20200118 of Central Sun Ascension Report

/人間の本質/茨城は人間の本質を保持している/本質をのこすこと/他の地域は進化を担当/生かし合う/

2020/1/18 茨城新年メッセージ

このメッセージのいいねポイントは

茨城は生かし合う本質を残すこと


①比較・競争は本質的なものではない

サナトクマラ。私がここににきたのは、この地域の人に一つだけ、私から言いたいことがあるためにやってきました。この地域の人はこの地球全体の中で、たった一つの役割を請け負っております。

この地域の人が請け負っているたった一つの役割というのは、人間の本質を思い出し、人間の本質をほかの人々に伝えることにあります。人間の本質とは何なのか。多くの人は見失ったものであり、忘れ去ったものであり、人によっては手放してしまったものでもあります。

太古の昔、まだ日本という国ができていなかったころ、この地域は大きな大陸の一部になっておりました。まだ大きな大陸であった頃、ある特別な星からやってきた者たちがこの地域に降り立ち、この地域の中に一つのヒミツを隠して、そしてこの星を去っていきました。

この地域にこっそりとを置いていった本質的なもの、それはまだ人類というものが誕生する以前の話になります。その時すでにこの星が、いずれ人類が誕生し、人類が進化し、本来の人類の使命を全うしながら、文明が栄え、人間同士のやりとりによってさらなる高度な文明へと発展していく。

この一連の人類の流れにおいて、その時すでに人類の流れが非常に激しいこと、いわゆる素直に進化することができず、進化を進めてはお互いに破壊を作り出し、人類が大きな大きな後退をしてしまう。人類の進化が留まってしまう。そしてまた新たなる人類の文明が作り出され、また進化を進めながらも、またお互いの衝突によって文明が滅びてしまう。これを何度も何度も繰り返していきながら、地球全体の文明が広がるように設定されておりました。

しかしこの、人類が文明を通して栄えては滅び、栄えては滅びる流れにおいて、たった一つだけ仕組まれたものがありました。それが人間の本質に関するものであり、本来人間の本質として変わってはいけないところと、進化すべきところ、この2つが大きなカギとなって隠されていきました。

この人間の人類の進化の流れにおいて、本質的に変わってはいけないところと進化しなければいけないこと、この2つのテーマが隠されている中において、この地域の場所に本質的なところ、いわゆる変わってはいけないところ、人間の本質として変わらないところを隠した場所になります。

どんどん進化し、変わっていくところはほかの人類に移されており、それぞれの人種ごと、人類ことによって進化するテーマが異なっております。しかしこの地域の人は、進化をするというよりは進化に意識を向けるのではなく、本質的なところに意識を向け、本質的なところを変えないように残しておく、本質的なところを維持しておく、その拠点として設計されておりました。

この地域に:人間の本質を隠されそれを進化の流れにおいてどのように人類に関与しているか、これが大きなテーマとして与えられておりました。それ以降、さまざまな人類の進化・誕生と同時に、時代によって地形が大きく変わり、海に沈んだり、また陸として浮き上がってきた。これを何度も繰り返す流れにおいて、この地域に関しては人間の本質を維持するという永遠のテーマが与えられております。

したがってこの地域の人は、人間の本質、この本質を常に受け取り、感じ、理解し、残すという意識が動いていきます。この本質を残す、本質を維持し続ける、本質にこだわるという意識は、場合によっては進化そのものを否定するような感覚にもなります。

進化せずに定着させる、進化しなくても気にしない、進化に向かうよりはもっと大事なものを残し続ける、そのような意識に変わっていきます。この本質を残す、これを役割としてもっているこの地域の人々は、人間の本質について常に意識しながら、それを自分たちで見抜く必要があります。

何が人間の本質なのか、人間の本質として残すべきものは何なのか、いわゆる親から子へ、子から孫へ、こうやって代々受け継ぐべきもの、残すべきもの、この地域の人に伝え残しておくべきもの、それは何なのか。それをこの地域の人々は理解し、しっかりと伝えておく必要があります。

人間の本質とは何なのか。いろんな見方があるために一言で言えるものではありません。またそれらを聞くのではなく、人間自身が一人ひとり自分で見つけていく。自分で挑戦し、自分で見つけ出し、そしてそれを後世に伝えていく。それ自身がこの地域の人々の役割になります。

