/五色不動/心の強さ/赤は自分で気づかせる/青は世俗から戻す/楽しければよいという意識は第三密度/黄は感動的な喜び/芸術性と娯楽性/
2017/1/9 五色不動ワーク② |
このメッセージのいいねポイントは |
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修正すべき方向性を色で教える |
①目赤不動
不動の尊体として現れる。皆さんの心の中に不動としてつながっております。不動としての波動は人々の心の中で何かなすべきこと、すべきこと、なさねばならぬことに対し、自らの力を可能な限り尽くし、それを実行に移す、行動に移す、この固い決意、行動力、意志、そこに働きかける一つのシンボルとして不動が位置づけられております。
元々人の心はとても弱く、すぐに怠けてしまう、諦めてしまう、弱音を吐く、このような弱い心が人間の心であり、何かを達成したいという願望ばかりが頭にあっても、それ行動に移す力がなかなか身についておりません。願望だけですぐにそれを実現させようとする、実現できないと人のせいにする、社会のせいにする、あるいは単純にすぐに手に入れようとして盗む、偽りのものを手にする、このようなやり方で望んだもの、願望するものをただ手にする、こういう心ばかりが身についております。
望むものがあれば自らの心を強くして、自分でそこまで到達する、自分の手で手に入れる、自分の力で達成する、これが本来の人間の進むべき道であるにもかかわらず、それができない、心の弱さゆえそれができない、しようとしない、黙っていて手に入ることを望む、こういう弱い心になっているのです。
この弱い心を強い心へともっていく、そのための力添えをするのが不動の役割になります。不動を呼び、不動と共に歩くものは自らの心を強くする意志が必要であり、望むものを手に入れるために不動に頼む、この意識そのものが弱い心であることを理解してください。これまでのこの国の歴史において、お不動さん、お不動さんと称し、願望を何でも実現させてほしい、望むことを現実化させてほしい、そういう思いでお不動さん、お不動さんと口に出すものがおりました。
悲しいことに自らが不動の強い心を手に入れようとせず、ただ頼む、お願いする、そういう弱い心のままで不動に望みを託しております。もし不動に何かを託し望みを叶えてほしいのであれば、自らの心を強くして自らも努力する、自らもそこに向けて行動をとっていく、自らの心を精進させ、実現するまで行動し続ける、こういう意志の強さが要求されます。
もし不動を自分の願望を達成させるために力を借りようとする時は、まず自分の心をしっかりと見ていき、弱い心を強い心へと鍛えていく、自分の手で実現させようとする、そういう決意を固く固く身につけてください。その上で不動にその意識を伝えると、その強い心の範囲内で不動は手伝っていくでしょう。
今日は目赤不動という形態でのワークを始めていきます。赤目という波動の特性は、皆さん方の人間界からすれば炎のような赤、情熱のような赤、この赤く燃えたぎる炎、そういうものを連想するかもしれません。しかし不動として赤を現し、人間界にこの赤を使うという時は人間の意識の流れの中で、自分でも気づいていない弱い心、自分では当たり前と思っていることや気づこうともしない意識のところ、この自分で見つけられない、分からない、知ろうとしないという意識のところに、赤い光線を投げかけ、自分で気づかせる、自分で分かるようにする、自分で気がつく、そういう役割として赤の光線が使われていきます。
一般に得意になって人の欠点を述べている、得意になって人の弱点や悪口を言い合っている、そういう時に不動の赤い光線がその意識に投影されると、人の悪口と思っていたところが実際には自分のことだった、自分自身が同じ欠点をもっていた、人を罵っていたのが実際には自分自身のことだった、このようにいろんな意味において自分自身に目を向け、反省させる、自分で気がつき、自分で分かる、自分で自分のことをよく理解できるようになっていく、こういう向上心、自分で気がつき、自分で成長し、自分で克服する力、これが赤の働きになります。
これから不動の赤の光線を身体全体に流しますので、自分の身体全体に赤の光線を充満させてください。第三の目のあたりに何らかのエネルギー的な感覚、良い悪いは抜きにして何らかのエネルギー的な感覚を感じた人は、物事を見たり判断したりする時、どうしても自分中心の発想や自分の考え、自分のアイデアを全面的に出そうとして、それだけで他人を判断する、他人を切り捨てていく、他人を自分の価値観で合わせようとする、そういう傾向の人になります。
