/智慧/勢至菩薩/人の幸せを願う気もち/自分と同じ苦しみの人が目の前にいる/幸せになりたいのなら心を健全にすること/足りないという意識は不幸になる/物質的な富は永遠ではない/虚空蔵菩薩/心の中の期待が怒りを生み出す/すべては自分の心の問題/理解したことに執着しないこと/悟ったことが常に覆される/相手の欲望を見抜き教えること/優しく伝える智慧を身につけること/文殊菩薩/智慧の扉/人生と向き合うことが智慧の扉を開く/他人のせいにしている人は同じ心をもっている/他人のせいにする別の自分に気づくこと・気づかせること/騙されない本当の自分を見つける/宇宙の智慧の扉・仏の扉/答えではなく考え方を重視する/
2016/12/9 特別セミナー:智慧のイニシエーション[韓国] |
このメッセージのいいねポイントは |
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人生を幸せにしようとする考え方が智慧の扉を開く |
①人の幸せを願うことで智慧が身につく
勢至菩薩と呼ばれております。お話できる機会が与えられ喜びとしております。智慧というお話ですが、皆さん方の物質世界において智慧を身につけるというのはとても大きなテーマになるでしょう。智慧はただうまく生きるだけでは身につきません。言うまでもなく、お金儲けをするとか、有名になる、偉くなる、こういうことは智慧とは何の関係もありません。
人を騙したり、人を陥れたりするのは智慧とはまったく異なり、むしろ智慧のない人間の行動といえるのです。本当に智慧を身につけたいのであれば、お金儲けをしようとか、偉くなろうとか、有名になろうという意識を取り除かねばなりません。そういう意識をもっている限り、智慧を身につけることはとても難しく、逆に智慧のない生き方を生きることになります。
智慧を身につけるためには人の幸せを願う気もちが必要です。どうやったら人を幸せにできるのか、どうしたら苦しみを取り除いてあげられるのか、常にこの気もちが必要です。苦しんでいる人がいた時、どのようにして苦しみを取り除いてあげられるか、単に悩みを聞いてあげたり、分かっていることをいろいろ行なっても、必ずしも心の病が消えるわけではありません。
人それぞれ深いレベルで傷をもっており、表面化しているのはそのほんの一部だからです。本当にその人の苦しみを取り除いてあげるためには、深いレベルの心の傷を見つけていき、その深い心の傷を取り除いてあげることが必要です。その深いレベルの心の傷をどのようにして見つけていくか、普通とても難しいと思われるかもしれませんが、相手が抱えている深い心の傷は、多くの場合自分もそれをもっているのです。
相手をただ見てもそれは見つけることは難しいでしょう。しかし自分の心を見ていき、自分自身に深い心の傷がないかどうか、自分が抱えている深い心の傷を見つけていくと、目の前の人と自分の深い心の傷が同じである、これに気づくことがとても重要なのです。
目の前の人がどうして苦しんでいるか分からない、何に悩んでいるか分からない、相手を観察し、相手の心を感じながら自分の心も観察していく、自分の心の中にある深い傷が相手と同じものである、それによって相手の深い心の傷が見えてくる、自分の深い心の傷をどうしてもらいたいか、自分自身を癒すためにどうしたら良いか、それを見つけていき、それを相手にしてあげるのです。
ほとんどの場合、自分の目の前に現れる苦しみを抱えた人は、自分と同じ苦しみを抱えているのです。ですから相手に何もできない、相手にしてあげられることが分からない、本当はそういうことではなく、自分自身を見ていき、自分の深い心を調べていくと、ほとんどの場合相手の心のことが分かっていくのです。
自分の心を見ようとしてもよく分からない、自分の心はどういう心なのか、小さい頃のことはもう覚えていない、そういう人もいるでしょう。自分の心の中でもう忘れてしまったもの、思い出せないもの、それも相手が見せてくれているのです。自分の周りにいる人で、いわゆる嫌な人、気に入らない人、いろんな心の人がいるでしょう。
それはすべて自分の心を見せているだけなのです。それもほとんどは忘れてしまった自分の心になります。いわゆる自分の心の中の潜在意識、小さい頃やかなり昔のことでもう忘れてしまったもの、それを思い出させようとして、周りの人がそれを見せてくるのです。自分自身の思い出せない心を周りの人が見せてくる、周りの人の分からない心は自分の心を見ることによって見つけることができる、常にこういう関係が行なわれており、相手の心、自分の心、常に心を観察することによって、自分の心も相手の心も分かっていくのです。