人間の本質といっても見方や捉え方によっていろんなものが現れていきます。単なる心だけの問題ではなく、生き方や信念、考え方、場合によっては宗教的なもの、自然と人間のつながり、そもそも人間とは、生きるとは、生命とは、いろんなものにかかわってきます。

したがって残すべき人間の本質といっても一言で言えるものではなく、説明できるものではなく、人間自身が自分たちで見つける、探す、理解する、こうやってまとめ、伝えていく必要があります。

人間の本質として一番大事なものはお互いに生かし合うという意識が重要になります。生かし合うというのが人間の本質に隠されたものであり、これを宗教によっては愛と呼んだり慈悲と読んだり生命と呼んだり、いろんな言い方がなされております。

生かし合うこの本質をまず皆さんで理解し、取り組み、見つけ、伝えていってほしいと思います。生かし合うとはどういうことか。生かし合うという本質は自分一人では生きることができない、皆で生かし合うという一番の良いやり方は何なのか。

他をコントロールしたり他を支配することは生かし合うことになりません。権力者や力のある者が他の者をコントロールすると、もう生かし合うことはできなくなります。片方だけが良いメリットを受け、そうでない者が被害を被むる。常に嫌な思いをする。ただ利用されてしまう。こういう意識ができてしまうと、生かし合うことにはなりません。

家族においても友人においても、生かし合うということはどういうことなのか。親と子が生かし合う時、上下関係、支配関係は何が理想的なのか。見知らぬ者がいるときに生かし合うというとき、何を信じて生かし合うのか。いろんなテーマが考えられてきます。

そのいろんなテーマをそれぞれの人々がそれぞれの地域ごとに考え、良いことを見つけ出す必要があります。やはり海の近くにいる人、山の近くにいる人、平地のところにいる人、それぞれ考え方、共同作業の仕方が変わってきます。

それぞれ環境が変わったとして、気候も変わり生活のスタイルが変わった場合に、生かし合うという共通のテーマにおいて、何が一番良い生き方なのか。それに取り組んでもらい、ぜひ良い生き方、良いお互いの生かし合いの仕方、これを見つけてもらいたいと願っております。


光のハイアラーキからお話をします。

生かし合うというお話が与えられておりました。とても重要なテーマであり、このテーマはぜひ取り組んでいただきたいと思います。この本質的なテーマと同時に、その時その時の流れによってあるいは他との関係によってまた別のテーマが与えられていきます。

この茨城という土地柄、県民性やほかの人々とのかかわり合いで見たとき、茨城の地域の人の一つのテーマとして、自分という存在、自分という意識をどこにもっていくか。つまり何が自分なのか。この自分をどのように位置づけるかが難しくなっております。

完全に個人という自分に意識を向けるのか、家族の中のメンバー、家族の一員として自分を作るのか。あるいは地域や周りの集まりの中で、自分という意識を作り出すのか。自分という価値観や意識をどのレベルにもってくるか。これによって大きな意識の違いが現れてきます。

都会のように一人ひとりが完全に自立し、自分は自分で自分の責任をとりながら、一人ひとりが個別に自分のペースで自由に生きるという意識のレベルが現れているでしょう。この一人ひとりが自立した生き方は都会においてはごく普通の意識になっていきますが、その分、家族や親戚、地域とのつながりが薄れ、弱くなっており、あまり家族や地域のことは考えなくなっていきます。

これが良いのかどうかは一概に言うことはできませんが、都会においても一人ひとりが自由に生きながらも、お互いに生かし合うという心が身についていれば、一人ひとりが自立しても問題はないでしょう。

しかし現実において都会暮らしをしている人の多くは生かし合うという心がなかなか育つことができずに、いかに自分が優位に立つか、自分が勝者となり支配者となりいかに自分が頂点に立つか、こういう考えの人がとても多く都会に集まってきます。

したがって個人の自主性で、一人ひとりで自分で自分の人生をうまくコントロールするときに、生かし合うという意識がなければただの欲の深い人間、エゴの強い人間になってしまいます。そのバランスをうまくとる必要があり、自分で自分をコントロールしながらもほかの人々と生かし合う関係を身につけ、そこでちょうど良い生き方ができればそれは自立した良い人間として成長を続けていくでしょう。

