20161217 of Central Sun Ascension Report

/ヨガナンダ/概念の学びは第一儀式で終了/言葉では一人ひとり解釈が異なる/自分の体験を大切にすること/怒りをコントロールすること/他人への奉仕/

2016/12/17 聖白色同胞団第二儀式①

このメッセージのいいねポイントは

概念の光から真実の光へ


①概念の学びは終了

私はヨガナンダと呼ばれております。意識を通してメッセージを送っていきます。皆さん方が第二儀式という次の目標に到達しようとしていることを喜びとしております。第二儀式というこの目標は人間の意識からかなり離れたところにあり、いわゆる本当の光の中に入っていく、概念の光ではなく、真実の光の中に入っていく、そういう大きな区切りに入っていきます。

これまでの多くのスピリチュアルな学びをしている人は概念での学びがとても多く、光といっても頭で考えた光、悪といっても頭で考えた悪、すべて頭で認識した愛、慈悲、光という観念、概念で学びを続けております。この頭で考えたスピリチュアルな学びは、第一段階の時にはとても強く働きかけますが、この概念にしがみついていたり、観念の虜になっている人は第二儀式に入ることがとても難しく、ずっと第一儀式の概念の奴隷のままで過ごすことになります。

今皆さん方が第二儀式の直前でこれから真実の光の中に入っていこうとする、そのためには一人ひとりがもっているスピリチュアルな概念、スピリチュアルな観念を手放すことが必要となります。場合によっては今まで学んできたこと、教わってきたことすらも手放してください。

およそ皆さん方が学んでいるスピリチュアルな知識、スピリチュアルな情報の大部分は真実と異なっており、その間違った真実にしがみついても本当の意識の成長にはつながりません。しかしたとえ間違いであろうともそれを理解すること自体にはとても良い意味があります。

いわゆる何も知らない、スピリチュアルな世界を根本的に認めない、否定するという人に比べれば、たとえ間違った概念であったとしてもスピリチュアルな体系を理解し、スピリチュアルの世界を理解することにはとても大きな意味があり、それは第一儀式を学んでいるものとしてはとても良い意識になります。

しかしそれはあくまでもスピリチュアルな世界につながる一つの手段、一つのやり方であり、第一儀式のレベルで真実として理解していたスピリチュアルな知識は、本当はかなり違っていること、本当の光の世界とは違うこと、それを受け入れていく必要があります。

では本当のスピリチュアルな世界はどうなっているのか、残念ながらそれを言葉で説明したり、ましてや本に書いたり、日本語で教えようとしてもそれはまったく通用しません。結局そのように本で読んだり言葉で教えてもらうというのが第一儀式の世界であり、概念の世界をつくり出していきます。

皆さん方がこれから入ろうとする第二儀式の世界は、言葉や教えてもらうという世界ではなく、真実そのものに自分が入っていく、直接自分の手で真実を認識し理解していく、そういう世界に入っていきます。自分が本当に体験し、本当の光に触れたとしてもそれを他の人に理解させることはまったくできないでしょう。

いわゆる体験したことを言葉にした段階でもう真実とは異なってしまい、相手は相手の考えの中で別の事実をつくり出していきます。自分が本当に天使に出会った、これまで頭で認識していた天使とはまったく違っていた、こういう本当の天使を感じ理解したとして、それを他の人に本当の天使に出会ったと言って、その人に伝えたとしても、その人はまったく別の認識で頭の中で自分が天使と思う存在を想定し、あの人はこの天使に出会った、そのようにつくり変えられていきます。

したがって第二儀式を受けた人のそれ以降のスピリチュアルな体験は、どの本にも書かれていない、誰も行ったことのないものを直接自分が体験し、自分が理解し、自分の力でさらなる光の中に入っていく、そういう世界に入っていくのです。もちろんその体験は一人ひとり異なり、一人ひとりまったく別の流れに入っていくために、他の人と話をしたとしても共通点はほとんどありません。

自分と同じような体験も他の人も体験していると勝手に想像としたとしても、実際には一人ひとりまったく異なるために、自分の都合の良いようにそれぞれが解釈を行なっていくのです。したがって自分が体験したことを他の人を通して確認する、分かってもらう、理解してもらうという意識はもたないようにしておいてください。