他の人を幸せにする、もちろん他の人の心を幸せにすることになります。物質的に幸せにすることは考えてはおりません。心が幸せになること、物質的なものを手にすることによって心が喜びを感ずる、こういう人の心は健全な心ではありません。物質的なもので心を幸せにしようとする意識は、本来の心の在り方からずれており、ずれた心は必ず不幸を現実化させてきます。
本当に幸せになりたいのであれば、心を健全にすることが必要です。心を健全にするためには、常に人の心を幸せにしようとする意識、他の人を幸せにさせたいという意識が必要であり、他の人を幸せにするためには、生きていることそのものに喜びを感ずる、今生きていること自体に喜びを感ずる、この意識が必要となります。
物質が欲しい、金銭が欲しい、こういう意識は今満足していなく、何かを手に入れることで満足できると信じている心です。今足りないという意識は常に不幸をつくり出していきます。何を手にしてもどれだけ手にしても、まだ足りないという意識が続いていき、永遠に幸せを手にすることはできません。幸せを手にするためには今満足している、今すべてを手にしている、今必要なものを手にしている、そういう心によって幸せを手にすることができるのです。
皆さん方の世界では多くの富を手にしたい、多くの権力を手にしたい、また実際そういうものを手にした人がたくさんいるでしょう。どういう人が多くの富を手にしているのか、それはどれだけ富を手にしても満足していない人、まだ幸せを感じていない人、もっともっと欲しいと思っている人、そういう人が富を手にしているのです。
しかしそれは物質的な富であって、本来の永遠の富ではありません。物質的な富は破壊を必ず導いてきます。富や権力は自己満足と同時に、破壊のエネルギーを必ず引き寄せていきます。しかし心の中にある満足、すべてを手にしている、十分に満たされている、こういう心は破壊することがなく、自分自身を永遠に幸せに導いてくれます。
皆さん方が必要な智慧は、人を幸せにする智慧ですが、物質的な幸せを与えるのではなく、この永遠の幸せを与えること、物質的なものではなく、永遠にあるものを与えていく、それが皆さん方が手にできる智慧になります。苦しんでいる人、悩んでいる人がいた時、その本当の原因を見つけていく、分からなかった場合は自分の心を内観していき、自分自身の心を通して相手の必要なものを見つけていく、物質的なものではなく、永遠にあるものから相手を幸せに導いていく、それに至るまでの智慧を身につけていくことです。自分なりのやり方で自分のできるやり方を通して多くの人々を幸せに導いていってください。
智慧は相手を思う心から湧き出るもの、智慧は相手を思う心から湧き出るもの。
②心の中の期待などが怒りをもたらすことに気づくこと
虚空蔵菩薩。
皆さん方がお互いに生きていく中で、傷ついたり不愉快になったり、いろいろな体験を通して意識を高めていきます。不愉快なこと、気に入らないことがあった時、どのような行動をとっているか。それを人に話してうっぷんを晴らす、これは自分をさらに傷つけていきます。相手に直接非難する、もちろんこれも自分をさらに傷つけていきます。
不愉快な時、なぜ自分が不愉快に感じたのか、なぜ自分は怒りを感じたのか。相手を呪うのではなく、不愉快と感ずる自分の心を見てください。なぜ怒りを感ずるか、なぜ気に入らないという感情が出てくるのか。自分の予想通りではない、思った通りでない。その時に不快感を感ずる、不愉快になる。思った通りにいかない時、なぜ不愉快になるのか。
思った通りにいかないのが普通のことであり、思った通りにいかなかった時、そこに期待が入っていたり、慢心の心があったり、自分が余計な心をもっていなかったかどうか。すべて自分の心の問題であり、相手の問題ではないこと。どのような現象が起きても怒りを感ずる、不愉快になる。それは相手の問題ではなく自分自身の心の問題であること。これに気づくことが智慧を手にする最初のステップになります。
