/キリスト意識/尽くす心/完遂させる強い思い/アガペーの愛は神々同士の愛/感情的な愛の人間関係は破壊を招く/アガペーの愛には執着がまったくない/
2016/12/19 月例セミナー:キリスト意識 |
このメッセージのいいねポイントは |
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アガペーの愛は神々同士の愛 |
①執着のない人間関係をつくること
キリスト意識としてお話できることを光栄に思います。皆さん方の国においてキリスト意識という言葉がある程度受け入れられてきていることを喜びとしております。ただどうしても皆さん方の国においては、キリスト教、あるいはイエスキリストというイメージがとても強く、キリスト意識というとイエスキリストのはりつけ、自分を犠牲にして地球の人々を救ったという、救い主のように感じられております。
これまでも何度も伝えてきましたが、キリスト意識とキリスト教やイエスキリストを、必ずしも同じものと認識しないようにしておいてください。皆さん方にはすでにいわゆる人に尽くす心、何かをやり始めたら最後まで完結しようとする強い心、何とかして助けてあげたい、救ってあげたいという強い思い、そういう強い心がまずキリスト意識の根幹にあります。
この強い意識は目的に向って必ず達成する、どのような状況にあっても、どのような困難な試練があっても、それに負けることなく必ず達成させる、この強い波動がキリスト意識に備わっております。このキリスト意識といわゆるアガペーの愛、この結びつきにいろんな解釈が行なわれたり、あるいは間違いが話されたりしております。
アガペーの愛はいわゆる神々が普通に行なっている愛であり、人間が行なっている感情的な愛と区別するために使われた言葉になります。本来神々同士はアガペーの愛に従い、相手を尊重する、相手を受け入れる、自分と違う宇宙の法則や神の法則が具現化されたとしても、相手の神のすべての思いや宇宙を全面的に受け入れていく、これが神々同士のアガペーの愛になります。
人間的な愛は感情を必ず動かしており、いわゆるアガペーの愛のようなことを行なおうとすると、可哀そうかもしれない、変に思われたらどうしよう、自分のことを嫌われたらどうしよう、いろんな思いが動いてしまうのが人間の愛情になります。
皆さん方が魂の進化のために人間としての体験を積み重ね、魂を少しずつ少しずつ成長させていく手伝いを行なっております。皆さん方は肉体を通して人間間の愛を学び、人間間の愛の中で優れたものを魂の中に取り入れていき、徳として智慧として魂が手にしたものを使って成長していく、この学びを続けております。
本来この魂はアガペーの愛も必要としており、魂同士がお互いにアガペーの愛で接していく、まるで神々同士がお互いに認め合い、尊重し合っているのと同じように、魂同士がお互いに尊重し合い受け入れていく、これができるように魂同士もアガペーの愛が必要とされるのです。
魂がアガペーの愛を手にするためには、人間がそれを実践しなければなりません。人間が実践したことを魂が取り入れていくために、人間がお互いにアガペーの愛を実践し、それを自分のものとして魂に入れていく、そのために人間同士におけるアガペーの愛が必要となるのです。
人間間における感情的な愛は、これは十分に執着的な思いからつくられております。愛してほしい、これは完全に執着であり、自分の快楽のために他の人に愛してもらう、愛してあげる、実際には愛してあげるという行為によって相手からも愛してもらい、それによって執着的な関係を強くしようとする、どちらにしても感情的な愛は本来のアガペーの愛とはまったく異なっているのです。
では人間はなぜこの感情的な愛を執着として身につけようとするのか。愛してもらう、この快楽、この心地よさ、それに浸っていようとするからでしょう。嫌われるよりは愛してくれた方が良い。こういう価値観が身についているからでしょう。本当に嫌われるよりも愛される方が良いでしょうか。
