/イニシエートは感情をコントロールする/感情をあらわにするのはイニシエートではない人/非難されても自分に原因がある/すべての現実を受け入れること/感情の器/古い感情の器/イニシエートの感情の器/
2016/10/2 第一儀式受講者レベルアップ |
このメッセージのいいねポイントは |
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感情の器を大きくする |
①イニシエートとしての感情の使い方
光のハイアラーキーとしてお話をいたします。今日は感情のコントロールについて学びを行なっております。特にイニシエートにとって感情はとても大きなテーマになります。まだイニシエーションを行なっていない人は、感情は普通の人間的なものであり、どんどん感情を出してかまわない、腹が立ったら怒りを出す、それこそが人間的な行為として理解されております。しかしそれは賢明な人間の行動ではありません。イニシエートはそういう人間的な行為をするのではなく、天と共に協力し、この社会をより素晴らしい社会に導くために、正しい人間的行動をとる必要があるのです。
では感情をどのように扱っていき、感情をコントロールするということはどういうことなのか、それを正しく学ぶ必要があるでしょう。
まず感情そのものを否定することはできません。不快感を感ずる、うれしいと感ずる、いろんな感情が自然に沸き起こってきます。いわゆる良い感情と良くない感情があります。何か人々を見ていてほほえましく思い、喜びを共感できる、これはもちろん良い感情であり、このような感情はたくさん出してもいっさい問題はありません。
では良くない感情とはどういうものでしょう。相手を不愉快にさせる、怒りにまかせ攻撃的な言動をとる、このように明らかに他の人に害を与えるもの。他の人をエネルギーレベルであっても傷つけてはいけません。言葉の力はとても強く、ちょっとした皮肉、悪ふざけ、そういったものでも相手を深く傷つけることが普通に現象化されております。
自分としてはちょっとからかったつもり、ちょっと意地悪したつもりであったとしても、相手が深く傷つき、心痛めてしまえば、それは良くない感情、良くない現象として理解されていきます。したがってまず相手を傷つけない行動、これを第一に考える必要があり、自分から出ていく感情は人を喜ばせるか、人を傷つけるか、どちらかの反応を起こしていきます。
中には感情のエネルギーを出しても、エネルギーそのものを感ずることが難しい人もいるかもしれません。その時エネルギーレベルでは感じなかったとしても、そのエネルギーは相手の心に残っており、それがたまっていくと相手が急に怒りを出したりはむかってきたり、いろんな行動をとるようになります。
そういう意味において、他の人に影響を与える好ましくない感情、これはなるべく抑える必要があるのです。しかし自分が相手から露骨に非難されたり、意地悪をされて怒りを出した、こういう時怒りを出してはいけないのか、我慢しなければならないのか、多くの人はここでいろんな問題が出てくるでしょう。
相手からひどい仕打ちを受けたのに我慢しなければならないのか、怒りを出してはいけないのか、ここが多くの人にとっての問題になっております。イニシエートとして見ていくと、どのような行為を相手から受けたとしても、怒りで戻すのではなく、すべて愛と優しさをもって受け入れる、これが原則になります。相手から罵声をあびせられた、自分をののしった、恥ずかしい思いをした、こういう時、それでも言い返したり、怒りを出してはならないのです。
ここが多くの人にとっての大きな課題になっていくでしょう。多くの人から非難された、これは非難されるというエネルギーを自分がもっている理由があり、なぜ多くの人から自分は非難されるのだろう、なぜ恥ずかしい思いをさせられるのだろう、自分では分かっていなかったとしても、必ずこの原因があるのです。
それはもう自分は覚えていないかもしれません。でも自分自身が他の人をばかにした、他の人に恥じをかかせた、そういうことによってただ自分に戻ってきただけなのです。したがって皆さん方はたとえ自分の記憶になかったとしても、自分が体験した現象はすべて自分の出したものが戻ってきている、まずそれを受け入れる必要があるのです。これは多くの人にとって理解が難しいかもしれません。自分に記憶がなかったとしても、自分に起こる現象をすべて受け入れていく、まずこの姿勢がイニシエートとして必要となります。
では自分が危害を加えられる、生命が危うくなる、それでも言うなりになっている必要があるのか、いろいろ話が進んでいくでしょう。