自分が他人を見て不快感や違和感をもった時、その人の問題ではなく自分の価値観に問題があること、そこに気づくようにしてください。頭の後頭部の方に何らかのエネルギーを感じた人、自分でも気づいていない深いレベルのところに自分で自分を騙している波動があります。自分でさえも気づいていない自分を騙している考え、発想、信念があり、自分はそれに従って行動することを良いこと、正しいことと思っている、いわゆる本来の倫理的な正しさや本来の正しさとまったく異なっていても、自分の中ではそれを正しいと信じ込んでいる、自分はそれが一番良いと信じ込んでいる、こういう独りよがりの価値観に染まっている人、後頭部の方に赤い光線がきて何らかのエネルギーが動いていきます。
喉のあたりに何らかのエネルギーを感じた人、本当のことを言えない、本当のことが心の中で分かっていても口に出す時はすぐに相手に合わせた言い方になってしまう、本当のことを言わずにごまかしてしまう、嘘をついてしまう、こういう本当のことを言えない波動、これが赤い光線によって喉で動いております。
心臓のあたりに何かを感じている人、自分を動かす原動力となっているこの心臓に対し、自分は自分の心臓で動いているのではなく他人の力、他人の言いなりになって動いている時、自分の心臓に何らかのエネルギーを感じていきます。自分で自分を動かそうとせず人に動かしてもらう、人にやってもらう、人の力で動く、こういう心の人は心臓で何かを感じているでしょう。
腰のあたりで何かを感じている人、現実的な行動をとる時、自信がない、分からない、誰かに付いていく、誰かがやったら自分もやる、先に誰かにやってもらう、こういう意識の人は腰にエネルギーを感じているでしょう。正しいことならば自分から率先して行なう、どのような状況でも機会があれば自分から行なう、こうやって自分自身の行動力を自分から動けるようにしていくと、腰の部分は改善されるでしょう。
他にもいろいろ感じている人がいるかもしれません。それぞれの場所において正しい赤い光線でしっかりとつくり変えていき、自分から行動していく、自分で気づき自分で分かり、自分で修正、自分で取り組み自分で進んでいく、そういう心になるように赤い光線を強く強く流していきますので、自分の心のあり方そのものから赤い光線で活性化させていってください。
この赤い光線を心とはいっても身体全体に、あるいは身体を取り囲むように自分の周りすべてに赤い光線で充満させ、すべてにおいて気がつく、すべてにおいて分かる、すぐに反省できる、すぐに修正できる、そういう意識になるように自分の意識の及ぶところすべてに赤い光線を充満させてください。
この世の世界はすべてが自分の心でつくられる、自分の心で確認し、自分の心を使って成長を行なっていきます。すべてが自分の心であり、この自分の心に気づかないうちは心の成長はありません。物質と見える現象も、他人と思える存在もすべて自分の心によって現れたものです。
なぜ物質的に現象化されるか、なぜ物質的に現れてくるのか、そこに気がつけば自分の心の動きすべてを知ることができます。この心の動きを知る力、すべての現象を理解する力、それが赤の光線です。この光線をぜひうまく使いこなし、人のせいにせず、現象のせいにせず、自分の心が始まりであること、自分の心に気がつき、自分の心を変えれば現象が変わること、早くそれを理解し身につけ、それを行動に移せるようにしてください。
この赤の光線は今日のワークが終わるまでずっと流れ続けていきます。それまでの間につながった割合によってこれからの皆さんの心の変化が訪れていくでしょう。ぜひ自分のものにするようにしていってください。
②目青不動
目青不動、人間界から見て青という色彩はすがすがしさや清らかさ、精神性、静かなる状態を現しているでしょう。天の意志がこの地域に青の不動を現象化させたのは、この地域の人々が常に世俗的な話に話題を集め、ただ楽しく、ただ面白く、ひと時ひと時をただ楽しければ良いという意識で過ごしていたのです。
人間的な意識からすればそれで良いとか、それが人間という人がいるかもしれません。しかしただ面白ければ良い、ただ楽しければ良いという意識は成長を阻害し、方向性を見失い、自分自身の意識を高めることができなくなってしまいます。ただ皆で集まってわいわい、がやがや、ただ皆に口を合わせてニコニコニコニコ、この意識は真の成長を留めてしまい、自分の本来の力を発揮することもできず、人に惑わされ、人に利用され、自分ではない自分の道を歩き出していきます。