なぜ嫌われるのが嫌なのでしょう。なぜ愛されることが好きなのでしょう。宇宙の観点から見た時、愛されるというのは執着的な感情のエネルギーが強くなり、自分が自由に生きられなくなってしまいます。相手に合わせた行動をとらないと嫌われてしまう、相手に失礼なことを言うと嫌われてしまう、相手のことをいろいろと考えた挙句に相手に気に入られることばかりを探し求めてしまう、これを愛と思っているようです。
こういう人生が本当に楽しいでしょうか。もちろん今それを楽しいと感じている人が多いから今のような愛を尊重する人間関係が行なわれているのでしょう。しかしこの感情的な愛の人間関係は必ずいつかは破壊が訪れてきます。執着的な人間関係は必ずいつか執着的なエネルギーを解放する流れに向っていきます。
一緒になりたいという思いが一緒ではない状況を生み出すように、愛されたい、愛し合いたいという思いは、愛されていない現実を生み出していきます。すべて執着から行なわれる現実であり、相手を束縛する思いがすべて自分自身を束縛させてしまいます。
嫌われたくない、これも同じくらい強く存在しているでしょう。なぜ嫌われたくないのか。悪く思われる、他の人に悪口を言われてしまう、自分の評価が下だと思われる。これも自分自身が優秀である、自分は良い人間である、自分は素晴らしい人間である、そう評価してほしいという欲からつくられており、自分は本当は良い人間なのに悪く言われたら困る、そういう意識が働いているのです。
自分は良い人間だから悪く言われないようにしてほしい、これも典型的な欲望、エゴであり、こういう思いがある限り自分を悪く言う人が現れ続けてきます。自分が正しい、自分は良い、自分はまとも、こういう意識がある限り、自分をおかしく思う人間が現れ続けてきます。
すべての現実は自分が引き寄せたもの、あるいは自分がつくり出したもの、これを完全に受け入れない限り、このようなゲームは続いていくでしょう。結局愛という言葉を使いながら人間関係においてさまざまな執着のエネルギー、さまざまな概念のエネルギーが動いており、それによってお互いに傷つけ合ったり、お互いに否定し合ったりした人間関係が繰り返されていくのです。
本来のアガペーの愛はこのような執着的な人間関係には無関係の世界になります。アガペーの愛には執着はいっさい存在せず、ただ相手をすべて認め受け入れていく、単にそれだけのことであり、だから後で何かしてほしいとか、もっと自分のことを評価してもらいたいとか、そんな思いはまったくありません。
アガペーの愛には見返りとか、執着的な波動はいっさい存在せず、ただ無条件に相手の言動を認め許し、尊重する意識しか入っていないのです。人間的な愛はとても見返りの心が強く、愛してあげているのに、分かってあげているのに、良くしてあげているのに、いろんな思いがそこに入り込み、それによって複雑な人間関係が続いていくのです。
皆さん方がこれからの新しい社会に向って、学びを進めている流れにおいて、このアガペーの愛をどの程度しっかりと実践し身につけていくか、これはとても大きなテーマになっていきます。アガペーの愛の実践していく、身につけていく、そういう流れの中において、日本人が普通に実践できるアガペーの愛とは何であるのか、日本人が理解できるアガペーの愛とはどういうことなのか、そういったことを正しく認識していく必要があるでしょう。
皆さん方の恋愛関係において、今はほとんどの若い人たちが自由な恋愛、あるいは自分の好みに合った恋愛を求めております。確かにこれは宇宙の流れとして一つの方向性が確認できるのかもしれません。しかし皆さん方はこの自由な恋愛を自我、あるいは欲望のままの自由な恋愛という風に勘違いを行なっているのです。
本来自由な恋愛というのは魂から見た自由な恋愛であり、肉欲や欲望から見た自由を述べているのではありません。ただ単に好きだから、一緒にいたいから、そういう気持ちだけで自由な恋愛と思っておりますが、それは自由な恋愛ではなく、欲望の恋愛になります。この欲望の恋愛は必ず執着を伴った最後の状態がつくられていきます。