他の人に話したり意見をもらうだけですでに真実と異なってしまう、自分の体験が間違った体験であるかのように、自分は真実でない体験をしたかのような雰囲気に変わっていきます。したがって自分の体験は自分だけのもの、自分の道を正しく進ませるために自分だけの体験を自分が行なっている、この認識をしっかりともってください。

したがって第二儀式以降はたとえここでいろんなことを教わったとしても、それは一つの手段であり、一つの概念であり、それをそのまま鵜呑みにしないことが重要になります。言葉通りに理解し、言葉で覚えるのではなく、言おうとしている本当のものは何なのか、言葉で現せない裏のものがどうなっているのか、常にそこに意識を向けていき、言葉では表現できない本質のところ、本当のものを見抜こうとする、そういう意識を常に使っていってください。

これができない人はいくら勉強したとしても結局は概念だけの世界になってしまい、第二儀式としての光の世界に入ることが困難になります。本当の第二儀式の光の世界に入るために、まず概念にこだわらず、自分が勉強してきたことや知識体験に執着せず、どんどん光の中に入っていく、すべては新しく再構築していく、自分が学んで理解したことにこだわらず、新しい感覚で新しい光の世界に入っていく、その意識をしっかりともつことを願っております。

皆さん方の身体自身のエネルギーにもさまざまな変更点が必要となります。皆さん方の身体のエーテルの部分に執着的なエネルギーが強く身についており、これを意識している人と意識していない人にはっきりと分かれております。エーテルの執着的なエネルギーの主な部分は、食べ物や肉欲的なところ、あるいは物質的なものに関する執着、これはエーテルのレベルで染み付いていることが多く、その大部分は物質的な生活、物質的な快楽からつくられていきます。

この物質的なものに関する執着や快楽、これは第一儀式においてはそれ自体がテーマでしたが、第二儀式を受け、第二儀式の光の中に入っていく時は、この物質的な執着はかなり大きな痛手となって現象化されていきます。したがってそういう物質的なものに対する執着、これを少しでも弱くさせることが必要となります。

皆さん方がどの部分にどの場所にどういう肉体的な執着が取り付いているか、自分でそれをしっかりと握り締めて手放さなくしているか、それが分かるようにその部分や意識に光をエネルギーを流していきますので、それぞれ感じとってみてください。

もし頭の部分で何かを感じた人は自分への執着が強いことを意味しております。いわゆるエゴ、自己中心という言葉になりますが、自分が気に入られたい、良く思われたい、こういう意識の強い人は今頭で感じられております。エーテル体での感覚をしっかりと覚えておいてください。次はアストラル体での執着を眺めていきます。

第二儀式を受けるためにはアストラル体が良いエネルギーの流れでつくられていることが必要とされます。一番第二儀式において問題となるのは、いわゆる怒りのエネルギーです。怒りのエネルギーは自分のオーラを破壊すると同時に怒りの対象となっている人、怒りの対象となっている物や場所をすべて破壊させていきます。

怒りは破壊をことごとく引き起こしていき、相手のエネルギーを破壊させ、そして自分のエネルギーも自ら破壊させてしまいます。怒りのエネルギーが放出され、破壊的行動を行なうと、その修復にはとても長い時間が必要とされます。怒りの程度にもよりますが、いくら早くても数週間はかかってしまい、すぐに修復できるわけではありません。

また怒りによって相手を傷つける、破壊させるということが行なわれてしまうと、相手はすぐに立ち直ることができないために、長い間破壊されたオーラのままで生きることになり、それによって好ましくないエネルギーが相手の中に入ったりしていきます。こうやって相手の中に入ってしまった好ましくないエネルギー、いずれはそれをすべて自分が受け取ることになります。したがって怒りはただ傷つけるだけではなく、それに伴うすべての現象を自分が受け取ることになります。それによって自分自身の成長が遅くなってしまい、なかなか光の世界に入ることが困難になってしまいます。