智慧を手にするものはすべての原因が自分の心であること。心で期待したり、うまくいくと思っている心が期待はずれになった時、思っていることと別の状況になった時、怒りを感ずる、不愉快になる。まず智慧の第一ステップは、期待しないこと、想定しないこと、予想しないこと、うまくいくと思わないこと。これらすべてが最初の段階になります。
多くの人はうまくいくと勝手に想像し、相手がうまくしてくれると勝手に期待し、それがはずれた時、怒りを覚え、相手を責めたてる。しかし本当は自分が勝手に期待し、自分が勝手に予想し、予想がはずれて相手を責めたてているに過ぎません。これは智慧を身につけることができず、自分が成長することもできません。
まず自分の心をしっかりと見て、期待することなく、予想することなく、ただ周りをそのまま受け入れていく。相手に傷つけられた、それも自分自身の問題であり、傷つけられないと想定したことが想定外のことと感じて傷つけられる。良いことばかりを規定している、それによって勝手に傷ついているのです。
人それぞれいろんなことを考え、いろんなことを思っているので、自分に対してもいろんな人がいろんなことを言ってくる、初めからそれを覚悟していくことです。それをまったく考えず、予想していないことを言われると勝手に傷つけられたと判断し、相手を責めたてる。予想していないことを言われた時、自分自身がそれを予想していなかっただけであり、自分の問題であること。相手を責めるのではなく、自分の心の未熟さをしっかりと認識すること。自分の心の未熟さをしっかりと認識し、まだまだ自分はすべての人、すべての言動を受け入れることができていない、この自分の心の未熟さをしっかりと受け入れていくと、すべてを受け入れることができるようになっていきます。
どのような現象もすべて起こりうること、すべて自分の身に降りかかる可能性があること、そういう大きな心で受け入れていく。すべてのことに対応できる大きな心をもっていくと、傷つくことはなくなり、人のせいにすることもなくなり、落ち込んだり悩んだりすることもなくなります。落ち込んだり悩んだりすることがなくなってくると、すべては自分の心が問題であるということがはっきりと分かってきます。
勝手に期待したり予想することで期待はずれや予想はずれの現象が起こること、期待も予想もしなければ自分が心を痛める現象が起こらないこと、自分が何かを考えると必ずその考えを破壊する現象が起こされていきます。これが法則だと思って理解すると、その法則を誤らせる現象が起こってきます。これが正しいという信念をつくると正しくないという現象が起こされていきます。すべて自分がこうだと決めるとそうではない現象が起こされていきます。
したがって何も決め付けることなく、自分が特定の信念をもたないままにしておくと、自分を不愉快にさせる現象が起こらなくなるのです。自分が嫌な体験をしたくなければ、嫌だと思う現象を心からすべて追い出してください。そうすれば嫌だという現象が起こらなくなります。
皆さん方が心の中に何かをつくり上げると、つくり上げたものがいかに未熟であるかという現象が起こされていきます。しかし皆さん方が意識を高め、自分が悟りへ向うためには、何かを理解し、理解したことが間違っているとまた修正していく、この作業を繰り返し繰り返し行なうことにより、少しずつ意識レベルを上げていくのです。
したがって何かを理解し、悟りを啓くためには、ある程度の概念や一つの決まりを理解することは必要となるでしょう。ただ問題はそれに執着しないことです。こういうものだと理解すると、それを破壊させる現象は必ず起こされていきます。そしてまた高いレベルへと引き上がっていく、したがって自分が何か法則性を理解した時、すぐにまたそれが破壊され、高いレベルの法則へと引き上がっていく、そういうシステムを理解しておいてください。
自分の考えたこと、理解していることが否定される、覆される、それを怒りとして捉えるのではなく、感謝をし、ありがたみを感じ、さらなる高い真理へと引き上がっていく、それを理解することです。そうすることにより必ずいつかは真理を手にし、自分の智慧もだんだん大きくなっていくでしょう。
毎日の現象において、不愉快なこと、嫌なこと、何度も何度も訪れるでしょう。その時に相手を呪ったり、現象を否定するのではなく、期待している自分の心、予想していた自分の心、そこをしっかりと見ていき、どのような現象であろうとも受け入れることができる。むしろ価値観が壊されることを喜びとし、さらなる高い価値観へと引き上げていく、また一段階智慧が高くなる。その喜びを常に感ずることです。
