/日本人に託されたDNA/人間の進化/意識への刺激/進化と競争心/
2019/1/28 埼玉新年メッセージ |
このメッセージのいいねポイントは |
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身近な人からの刺激が競争心になる |
①競わない意識の進化を
サナトクマラ。皆さんとお話ができること喜びしております。今、日本の人々に大きな使命が与えられております。日本の人々にとっては当たり前のこと、普通のことと思われるかもしれません。日本はこの地球人類の歴史の中で、とても大事なDNAを保持しており、このDNAを後世に伝えていく役割があります。
日本人が受け継いできているこのDNAには特殊なものがいくつか隠されております。まだ科学で解明されていないDNAの部分も入っており、その部分においては、まだまだ後になって見つかるかもしれません。まだ見つかっていない部分、あるいはすでに見つかっていても表に出てきていない部分のDNAの因子があり、日本人はその部分において、とても大きな役割をもっています。
日本人が受け継いできたこのDNAのある因子の中に、とても重要なものがいくつか入っております。人間との結びつき、人間同士のかかわりにおいて、DNAレベルでの重要なものが入っており、これは日本人だけの特別な因子になっております。人の心を感じ取る、人の心を感じ取りながらも決して比較したり、差別化したり、争ったりすることのない、むしろ融合を目指す、心の融合、意識の統合を目指そうとする因子が隠されております。
これは日本人だけのDNAの中に入っており、本来の日本人は心でつながる、心を感じ取る、心を一つにするということに優れたDNAをもってきております。しかしこの心の融合を進めるDNAが最近の日本人の意識によって破壊されてきております。DNAが受け継がれてきているのにもかかわらず、ある意味では封印されてきている、動かないようにされている、そういう状態になってきているのです。
このDNAが動かないようにされてきた一番の理由は、やはり競争すること、勝つこと、上にいくこと、そういう意識によって心の融合の部分が目覚めなくなってきています。競争する、他人よりも速く、うまくできる、他人を下に見る、この心が動き、競争心が強くなることによって、心の融合、心の統合という部分が動かなくされてきているのです。
この競争心、上にいく、一番になる、これは本来、日本人は目覚めさせてはおりませんでした。だんだんほかの民族たちが入ってくることによって、この部分が活性化するようにされていき、一番になること、先にいくこと、多くの力を手にすることを喜びと勘違いしてしまい、その間違った喜びが日本人の意識を支配するように動いてきました。
本来は、競争するのではなく、一緒の心で喜びを感ずる、皆との一体感を感ずることで喜びを感ずるという意識が本来の日本人の意識になっていました。しかし、そこへ他人よりも優れている、他人よりも強い、他人を心配する、そういう意識の者が次々と日本に入ってきて、それによって権力を手にしていくと、権力を手にする方が良い、皆と一緒に仲良くやるよりは強い力で、自分がすべてを手に入れる、こちらの価値観の方が良いという意識に変わっていき、いつの間にか協力するというよりは、競争するという意識が強くなってしまいました。
一度、DNAのレベルで封印されてしまうと、なかなか活性化することが難しく、自然に活性化することもあまりありません。今となっては、競争することが普通であり、できる人、できない人を比較すること普通であり、一番、最高に素晴らしいもの手にすることが良いことであるかのように意識が変わってきました。競争をなくそうとか、皆が幸せになろうとか、そのように言ってもなかなか実現することはありません。
そもそも競争するという意識や心がある限りは、この競争の社会はおさまることはありません。まず根本的な競争する心をなくす、競争する心をなくすためにはお互いに一つであること、常に心がつながり、心が一緒であり、一つになっている、この意識が必要になります。
本来の日本人がもっている心で繋がる、心が一つになっている、この意識を取り戻せば、競争心は弱くなっていき、お互いに分かち合う、協力し合うということが自然にできるようになっていきます。この競争する心を身につけてしまうと、競争することそのものが正しいことであり、良いことであり、むしろそれを強くする必要がある、そのように考える人も多くなってきて、今となっては普通の人々の考え方がそうであるということができるでしょう。