そういう人間たちに警告を与え、しっかりと正しく見抜き、本来の自分の意識の成長のための人生を送る、そのシンボルとして青が与えられてきました。目青不動というのはそういう人々の心をしっかりと見届け、ただ刹那的に生きているくだらない心をしっかりと見抜き、一時の快楽に負けず、正しく前に進む、どのような誘惑、妨害が襲ってこようとも、負けることなくやるべき道を進んでいく、そのシンボルが目青不動なのです。
江戸の人々は愉快に楽しい、そういう価値観を大事にしておりました。愉快、楽しい、それはある意味ではその反対の心、いわゆる辛さや厳しさ、そういったものを覆い隠すための表面的な明るさや元気も現しておりました。江戸の時代において言ってはいけないこと、してはいけないことが暗黙のうちにたくさん揃っており、そこに触れないように、触らないようにしてそれ以外のところで愉快に、楽しく元気に過ごす、愉快、楽しいは触れてはいけないものをしっかりと裏に隠した明るい元気さだったのです。
その元気はその厳しさや触れてはいけないところを常に隠しもっており、本当の心からの楽しさにはなっておりませんでした。今の皆さん方の時代はその時代に比べればはるかに自由な心になっております。当事からすれは言ってはいけないようなことを平気でどんどんと口に出している、目上の人であろうが、格がずっと上の人であろうが平気でけなす、身内のものでも、どれだけ自分よりも身分が高く、徳が高くてもバカにする、自分を育ててくれた師であろうとも平気で裏切る、当時としては口にも出してはいけないようなこと、今は平然と行なわれております。
当時はそのようなしてはいけないこと、言ってはいけないことには触れずに、ただそれ以外で楽しむ、朗らかに元気に過ごす、そういう元気さで江戸を送っておりました。今の時代はどうでしょう、素晴らしい徳のある人であろうとも平気でバカにする、陥れる、そしてそれを楽しみ喜ぶ。偉い人がどんどん落ちていく様を見て喜ぶ、徳のある人がバカにされるのを見て、愉快、痛快、元気になる、これが今の時代に現象化されております。
自由という名の元でどのような清らかな心のものに対しても平気で傷つける、情け容赦なく引きずり落とす、現代の人々の心はどこまで荒んできたのでしょう。江戸の頃はただ世俗で元気いっぱいに過ごしていた人々に対し、正しく心を維持し続ける、世俗の誘惑に負けず、世俗の快楽に負けず、ただ本質的な正しさをしっかりと認識して、本当の喜びや楽しさとつながるようにして生きていく、そのために青の不動尊が選ばれておりました。
この青の光線は当然今の時代の方がもっともっと強く要求されるでしょう。どこまで世俗的な意識に落ちてしまったか、どこまで快楽主義に落ちてしまったか。ただ面白ければ良い、ただ楽しければ良い、相手がどうなろうとも本人の問題だ。平気で人を傷つけて平気で人を引きずり降ろし、せっかく成長して高き極みに達した人でさえも一瞬で引きずり落としてしまう。この汚れた心、これを青の光線で本来のあるべき心へと目覚めさせ活性化させていく。そのためにはまず己の汚れた心をしっかりと把握する必要があります。
青の光線を身体全体に流していきますので自分自身を青の光線と一つにしてください。青の光線が細胞の一つひとつに意識の一つひとつに細かく細かく振動して入っていきます。極めて細かい微粒子のように肉体や意識に入り込んでいきます。汚れた細胞、汚れた意識があれば青の光線で活性化させ、本来のあるべき細胞や意識へと変換させていってください。
自分が行動としてとっていた世俗的なこと、快楽的なことが思い浮かんできたらそれをしっかりと感じながら、その執着や意識を浄化していき、正しい意識へと変える、正しい心へと変えるように強い心をもって青の光線で活性化させ、正しい方向性を確認していってください。
顔全体に青の光線を充満させてください。まるで自分の顔が青い顔になるかのように。皆さん方の笑いは偽の笑いがとても多く、本当の笑いになっていません。相手に合わせた笑い、相手を騙す笑い、さまざまな偽物の笑いが顔にこびりついております。顔にこびりついた偽物の笑いをはがし落としてください。青の光線の細かい微粒子、細かい振動を感じてしがみついている嘘の笑い顔を落としていってください。