まずはすべての現象をそのまますべて受け入れていく。ここから始まり、自分のつくり上げた固定観念にこだわらず、新しい観念へと引き上げていく。この繰り返しによって智慧が身についていきます。今の皆さん方の社会では、一人が智慧を発揮しても社会は変わらないと感じているでしょう。自分一人が頑張ったところで、自分一人が努力したところで、社会は何も変わらない、誰も私の言うことを聞いてくれない、そう感じているでしょう。こう心の中でつくっていること自体が、また大きな問題を引き起こしていきます。
皆さん方のこの世界は、好ましくない者は好ましくない者同士で集まってくる傾向があります。良くないことを思うと他の良くないことも引き寄せてしまいます。どうせだめだ、どうせ無理だ、そういう意識をもつと、だめだ、無理だ、そういう現象がどんどん引き寄せられてきます。結果的に良くないことばかりが目についてしまいます。心の中で思うことを否定的なエネルギーでつくるのではなく、良いエネルギーで心をつくってください。
どうせ無理だという心をつくるのではなく、思ったことは必ず良い方向へと進んでいく、あるいは良いということを思っている段階で既に良い状態になっている。ひたすらそれを心に保持する必要があります。自分だけ良いことをしても無理だ、自分だけ頑張ってもだめだ、そういう心も排除していき、自分一人でも良いことをしっかりと残していく。自分一人でも良いことを行なっていく。常に良いことだけを心に集めておいてください。
自分の心の中にある否定的な心、できない、無理、意味がない、やりたくない、このようなあらゆる否定的な心を排除していき、できる、良くなる、今現在良くなっている、常にそういう良い心で心をつくり上げることです。そしてそれが覆される現象が起きても、ただそれを受け入れていく。決して否定したり、不愉快に思うのではなく、ただ現実として受け入れていく。でもそれによって自分自身の価値観がさらに良くなり、さらなる智慧へと進むことができる。常にそういう意識をもって、心を高いレベルへ高いレベルへと引き上げていくのです。
すべてを良い心で充満させ、起こるべき現象をそのまま受け入れていく。これができれば智慧を手にする土台が完全にできております。この智慧を手にする土台、すべてを受け入れていく、良い心だけにしておく、こういう土台ができてくれば、後はおのずと智慧が身についていきます。
自分の間違っていた価値観、常にそれを修正し、高いレベルへと引き上げていく。不愉快なことや予想外のことが起きても、予想していた自分の心が未熟であり、さらに心のレベルを高くし、すべてを受け入れ、動じない心にもっていく。そうすることでだんだん世の中の仕組みが見えてきて、一人ひとりの心の動きが見えてきます。
すべての人の心を受け入れることができるようになってくると、一人ひとりの心の動きが見えてくるのです。人を判断することなく、先入観をもつことなく、ただその人の心を受け入れていくと、一人ひとりの心の動きがよく見えてきて、本当は何をしたいのか、本当は何を願っているのか、いろいろその人の心の奥底が見えてくるのです。
相手の心の奥底が見えてきた時、自分はどうするか、相手が欲望に負けている時、相手の欲望を満たすことが正解ではありません。欲望の執着しているということを教える必要があるのです。ただそれを口で言ってもほとんどの人は何も理解することはできません。欲望に取りつかれている人に、どのようにして欲望を見せていくか、相手が本当に望んでいること、本当に手にしたいものは何であるか、それを一つひとつ見つけていき、相手にしっかりと認識させることが大事なのです。
本当に手にしたいものは何なのか。いろんなことを言ってきたけれど、本当に手にしたいものは何なのか。それを見つけていき、それがお互いのやり取りの中で実際には金銭であった、あるいは名誉であった、ただ自慢したかった、いろんなものが感じられてくるでしょう。
それをしっかりと相手に認識させ、相手自身がいろんな言葉を使いながら実際には自分の欲望に負けていたこと、それが分かるように伝えていくのです。優しく丁寧に、相手が自分の言葉で分かるようにしていく、そういう智慧を身につけていってください。
③エゴではない本当の自分を見つけること
文殊菩薩。
