20190328 of Central Sun Ascension Report

/マイトレーヤ/日本人のもつ自由さ/信仰や人種を超えた意識/新しい魂の子どもたち/国際化に向けて/カカロ/動物意識と人間意識/

2019/3/28 茨城特別セミナー:マイトレーヤ

このメッセージのいいねポイントは

信仰や人種に依存しない真の自由さを広げる


①日本人のもつ精神的な自由さ

私はマイトレーヤ。皆さんとお話ができることはとても光栄です。日本の方々と直接、話ができるのは数少ない機会であり、今日、話ができることを喜びとしております。

日本の人々から見た世界観と地球全体の人々がもっている世界観が、まったく異なっております。日本の人々は、やはりある意味では善良な人が多いということができるでしょう。もちろん全員ではありませんが、おおむね、大半の人は相手の心を尊重したり、相手の心のことを考えて自分の言動をとっていきます。

そして日本の人々は、世界のいろんな国々を、日本と同じような感覚で考えたりしている人がおります。しかし、現実的に地球におけるほとんどの国は、日本とはまったく異なる文化で過ごしております。日本の人々は、ある意味では自由がかなり通っています。皆さん方から見たら普通かもしれませんが、これだけ自由な国はそれほど多くはありません。

自分のしたいことが自由にできる。皆さん方から見れば、普通ですが、そういう国はきわめて少ないのです。親に対する言葉でも、親子の関係、地域、学校、会社、いろんなところにおいて日本人ほど自由に表現し、行動できるところは多くはありません。

いっけんアメリカが自由なように思うかもしれませんが、実際にはアメリカはさまざまな人種が共存しており、いわゆる黒人と呼ばれている民族、そういう貧しい人々の社会においては、ほとんど自由は尊重されておりません。白人のもつ自由は、どちらかというと支配者、支配する側の自由であり、心配される側の自由はどんどん味わったことがありません。そういう意味で本来の意味の自由を楽しんでいる国はきわめて珍しいのです。

ほかの発展している国々においても、ほとんどにいろんな民族が同居しております。これまでの歴史的なものや、戦争における、あるいは紛争における民族の対立によって、いろんな民族がかかわっております。日本はほとんどそういう民族の対立が表に出てくることがなく、あったとしても、それを分からないようにうまくまとめている状態になっています。

これだけ自由な日本の人々が世界を見たとき、おそらくほかのいろんな国々に入っていったときに、いかに日本が自由で、または女性も若い子供も自由が尊重されていること。表現が自由・尊重されている。そのありがたさを初めて感ずることになるでしょう。この日本の人々が世界に向けて貢献できること、世界に働き掛けできることとして何があるか。

本来、日本人がもつこの「精神の自由」、この精神の自由をもっと分かりやすく具体的に言うと、神の自由、信仰の自由ということになります。日本ほどさまざまな神に対しておおらかで、自由で、ほかの信者を束縛しない、制限しないという国は本当に珍しいということができます。

多くの国は宗教的なものが背景にあるために、必ず何らかの神の思い、信仰。習慣でさえも信仰からくる習慣が多く身についております。この日本という国は、それこそどの宗教もすべて日本において、そのまま信仰通りに実践することができます。

ほかの信仰の異なる宗教の人がいたとしても、その人その人の信仰に任せ、ほかの信者に介入することはありません。こういう素晴らしい自由、いろんな面における自由をどうやってほかの国々に広げていくか。ほかの国々に普及させ、本当の自由を味わってもらうか。それができると本当に世界は変わっていくと思われます。

自由の先を走っているというアメリカ人でさえも、日本にきて、これが本当の自由だということを味わっている人がたくさんおります。いちばんそれは感じてるのが、黒人と呼ばれている人であり、日本にきたとき、まったく差別されていない。アメリカでは普通に差別されている、当たり前のように差別されていたことが、日本では文字通りまったく差別されていない。

この心の自由。皆さん方から見れば普通で、当たり前で、問題にすらしたことがないことが、世界の国々においては、問題がないということ自体が問題になっているのです。この日本人の心にもっている自由、これは本当に貴重なものということができます。ただこの日本における自由も、最近はそのマイナスの面も出てきております。いわゆる好き勝手なことをしてもよいという自由、ルールを破ってもよいという自由、犯罪をしてもよいという自由。そのような極端な自由も現れてきております。

皆さん方が先ほど話していた良心が欠如してきているからです。良心があれば自由を本当に尊重して、それぞれの自由を認めることができます。しかし、良心がなくなってきたとき、自由はだんだん制限付きの自由に変わっていきます。制限付きの自由が自由といえるかどうか。