もちろんカルマ的に見れば、自分がそこで助かるエネルギーをもっていれば、それ以上自分が危険になることはありません。仮に生命がそこでなくなってしまう、そうであれば元々そういう人生であったということもできます。しかし宇宙はとても複雑な仕組みになっており、それでも自分が生き残るという道もあるのです。
身の危険を感じながらも、それでも相手を許し、決して怒りを出さず、自分の生命のすべてを神に捧げる、それぐらいの貴い気持ちで望んだ時、奇跡が起こり、自分は生き延びることが可能になったりします。一瞬一瞬いろんなことで人間が判断されていきます。ただどのような状態にあっても、自分よりも他人を優先する、相手を生かすために自分を犠牲にする、こういう心があればその貴さが天に伝わり、天はその人を生かしていくのです。
しかしそれをまた目的にして、ここで自分が犠牲になれば天は救ってくれるだろう、そう思って自分の身を差し出すと、本当にそのまま死を迎えることになります。本当の心がどこまで進化しているかどうか、その本心が常に試されていくのです。したがって感情をコントロールするという場合でも、本当に相手のことをどこまで考えているか、感情をコントロールすることによって何か自分が損した感じ、あるいは相手に譲ってあげた、相手を優先してあげた、こういう気持ちがあればすべて自分のエゴとして認定されていき、この感情の学びは終わっていないと判断されていきます。
感情を押さえ、感情をうまくコントロールしたとしても、それで自分が良くなったとか、相手のために自分が良いことをした、こういう気持ちをもたないことが必要であり、本心から相手のために、相手を傷つけないために、相手を生かすために、自分が犠牲になっていく、自分よりも相手を優先させ、相手のために自分の感情をうまくコントロールしていく、この純粋な心がとても大事であり、いかに相手に尽くすことができるか、自分よりも相手を優先させることができるか、これを学んでいる最中といえるのです。
イニシエートは奉仕ということを学ぶ必要があります。人のために奉仕をする、自分よりも相手を優先する、相手の苦しみや悲しみを取り除いてあげる、こういう奉仕を行なうことが大事ですが、多くの人はなかなかこの奉仕がうまくできない状態にあります。無条件に相手のためにするということがどうしても心で身についていかないのです。
相手のために何かしてあげたら、お礼を言ってほしい、自分がしてあげたという証を残しておきたい、こういう気持ちをもっている人がとても多く、これは奉仕とはいわないのです。見返りを求めることなく、ただ相手のために行なう、これが奉仕であり、その状態によっては相手のために本当に自分が辛いことを行ない、時間も労力も相手のために注ぎながらも、相手はほとんどそれに気づかず、普通のこととしてどんどん先に進んでいく、こういう状態があったとしても、決してそれを口に出したり、共感を求めようとしたり、あるいはその人のためにしてあげたという意識をもつこともない、これがイニシエートとしての正しい姿なのです。
せっかくしてあげたのにお礼も言ってこない、まったく自分のやったことを理解してくれていない、こういう気持ちをもっているうちは奉仕の心が身についていないために、もっともっと奉仕をしっかりと理解する学びが続くことになります。その学びの典型的なものが怒りであり、相手のために怒りが出てくる、そこで怒りを出さずに相手を許し、自分の否定的な感情が相手に届かないようにするために、しっかり自分をコントロールし良いエネルギーだけが相手に届くようにしていく、こういう修行が行なわれていきます。
したがって人にいろいろ怒りを感ずる人は、奉仕の勉強をしている初歩の段階と思ってください。怒りを相手にぶつけるのではなく、自分の心をしっかりと感じながら、良くないエネルギーが相手に届かないようにうまくコントロールしていき、相手にはごく普通に接していく、こういうことによって自分自身の力を強くもっていき、イニシエートとして必要な感情の使い方ができるようになっていきます。
もちろん今の人間的な世界で言われている感情のコントロール、あらゆる手法は用いてかまいません。自分に合うやり方を見つけ、怒りを出さないように、相手に害を与えないように良い行動をとっていく、これはもちろん有効となります。それに加えてイニシエートとして相手に危害を加えないような感情の使い方、これをしっかりと学ぶ必要があるのです。
皆さん方が少しずつ進化成長をなし、自分の感情の器が大きくなっていくと、いろんな人の感情を受け取りやすくなっていきます。一人ひとり感情の器というものがあり、他の人のいろんな感情を受け入れやすくなっていくと、この感情の器が大きくなるのです。ここで言う感情の器は、基本的には良い感情の器と思ってください。