目の部分や口の部分でわざと嘘の笑いをさせる、しがみついているものがあります。偽笑いをするために目や口でごまかしている人、しっかりと青の光線で細かい振動でそぎ落としてください。喉の部分で嘘の笑い声を出している、しがみついているものがおります。わざと高笑いをする、おかしくもないのにわざと大声で笑う、自分自身をも騙して笑ってしまう喉の部分、そこに青をしっかりともっていき、細かく振動させ、本来のすがすがしい笑い声に変えていってください。
ハートチャクラに偽のハートチャクラをつくっている人がいます。わざと相手に合わせてしまう、相手が楽しいと自分も楽しいかのように思わせる。すべて相手に合わせて自分が反応している人、偽のハートチャクラがコントロールしています。相手に左右されているハートチャクラを感じている人は青い光線をそこにもっていき、細かい振動で偽のハートチャクラをはがしていってください。
本来のハートチャクラは心から自分が喜びを感ずる、自分の喜びをただ周りに表現していく。自分自身は心が解放され、ただ楽しんでいる。この本来のハートチャクラが動くように青の光線で別のものをそぎ落としていってください。
自分の身体全体が青い身体に変わっていく、すがすがしく、清楚で、世の概念や価値観、間違った考えに惑わされることなく、自分自身の本当の正しい心で物事を見、物事を感じ、喜びを感ずる、このすがすがしい清楚な青い心をしっかりと身につけてください。笑いは必要です。笑うことは間違いではありません。しかし他をけなして喜ぶ笑いや陥れて楽しむ笑い、これはいけません。
成功している人を失敗させて喜ぶ、これはいけません。常に自分が上へ上へと上がること、他の人を操作しようとしてはいけません。自分が極まっていく、自分が高まっていく。他の人に関しては他の人が少しでも良くなるように手助けをする。そのために自分の力をフルに使ってください。
青の光線が頭のてっぺんから足の先まで、手の先まで充満していくのを感じてください。そしてくだらないもの、世俗的なものを次々と身体から取り除いていってください。
では自分のペースでゆっくり戻ってきてもらいます。
③目黄不動
目黄不動、黄色とシンボルがつくられております。本質は不動そのものであり、色に必ずしも特別な意味があるわけではありません。不動としての働きは基本的に同じになります。天の意志が黄色というシンボルを江戸の人々に与えたのは、特にその地域の人々は江戸の文化を楽しみ、芸術性、伝統、さまざまな良いものを喜び、伝え、広げる意識を身につけておりました。
文化、芸術、とても良い響きであり、人々はその文化的な財産を大切にしておりました。この文化、芸術性は人間の意識によってどんどん変更されたり、意図的に改ざんされたり、すたれたりしながらも次の時代へ次の時代へと受け継がれていきます。
黄色という波動は心の喜びを現しますが、喜びといっても楽しいという喜びではなく、素晴らしい芸術性を見た時の喜び、素晴らしく完成されたものを見た時の喜び、仕組みがうまくできている、とても高度に作られている、技巧的に素晴らしい、そういううまさを楽しむのが喜びであり、その喜びの波動が黄色の波動になるのです。
うまくできている、感心する、見事である、この喜び、この黄色の波動は江戸の文化の代表的なものであり、当時はこの江戸の浅草を中心とした世界一体がとても良い文化をつくり上げておりました。その人々の心に黄色の光線を定着させ、良い文化、伝統的な文化がすたれることなく長く長く続くように、絶えることなく見事な文化を残していく、この国が文明、文化を発展させると共に、さらにうまい心によって素晴らしい芸術性、文化性を高め、人々の心を喜ばせていく、楽しませていく、その天の心を黄色として現したものです。
目黄不動はその文化、豊かさ、楽しさを継続させるために、さらなる高き芸術性、高き技巧性をさらなる良いものへと高めていくように、目黄不動が波動を落としていたのです。この黄色の波動の文化、伝統を破壊する波動は、いわゆるただ楽しければ良い、ただ面白ければ良い、そういう世俗的な波動、これが芸術性や文化性を破壊させていきます。
江戸の人々がどんどん刹那主義、快楽主義に走ると、この芸術性も衰えていき世俗的になり、芸術なのか、ただの娯楽なのか、それがだんだん区別がつかなくなっていきました。芸術性と娯楽性、今の皆さん方の社会はどうでしょう。何でもかんでもすべて娯楽にしてしまい、楽しければ良い、面白ければ良い、そうなっていないでしょうか。
