概念に合わせて光のシステムが説明されていきました。お釈迦様は自分が理解できる範囲で整理していき、それを弟子たちに智慧を通して教えていきました。
お釈迦さまから受け継がれた教えはほかの地域の従来からあった考え方や習慣、そういったものと複雑に絡み合っていろいろ変化を起こしていきます。ヒンズー教で伝えられていたさまざまな神々はまた別の世界からもたらされた情報であり、私たちの阿弥陀の世界とはまったく異なっておりました。
人間の方でこのヒンズー教の神々の教えと阿弥陀の教えをどのように理解していくか。そこでさまざまな働きが起こり、同じ神として統合する人間がいれば、別の神として排斥し合うという人間もおりました。
阿弥陀の世界は一人ひとりの心に働きかけ、心が正しく動く、現実を体験しながら心の動きを見ていき、自分の心がどういう反応をしているのか、心が不快感をもったとき、それをどのようにして処理していくのか。心の動きに意識を向け、自分の心を改め、心を強くし、正しい生き方を身につけることが阿弥陀の世界の方針になっておりました。
ヒンズー教はさまざまな神々を認め、さまざまな神々の中で自分はどのようにして自分らしい生き方をするのか。さまざまな神々がいて、否定するのではなくまたすがるのでもなく、自分もさまざまな神々の一人の神として自分らしく生きる。自分は自分の自分だけの神として正しく生きる。それがヒンズーにおける教え方になっておりました。
この2つの大きな流れがのちにだんだん一つのものへと取り入れられていき、新しい流れとして密教を体系化させていきました。しかし最終的には人間それぞれがもっている本質的な観望、いわゆる助けてほしい、救ってほしい、パワーを与えてほしい、こういう人間のすがるような気持ちが強くなっていき、自分が自分らしく生きる、自分が新しい神として生きるという意識がほとんど失われていきました。
こうやって自分は神であるという部分が失われたまま、宗教的な意識が広がっていき、いつの間にかただ神にすがる、神に助けてもらう、こうやって人間としての意識を強くさせてしまい、人間と神の構図がすがるものと権威あるものという風に分類されていきました。
その時から人間はどんどん下に落ちる働きを進めてきました。どんどん人間の意識は落ちてしまい、光が分からなくなり、光も届かなくなり、人間だけで勝手に迷っている、人間だけでお互いに争っている、こうやって神の世界から遠く離れたところで、ただ人間が暮らしているという状態になっております。
人間が光のないところで争い合う、奪い合う。これを解決しようとして神にすがる。こういう妄想が出来上がり、この妄想の一貫として神の姿が変化していき、どの神が一番素晴らしいのか、どの神にすがればよいのか。この部分だけが人間世界で大きく大きく変わっていきました。
人間世界で人間の神の意識が勝手に変わっていき、神と呼ばれる者たちはただそういう人間たちに手を差し伸べる、光を与える、それだけの働きを行なっておりました。
迷う人間たちにただ手を差し伸べていく。その働きが私の場合は無量寿如来になります。ただ光を出し、人間を輝かせていく。人間に光を見せ、人間の進化の方向を見せていく。それが無量光の世界になります。
人間に光を見せるという働きと人間に手を差し伸べるという働き、これが私の主な働きになっております。今、この時代において神や天使、あるいは宇宙人であろうと、すべて人間が作り上げた概念、妄想になっており、本当の神や天使とは異なっており、本当の宇宙人とも異なった意識を作り上げてしまいました。
どういう名前を使っても、基本的に人間は自分を助けてほしい、自分に特別なパワーを与えてほしい、この意識はすべて共通しております。したがって神という名前を使おうが、宇宙人という名前を使おうが、菩薩だろうが如来だろうが、本当は人間にはどうでもよいことです。ただ自分を救ってくれればよい、自分をしっかりと救ってくれれば信じてある。こういう取引を行なっております。
自分が良いことがあれば信じてあげる。自分が何も変わらなければ神も仏も信じない。こういう取引を人間が行なっております。しかし神や如来、菩薩、宇宙人と呼ばれる存在たちは人間との間で個別の取引を行なうことは絶対にあります。
ただ宇宙の法則に従うだけであり、一人の人間や人間というものに対して個別に取引をすることはほとんどありません。しかし人間は自分だけを特別な存在にしたい、自分が特別な働きをしたい、そういう傲慢な意識、間違った意識を身につけております。
これからの皆さん方のこの進化の流れにおいて、どこかの段階でこの間違った信仰、神や天使、マスターや宇宙人、こういった者に頼む、すがる、依存する、こういう心の波動を完全にすべてなくし、浄化し、健全な意識に戻す必要があります。
この部分を浄化することができず、すがる意識を身につけたままで学びを続けていくと、間違った神、間違った宇宙人がやってきて皆さん方を別の方向へと導いていきます。
この間違った神や宇宙人に導かれる流れは第四密度でなければ第三密度でもありません。別の領域に連れて行かれます。ある意味では地球から追い出されるという言い方でも良いでしょう。
この最終的な神なるもの、聖なるものが最終的なテストであり、本当に正しい神の意識を身につけているかどうか。神の概念、神とは何なのか。それに対する正しい意識を身につけているかどうか。これがとても大きなテストになります。
ただ神を信じていない、ただ宗教を信じていない、そういう程度の問題ではなく、神や天使、宇宙の存在たちをどのように認識しているか。それによってかなり流れが変わってきます。