まだ完全に一人ひとりの自立には進化しておらず、常に家庭を考える、あるいは友人や地域、ほかの人のことを考えた上での自分という存在を意識している。単独な自分という意識ではなく家族や地域、ほかの人々とのかかわりの中で自分という存在を理解している。こういう人の意識は自分だけがメリットを得るとか、自分だけが先に行くというよりは、何か手にしたものを家族や皆で共有する、情報も金銭のこともなるべく共有できるように意識しておき、自分個人で勝手に判断することに何か引け目を感じてしまう。何か罪悪感を感じてしまう。こういう人の意識は家族や何らかの集まり、グループ的な中での自分という意識になります。

これはこれで一つの進化段階として十分に成り立っています。グループの中で家族や親族の中で、あるいは会社におけるメンバーの中で、全体を意識しながら自分の役割、自分のやるべきこと、それを理解して自分のやるべき責任をしっかりと全うする。

自分のやるべきこと、担当しているところを明確に理解しているために、その範囲においては自分が責任をもって行なう。しかしほかのメンバーも同じグループや同じ仲間、同じ家族の場合には同じ仲間としての意識があるために、自分が真面目にやっていてもほかの人がちゃんとやらないと、その分、自分がやってあげないといけなくなる、自分が面倒をみなければいけなくなってしまう。

こういう意識が強くなると同じメンバーの人でうまくできない人、能力が追いついていない人がいた時につい責めてしまう、強く言ってしまう、荒い言い方をしてしまう。こういう言動によって常に何らかの争い、対立、またこれが長くなってしまうと、嫌な思いを持ち続けたり、心の中で常に不快感が襲ってきたり、これらの感情的なしこりが強い想いとなって人生そのものに影響を与えたりするようになります。

こういう家庭やグループ、集まり、会社での集まりの場合には、自分は一員でありながらも全体を常に考えている。こういう人々同士が集まることによって、皆で劣っているものを責めたり、劣っている者に何かよくないことを押し付けてしまったりする傾向が現れてきます。

こういうカルマ的なものもこの地域の中にかなり残っているために、やはりこの地域の人はそういう集まりやグループ、家族・親族、そういう流れにおいて全体を考えると同時に劣っている人、うまくできない人、そういう人をつい荒く言ったり、責めてしまったり、仲間はずれにしてしまうような意識において、十分に注意をする必要があるでしょう。

あくまでも助け合う、協力し合う、この意識が重要であるために、能力がそこまでうまく発揮できない人、あるいはやるべきことと個人の能力がうまく合っていない人、そういう人に対してうまくいくような仕組みづくりやコミュニケーション、心を理解してあげる、こういう意識が望まれてきます。

特にできる人に限ってできない人を責めるという力がとても強く働いているために、優秀な人ほど、できる人ほど逆にこの問題を作り出していることを理解してください。うまくできる人、要領のよい人が逆にこのネガティブなエネルギーを作り出し、場を悪化させていること、うまくできる人ほどできない人の心を理解して、皆が良くなる意識を身につけるようにしていってください。

またさらに発展して、地域全体や県民性、そういうところまでいったときに、お互いに助け合う、協力し合うという意識へもっていかせようとしたときに、やはり地域性やそれぞれの意識の違いによって、どうしてもうまく助けられなかったり、うまくスムーズに連携がとれない場合があります。

これもやはり同じようにうまくできているところ、うまく環境が良くなってどんどん文明が進んでいったり、意識が高まったりしていると、どうしてもついてこれない地域の人や昔ながらの人々の意識に、つい下に見てしまったり、ネガティブな意識をもったりして、対立を激しくさせてしまう場合があります。

やはりこの場合も同じように、先にいっている人、うまくできている人そのものが逆に好ましくないエネルギーをつくり出していること。これを理解して、うまくいっているところ、先に行っているところがそうでない人々にうまく接していく、手を差し伸べたりうまく教えたりして、あまり心を傷つけないようにしながら、全体が協力し合う、助け合うという意識でうまく進んでいく。そういうやり方を見つけていく必要があるでしょう。