楽しむというのを娯楽としての楽しみではなく、文化、芸術の心につながり楽しむ、うまくできている、よく練られている、よく工夫されている、そういううまい心にいかにつながるか、その喜び、楽しみをぜひ味わっていただきたいものです。
現代では時間の流れを早く感ずるようになり、すぐに結果を出そうとする、すぐに楽しみを得ようとする、すぐに願ったものを手にしようとする、そういう意識がどんどん進むために、面白さもすぐに面白ければ良い、そういう意識に変わっております。文化、芸術性はすぐに喜ぶものではなく、時間をかけながらゆっくりと味わっていく、歌舞伎や落語、詩歌、和歌、どれをとっても工夫され、練られ、時間をかけて理解し味わい、喜びを感ずる、こういう文化でございます。
しかし今は一瞬で喜びを手にしようとする、これは娯楽として位置づけられます。すべてが娯楽化してしまい、それを良しとする、さらにそれを進めていくと、仕事も娯楽的なのが良い、勉強も娯楽的にするのが良い、何もかも娯楽的であれば良い、そのような風潮に向ってしまい、朝から晩まですべてが娯楽、仕事も娯楽、学校も娯楽、それで良い、楽しければ何をやっても良い、こういう間違った価値観が堂々と中心になっております。
黄色の光線がない世界なのです。黄色の光線をしっかりとつくる、自分の心の中に黄色の光線をしっかりと保持する、それにより長年かけ多くの人々が築いてきた素晴らしい芸術性、文化性を自分が理解し、楽しむ、喜ぶ、一緒になって味わう、この心をぜひ残していただきたいのです。
黄色の波動を皆さんに流していきますので身体全体で感じていってください。黄色の光線を身体全体に充満させ、黄色と一体化してください。芸術や文化に興味をもつ心、芸術性や文化性に意識を向け、喜びを見出そうとする心、見るもの聞こえるものすべてに文化性、伝統性、芸術性を感じようとする心、そういう心を黄色の光線で活性化させ目覚めさせていってください。
道を歩いているだけで一つひとつに興味をもつ、地名に興味をもってみる、道の形、川の流れ、いろんなものに興味をもっている、うまくできている、味わいがある、いろんな人間たちがたずさわってきた、いろんなところに意識を向け、感じていく心、その心を黄色の光線で目覚めさせてください。
ただ面白いという価値観ではなく自分でゆっくりと鑑賞しながら喜びを感ずる、自分でよく作品を眺めていくうち、うまくできていると気がつき、見抜き喜びを感ずる.作品をよく読んだり、見たり、手に触れたりして分からなかったことに気づき、喜びを感ずる。こういう自分で喜びを感ずるという心、黄色の光線で目覚めさせます。
ただ面白いものを見て楽しい、これは本質的な喜びとは異なります。刹那的な喜びであり、ただそれだけで終わってしまいます。しかし文化、芸術性の喜びは何度それを鑑賞しても同じように喜ぶ、同じ作品、同じものを何度鑑賞しても喜びを感ずる、鑑賞すれば鑑賞するほど、また奥深い素晴らしい喜びを発見する。これが文化、伝統の喜びになります。
黄色の光線は使えば使うほど奥深い喜びを発見する、分かっていたと思ったところをもう一度眺めて、又別の喜びを感ずる、この楽しさ、喜びをぜひ自分の心で目覚めさせてください。何度見ても面白い、江戸の日本の文化は同じ演芸を何度も何度も楽しんでおりました。同じ決まりごとがあってもまた楽しい。その時その時のわずかな心の違いが感じられ、別の楽しみとなって感じられる。そのような演芸を理解する喜び、これをしっかりと目覚めさせてください。
これが分かると人生のさまざまなところで喜びを見出すことができ、人生そのものが一つの芸術、演芸のように感じられてきます。自分の人生を眺めて、ああ面白い、人の人生を見て、ああ面白い、素晴らしい、一人ひとりの個性を見て、何と素晴らしい、あらゆるところに喜び、楽しみが感じられてきます。
一人ひとりの人生、個性、魂を感じながらも、またそれを送り出した聖なる存在や天の存在たちを感じ、またそこに喜びを感ずる、一つひとつ何をとっても素晴らしい、うまくできている、この世界が素晴らしい芸術作品となって感じられてくる、その心をしっかりと黄色で目覚めさせてください。
これまでの人生を振り返りながら何と素晴らしい人生なのだろう、何とうまくできているのだろう、見事だ、そう感じられる心、きっとこれからの人生ももっと素晴らしいに違いない、もっと楽しいに違いない、強く感じられてくる、それが黄色の心です。