欲望で引き寄せられた二人は、正反対のエネルギーによって別れが訪れてきて、それに伴うさまざまな執着、いわゆる好ましくない別れがつくられていきます。この好ましくない別れがまた次の肉欲の恋愛をつくり出していき、また別の恋愛の関係を体験することになります。これを自由な恋愛と勘違いしており、ただ自分の好みに応じて、自分の感情に応じて直感的に感じた人を運命の人と思って付き合っていく、運命の人と信じていたのに何年もすると、何でこんな人が運命の人だったのだろう、天に向って不平不満を言い始めてくる、こういったことを繰り返しているのです。
これは自由な恋愛でも何でもなく、ただの欲望の恋愛なのです。魂にしっかりとつながり、魂につながった恋愛、これがすべてうまくいくかどうか、それもまた難しいところがあるでしょう。いわゆる魂に純粋につながると、カルマとしてのパートナーと出会うようになっていきます。このパートナーとの出会いというものはすべて人生がうまくいくパートナーかどうか、それは何とも言うことができません。
皆さん方が勝手にパートナーは運命の人、パートナーは素晴らしく良い人と皆さん方が勝手に想像しているだけであり、魂自身はそういう波動はいっさい入れてはおりません。単に自分の魂の成長のためにカルマを体験する、カルマをなくすために運命の人と出会い、執着的なエネルギーを高いレベルへ引き上げていく、前世において体験できなかったエネルギーを再体験して、今度は良いエネルギーへともっていく、それがパートナーであり、魂から見た運命の人になっていくのです。
運命の人だからすべてがうまくいく、こういう意識を完全に手放す必要があります。運命の人と出会っても、それこそ最悪の家庭、最悪の状態になって家族が大変な目に遭う、そういう場合も十分にあります。運命の人と思ったのに家庭が悲惨になった、なぜ神様は言うことを聞いてくれないのか。本当はその人の魂の計画通りにすべてが進んでおり、魂の計画通りに進んでいることを神に感謝する必要があるのです。
しかし多くの人が神を呪っている。こういう状態において本当に自分が良い人生を進みたいと思っているのかどうか。自分にとっての良い人生とは何なのか、それをしっかりと考える必要があります。こういう認識がだいぶ理解されてきた流れにおいて、キリスト意識がどのように皆さんに人生に関与してくるか。アガペーの愛は相手を尊重し受け入れ、感情ではない意識でお互いを生かしていく、これがアガペーの愛でしたが、キリスト意識は尽くすこと、自分よりも相手を優先させ、相手を生かすために尽くすこと、これがキリスト意識という話でした。
パートナーや運命の人と出会う、お互いのカルマがどんどん現れてきて、とうてい喜びやお互いが良くなるような現象にはならず、お互いに不平不満がどんどん沸き起こってくる、そういう状況において、アガペーの愛で相手を尊重し受け入れ、相手を生かすようにもっていく、しかしどのように相手を生かそうとしても相手を認めようとしても、なかなかうまくは進まないでしょう。
感情は思った通りには動かず、相手の言葉一つで不愉快になる、相手が近づくだけでむかついてくる、どうしてもいろんな現象が沸き起こっていきます。不愉快になる、一緒にいたくない、そういう感覚が沸き起こったとしても、それでも相手のために自分が必要なことを行なう、相手を生かすために、相手の魂が進化成長するために必要なことを行なっていく、どれだけ相手から嫌われ、どれだけ無視されようとも、相手の魂を生かすように自分は役割をなしていく、諦めることなく、逃げることなく、ひたすら相手の魂のために役割を演じ続けていく、この強い思いがキリスト意識になります。
キリスト意識が仮にパートナーや家族の特定の人に向けて強く働きかけていくと、自分の中のキリスト意識がどんどん大きく目覚めていき、そのうち一人だけではなく数人、あるいはもっと多くの人々に対してキリスト意識が動くようになっていきます。多くの人に対しキリスト意識が動き始めてくると、多くの人を同時にすべてを尽くすことができる意識へと変わっていきます。