怒りは基本的にエゴから行なわれていきます。自分が正しい、自分の方が真実を語っている、いろんな意味においてエゴの意識から怒りが行なわれていきます。この怒りを克服していることが好ましく、まだ怒りをコントロールできない人は第二儀式の後、相手を破壊する力がより強くなっていき、相手の深いレベルで傷つけることになります。第二儀式の人は怒りを出すと、相手の深いレベルまで鋭く怒りのエネルギーが入り込み、その修復に数ヶ月かかることになります。

その分相手がさまざまな邪悪なエネルギーを取り入れてしまい、そのエネルギーを自分自身がまた受け取ることになります。したがって第二儀式を受けた人は怒りを出すと分自身が結果的に数カ月間エネルギーの痛手を受けることになり、それによって辛い体験を繰り返すことになります。

この怒り、あるいは感情的な動き、これをしっかりとコントロールしていく、これが皆さん方のこれからの学びになります。皆さん方のアストラル体に光を流していくと同時に、もしアストラル体で自分のネガティブなもの、いわゆる感情的な執着のエネルギー、また怒りのエネルギー、そういったものがある場合にはそこに光を流していきますので、自分なりに感情のエネルギーを感じとっていき、自分の修復を行なっていってください。

今、身体全体でエネルギーを感じている人は感情のコントロールそのものがまだ学びの途中であり、純粋にコントロールしきれていないことを現しております。感情がコントロールできていないのはまだ自分を可愛がっている、自分を良いとしている意識から起こされていきます。他人を優先させる、他人のために自分がいる、他人を奉仕するために自分がいる、その原点に戻り、常に他人を優先させる意識を完全に確立して、感情のエネルギーをコントロールできるようにしていってください。

ハートチャクラに何らかの違和感を感じている人は、人間関係において好き嫌いの激しい場合があります。自分にとって気の合う人や好きな人には良い感情をもって接することができても、自分にとって良くない波動の人、気に入らない人には徹底的に冷たくしてしまう、こういう傾向の人は今ハートチャクラに何らかの違和感を感じさせております。

第二儀式を受け真実の光の中に入っていくということは、皆さん方が真実の光につながり、自分が真実の光として行動することを意味していきます。概念や思い込みの光ではなく本当のハイアラーキーの光、本当の光につながって、ヒーリングに使ったり他を生かすために使っていく、その世界に入っていくのです。皆さん方につながっている真実の光を強く流していきますので自分自身の光をしっかりと感じておいてください。

②真実の光の学び

サナートクマラ、この地球における新しい光の流れがやってきております。新しい地球、新しい人類の進化の流れ、新しい仕組みが今地球に現れてきております。皆さん方が待ち望んでいた平和な世界、ユートピア、シャンバラと呼ばれていた素晴らしい世界が今人間の目の前に現れてきております。

この光そのものは人間のすぐ目の前に現れておりますが、人間がそれを実際に認識して手にしている人、実際にそれを人生で使っている人はそんなに多くはおりません。まだまだほとんどのものはその光に気づかず、目の前の日々生きることに精一杯の意識になっております。皆さん方が第二儀式を受けた時にその光をしっかりと感じとり、これまでの世界とは異なる本当の光、この真実の光にぜひ触れてください。

そしてこの真実の光が皆さん方がこれから生きる光の世界であり、その光にしっかりとつながって、その光の世界で生きる、その光を自分自身のすべてとつなぎ、その光の世界で生きていく、それを強く意識してください。これまでの第一儀式での学びはもう終了し、真実の光の世界での学びに入っていきます。概念や知識の学びを終了させ、本当の光を使って本当の役割をなしていく、ただひたすら光の奉仕を行なっていく、そういう流れに入り、自分自身を真実の光の存在へともっていってください。

③他人への奉仕が中心

皆さん方のガイドが集まり、一つの意識としてお話をしていきます。皆さん方が第一儀式を受け、スピリチュアルな学びの世界を体験して意識を上げてきました。初めはそれほど興味がなかった人もいれば、初めから引き付けられるようにして学んできた人もおります。ただこの第二段階のイニシエーションは、第一段階のイニシエーションとは大きく異なっていき、自分の成長というよりは、他の人への奉仕が中心になっていきます。

自分自身の成長にはなかなか意識が向かわないために、第二儀式を受けた後、自分は成長しているのかどうか、自分は意識が高まっているのかどうか、そういったことが分からなくなっていきます。第一段階の時は概念や知識の学びが主体であったために、多くの知識を手にしたり、概念が整理されるたびに自分が進化成長したような感覚に入っていきます。