自分はこの家族で本当に良かった、毎日出会う人が本当に素晴らしい、見事に良い時に出会っている、黄色の光線を本当に自分のものにして素晴らしい友にしてください。では個人アドバイスにいきます。
Aさん、あなたの喜びの波動、黄色の波動、どうしても仕事をしていると喜びを解放させることが難しくなってきます。責任感と義務感が常に喜びを腐らせてしまいます。しかしこの黄色の光線をしっかりと仕事の中に堂々と入れていってください。義務や責任で仕事を行なうのではなく、その仕事の中に隠れている芸術性、うまみ、創造性、いろんなものを見つけようとする、その心を持ちながら仕事をしてみてください。途端に仕事が楽しくなり、日常生活も楽しくなり、すべてにおいてリラックスできるようになり、義務感、責任感という固い波動から解き放たれるようになっていくでしょう。
Bさん、あなたの心の中の喜び、どうしても楽しいこと、面白いことを感じようとして一人だとつまらなくなってしまう、寂しくなってしまうという心があります。黄色の光線は自分一人でも楽しい、一人でも見えるもの、聞こえるもの、すべてにうまさ、素晴らしさを感じられるようになっていき、何とうまくできていて、自分はたまたまこれを目にすることがとても良かった、これを聞くことがとても良かった、これにたずさわれることがとても良かった、こういう人に巡り会うことがうまくできている、一つひとつにさまざまな喜びを感じられるようになります。自分の周りの世界一つひとつがすべて喜びにつながっていること、それがはっきりと感じられるようになっていきます。黄色の光線をぜひ友として日常をうまく使いこなしていき、一瞬一瞬をすべて喜びの心で満たされるようにしていってください。
Cさん、あなたの心に黄色の光線がとても激しく動き回りながら一体化しようとしております。楽しいことが好き、面白いことが好き、そういうあなたの心に黄色の光線も楽しく入ろうとしております。しかしあなたの中に入ってきたこの楽しい光線は、次第にあなたを大人へと変えていくでしょう。ただ楽しい、面白いという意識からうまい、良くできている、感心する、そういうことだったのか、そうなのか、こうやっていろんな仕組みの奥が見えてきて、奥が感じられてきて、見事なつながり、だからこうだったのか、それでそうだったのか、そうやっていろんなものがつながり、すべてに芸術性、あるいは創造の意志が感じられてきます。いろんなものがつながり、感心する、うまくできているという仕組みが理解されていきます。これを自分の良き心とするために、しっかりと黄色の光線を自分の中に取り入れ一体化させていってください。
Dさん、あなたの心の中に黄色の光線が入ってきて、あなたの心を楽しく楽しくさせていくでしょう。この楽しさはあなたから見た時、これまで理解できなかったものが理解できるようになる、分からなかったものが分かるようになる、このようにして意識の広がり、感性の広がりが行なわれることによって喜びか広がっていきます。これまでは自分が分かっていたこと、知っていたこと、それによって理解し喜びとして感ずることができました。これからは分かる、その時に分かるという感覚によって喜びが感じられていきます。たとえ知っていなかったとしても、知識がなかったとしても、分かるという感覚で理解でき、それによって喜びが広がっていくのです。この分かるという感覚は裏につながっていく、あるいは全体につながっていくという意識によって得られるものであり、その意味では部分に意識を向けるよりも、全体性、流れ、そういったところに常に意識を向け、全体を感覚的に感じられるようにもっていく、そうするともっと深いレベルで分かることができるようになり、喜びをもっともっと感じられるようになっていくでしょう。
Eさん、あなたの心の中に新たなる喜びの種が入ってきました。これまでの喜びは具体的な理解、具体的に検証し納得し喜びを得る、具体的な感触や具体的なもので喜びを感ずる、こういう感性の喜びでした。今あなたの中に入ってきた種は、この黄色の光線によってどんどん育ち、成長し、広がってあなたに新しい喜びを感じさせていきます。この新しい喜びは物事の仕組みや本質的なもの、流れ、そういったものを感じとる力が芽生えてきて、まだ分かっていないものでも流れを見て先を楽しむことができる、今は見えていなくても大まかに全体像が見えてきてなぜか嬉しくなってくる、このように具体的なものでない状態でもそこから流れや先行き、全体などを感じて、喜びを味わっていく、そういう喜びの種があなたの心の中で育っていきます。黄色の光線をしっかりと心の中に充満させ、穏やか心で文化や伝統、流れを楽しむ心を常に保持しておいてください。それによってこの種が育ち、あなたを新しい喜びへと導いてくれるでしょう。