多くの人に対して自分が完全に尽くす意識を身につけ、人々を生かすために、人々を救うためにどんどん自分の身体を使っていく、こういう意識が身についてくるのです。こういう意識を身につけるためにまず普通はパートナー、あるいは特定の誰かに向けたところから始まっていき、誰か特定の人に対し本当に自分が尽くす心、犠牲の心で接することを身につけていくと、特定の人から複数の人々へと意識が変化していき、キリスト意識が大きく大きく拡大していくのです。
キリスト意識が拡大していく進化の流れにおいて、イエスキリストは本当に数千人、数万人という人々を本当に頭で感じ、理解しながら、そういう人々すべてを救おうとして自分の身体を犠牲にしていきました。イエスキリストははりつけになりながらも、それまで無視されてきた人々、うまく生きれなかった人々、親や家族から無視されたり、おかしく思われて自分の本当の生き方をできなかった一人ひとりをしっかりと思い浮かべ、彼らが救われるように、彼らの魂が救われるようにという思いで、愛しはりつけになっていきました。
皆さん方も初めはそういう運命の人やパートナー、特定の人を意識して良いでしょう。そして本当に生かそうとする強い思い、尽くすという強い思いを出していき、本当にそれが魂で発揮できるようになった時、魂自身が特定の人から少しずつ広げていき、数人、数十人へとキリスト意識が実践できるように動き出していきます。
そして少しずつ多くの人々に対し意識を向け、尽くす、自分よりも他人を優先して、その人が正しく生きられるようにもっていく、そういう意識が働いていくのです。こうやって一人ひとりがキリスト意識に目覚め、動き出し、さらに拡大していく、この流れを体験し、ぜひ自分自身の魂としっかりとつながってキリスト意識として行動できることを望んでおります。
皆さん方の話の中で、いわゆるこの国と他の国々とのいろんな意識の違いや、感情的なものについての話がありました。キリスト意識という観点から見ていくと、日本の人々はまだキリスト意識という意識レベルには難しいところがあり、いわゆる感情的なレベルでの愛は理解できても、キリスト意識という言葉には難しいところがあります。
ただいわゆる武士の頃のいろいろな教えの中にあった、武士道という精神、忠誠を誓う心やある意味では自らが犠牲になって国や殿を助けるという意識、これはキリスト意識に近いものがあるでしょう。しかしこの武士道の精神も戦後になって次々と失われていき、今ではほとんど失われております。
隣の国においても同様に今はキリスト意識という意識はほとんど失われてしまい、自分を犠牲にしてでも国を救う、あるいは尊い人を救うという意識はまったくなくなっております。このお互いが失われてきているキリスト意識という世界においては、どのような感情的な問題が起ころうとも、どのような対立が起ころうとも、ある意味ではただの遊びのようにしか映っておりません。本当の正しさ、本当の光に向かうという意識が身につかない限り、単にお互いが分からないまま、ただ傷つけ合っている、何も分からないまま攻撃し合っている、そのような状態にしか見えていないのです。
日本の人々が本当にこれを解決し、良い関係をつくりたいと願っているのであれば、まずはキリスト意識を本当に目覚めさせ、相手を尊重する、受け入れるという意識を確実に強く身につけてください。感情に負けることなく概念や知識に負けることなく、相手の魂を救おうとする、相手の魂を救うために相手の魂を牛耳っているネガティブな意識、洗脳されコントロールされ身動きできない魂を救おうとする、この意識が必要となります。
そのためにも、洗脳され身動きできなくなってしまっている人々の心に何らかの光を当てて、何か刺激を与え思い出させていく、自分たちがこれまでいかに騙され、コントロールされ、別のものに支配されていたか、そこに意識がいくように少しずつ少しずつ意識を通し、光を通して目覚めさせていく、これがまず皆さん方ができる働きになるでしょう。
そうしてとらわれから解放させ、いかに自分たちが騙されていたか、利用されていたか、それに気づき、そして本来のキリスト意識の方へと意識を向けるように導いていき、お互いが相手を生かすような意識でうまく協力し合っていく、こういうことが要求されております。したがって今は難しい感情的な関係かもしれませんが、そこで下に見たり、無視したり、否定することなく、根気強く相手の魂に直接光を何とか入れていく、そういう役割を演ずるように活動を行なってみてください。