これからの日本人の進化、発展、あるいは世界に貢献できる日本人の働きとして、競争するのではなく、協力し合う、お互いに協力し合い、それによって皆が良くなっていく、この心が動き出していきます。
これまであまり競争したくなかった人、戦うことよりは戦わないで済むなら、そのまま何もしないでいる、それが多くの人に入っておりました。戦いや比較、競争、こういうことを避けようとして、なるべく皆でニコニコ良い話をしている、なるべく迷惑をかけないようにする、そういう心が身についてきて、日本人としての一つの大きな心を作り上げていきました。
今、時代は大きく変わってきて、ただ良い人、戦うことなしにただ良い人というのは、ほかの国々の人から見たとき、価値のないもの、弱き者として認識されていきます。競争して勝つことが良いこと、強いことが良いことと多くのほかの国々ではそのような意識をもっております。しかし本来の日本人は、戦うよりも協力しあって、より大きなものを作る、お互いが協力し合うことによってより多くの面での才能が目覚めていく。こういったことをよく理解しており、協力し合うことを前提としていろんな仕組みがつくられていきました。
しかしそれでも日本人の多くは、競争、自分の方が優れている、自分の方が上であるという意識を求め、それを現実化させていきました。これからの日本の歴史を眺めたとき、この部分を取り戻していく必要があります。本来の協力し合う、比較するのではなくただそのまま受け入れ協力していく、これが日本人の求める行動の在り方になります。
協力し合うという言葉は、現実的にはとても難しく、自分一人ではあまりうまくできないということが常にあります。相手が何を求めているか、相手がどのレベルで意識を作り言動に移しているか、そういったことを認識することによって日本人の素晴らしさ表現することはかまわないかもしれません。
しかし、日本人の本来の心、皆とつながっている、皆と一つである。この心が目覚め、動き出していくと、自然に、いろんな人とつながりができてきて、協力し合う、助け合うという風潮も広がっていきます。
家族であっても、友人同士でも、パートナー同士でも、同じようなことが必要であり、それぞれうまくいくことを望んでいる、うまくいかなくても協力し合い、手伝ってあげる。こういう意識が普通になっております。そこに向けて多くの人がどうやって現実化させていくか。
今となっては活動そのものが難しいという人もいるでしょう。普通の人間の価値観に染まってしまい、比較・競争でないと人間関係がうまくコントロールできない、そういう人も現れてくるでしょう。しかし他人をコントロールしてお互いの人間関係がうまくいくことはほとんどありません。コントロールすることは実際には破壊を作り出していき、良い融合関係には発展しないのです。
今の皆さん方の人生の流れにおいて自分の周りの人の中で協力し合える人、あるいは競争心が出てしまう人、いろんなタイプの人がいるものと思われます。協力し合うという意識を強く身につけ、そこに向けて行動をとっていく。少しでもお互いの関係が良くなり、自分も喜びの波動が増えていく。そういったこと感じ取りながら、自分たち自身を進めさせている大きな力を感じてください。
日本に必要な赦しや相手に対する敬意、評価してあげる、そのようなエネルギーを呼んできますので、自分のハートに降ろし、ハートで感じて、自分に入ってきた新しいエネルギーは自分に何をもたらすか、それを感じ取ってもらいます。
今、流れているエネルギーは皆さん方の心そのものにつながり、少しでもお互いの関係をよくする、一つになる、相手の心が感じられてくる、こういう働きをもったエネルギーになります。このエネルギーを感じたとき、少しでも多くの人と良い関係を作り、多くの人が喜ぶようなことをやっていく。そういう感覚になるようしておいてください。
これからの新しい日本の流れにおいて、心のつながりがだんだん大きなカギを握っていきます。心で感じとるのが難しい人が増えてくるために、だんだん日本人同士の心のつながりが失われるようになってしまいます。そういう時に本来の心を思い出し、相手のために相手を優先させてあげる、良い心を使ってつながりながら、相手の心にとって良いことを行動に移していく。こういう人間の行動が少しずつ取り戻されていくでしょう。
本来の日本人の中に隠されていたこの心のつながり、一つの心、この部分をぜひ思い出して、いつでも感じ取れるようにしておいてください。
次は埼玉向けのメッセージになります。