Fさん、あなたの心の中に、これまでとは別の種類の喜びが現れていきます。これまでは明確な喜びを自分の喜びとして感じていましたが、少し込み入った喜びや複雑な喜びになると、自分の心を投入できない意識がありました。あなたの中で動きつつある別の喜びの波動は、自分が見えるもの、聞こえるものすべてに意識を向け、関心を向けながら、喜びとして理解できるようになっていく、そういう種類の喜びが動き出していきます。自分が見えるもの、聞こえるもの、感ずるもの、一つひとつに喜びが見出せるようになり、それはうまみや素晴らしさ、良くできている、そういう感覚が少しずつ動き出してきて、理論ではなく、ただそこから感ずるうまさ、ただそこから見出せる見事さ、そこに意識が向くように働きかけていきます。具体的に理解できる喜びではなく、感覚的に感ずる喜び、この喜びをぜひ目覚めさせるためにも、しばらく黄色の光線をはっきりと意識しながら心に充満させ、この喜びを成長させていってください。
Gさん、あなたの心の中に、これまでとは別の喜びの波動が入ってきて一つになろうとしております。これまでの喜びは多分にあなたの価値観、自分から見て楽しい、自分の基準で楽しいという喜びで、あなたが楽しいと思っても他の人が楽しいと思うかどうかは別問題の喜びを自分の喜びとして感じておりました。黄色の光線によって新しく入ってきた喜びは、いろいろな仕組みにおける見事さ、うまさ、完璧さ、そこに意識が向く喜びになっております。自分がたとえ不愉快な状態になったとしても、そこにおけるまた見事さ完璧さで納得してしまう、自分が不利な状況にあったとしても、そこの意味の深いところが分かるために、完璧な時間、完璧な状態がはっきりと分かり、見事に自分が体験している状態を納得する、こういう喜びがあなたの中で動いていきます。自分を、あるいは他人をいろいろ思っていた心が少しずつ和らぎ、むしろその関係の見事さ、素晴らしさ、うまさがだんだん分かるようになっていき、人間関係の一つひとつ、いかに巧妙にできているか、うまくできているか、これをはっきりと感ずるようになるでしょう。黄色の波動をしっかりと育て、身につけ、人間関係を喜びとして認識していってください。
Hさん、あなたの心に黄色の波動がたくさんたくさん入り込んできて、新しい喜びに変えようとしております。これまでの喜びはなんか楽しい、なんか面白い、こういうなんか楽しいという雰囲気だけを味わっていた喜びが支配的でした。何か面白ければ良い、何か楽しければ良い、このただ流れてしまう喜びに変わり、新しい黄色の喜びが入ってきて、味わいのある喜び、最初は分からなかったとしても、よく観察し眺めていると良くできている、あ、そういう意味だったのか、そういう仕組みだったのか、そういう理由だったのか、いろんな意味の深いレベルが納得して理解できるようになり、それによって深い喜びを感じとっていく、そういう喜びに変わっていきます。これまで求めていた表面的ななんか楽しいという意識から、深いレベルで楽しみを感じようとする、そういう新しい心を黄色の光線でつくり上げていってください。
Iさん、あなたの心に高い光のレベルの喜びが入り込んできます。高い光のレベルというのは、喜びの表現のあり方が高いレベルの喜びの表現に変わり、いわゆる人間的な面白さ、楽しさよりも、意識レベルの高い楽しみ、喜びを分かち合えるようにする、ただの世俗的な人間的な楽しさではなく、意識レベルの高い楽しさ、面白さに意識が向く、そういう喜びがこの物質次元で動き出していき、それによっていろんな現象の見方、人間の見方、社会の見方が新しい観点で分かるようになっていきます。新しい観点、高い観点は常に宇宙的な芸術性、宇宙的な見事さを伴っており、高い観点で見ていくと必ずそこに見事にできている素晴らしさを感ずることができます。ただの喜びという状態を高い意識レベルで観察し見ていきながら、高いレベルでの喜びを味わっていく、こうやって一段階高い喜びの本質をつくり上げ、見抜き、実践できるようにしていってください。