それでは少し休憩をとります、ありがとうございました。
Aさんのキリスト意識において、あなたのキリスト意識は今宇宙からの聖なる光が入ってきており、いわゆる感情の波動の中に神聖な聖なるシンボルが入ってきております。それによって普通の感情の中にも聖なる意識が入ってきて、ただの感情とは違う感覚が少しずつ感じられるようになるでしょう。人間関係において良いこと、正しいと思っていることがこれは本当に良いことなのか、正しいことなのか、一つひとつ思いが向けられていき、聖なる方向へと働きかけていくのです。そうやって日常的な愛の方法をしっかりと見つめ直し、聖なるキリスト意識の方向へと向っていってください。
Bさん、あなたのキリスト意識の働きにおいて、これまでのキリスト意識の動きにさらに細かい振動が入ってきて、より高いレベルへのキリスト意識に向かっていきます。これまでのキリスト意識は客観的にその人を見て受け入れよう、許してあげようという意識によって相手を尊重する行動がとれるようになっておりました。今年は客観的に相手を見ながらも心の中からもっと強いつながりが感じられていく、意識では自分とは別でその人を客観的に見ようとする意識があっても、心の方で何か強いつながりが感じられてくる、そういう風な働きかけになっていきます。この頭で理解していたキリスト意識とハートでつながるキリスト意識、これによって新しいキリスト意識が学びに入ってきます。客観的に見ながらも強い一体感を感ずる、そのキリスト意識の学びを進めていってください。
Cさん、あなたのキリスト意識において、これまでのあなたのキリスト意識は大胆にいろんなところに自分から率先して問題解決に入っていき、そして自分自身の葛藤と戦いながらも、一つひとつ前に突き進んでいく、こういうキリスト意識として学びが進められてきました。これまでの学びによって強さを身につけ、信念に従って前に進むということが魂レベルで身についてきました。来年の一年間の学びにおいて少しずつ魂の波動がシフトしていき、いわゆるある程度知性や理性が働き出してきて、確実に必要なところや自分ができること、何でも一途に突進するのではなく、確実に対応できるところに意識を向け、確実にこなしていく、そういう働き方へと変化を起こしていきます。したがってこれまで学んできたことを総合的に受け入れ、理解し、総合的な観点で必要なことを確実に行なっていく、こういうキリスト意識の働きになるのです。一つひとつの状況において全体から見た働き、大きな流れから見た働きを常に理解しておき、知性や理性が確実に働くような状況でキリスト意識を学んでいってください。
Dさん、あなたのキリスト意識において、これまでのキリスト意識の学びにおいて、多くの人々に高いレベルでキリスト意識の愛を投ずることができるようになってきました。いろんな人々を見ても、そこに差をつくらず、自分の評価を入れることなく、客観的に魂を感じながらそれぞれに最高の光を届けていく、こういったことができるようになってきております。来年のテーマにおいて、あなたのキリスト意識は一人ひとりの魂との強いつながり、いわゆる客観的に多くの人を受け入れることはできても、その人の内面の部分で実際にはつながっているという強い意識、そこに向っていくキリスト意識が動き出していきます。こうやって多くの人を同時に客観的に見ながらも、実際にはすでにつながっているお互いのキリスト意識をしっかり感じていく、この学びが来年始まっていきます。こうやって客観的であるけれども確実につながっている、このキリスト意識の一体感を学んでいってください。