皆さんと一緒に会えることを喜びとしております。智慧というととても難しく考えてしまうでしょう。私にはまだ智慧がない、智慧が何かも分からない、そう思う人がいるでしょう。でも目の前で何か困っている人がいる時、何かしてあげたい、助けてあげたい、そう思う人が多いでしょう。
この何かしてあげたい、これが智慧を生み出していきます。何も思わない、そのまま無視する、これは智慧を身につけることはできません。しかし何かしてあげたい、そこからすべてが始まっていきます。何で苦しんでいるのだろう、どうしてあげたら良いのだろう、こういう思いが智慧の扉を開けていき、一つひとつを探し始めていきます。
苦しんでいる原因が何なのか、何が問題で、どう解決したいのか、一つひとつが扉を開けていき、その人の心を豊かにしていく、心を楽にしてあげる、そういう智慧へとつながっていきます。しかし自分がまったく何も経験していなければ、何かしてあげたいと思っても、そこには何も出てこないかもしれません。
智慧の扉を開いても何も入っていない、いわゆるこれまでの経験の中で、何も問題意識を思わず、ただ流れで生きてきた、ただ言われるままで生きてきた、こういう生き方をしてきた人は、扉を開けても何も見つかることはありません。今までいろんな人と接してきて、こうしてあげれば良かった、もっとこうした方が良かった、こういうことが一つひとつ智慧につながっていきます。
もちろんそうすれば良かったということが智慧ではありません。こうした方が良かった、そう思ってその行動をとってもそれでもうまくいかなかった、いろんなことを体験していきます。そして自分なりにすべての状況において、こうすれば良かった、そうやって自分なりに見つけた真理が智慧となって身についていきます。
困っている人がいた時、とりあえず話しかけてみて何で困っているのか、何で苦しんでいるのか、それを聞いてあげる、またその聞き方も大事であり、上から目線で聞いていくとほとんどはうまくいきません。同じ目線で優しく相手を尊重する心で話しかけていく、その場合でもすべてがうまくいくとは限りません。
自分の身なりや外観、言葉遣いの一つひとつ、いろんなところで不快感を感ずる人もいます。したがってなるべくそういったとこには目を向けさせないようにして、ただ優しく相手の心に語りかけていく、そうすれば多くの人が心を開いてくれる、こういう智慧として身につけていくことができるでしょう。
こうやって身につけた智慧というのは、自分の経験から身につけたものであり、皆さん方が学ぼうとしている宇宙の智慧、仏の智慧とは異なってきます。人間的な智慧はいわゆる感情や概念において、相手を不快にさせない考え方、相手を不快にさせない言動の在り方であり、それはとても大切ですが、必ずしも相手の成長にはつながっていきません。
宇宙の智慧や仏の智慧は、相手を成長させる、相手に気づかせ、相手が自分で分かることができる。これが宇宙の智慧になるのです。しかし何か分からないことがあって、それを自分で気づかせるようにする、それはとても難しいでしょう。自分で気づかせるようにするために、その人自身が自分に問題があるということにどうやって意識を向けさせていくか、人のことしか見ていない人に自分の心に気づかせるにはどうしたら良いか、そこが大きなテーマになります。
ほとんどの人は人のことをよく観察していて、いわゆるうまくいかないことをすべて人のせいにもっていこうとします。人のせいにばかりしている人に実際には自分自身が間違っている、そのように気づかせるのはとても難しいものです。しかし実際には自分の嫌なことが他人の言動を通して見ている、他人の言動を見て嫌なことは、自分自身の嫌な心であり、自分と他人が鏡の関係になっている、これをうまく相手に見せていき、自分の心に目を向けさせるようにしていく、それができれば相手の目線を自分の心に向けさせることができるでしょう。
多くの人が悩み苦しんでいるのは、自分のことが自分で分からず、自分で自分を分かっていないのを人のせいにしようとする、そこから大きな間違いが始まっていきます。分からないのは自分のせいであり、人のせいではありません。教えてくれないという理由は存在せず、自分が分かろうとしていないだけのことです。
いろんな人の心の中に自分に都合の良い考え方をもってくる、自分の都合の良いように論理を進めていく、そうやって自分自身をごまかしている自分がおります。自分でさえも自分の心に騙されているのです。この自分の心の中で自分を騙そうとしている別の自分、まずそれに気づくことが必要となります。