最終的にはすべての人がこのテストを受け、それによってどこへ進むかが決められていきます。この神のテスト、聖なるもののテストはもうしばらくしてから本格的に始まっていきます。
今はまだそのテストは始まっておらず、今は単に第三密度と第四密度の振り分けの時期であり、自分のエゴ、自分の意識レベルがどうなのか、それをテストされている最中になります。
今のはコロナウイルスの現実においても、一人ひとりさまざまなテストが行なわれていきます。一人ひとりに見合ったテストが行なわれており、一人ひとりがどういう意識でこの現実を乗り切っていくのか、それが観察されております。
いまだに神にすがる、天使にすがる、そういうものにただすがっている人も3割ぐらいおります。助けてほしい。死にたくない。こうやってただ神にすがる。この3割ぐらいの人はほとんど意識を変えることができないために、この世界を続けることは難しくなります。
すがる気持ちがなかった場合でも、やたらと理屈で議論だけで対抗しようとする。神や仏も信じないかわりに、すべてを物理的な理論、理解できる理論、それだけで乗り切ろうとする。処方箋や薬、病院のレベルやお医者さんたちの能力、いろんなものを理解しながら、少しでも助けてもらえる方法、生き延びる方法を見つけ付ようとする。こういう物質的な意識だけでなんとか生き延びようとする。こういう人たちがかなり多く存在しています。
この人たちはさらにその当の思いはなぜどのようにして起こるのか、なぜ生き延びたいのか、そこがまた確かめられていきます。
長いこと家族に会えない。その時に家族に対する執着がどの程度あるのか。金銭がなくなってくる。金銭に対する執着はどの程度なのか。それぞれ自分のもっている執着を確かめられております。
仕事、家族、金銭、こういったものに対する執着、それぞれが確かめられていき、その執着の中身や度合いに応じて進むべき方向が決められていきます。
すべてを運に任せ、神に任せ、ただ言う通りになっている。ただお医者さんの指針に合わせすべてを任せていく。必ずしもこの意識が正しいわけではありません。すべてを任せてしまうのも神にすがるのと同じ波動になります。自分で生き延びようとする。自分で生命エネルギーを最大限に発揮し、自分で自分の生命をながらえようとする。これは執着でなければむしろ、良い波動になります。執着になるかならないかは、生きることによって何を求めるのか。会社を続けたい。皆と一緒にいたい。自分の作った家を大事にしたい。こういうのが裏にあるのであればやはり執着になります。
一人ひとりの心のレベルに従って判定されていき、それによって次の世界が決められていきます。もちろんウイルスにやられた人ばかりではなく、やられていない人も同じようにテストされております。
どういう心で患者を見ているのか。どういう心で入院している人たちを思っているのか。その心がまた一人ひとりテストされております。そして自分の当の心はどうなっているのか。自分は本当はどの世界に向かおうとしているのか。それが分かるようにテストされております。
しかしこういう話を聞いたからといって、あえて良いことをする、良い心になろうとする、そうやって心がけて良い人生を送ろうとしても、おそらく3日もすると元に戻ってしまうでしょう。
一時的に意識を変え、頑張ろうとしても、普通は3日以上続くのがとても困難であり、自分の来の心に戻ってきます。さらに続いたとしても1週間ももたないうちに戻ってしまったり、場合によっては1カ月ぐらいで戻ってくる人もいるでしょう。
本当に高い意識レベルを保持し続けることは難しく、下ったりまた上がったりを繰り返していきます。ここで大事なのは、とりあえず1日でも3日でも頑張ってみる。信じて頑張ってみる。しかしいつの間にか意識が下がり、またすがってしまう。弱気になる。本音を吐いてしまう。
それでもまたそういう自分に気がつけば、また意識を変え、頑張ろうとする。また3日たてば元に戻ってしまう。こうやって上がったり下がったりを繰り返していく。これはかなり良い方の意識になります。
ずっと高いレベルで維持し続けることは今の普通の人には不可能であり、ほとんど非現実的な生き方になります。気づき、目覚め、がんばろうとする。しかしいつの間にか落ちてしまう。落ちた気付いたときまたすぐに引き上げようとする。引き上げようとしても相手の一言でまた落ちてしまう。落ちてしまってもまた自分で気づき、また自分ではい上がろうとする。こうやって上がったり下がったりを繰り返していく。これはとても良いことです。
自分で気づく力を養っていく。落ちてもまた自分で気づき、自分で這い上がる。この意識が必要であるために、落ちても落ちてもまた立ち上がる。この強さを身につけてください。
すぐに落ちてしまう。何度も押してしまうという人はそれだけ何度も何度も立ち上がっております。立ち上がった人はあとは持続力を高め、長く持続できるようにしてください。
1日ももたない人は1日もつように頑張る。3日もたない人は3日以上もつように頑張る。こうやって自分の意識を長く持続できるようにする。落ちたらまた気がつき、自分で修正し、もう少し長く維持できるようにする。この意識がとても重要なのです。
今、そういう意味において皆さん方にとってとても良いテストの段階に入っております。自分で確認することができるために、自分の意識を高めていく。落ちたらまた気づくようにする。これを繰り返しながらより高いレベルへ、より聖なるレベルへと向かっていくようにしていってください。
それでは少し休憩をとります。ありがとうございました。
個人アドバイスは省略します。