いわゆる否定的な感情は本来宇宙では感情と呼ばず、必ずしも良いエネルギーとは思っていません。それは破壊的な行為であり、感情とは別に扱われております。宇宙における感情は相手を良い気持ちにさせる、相手とつながり、良い思いによってお互いが共通の感情になり、人間的なつながりを強くしていく、これが宇宙から見る感情であり、これを入れる器が感情の器になります。
第一儀式を受けた人の感情の器は、まだそれほど大きくはありませんが、少なくとも光が少しずつ入り始めていきます。まだイニシエーションを受けていない人は感情の器が自己中心的な感情の器になっており、ただ自分だけで満足している、他の人が喜んでくれる、自分を評価してくれる、そういったようなことで楽しくなろうとする感情の器ができてきます。
しかしイニシエーションを受けることによって天からの光が入っていき、この感情の器に変化が起こっていき、他の人を幸せにさせる、他の人を気持ち良くさせる、他の人のために良いことをしてあげる、こういう感情の器に変化していき、それによって自分から他の人へと良い感情が動き出していきます。
二番目のイニシエーションにおいて、感情のコントロールがしっかりできていること、これが要求されているのは、この感情の器が二番目のイニシエーションの段階で、少なくとも数十人に影響を与えるくらいの感情の器につくられていくのです。そして自分の周りにいる人々に、良い感情の光が自分から出ていく、こういう感情の器になっていき、天からやってくる光が良い感情と共に周りの人々に流れていく、こうやって周りの人に明らかに影響を与えていくのです。
皆さん方が第一から第二へと向うに従って、この感情の器が大きく形成されていき、それは家族や兄弟にさえも良い影響を与えていくのです。ところが中にはイニシエーションを受けると、余計に家族や友人との仲が悪化したという人もいるでしょう。これはイニシエーションを受ける前の感情の器が、そのままの状態を維持させようとして天からの光が入ってきても、人間的な感情の器を前提としてしまい、それによって正しい感情の器が働かなくなっているのです。
いわゆる人間的な感情でつながっている人間関係、特に古くからの友達や、家族、こういう人たちは古くからの感情でつながっているために、どうしても古い感情の器でつながっており、これを維持しようとする動きがつくられてしまうのです。イニシエーションを行なうことによってこの人間的な感情の器を、スピリチュアルな感情の器に変えようとしていく時、人間的な感情の器に執着していると、どうしても正しく光が流れていかず、光の流れと感情の流れがぶつかり合ってしまい、それで人間関係がうまくいかなくなってしまうのです。
したがってイニシエーションを受けると、それまでの人間関係が変わるということをはっきりと理解しておいた方が良いでしょう。今までと同じ感情の器で接するのではなく、新しい感情の器で接する、新しい感情の器が支配的になり、天からの光によって新しく動き出した感情の器で人々と接していく、こうやって意識を切り替えてください。
意識や感情の使い方を新しいものへと変えていき、家族や友人たちとも新しい感情の器を使うようにしてください。そうすれば新しい光が相手を包み込んでいき、相手も何かが変わったことに気づくでしょう。古い感情の器に戻ることなく、新しい感情の器で接していく、これをしっかりと行なうようにすることがとても重要です。
まず今、皆さん方の古い感情の器、イニシエーションを受ける前の友達同士でつながっていた感情の器、まずこれを感じてもらいます。人によってはとても不快な感じをするかもしれません。したがってあまりそこに意識を向けたり、負けないようにしてください。ただどういう感情の器が昔の自分の感情だったのか、それをただ感じてもらいたいと思います。イニシエーションを受ける前の感情の器が現れてきます。
ではイニシエーションを受けた後の光の感情の器を感じていただきます。イニシエーションを受けたことによりどう変わったか、それを感じてください。
これが今の皆さんの光の感情の器になります。この感情の器で周りの人々に自分から光を出していく、自分から良い感情を出していく、では続いて、いわゆる第二儀式を受ける時の感情の器、第二儀式が許可される感情の器、皆さんのまず目標となっている感情の器、それを次に感じてもらいます。
今感じているのが、第二儀式に入る基準となる感情の器になります。これが目標になります。今のこの気持ち、自分の良い感情の世界、これをしっかりと感じておき、日ごろがこういう感情の器に維持できるようにしておくことです。周りの人をこれで包み込み、自分から良いエネルギーを広げていく、こうやって第二儀式へと向っていってください。