観音菩薩と呼ばれております。皆さん方と繋がることができたことを喜びとしております。観音菩薩として現れてきましたが、皆さん方から見ればただの光のマスターと認識されているかもしれません。日本の人々には光のマスターもさまざまな感覚で感じとられておりますが、私のこの光は多くの人が観音として認識されております。
埼玉という一つの世界に、ここの人々の集合意識の学びにおいて、天界から見た一つの計画を話そうと思います。それぞれの土地柄や土地、都市、いろいろの人間の集団の単位がありますが、この地域や集まり、集落、都市、それぞれに意味があり、学びのテーマがあります。埼玉と呼ばれ県全体で見たときは、いずれこの埼玉といわれている県の人々は次の意識レベルに上がる準備ができております。
次の意識レベルというのは、人間の意識の進化の段階において、いわゆる自立する時の一つの方法として、刺激を与えられることによって目覚め進化する、何らかの刺激によって目覚め進化していく。まず、この意識的なものが強く関与しております。
埼玉の地域の人はこの刺激によって進化するという意識の部分が、どちらかというと周りからの刺激、周りとの人間関係による刺激、あるいは何か言われる、やられる、自分に影響が及ぶ、そういうことによって刺激が動き、進化の方向に進んでいきます。
この進化の刺激は実際にはそれぞれの集まりごとに異なっており、いわゆる全然知らない人たちからの刺激、まったく会ったことのない人からの刺激によって進化するという段階があれば、明らかに先生となるようなもの、分かっている人、理解している人からの指導によって刺激が起こる、進化する、あるいは支配される、攻撃される、力による無理やり刺激される、こういう刺激の仕方があります。
それぞれ刺激によって進化が行なわれていきますが、この埼玉の一つの領域における刺激は土地柄的なものの刺激、いわゆる親しい人でもそこから何らかの刺激がきたり、あるいは同じ地域にいる人からの情報からくる刺激、身内でも親族でもそこからくる何らかの刺激、そういう刺激によって目覚めたり、自立したりして進化していく。そういう流れにあるのが埼玉の人の進化の始まりになります。
この埼玉の進化の流れの中で、本来は自分から気づき、自分で目覚める、自分の力で進化の方向に向かう、自分が疑問をもち、自分が疑問を解決しようとして進化する。こういう進化の形態が本来は望まれております。しかしこの埼玉の地域の人は自分で問題を見つけたり、自分で進化する方向性を見つけるというのはあまり得意ではないために、近くの人や親族、友人そういう人たちからの刺激によって進化がなされていきます。
この友人や親族たちの中で知っている人たちからの刺激によって自分たちも進化を進めていきますが、その場合、お互いに協力しあってうまく仲良く進化するという形態と、その中でもやはり競争心、若干の競争心によって自分が先に知る、自分が先に終わらせる、自分が先にちょっと理解しておく、こういうちょっとした競争心が動き出していきます。
本来は心のつながりによって一緒に競争していく、仲良く一緒に進化していく。これが本来の求められている進化の状態ですが、ここの埼玉の人々はその中で自分が先に理解しておく、自分が先に解決しておく、自分が先にできるようになる、そういうちょっとした比較や競争心が動いていきます。
これは本来の日本人のもっている仲良く一緒にとか、一つの心、一体化という良い部分の心を残したまま進化する方向の競争という面を取り入れた状態の心になります。進化するという方向性では間違ってはおりませんが、進化の最初の段階が友人や家族やちょっとしたところからの情報、刺激、それに影響されるために、身近な人で自分よりも先に知っている人がいる、友人たちで自分よりも先に知っている人がいる、そういうところに若干の競争心や嫉妬が絡み合ってきます。もちろんそれは魔が入った状態であり、その競争心をおることによって少しずつ仲を悪くさせていく、良い関係を維持させようとせずに、いずれは分離の状態へともっていこうとする、そういうスキを狙って分離させようとする者たちが影響を与えております。
本来はひとつの心を目指す、融合して一緒に学ぶ、そういう方向性が理想的ですが、どうしてもスキを狙って分離させようとする力が働きかけ、競争心をあおるように動かしていきまあす。このわずかな競争心、比較、そこのところにスキができて、そこを利用され、分離を作り出してしまいますが、このちょっとした競争心、ちょっとした比較、その部分が大きくなっていくのか、それとも小さいいままで止めておくのか、これによって結果がかなり異なってきます。
最初はちょっとした比較・競争、その程度ですが、これが強くなっていくと、だんだん自分が一番になる、自分が先に進む、まず自分が自分のものにしておく、こういう心が強くなっていくと、都会的な意識が動くようになってしまい、心でのつながり、心での一体感が失われるように動き出してしまいます。