この協力し合う、助け合うという意識、これは本質的にこの地域の人は身につけているものですが、意識の差が現れてきたときに、つい先にいっている人が遅れてきた人に対して強く言ってしまったり、欠点ばかり言ってしまうことによって、問題を悪化させていきます。したがって要領の良い人、できる人、優秀な人ほど注意をするようにしておいてください。

できる人が、まだできていない人の心を感じてあげ、そしてうまくできるように要領よく導いていく。導いていくというよりは一緒にやっていく。自分も同じ目線で、同じ動きで一緒になってその意識を広げていく。こういう心構えを身につけ、常に全員が協力し合う、お互いに生かし合うという本質を思い出して、全体的な良いエネルギーをつくり上げるようにしてみてください。


自然災害の質問がありました。基本的に自然災害といっても人間の意識が作り出していきます。自然災害が多いところは人間の意識の衝突が多いことを表しております。昨年、関東においてさまざまな自然災害が続き、被害も多く現れておりました。特に山間部、どちらかというと自然を愛し、自然とともに生きている人に限って被害が多く現れておりました。

本来、自然を愛し自然と共に生きて、かなり良い意識のように思われますが、しかしここで難しいのは、人類全体に与えられた使命として、進化しなければなりません。人類は進化することも求められております。

いわゆる仲が良い、土地を愛する、自然を愛する、この気持ちがあっても進化しないという意識の場合は、やはり宇宙に反することになります。進化しながら土地も愛し、人間関係も愛し、生かし合う。これが求められているために、進化しながらお互いに協力し合う、これをうまく見つける必要があります。

どうしても山間部や、あるいは農業の関係でうまくいっている人に限って、それでよしとしてしまい、つい進化する、自分の意識を高める、次のレベルに引き上げるということができなくなってしまいます。

そうやって、これでいいんだ、これで大丈夫という風に決めてしまい、それ以上の進化ができなくなったところに大きな災害が現れております。それによって意識を変えさせる、次のレベルへ引き上げていく。今のままでは良くないということを理解してもらい、何らかの新しい意識、新しいチャレンジをしてもらう。そのための災害が起こったと思ってください。
この地域、茨城の地域においても、もし何も進化せずにこのままで良い、今までのをやり方で良い、ずっと今までのやり方を続けていけばよい。そこに執着してしまうと、何らかの自然の力によって意識を変えさせるように動かされていきます。

したがって自分たちの方からある程度、先へ先へと変えていく、都市化がどこまで良いかは難しいですが、ある程度、技術的なことや科学的なことを使って皆が良い生き方ができる、お互いに文明のレベルが引き上がっていく、そういう方向へ向かうのであれば、それはそれで十分に良いことになるでしょう。

科学技術のすべてが悪いわけではありませんが、科学技術によって自然界を破壊させるものはやはりそれなりの自然の怒りをかうことにもなるでしょう。自然の怒りをかうことなく、うまく自然と調和をとりながら、人間と共存していく。お互いに生かし合う、そういう生き方を見つけられるようにしてみてください。


ほかの地域の人々の意識において、これから地球全体がさらなる自然的な作用が強く現れていきます。これまで人間が自然に与えていたもの、自然の力を利用していたものが、これから自然界から逆に戻されてきて、人間の意識の状態によって自然の力を受け取ることになります。

自然を大事にし、自然をうまく生かしながらも、人間と共存しようとする意識の人にはそれほど影響はないかもしれません。しかしただ自然と一体化しておくだけで良い、すべてを自然に合わせ人間は進化しなくてもよいという意識だと、やはり自然界の反撃を会うことになります。

人間は人間で進化し、意識を高める必要があるからです。ただ自然と一緒にいればよいという意味ではなく、自然と共存しながらも人間は進化し、進化したことを自然に戻し、自然を高めていく。自然界をより高いレベルへ引き上げていく。この意識が必要になります。

自然というもの昔の古い自然のままに留めておくのではなく、人間の進化と同時に自然界も進化させる。自然界を進化させる手伝いを人間がしていく。この意識がないと、やはり自然界から人間にさまざまな力が戻ってきます。

人間と自然界が共存するということは自然も進化すること。人間の進化と同時に自然界も進化させること。これを理解して、人間と自然界がうまく共存できるようにしていってください。

全体メッセージはここまでにいたします。ありがとうございました。






※個人アドバイスは省略します。

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