しかし第二段階はそういう学びはもう終わっており、光にしっかりとつながって、ただ光を必要なところに流していく、それだけの役割に変わっていきます。そのために第二段階で自分は成長しているのかどうか、順調に上がっていっているのかどうか、そういう疑問が常に付きまとってしまいます。

皆さん方が第二イニシエーションを受けた後、そうやって自分自身に自信がなくなったり、やる気がなくなったり、いろんな現象が起こるでしょう。第二儀式で皆さん方が必要なのは、とにかく自分の目の前の人を奉仕していくこと、たとえその人が自分の気に入らない人や嫌な人、苦手な人であったとしても、そういう人々に奉仕をしていく、これが皆さん方のテーマになっていきます。

第二儀式は自分自身の意識の成長を感ずるのではなく、相手を豊かにしていく、目の前の人を幸せにしていく、それが一つの目安になっていくのです。自分の周りの人々が次々と喜びを増やしている、目の前の人がどんどん明るくなり元気になっていく、目の前の人がいろんなことに興味を持ち人生を楽しんでいる、そういう光景を見ることができた時、自分の意識は高まっていると思って構いません。

しかし目の前の人がまったく変わらず、いつも不平不満ばかり言っている、いつも愚痴ばかりを自分に言ってくる、こういう状態の人は自分自身が進化成長していないことを現しております。他人とのかかわりにおいて他の人をどれだけ幸せにできたか、それが第二儀式の一つの目安であり、しかしだからといって、自分のポイントを上げようとしてわざと嫌な人に親切にしていく、やはりそういうのも好ましくはないでしょう。

ただ初めの段階としていわゆるあまり人間関係が得意でなかった人、好き嫌いが激しく嫌いな人にはまったく口を開いていなかった人、そういう人などははじめは意識的にその人と仲良くして、その人の幸せ感を上げるように努めていく、そういうのはまったく問題はありません。

したがってはじめからすべてを否定したり逃げ出したりするのではなく、ある程度自分を騙して人々と接したり、わざと良いことをする、わざと親切にしてみる、そういう気持ちでも問題はありません。したがって苦手だった人や今までやってこなかった人、そうやって自分に言い聞かせるところから始まってでも構いません、そうやって人を豊かにしていく、人と親切に接してその人を幸せに導いていく、そこを目標として新しい人間関係を行なえるようにしていってください。それではここまでにいたします、ありがとうございました。




/奉仕/奉仕かどうか考えると奉仕でなくなる/単純に人に何かしてあげたいという心/弱い者を助けるのは奉仕ではなく当たり前のこと/普段したくないことを積極的に行なうのが奉仕/奉仕は何らかの犠牲が伴う/見返りやメリットを気にしたら奉仕ではない/犠牲を伴いながら犠牲と思わない/肉体の快楽と魂の快楽は異なる/
2016/12/18 聖白色同胞団第二儀式②

弱者を助けるのは奉仕ではなく普通のこと

①何らかの犠牲を伴わくてはならない

あなた方の父として、あなた方の母として、あなた方の光の成長を祝福いたします。光の第二儀式という一つの通過点はこの地球において奉仕という名の下で光の活動を手伝う役割があります。光の活動を手伝うというのは、光の存在たちの手助けをすることであり、本来は光の存在たちが悩める人類のための奉仕を行なっており、皆さん方はその光の存在たちの奉仕の手伝いをすることになるのです。

皆さん方が奉仕をする時、多くの人が余計な考えをしております。これは奉仕になるのか、これはエゴなのか、私にできるのか、さまざまな考えが頭をよぎり、それによって気が変わったり、光が抑えられたりします。したがってこれは奉仕なのか、私にできるのか、そういう考えそのものが奉仕を妨害するものたちのしわざであること、ほんのわずかであろうとも、奉仕に対し妨害をするものはすべて光ではないこと、それを明確に知る必要があります。

どのような形態であれ、人のためにしようとする思いはすべて奉仕になり、そこには何の曇りもありません。しかしそこで急に何かの意識がやってくる、これは奉仕なのか、欲なのか、やって良いことなのか、やって良くないことなのか、こういう考えそのものが妨害であること、光ではないことをしっかりと理解してください。