自分の心の中で好き勝手に暴れている別の自分、自分の都合の良いように適当に人のせいにして、あるいは自分がだめだとして、好きなように暴れまわっている別の自分、この別の自分をしっかりと見つけていき、その正体を暴くことです。自分の心の中に自分ではない別の自分が存在し、自分の心の主導権を取ろうとしている。この別の自分は巧妙に人のせいにして、自分ではないかのようにごまかしていく。この自分の心の中の別の自分、これにしっかりと目を向けていき、これに騙されないようにすること。自分の心の中の別の自分に騙されない生き方をまず身につけることです。
別の自分は巧妙に巧妙に自分を騙してきます。油断するとすぐに別の自分が本当の自分であるかのように動き回っていきます。この自分の中の暴れ回っている別の自分、これをしっかりととらえ、これを見つけることができたら、この別の自分にコントロールされない生き方、別の自分に騙されない生き方、それを身につける必要があります。
別の自分にどうやったら騙されないで済むか。自分の中の別の自分、これは自分の中の欲望やエゴを現しており、少しでも自分が有利になりたい、少しでも楽になりたい、自分の心のエゴがそのまま別の自分として動き回っているのです。この心の中の別の自分、それは本当の自分とは別であること、自分の本心はまったく違うこと、まずそれをはっきりと認識してください。
自分の心の中で主導権をとっている別の自分は、本当の自分ではないこと。では本当の自分は何なのか。主導権をとることができない本当の自分、これはどこにいるのか。自分の心の中にあの時こうしてあげれば良かった、もっと相手のことを考えてあげれば良かった、自分の心の中で常に後悔している自分がいます。
ただ自分を否定するくらい強く後悔しているのはまた別になります。良いことをしようとして勇気が出せなくてできなかった、正しいことをしようとして恥ずかしくてできなかった、この本当は良いことをしたいと思っている自分がいろんなさまざまな別の自分の妨害にあって、良いこと正しいことができなかった。本当の自分はこの良いことや正しいことをしようとしている自分です。
でもそれが妨害にあって別の自分が騒ぎ出し、恥ずかしい、必要ではない、大丈夫、放っておけ、いろんなへ理屈を言ってきて、都合の良いように進めていきます。自分の心の中には、別の自分と本当に正しいことをしようとする自分がいます。正しいことをしようとする自分が主導権をとった時、別の自分に騙されず、相手のために人のために良いことをする、この自分が主導権をとった時、智慧が動き出していきます。
良いことをしよう、人のために何かしよう、そういう意識があると智慧の扉が少しずつ開いていくのです。しかし自分を楽にさせようとする、欲望のままに自分を進ませようとする、そういう別の自分が主導権をとると、智慧の扉は開くことがなく、開いたとしてもそこには何も入っておりません。
良いことをする、人のために何かしてあげたい、それが本当の良い自分で動いていけば、智慧の扉は開いていくのです。ただこの智慧の扉はこれまでの自分の人生でつくり上げた智慧だけではなく、宇宙や仏の世界に通ずる智慧、普遍の真理に近い智慧を手にすることもできるのです。
ただそのような仏の智慧は、すぐに手にすることはできず、本当に深いレベルで相手を生かす、相手のために良いことをする、これが必要となるのです。人を生かすと思っても結果的にうまくいかなかったり、裏切られたり、利用されたりしてしまう、そこでまたうまく考えていき、騙されないように、利用されないように、なおかつ正しいやり方で新しいことを行なおうとしていく、そういう積み重ねによって少しずつ智慧が身についていき、それを何度も繰り返すことによっていろんなタイプの人がいたとしても、その人にとって良いこと、その人のためになること、そういうことができるようになっていくのです。
こうやって仏の智慧に少しずつ近づいていく、すぐに仏の智慧を手にするのではなく、今自分が手にしている智慧、自分の心の中にある智慧、またこれを少しずつ消化していき、宇宙の智慧のレベルに引き上げていく、こういう作業が必要となるのです。今自分なりに自分の心の中にある智慧、こういう人にはこうしておけば良い、こういう時はこうした方が良い、そういう自分なりに身につけた智慧を一度整理していき、それをさらにいろんな人の場合でも通用するかどうか、さらなるいろんな人々に通用するように修正していき、多くの人にそれが通用するようにしていく、そうすることによって仏の智慧へと近づいていくのです。