しかし皆との一体感や心の融合を常に優先していると、新しい刺激が入ってきても、つい後回しにしてしまう、皆との仲をよくする方向や家族が一つになる方向を選ぼうとするために、自分が先にやるとか、自分だけが何かするということに抵抗を感じてしまい、どうせやるなら皆で、どうせやるなら一緒にという意識が影響を与えていきます。
このどうせやるなら一緒にという心は古来からの日本人的な心ですが、現実には一人ひとり個性があり、一人ひとり自分だけの世界があり、得意不得意があるために、皆で一緒と思っていても、皆で一緒に進化することが難しい時代になっております。
現実的に友人や家族、いろんな仲間たちを考えて皆で一緒に同じように成長しようとしても、やはり不可能なことが理解されていきます。一人ひとりの理解度や進化の速度が異なるために、どうしても一番遅い人に合わせる必要があるために、全体の進化が遅くなってしまうのです。しかし、進化は遅い方に合わせるのではなく、早い方に合わせるようにエネルギーは動いていくために、どうしても分かっている人、早い人、理解している人の方に強い光が入っていきます。
そのためによく分かっている人、先にいっている人、理解している人はまだ分かっていない人、ついてこれない人に一人ひとりが意識を向けて教えてあげる役割が現れてきます。光そのものは速い方へ、速い方へと進むために、どうしても遅い人には光の当たり方が弱くなってしまうのです。
したがってついてこれない人、遅れてくる人、遅い人には、人間が、分かっている人間が自分の力で、自分の光で面倒を見ていく、教えていく、連れていく、この力が必要となるのです。したがって、皆で一緒に学びをし、成長するときに、やはりよく分かっている人、理解した人、先にできた人はなるべく後の人にそれを伝えていく、教えていく、できるように育てていく、こういう心が必要であることを明確に理解しておいてください。
いつか分かるであろうとか、誰かが教えてくれるだろう、自分の力でできるだろうと思っていても、現実的にはほとんどそういう状況は起こらず、分からない人は分からないままになって、いずれ別になってしまいます。ここが進化の難しさであり、一人ひとり進化の速度が異なってくると、どうしても光は速い人へ、速い人へと集まってしまうのです。
進化の遅い人に向けては人間が責任をもっていること。自分よりも分かっていない、理解していないと感じたときには、自分が教える必要があること。自分が導いていく必要があること。これを明確に理解しておいてください。これを正しく教えることができず、正しく導くことができないと、分からない人は分かっている人に対して嫉妬を感じたり、競争心を強くしたりしてしまい、それによって余計に関係が悪化する状態になってしまいます。
この埼玉全体で見たときに、その部分がうまく働いているか働いていないかで意識が変わっていき、どうしても分かっている人に先に光が流れてきて、分かっている人がどんどん先へ進んでしまう。そういう地域の人と、分からない者同士が皆で集まって、それで仲良く一緒に少しずつ進化していく。こういう風に別れてしまう状態になっています。
今の埼玉全体で見た場合でも、分かっている方の人々と、自分たちのペースでいこうとする人々に大まかに分かれていますが、これがどんどん加速化してきて、はっきりと別の意識状態の人間のように別れてしまいます。
そのために分かっている人、理解した人、先にいっている人は、なかなかついてこれない人や分かっていない人や理解していない人を正しく、うまく導いていく。分かりやすいように、理解できるように導いていく。そういう使命があることを理解しておいてください。
この部分がうまくできるようになっていくと、競争心、比較競争が少しずつ弱くなってきて、ただ純粋に教えてあげる、ただ分かっていない人に普通に教えてあげる、そういうことができるようになっていきます。そういう意味において先に進んだ人は、まだ分かっていない人に普通に自然に教えていく。
ただ、ここを得意になって、自分が分かっているという意識を全面に出すと、やはり不快感を与えてしまいますので、得意になって、分かっているということを自慢げに話すことなく、ただ相手が知るべきことをやさしく普通に伝えていく。そういう自然な良い心でほかの人々にも教えていく、伝えていくというやり方を身につけるようにしていってください。
それでは休憩をとります。ありがとうございました。
※個人アドバイスは省略します。