自らが心から喜びをもって何かをしている時、別の人がエゴでやっているんじゃないの、また自分の好きなことだけやっている、自分だけ良ければよいと思っている、いろんなことを言ってくるでしょう。その言葉そのものが光ではないこと、それを明確に理解してください。自分が純粋に人のために良くなると思い純粋に行なっていれば、それは立派な奉仕になります。

しかし皆さん方が奉仕をする時、例えば困っている人、悩んでいる人、そういう人に奉仕することにより喜びを得ることができるでしょう。自分よりも力の弱いもの、未熟なもの、分かっていない人に奉仕ができる、この喜びは奉仕という喜びとは少し異なっており、ある意味では自分の方が上である、自分の方が強いという明確な意識によって行なわれる奉仕であり、自分が強いから弱い人に対して奉仕ができる、お金があるからお金のない人に奉仕ができる、力が強いから力の弱い人に対して奉仕ができる、このように理解することができるでしょう。

今の人間世界の奉仕はそれでも良いかもしれませんが、皆さん方がこれから向かう第四密度という世界においては、これは奉仕ではなくなってきます。いわゆるそれは当たり前のこと、普通のことであり、あえて奉仕というものではありません。皆さん方にとってむしろ奉仕というものは、普段やりたくないこと、普段意識にないこと、やろうと思わないこと、そういったことが奉仕と呼ばれるものになります。

極端な話、家を捨ててでも誰かの人のために専念して、その人のためのことを思って何かしてあげる。当然そうすると家族がめちゃくちゃになる、収入がなくなる、いろんなことを言ってくるでしょう。でもそこに意識を向けることなく本当に大事だからといって他の人の世話をする、ある意味ではこれこそが本来の奉仕になります。

自分に余裕があり、自分が十分に恵まれていて楽な状態にある時、その範囲内で何かをすることは必ずしも奉仕という言葉にはなりません。そういう意味において本当の奉仕というものは、何らかの自分の犠牲が必要となります。自分に犠牲を伴わずして奉仕をするというのは本来はあり得ない状態になるのです。

自分にいっさいの犠牲を伴わずすべてできる範囲で何かを行なう、これは当たり前のことであり、あえて奉仕というものではありません。ただ皆さん方にいきなりそれを要求してもそれは難しいでしょう。皆さん方というより、今の時代そのものが大きな大きな意識の弱さを身につけてしまい、何か結果が良くならなければ行動しない、今よりも良くならなければ行動しない、何かメリットあることによって行動する、こういう意識に完全に染まっているために、自分を犠牲にして社会のために、人のために行動するということができなくなっております。

したがって第二儀式を受けた皆さん方にまず先に要求されるのが、この意識の転換になります。自分のできる範囲内で世のため、人のために奉仕をする、これは当たり前のことであり、第二儀式だからしなければならないとか、高い意識の人だからしなければならないというものではありません。

イニシエーションを受けていなかったとしても、第一イニシエーションであったとしてもこれはしなければならない人間としての義務になります。弱い者を救う、弱い者を助けてあげる、弱い者を導く、分かっていない人に教える、当たり前のことなのです。

その上でさらに要求されるのが第二儀式を受けた皆さん方であり、いわゆる犠牲を伴う奉仕の世界が入ってくるのです。場合によっては家族を犠牲にしてでも何かのために努力する、当然家族の中から多くの批判がくるでしょう。家族とあの人どっちが大事なのか、自分と他人どっちが大事なのか、いろんなことをいろんな人から言われるでしょう。

そこで耐える力を身につけ、それでも世のため人のために行動できるかどうか、この心の強さが第二儀式を受けた人に要求されてくるのです。そういう意味で第一儀式のレベルの奉仕と第二儀式を受けた人の奉仕ではまったく違うということを理解しておいてください。

また第三儀式を受けた人にはさらなる奉仕が要求されており、それは自己犠牲という奉仕の世界に入っていくのです。ある程度の犠牲を経験するのが第二儀式の人ですが、第三儀式を受けた人は自己犠牲ということを徹底的に学び、それによって本当に自分を神に授ける、自分というエゴを完全に天に任せる、その世界に入っていき、第四イニシエートとしてアデプトへと向っていくのです。