今の先進国、先進国における自由は制限付きの自由になります。その制限が極端な場合、人種差別に入ってしまったり、何らかの階級的なものや民族、そういったものの制限による自由になってしまいました。日本人は、そういった意味ではそういう制限のない自由を現してきましたが、だんだん良心が欠如してきたことによって、制限付きの自由が現れようとしてきています。

皆さん方が制限付きの自由をこれから進めていくのか。それとも良心を復活させ、制限のない自由をさらに広げ、定着させていくか。このどちらかを選ぶことになります。国としては道徳というのを教育課程に入れて、良心をベースにした自由を尊重しようとしております。

でも現実に皆さん方が予想している通り、それで良心がすぐに目覚めるかどうか。先生自体がまだ身についていないという話がありましたが、正直にいうと、今の親、両親が良心を身につけていない状態になっております。

良心そのものが、今、消えかかっており、これを復活させる、あるいは新しい良心を身につけさせるためにどうするか、これが大きなテーマになっていきます。国に任せていても時間がかかるだけで、世の中に広がるときにはもう別の基準のものが現れているでしょう。常に国が決めたことが広がる頃には、もう次の世界に変わっております。

したがって国がやる前に、皆さん方自身が自主的に良心を広げていく。あるいはこれからの時代に合わせた道徳を新しく作り出し、広げていく。そういう必要性が出てくるでしょう。まず、皆さん方自身か。自分たちが今、感じている世界観の中で、良心、それをどのように理解し、表現し、まとめていくか。

そういったことに取り組んでいくと良いと思われますが、カリキュラムにしてしまうと、どうしても評価しなければならない、採点しなければならないことになってしまい、本当の道徳や良心ではなく、あくまでも知識の世界に入ってしまいます。

良心は実際に行動できること、行動できる方針になっていくために、知識ではなくなっていきます。知識を前提とするのではなく、行動の在り方、その方向に向けて取り組んでもらうことも一つの方向性としてやっていただきたいと思います。

これまで皆さん方のはスピリチュアルな学びという意識で、いろいろ新しい世界を学んできました。このスピリチュアルな学びもだいぶ進んでいくと、皆さん方が新しく学んできたことは普通の人のレベルへと広がっていき、皆さん方はまたさらにその先のスピリチュアルな世界に入っていきます。常に皆さん方は理解したら次の世界、理解したらその先へと進んでいきます。

多くの人にとって先ほどの良心や道徳的なもの、そういったものが一つの基準になりますが、やはりスピリチュアルという観点で見て、世の中に広がるべきもの、広がってほしいものが現れてきます。皆さん方の場合は、何か問題が起きたり、解決法が分からないとき、ガイドに聞いてみたり、ハイアセルフに確認したり、タロットで占ってみたり、いろんなスピリチュアルな方法で解決法見つけることができます。

皆さん方がそうやってスピリチュアルな世界に入ってきた。それと同じことをこれから普通の人に広げていく必要があるでしょう。普通の人はいきなり難しい話をされても、やはりついてこれない状態になるために、普通の人が理解できる世界を皆さん方が見つけ、まとめていく必要があるでしょう。先ほど話した良心や道徳の世界、これは多くの人が興味をもつものと思われます。

世代が異なったり、それぞれの地域の違いやいろんな差があるときに、道徳的なものや良心によって一つの方向性を提言する。方向性が分かればあとはそれぞれの世代、年代や地域、その違いをただ考えるだけで、何らかの解決策を見つけることができます。

こういう意識が身についてきたとき、次のスピリチュアルな方向性として、タロットや何らかの癒し的なもの、心の癒し、トラウマ、あるいは新しい子供たちの育て方、特に魂を感じて魂の波動から出てくる育て方や親子の在り方、そういう子供や学校などに関して、スピリチュアルな情報がかなり必要になってきています。

魂の違いによる行動の差はとても大きいために、やはり新しい魂の子供たちに対してどのように接していくか。どのように親子の絆を作り、どのように社会とのつながりを作り上げていくか。やはり普通の人にとっては子供をうまく理解してもらって、魂、心の在り方、育て方、あるいは癒やし、そういったところを通してスピリチュアルな情報を入れていく必要があるでしょう。

またこの子供が入ってくる段階に入ってくる段階において、親子の関係と同時に夫婦の関係、あるいはおじいさん、おばあさんと夫婦や子供の関係、家族が一つの大きなテーマになっていくでしょう。初めは子供を相手にして子供とのやりとりでスピリチュアルな世界に入ることはできますが、だんだん家族の問題になってきたときに、家族でのスピリチュアルな話題が必要になってくるでしょう。

