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2019/12/23 月例セミナー:キリスト意識 |
このメッセージのいいねポイントは |
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自然に他に尽くす心を使えるように |
①しつけの仕方が分からなくなっている
マイトレーヤ。ここで話をするのが5回目ぐらいになります。少しずつ皆さん方も意識が変わってきているのを感じております。人間の意識が変わることはとても難しく、何十年たってもほとんど変わらない人が多くいます。ここで学んでいる人は1年の間でも意識がかなり上昇をする人がおります。よく意識を上げる学びがなされていることと思われます。
キリスト意識というテーマですが、日本の人々にとってはキリスト意識という言葉を使わなくても自然に身についている人がたくさんおります。誰かのためにわざわざ自分が何かしてあげる。特に自己犠牲とかわざわざ自分が、という意識をもつこともなく、ごく自然に他人のために何かできる人が時々おります。
そういう人々は魂のレベルでそういう資質を身につけており、日本人の意識の中の、いわゆる大和魂とか、尽くす心、頑張る心、そういう心の中に、どうせやるなら最後まで完了させる、やり始めたものはちゃんとやり遂げる、このような意識が身についております。
ただこれが明治時代に軍国主義と一緒にされてしまい、尽くす心が軍によって利用され、普通の人々がただ戦うために意識を変えられてしまいました。この明治の頃の意識の改ざんが悪影響を与え、戦後しばらくこの意識が残っておりました。
今その呪縛が少しずつ取り除かれてきて、今の若い人たちにおいてはそういう意識がなくなってきています。それと同時に尽くす、やり始めたら最後までやる、こういう意識も一緒に弱くなってきています。したがって今の若い人たちの意識から見たとき、日本人が強く内面にもっていた尽くす、やり始めたら最後まで完了させる、こういう意識は弱くなってきており、そういう若い人のためにはある程度、尽くす心を身につけるしつけが求められるものと思われます。
ただこの心を身につけるためのしつけという段階になった時、そのしつけの仕方、身につけさせ方が親がまったく分かっていない、親が他人に良い教えをさせるやり方が身についていないというのがあります。
今、日本人の多くの人がこういう道徳的な心を見失ってしまい、しつけの仕方そのものが分からなくなっている状態にあります。昔の方が厳しい儒教的な意識がありましたが、それでも他人のために尽くす、やり始めたら最後まで何とかするという心は強くもっておりました。
今、それがなくなってくると同時に尽くす心、最後までやり遂げる心がなくなり、自分は自分のやり方で、自分の幸せ、自分の喜びのために自分のペースでやる。こういう個人の意識が強く現れております。
魂が個人化の流れを進む流れにおいて、個人に意識が向くことは自然の流れでもあります。しかし本来の魂の進化において、個人化すると同時に他人とのつながりも強く意識する、他人との関係、他人とのかかわりを強く意識する。そのために魂音カルマがで設定され、他人との間でいろんな学びが作られております。
他人とのかかわりで何か嫌な思いをする、何か一緒にやらなければならないことがつくられる、一人で好きなことがうまくできないように設定される、このような現実は自分一人で勝手に生きるのではなく、お互いに助け合う、協力し合う、生かし合う、この心を身につけるために設定されている現実になります。
したがって皆さん方のこの学びにおいても、一人ひとり自分の意識レベルを上げ、自分の心を成長させ、魂を進化させ、自分の徳や愛、慈悲を身につけていくと同時に、他人に対して自分ができることを全力を尽くして行なっていく、他人を思う心、他人を生かす心を常に意識し、自分ができる最大の奉仕を他人に行なっていく。この両方が求められてきます。
自分の魂の進化と他人への奉仕、これをいかに自分が良い行動として具現化できるか。そこが皆さん方の毎日の学びになります。もちろん一番良いのは他人に尽くすことが自分自身の喜びとなる。これが理想ですが、初めの段階においては他人に尽くして褒めてもらうことで喜びを感ずる。これが最初の段階ですが、それはそれですべてが悪いということはできません。
ただそこに執着しないことが求められていきます。褒めてもらうことに執着するのではなく、ただの一時的な通過点として、褒めてもらって喜ぶという体験をしながらも、いずれは誉めてもらわなくても喜びを感ずる、相手が何も言ってこない、相手が無視した、それでも自分は喜びを感ずる。そのうちにいちいち喜びを感ずる意識さえも弱くなっていき、ただ相手の進化を見届けてあげる。ただお互いが良い心、よい魂で成長していく。それだけを感じられるようになっていく。これが皆さん方の成長の方向にあるでしょう。