したがってほんのわずかでも自分が大事、自分を見てほしい、自分を分かってほしい、こういう意識があれば第二儀式としてはかなり難しい学びになっていきます。ある程度犠牲という意識を理解し、犠牲を犠牲と思わない心、ある程度何らかの犠牲を伴いながらも、それを犠牲と思わず単なる奉仕として理解していく、いずれそういう犠牲を犠牲と思わず普通のことと思い、天に自分を預け、自分の意志ではなく、天の意志で動いていく、こういう方向に向けての意識の成長、こういったことを皆さん方が学んでいくのです。

このような話をすると多くの人が、おそらくそれは難しい、できないという意識を身につけていくでしょう。皆さん方にとってやはり家庭が大事であり、家庭の平和が目標であり、家庭が円満で幸せで豊かな家庭を築く、これが皆さん方にとっての目標であり、ある意味ではそれを実現するために学びを行なっているのもかもしれません。

しかし皆さん方の本当の目的は皆さん方の魂の成長であり、皆さん方の魂は必ずしも家庭の円満と裕福を願ってはおりません。とうのも元々物質世界における富や快楽、その他のさまざまなことは単に肉体現象として感じている快楽であり、魂の快楽とはまったく異なっているからです。

魂は肉体的な快楽を何一つ求めておらず、またそこに何の意味もありません。魂は自分自身が少しでも神に近づくこと、少しでも肉体から離れ、肉体のしがらみから離れ、そして聖なる世界へと近づいていく、魂はただひたすらそれを願っているのです。自分自身が肉体の束縛から離れ、天の光に近づき、天の光で愛される、天の光と一つになる、ここだけを魂は考えているために、肉体的な快楽や肉体的な喜びが本来の目的でも何でもないのです。

ただ皆さん方の価値観を変える必要があり、肉体的な快楽が伴わなければ人生は楽しくない、こういう考えをまた変えていただく必要があります。人生の喜びを物質的な観点だけで見ていく、物質的な観点だけで人生の評価を行なう、この意識を変えるのも第二儀式のテーマになってきます。

皆さん方の世界において人間関係、家庭、さまざまなものが支配し、この人間関係や家庭を豊かに裕福に、快楽の得られるものにしようとしているでしょう。それ自体は完全に悪いとは言いませんが、そこに執着する、あるいはそれだけを求めていく、それを本来だと思う、この考えが光とは異なる考えであり、そういう執着によって光の成長が進まなくなってしまうのです。

第二儀式は光の流れを妨害していたものから、光の流れを推進する側へと完全に切り替わることであり、良き第二儀式の受講者として学びを進めていくためには、妨害するものから離れる必要があります。そのためには物質的な快楽や豊かさ、物質的な価値観をことごとく取り除いていき、本来の魂の喜びだけを見て、感じとっていく、魂が望む方向、魂が求める方向へと進んでいく、これが第二儀式を受けた人の方向性になるのです。

多くの人が自分にはまだ資格がない、そこまで意識が高まっていない、そのように感じていることでしょう。皆さん方は完全に第二儀式のレベルを超えたというほどではありませんが、それでも十分に第二儀式としてクリアできるレベルまで達しており、早い人はあと数カ月で第二儀式のレベルをクリアできるでしょう。

大部分の人はまだ数カ月から数年はかかるかもしれませんが、それでもこのイニシエーションを受けなかった時空の流れを見る時にかなりの速さで第二儀式の受講者として活躍をできる状態になっております。今はこういう話を聞いて心を引き締めたり、意識をしっかりと保ってこれからの自分の流れを整理しているかもしれませんが、皆さん方を妨害しようとするものはとても巧妙で、いろんなことを裏から行なって、少しでも光の道からそらせようと必死になってきます。

皆さんもそういった妨害一つひとつに決して負けることなく、常に身を引き締め物質的な快楽よりも魂の喜びの方を求めていく、そこで楽な意識を体験するよりも、厳しくとも魂が進化成長する輝きを喜びとしていく、ぜひそういう意識をしっかりと保ってさらなる学びの流れへと進んでいってください。

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