Jさん、あなたの心の中に、新しい波動の喜びが動き出しております。この黄色の新しい喜びは、自分がただ面白い、ただ楽しいという意識で動かされ、それに振り回されていたものが次は黄色の深い喜びの波動があなたに関与してきて、深いレベルで納得する、深いレベルで一緒になり味わい、感動する、こういう喜びの波動へとシフトを行なっていきます。人とのかかわりや言葉使い、身のこなし一つひとつに深いもの、普通の人間の意識では理解できないレベルの奥深さを感じられるようになっていき、見事に人間が出会っている、見事に人間がお互いに動いている、こういうことが分かるようになっていき、見事さ、素晴らしさが毎日感じられるようになっていきます。この感覚をぜひ黄色の光線で目覚めさせ身につけるようにしていってください。
Kさん、あなたの心の中に新しい喜びの波動が目覚めていきます。新しい波動はあなたに常に新しい発見、新しい思い、新しいアイデアを出していくでしょう。これまでのいっけんマンネリと感じられるようなところに黄色の光線が動き出すと、そこに新しい思い、新しいアイデア、新しい企画、新しいものが次々と沸き起こってきて、楽しい、面白いという意識がどんどん育っていきます。いろんなところに面白さ、楽しさが感じられてきて、それを早く具現化したくなる、それを行動したくなる、そういう意識が次々と動き出し、黄色の光線によって楽しく楽しく前に進んでいく、そういう現象が動き出していきます。この黄色の光線をうまくアイデアを具現化させて自分の流れを楽しむようにしていってください。
Lさん、あなたの心の中に黄色の喜びが入ってきました。この喜びはこれまで見落としていたものに目がいき、そこで喜びを感ずる、今まで何も感じなかったもの、何とも思っていないところに意識が向き、見事さ、素晴らしさを理解できるようになる、当たり前、普通と思っていたところに意識が向き、何と見事にできていたのだろう、どうして今まで気づかなかったのだろう、こういう感覚で一つひとつが見事につながり、喜びとなり、自分の心を暖め広げてくれます。今まで気づかなかったこと、当たり前だったところを注意深く見ていきながら、多くの喜びを発見するようにしていってください。
Mさん、あなたの心の中に、楽しい、面白いという喜びが大きく大きく育っていきます。これまでの喜びは、毎日のいろんな流れの中で本当に安らぎを得た時や、本当に楽しい時に喜びを感ずるという心でしたが、今育ってきた心は、どんなに辛い時があってもどんなに苦しい時があっても、その中でも喜びを感ずる、いろんな状況一つひとつがすべて喜びとして感じられる、いっけん辛いように見えてもそこには勝手に辛いと自分が一人でつくり上げた自分の姿が見えてきて、ただ自分で辛いと思っているだけ、辛いと思っている自分を見るとなぜかこっけいになり、面白い、喜びとして感じられてくる、このようにさせてしまう黄色の波動が動いております。この波動はすべてを喜びとして認識させてしまい、結果的に一瞬一瞬の流れすべてが見事にうまくできている、見方が違うだけ、見る方向が違うだけ、それだけで本当はすべてが見事にうまくできていたこと、自分が別の方向を見て辛い、悲しいと思っていたに過ぎなかったこと、それがはっきりと分かるようになってきて、自分を見る見方を変えるだけでとてもうれしい、楽しい、面白いという感覚に変わっていきます。この新しい喜びの波動をうまく育てていってください。
Nさん、あなたの心の中に新しい黄色の喜びが定着し動き出しております。これまでは本当に自分が心から楽しめるもの、心から満足できるものを探すことがとても難しく、人の喜びを自分の喜びのようにしようとしたり、あるいは自分の喜びを探そうとしても見つけられない状態もありました。あなたの中で育ってくるこの喜びは、本当の自分から沸き起こる喜びであり、他の人の喜び、他の人にされる喜びではなく、自分自身が生きていることで感じられる喜びになっています。自分が毎日生きている、それだけで心の深いところで何と素晴らしいのだろう、私は何と素晴らしい瞬間ここにいるのだろう、私は素晴らしい形、素晴らしい力を手にして、今素晴らしい状態でいる、そういう喜びをはっきりと感じられる心になります。この心が少しずつ少しずつつくられ動き出し、活動を始めております。ただ存在しているだけで自分はとても素晴らしい、自分の与えられた能力、力をすべて使いこなす、すべてこなしてもっともっと大きな喜びを感じたい、そういう心へと変わっていくでしょう。
それではここまでにいたします、ありがとうございました。