仏の智慧は、ただうまくいくという状態だけではなく、相手にも考えてもらい、相手が自分で解決できるようにしていく、相手もそれを喜びとして受け入れていき、自分が成長する喜びを自分で感じていく、したがって答えを与えるのではなく、答えの出し方を教えていき、相手が自分で考えて、自分で答えを出す喜びを見出せるようにしていく、これが仏の世界の智慧になるのです。
何か困っている人、悩んでいる人がいた時、ただ答えを与えてもそれは智慧とはいいません。何らかのアドバイスによってその人が自分で考え、自分で成長していく、自分で答えを見出していく、そういう風にもっていかせるようにしていく、これが智慧の使い方になるのです。自分たちの身近な人一人ひとりを感じながら、何か相談された時、何か困っている人がいた時、ただ答えを与えるのではなく、自分で考えさせながら自分で答えを導けるようにしていく、そのための考え方、考える方針、いろんなものを与えていき、自分で答えを引き出せるようにしていく、これが智慧の使い方になるのです。
考えるということはとても大事ですが、今の皆さん方の世界ではただ答えを出すためだけの考え方になっています。したがって答えが簡単な時、イエスかノーか、単純な答えの時にすぐにどちらかが分かるようにする、すぐにイエスかノーかが分かる、そういう考え方を求めており、難しく考えるのではなく、すぐにイエスかノーかが分かる、まるでそれが頭が良いかのように考えております。
それは考え方を重要視しているのではなく、ただ答えだけを重要視している、しかし大事なのは、答えそのものではなく、考え方であること、どういう考えで、相手をまたどのように導くためにどう考えていくか、この考え方が智慧なのです。答えは智慧とは異なります。この考え方、相手自身も自分で考え、自分で答えを引き出せるようにしていく、この考え方が智慧であること、そのためにも普段から考えるということを行なっていってください。
答えに惑わされ、ただ答えだけを安易に出そうとする、そういう人は智慧を身につけることが難しくなります。答えだけを気にするのではなく、考え方に注意を向けておく、これが智慧を身につけるやり方であり、人間的な智慧を仏の智慧に引き上げることができるでしょう。大いなる仏の智慧を手にするために、考え方そのものに意識を向け、いろんな観点から考え、いろんな人々を幸せにできるようにもっていく、そういう智慧を身につけていってください。
常にもっと良い考え方を見つけようとする心が智慧を引き出していきます。今日皆さんが受けたイニシエーションによって、仏の智慧の世界の扉が開いております。これをどのようにして使っていくか、皆さんが人のために何かしたい、助けてあげたい、そういう時に扉が開きます。しかし扉が開いてすぐに見えてくるのは、これまでの自分の経験で身につけた智慧になります。
こういう時はこうした方が良い、こういう人にはこうしておく、こうやって自分なりに身につけた智慧が見えてきます。それをすぐに使うのではなく、その先をずっと見通してください。目の前にある智慧をすぐ使うのではなく、さらに奥のところ、仏の智慧のところを見ようとしてください。
そうすると人間世界の概念とは異なる仏の智慧が感じられてきます。仏の智慧を感じたら、その仏の智慧をしっかりと生かそうとして、今はこの人にはじゃこのようにしておく、今はこうする、こういう風に仏の智慧を今の状況に合うようにうまくもっていくのです。
目の前ですぐ見える人間的な知恵を使うのではなく、なるべくそれに惑わされないようにして、その奥に潜んでいる仏の智慧を見つけようとする、そういう意識を常にもっておくと、目の前には身につけてきた人間の知恵がだんだん見えなくなってきて、仏の智慧がすぐに見えるようになっていくのです。そのためにも自分が身につけた人間的な知恵に惑わされず、あるいはそれに執着することなく、常に普遍的な仏の智慧を感じようとしてください。
そして仏の智慧をうまく使って今はこういうやり方でこうしておく、そうやって一つひとつを仏の智慧でうまく処理するようにしていってください。仏の智慧の世界へのイニシエーションが行なわれ、扉が開いたことを祝福いたします。