来年のキリスト意識のテーマはその部分が皆さん方に与えられていくでしょう。他人のために尽くすこと。それを自然にやりながら、見返りを求めることなく、自分が自分と相手の魂の成長のために行動していく。この意識を高めるようにしていってください。
②無心の心が一番素晴らしい
イエスと呼ばれておりました。多くの人々からマスター、神のように思われたりしておりますが、ここにおいてはそういう意識がないことは私にとってとても良い感覚になります。ある意味では皆さん方と同じ人間として生を受け、悩み、苦しみ、非難されながら真理を追求していきました。
今の皆さん方の意識は、ちょうど私の20歳ぐらいの年齢の時とかなり似通っております。私自身がいろんなラビの者たちに出会い、話を聞いて、真実を理解しようとする。なぜ貧しい者がいるのか。なぜ国はまともに動かないのか。なぜ権力のある者、金銭をもつ者がすべてを支配できるのか。
いろんな悩みをもち、聖者たちに話を聞き、その本質的なところを理解しようとしておりました。皆さん方と同じ意識の時、いろんな話を聞く、いろんな真理を見つけていく。そういう時期が必ずあり、皆さん方を感じていると、本当に私の20歳のころ前後を思い出していきます。
私がその意識レベルから吹っ切れたのは、やはりヨハネ、かなり私よりも何でも知っている聖者のような人間に出会ったときであり、このヨハネの話はほかの聖者たちとはまったく異なっておりました。
話そのものが人間的な意識の話ではなく、もっと本質的なところ、もっともっと根元のところからの話が多くなされておりました。皆さん方の分かりやすい言葉で言えば、法則、宇宙の法則やカルマの法則、あるいは本当の真理の法、そういったものからの本質的な教えが多くなされてきました。
それによってその人の人生そのものがすでにすべて決定されており、人間はその仕組みにただ動かされていること。あらゆる現象がすべて決まっており、人間はある意味では運命に従って動いていく。しかしその運命は自分の力で変えることができる。
運命を変えるために一番必要なものが無心の愛であり、無心に尽くす心であり、無心にただ自分の魂の進化成長を行なっていく。この無心さが一番、重要なポイントにありました。よく私の教えとして愛ということが広がっておりますが、本当に必要なのは私は無心さにあると思います。
愛という言葉も解釈によって、言葉によってかなり変わっていき、ほとんどが自分の都合のよいように意味が変えられております。したがって今、私は愛という言葉をあまり前面に出すことはしなくなっております。
むしろこの無心さ、私はこれを強調したい思っております。無心さ。多くの者が何らかの見返りを求める、お礼を求める。感謝を求める。この心がある限り、どうしても欲が出てしまい、期待はずれ、期待通り、いろんな邪な心が動いていきます。
この邪な心がある限り、やはり魂の成長は難しくなります。私は愛よりも先に、この無心さ、何をするにおいても無心さ、自然に普通に何も求めることなく、何を期待することもなく、ただやるべきことをやっていく。この無心さこそがとても重要な心の要素だと感じております。
この無心さがなくなっていくのは、やはり欲が動き出したころになるでしょう。褒めてほしい、見てほしい、分かってほしい。いろんな期待の心、欲の心が動くにつれて無心さが期待になり、見返りを求める心を作り出してしまいます。
無心さの心を思い出す、取り戻す。そのためには一度、身につけてしまった期待の心、さまざまな欲の心を自分で正しく見る必要があります。どういう心を身につけてしまったか。
ほとんどの人は当然と思っている心が欲の心になります。何かしたから何かしてもらう。感謝してもらう。褒めてもらう。これらはすべて欲であり、自分の心をくもらせてしまいます。
感謝することなく、見返りを求めることもなく、ただすべてを許し、認め、自分は自分の魂の成長のために最大限、尽くしていく。この心をぜひ身につけるようにしていってください.
それでは個人のアドバイスをしていきます。
※個人アドバイスは省略
一緒に参加していた5歳のKくん。生まれる前からセントラルサン/アーガルタンでの生徒でした。生まれる前のことも覚えている子です。今回のキリスト意識のセミナーの感想をいただきました。
「部屋に入った時から、後ろの端に、前に貼ってあったキリスト(左の図)と同じような顔をした銀色の髪の長いマリア(男)がいた。あの顔は家には来て欲しくない(^^;) 先生の斜め後ろには女の天使、部屋の後ろには男の天使がいた」ということでした。