Eさん、あなたの来年のキリスト意識の学びにおいて、これまで学んできたキリスト意識があなたの魂に刺激を与え、自分の感情の使い方や意識の在り方が徐々に徐々に変化を起こしてきております。そして自分の感情と向き合いながらも何とかして客観的に人を愛し、正しく人間関係をつくろうとする意識が動くようになってきました。キリスト意識として見た時、感情に負けることなく相手を認めよう、尊重しようとしている時は、キリスト意識が動き出しております。それによってキリスト意識と感情が常にぶつかり合ったり、お互いに尊重し合ったりする状態が続いております。来年の学びはこの感情とキリスト意識が常に向き合った状態であるところにおいて、キリスト意識が優位性をもっていく、キリスト意識が感情をコントロールし、キリスト意識が優勢なままで感情をうまく使っていく、そういう流れの中に入っていきます。したがって来年においては感情よりもキリスト意識が優勢的になってきて、高いレベルで感情が使えるようになっていく、その学びをしっかりと受け入れていき、キリスト意識を主導的に使えるようにもっていってください。
Fさん、あなたのキリスト意識において、あなたのこれまでの感情の使い方が少しずつ学びを進めることによって自分で取り組むことができるようになってきました。自分の感情に一つひとつ意識でコントロールできるようになってきて、自分がこれで良いのかどうか、まだ感情がうまく自分でコントロールできてこない、こういう意識も働くようになってきました。この段階ですでにあなたのキリスト意識は十分に動き出しております。いわゆるあなたにとってのキリスト意識は感情をコントロールする意識として動き出しているのです。こうやって自分の感情と向き合い、感情に負けずに人と正しく接しようとする、感情によらずに相手と正しい関係をつくって、相手が進化成長する方向を考えていく、こうやってキリスト意識が動き出しているのです。来年はこのキリスト意識の学びがさらに現実の中で動けるように働きかけていくでしょう。頭の中で理解していてもなかなか行動には移すことが難しい状態でしたが、来年はこれを行動で移す流れに入っていきます。自分の頭で感じたキリスト意識、感情ではなく、本当の正しい思いで相手と接する、概念や感情に負けることなく相手の魂を生かすために、相手の魂が喜びを得るために自分は何をするか、そういう心での行動がとれるようになっていきます。ぜひ来年は感情とは別のキリスト意識を感じていき、それを行動で移していけるようにうまく意識を使っていってください。
Gさん、あなたのキリスト意識において、あなたのこれまでの人生の流れにおいて、あなたの理解できていない範囲でキリスト意識が何度も動いておりました。あなたの意識の中ではある意味では普通のこと、当たり前のこととしてとっていた言動の中に、キリスト意識が動き出していたことが何度もあります。いわゆるあなたの場合はただの感情だけではなく、キリスト意識からの刺激によってとる行動が何度か行なわれておりました。ただこれまではそれをキリスト意識と認識していなかったために、自分にとってはあえて意識することもなく、また感情的になることもなく、普通のこととして行動がとられていきました。来年も特に意識する必要はないかもしれません。ただ意識としては今まで以上に人の深いところに意識を向け、深いレベルで何ができるか、どうしてあげたら良いか、特に複数の人間がいた時、その複数の人間同士の関係を改善するためにどういうアドバイスしたら良いのか、どのように自分は行動したら良いのか、こういうケースが来年は何度も出てくるようになります。目の前の人一人ではなく複数の人間がいた時に、その人間同士の関係のためにどのような働きをしたら良いのか、どのように言葉をもっていったら良いのか、そこのところでキリスト意識が必要になってきます。お互いを生かすための話、お互いが成長するための話としてどういう言葉が良いのか、どういう言動が良いのか、そこに意識を向けた時にあなたのキリスト意識が動き出していくのです。その時に自分の概念や経験で話すのではなく、ハートの中にあるキリスト意識を何とか感じようとしてください。そしてそこで感ずるキリスト意識の思いを素直に言葉に出していく、素直にキリスト意識を表現していく、その練習をして、キリスト意識の思いを単純に行動に移せるように学びを進めていってください。
Hさん、あなたのキリスト意識は、自分の意識の流れとは別のところでキリスト意識が動いております。いわゆる目の前の人々の意識や人々を感じていきながら、そこで思うこと、感ずること、いろんなことをアドバイスすることができました。ただキリスト意識という観点で見た時、どうしても目の前の人々や行動の中にキリスト意識との接点を感ずることが難しく、人々の話の中にキリスト意識の波動を入れることが難しい状態になっておりました。来年はこの部分にいかにキリスト意識を入れることができるか、目の前の人々の普通の人間関係や言動において、普段だったら何も感じられないキリスト意識の状態をしっかりとキリスト意識という波動で眺め、見ていき、そこでいろんなものを見つけようとする、こういう意識の働きが必要となってくるのです。したがって来年はこれまでは普通に見ていて何とも思わなかった状態の中で、改めてキリスト意識という波動を感じていく、今必要なキリスト意識は何なのか、この現象を解決できるキリスト意識はどうあるものか、今感じているこの波動はキリスト意識とどういう関係になっているのか、そのような観点で現実に取り組み、現実の中でキリスト意識を使いこなせるようにトレーニングを進めていってください。
Iさん、あなたのキリスト意識は、これまでは自分自身に手一杯なところがあり、人を生かそうとか、人のために何かしようと思っても、つい自分のことに意識が向いてしまう状態が多くありました。いろんな学びを進める流れにおいて、少しずつ少しずつ自分を客観的に見ていく、自分自身も上から見た客観的な感覚でとらえていく、そこに向うように意識が向っております。このあなたの意識のレベルにおいてのキリスト意識、来年学ぶべきキリスト意識は、自分と他の人とのかかわりを概念や感情ではなく、キリスト意識という観点でつながりを見ていく、相手とのかかわり、やり取りをキリスト意識という観点で見ていく、これが大きなポイントになっていきます。いわゆるただの仕事や感情、人間関係、そういう意識でお互いのつながりを感ずるのではなく、キリスト意識という観点でお互いを見ていく、そういう風に見ていくと、自分が尽くすべき人、何かすべき人、あるいは他の人が自分のために何か尽くしてくれていること、いろんなところに意識が向くようになっていき、そうすることによって人間関係のすべてがキリスト意識でつながっている、キリスト意識のやり取りで人間が出会ったり離れたりしている、そういったことが分かるようになっていきます。こうやって人間関係のすべてにおいてキリスト意識という側面から理解できるようにしていく、これを来年の学びとして練習をするようにしてみてください。
Jさん、あなたのキリスト意識は今は自分自身の意識を高めようとする思いでスピリチュアルな学びが進められております。それによって自分自身の意識レベルが少しずつ上に上がってきて、これまでとは違う感覚で自分の周りを見ることができるようになってきました。キリスト意識という観点で眺めていくと、人の中の優しさ、人を思う心、いわゆる真心というレベルにおいてキリスト意識を見ることができるようになってきております。本当の信頼できる人間、信頼すべき人、信頼関係、その中にあるキリスト意識、そこに意識が向くようになってきております。そして本当に信頼できる人はどういうキリスト意識なのか、信頼できない人はどういうキリスト意識なのか、それが分かるようになっていくと、キリスト意識の中でつくられる信頼関係、人間関係の絆、そういったことがだんだん強く感じられるようになります。来年はこの絆や人間関係におけるキリスト意識に目を向けていき、キリスト意識がいかに深い人間関係に関与しているか、絆にキリスト意識がどうかかわり合っているか、そういったことを学べるようにしていってください。
Kさん、あなたのキリスト意識は、これまでは自分がなかなかうまく主導権をとることができず、周りに振り回される、周りに合わせてしまうという状態で自分のエネルギーが動いてきました。これまでのキリスト意識はそういう周りに尽くす、周りに合わせるということで自分の心が動いておりました。来年あなたの学ぶキリスト意識は周りに尽くしながらも、そこの本質的なものに意識が向いていく、つまり尽くすというのはいかにも人のため自分が犠牲になって人のためという意識ですが、本来のキリスト意識は実際には自分のためになっており、人のためというよりは尽くすということ自体が自分のためになっていること、自分のためにやっていきながら結果的に人々の役に立っていること、これが分かるのが本来のキリスト意識になります。来年あなたの身につけていくキリスト意識はこういうキリスト意識になっていき、実際には自分のために必要なことをやっていること自体が周りの人のためになっている、そういったことが分かるキリスト意識へと方向をもっていってください。
Lさん、あなたのキリスト意識は、これまで多くの人々とのかかわりの中で、人のために行なう、社会のために行なう、国のために行なう、こういった意味での意識が十分に身につき、それに見合ったキリスト意識が動き回っておりました。しかしあなたの本来の魂の使命である、この星々や宇宙におけるキリスト意識、それは大きな大きな波動の枠組みの中で、正しい波動を維持し、正しい流れをしっかりと行なっていく、この流れを大事にし、流れを損なうことなく正常な流れへと導いていく、そこに向けた大きなキリスト意識が動き出しております。来年はこの大きなキリスト意識の流れの中で、いわゆる地球やこの国や人類の流れ、人々一人ひとりの流れ、そういったものを感じながらその人の流れを正常な方向へと導いていく、流れを止めないように、流れを歪めたりしないように正常な流れへと確実に導いていく、そういうキリスト意識の学びへと意識を向けていってください。
Mさん、あなたのキリスト意識は、これまでのさまざまな学びの流れにおいて、自分は何であるのか、自分は他人にどうすべきか、友人や家族とどう接するか、いろんなことを少しずつ少しずつ学びながら意識を成長させてきました。これまで身につけてきたキリスト意識は、ある程度頭で理解しながらも人のために何かする、他の人の役に立つ、そういう意識でキリスト意識が動き出してきました。来年あなたの学ぶキリスト意識は、自分がもう少し本当に心から人のために喜んで何かをしていく、ただ必要だからとか、ただ役割だからといって何かをするのではなく、本当に心から喜びをもってその中に入っていき、それを何とも思わない、見返りも評価も気にすることなく、ただ喜んで何かを行なっていく、こういうキリスト意識の学びの中に入っていきます。そのためには素直な心、純粋な心が必要であり、ただやるべきことの中に喜んで入っていく、こういう意識を身につけて新しいキリスト意識の学びの中に入っていってください。
Nさん、あなたのキリスト意識は、これまでのキリスト意識の学びにおいて、本当に人類レベルで人々の多くのレベルの中で一人ひとりに見合ったキリスト意識をいかに個別につくり上げることができるか、多くの人々がいる中で一人ひとりに個別にキリスト意識を感じ、つながり、キリスト意識の波動で相手を変えていく、こういった学びが続いております。このいろんな人々の中で個別にキリスト意識をつくり上げるためには、一人ひとりの特性や魂の波動をしっかりと感じとる必要があり、そこに難しいテーマが入っておりました。来年はさらにこれが個別化していき、細分化されたキリスト意識を学ぶことになるでしょう。いわゆる一人ひとりの波動を感じ、一人ひとりに必要なキリスト意識を感ずる流れにおいて、キリストの持つ多くの光線を個別に感じていき、この人にはキリスト意識の青い光線、この人にはキリスト意識の黄色の光線、こうやってそれぞれに応じた個別のキリスト意識の光線を使い分け、つながりをつくり上げていく、こういったことができるようになっていくのが来年のキリスト意識の学びになっていきます。多くの人々を感じながらも個別に一人ひとりにキリスト意識の個別の波動でつながっていく、そうやって自分の意識レベルを上げていきながらも、キリスト意識をうまく使いこなせるように意識をもっていってください。
それではここまでにいたします、ありがとうございました。