家族になってくると、元々、父親も母親も育ちが異なっており、生き方も異なっており、ましてやそのおじいさん、おばあさんになってくると、考え方がまったく異なってくる場合があります。育ちが異なってくる、考えが異なってくる、場合には宗教が異なってくる。こういう人々が家族として共存する、子供を育てる。そういう世界になってきたときに、スピリチュアルな情報をどのように生かし、それを活用させていくか。これはまた次のテーマになってくるでしょう。

皆さん方から見て、やはり一番やりやすいのは子供のことを思ったときに、どうなるか。子供の将来、子供の才能を生かす、子供を優先にするという発想があると、うまく流れる場合があります。日本の戦前の場合は子供よりも家柄を大事にする、男性的な社会・男性的な家系を大事にする。これが戦前の基準でしたが、今はその基準がだんだん外れてきており、子供を中心にする考え、個人を尊重する考えにかなり変わってきております。

したがってそのとき、ただ子供の自由、子供の好きにさせるのではなく、やはりある程度、親が方針を出したり、親が方向性を表す必要があります。子供の将来を大事にしながらも、子供の魂を尊重し、子供の考え、やりたいことを尊重しながら、家庭として、どういう育て方が良いのか、どういう夫婦の形態、どういう家族の形態がよいのか。それを家族の中で見つけていく必要があるでしょう。

今、すでにそういう問題が起きているところがたくさん現れております。ほとんどの場合が、分裂してしまう家族がとても多く見えております。やはり子供の自由にさせようとして、子供の言う通りにさせてしまう両親の場合は、どうしても子供がわがままに育ってしまい、はじめのうちはよかったとしても、思春期を過ぎた頃には親子でさえもバラバラになっているところが多く見受けられるております。

子供を自由にさせるということとわがままし放題はまったく別であるということを理解してもらう必要であるでしょう。ほとんどの今の親が、自分が子供だったとき、親にあまり愛されていなかった、自分が自由に好きなことができなかった。そういった親に限って、子供を自由にさせてしまうか、あるいは同じように子供をコントロールしてしまうか、どちらかに進んでしまいます。

どちらも問題を起こしてしまい、なかなかよい家庭の在り方にはなっておりません。子供の意志を尊重しながらも、家族で方向性を確認し、そのために皆でどう協力し合うか。そこを本当に考えていく必要があるでしょう。

何でも一つの方向だけ決めて、あとは勝手にただ任せてしまう。あるいはそこにいくように無理やりコントロールしてしまう。そういう形態がとても強いために、一人ひとりの考えが尊重されていないことがとても多く伺うことができます。

やはり家族を構成するメンバー、一人ひとりを正しく尊重する。一人ひとりの考え、人生、行動を尊重しながら、家族として一つにもっていくために、どうするか。そういう話し合いそのものがなされていないことがたくさんあります。まずそういった話合いをもつ場を作り、そしてお互いどういう考えなのか。何を人生の方向性にもっているのか。子供のためにどういう設計図がふさわしいのか。そういったことを考えていきながら、そこに心や生き方、人生を考えていった時に、やはりスピリチュアル的な要素がどうしても入ることになります。

それぞれの、いわゆる魂的なもの、その人の特性、そういったものを考えたとき、家族のメンバー、一人ひとりが全部異なる魂であり、異なる波動である時に、どこをどうまとめていくのか。そういったことがいろんな考をさせることになります。

これまでは一人ひとりの魂を考えることなく、家はこうだ、この家庭はこうだ、という方針が先に作られておりました。これからは一人ひとりの魂を本当に感じ、魂を尊重しながら全体としての方向性を家族皆で作り上げていく。お互いに魂が喜ぶ方向へと方針を作りながら、協力し合い、一体感をもってそれぞれが自由に行動できる。そういう家族の在り方、それが求められていくでしょう。

皆さん方がそういう時代に入っていくことになりますので、今のうちに早め早めに考え、試行錯誤を通して、自分たちに見合ったやり方を身につけるようにしていってください。

それではここまでにいたします。ありがとうございました。

②自由な心をどうやって拡大させていくか

マイトレーヤです。日本人のもつこの自由な心をどのようにして、国際的社会に広げ、実現させていくか。日本の人々においても、確かに地域や育ってきた環境、それぞれの地域社会によって心の自由さは変わっているでしょう。ただ、日本人である共通点として、ある程度、やって良いこととやってはよくないことという暗黙の了解のようなものがあります。

日本人として共通の意識のレベルで、やはり従うべきことや、従ってはいけないところ、暗黙の了解のところがあり、そのレベルにおいて、ほかの国々とはかなり特殊なところが入っております。宗教的な概念、民族的な概念、人種的な概念、こういったさまざまなレベルの概念、習慣、制限がありますが、日本人はそういう人間自身を差別する概念はそれほど身についておりません。

確かに昔は、人種による差別は存在したことがありました。今はなるべくそれは表に出ないようにうまく進められているために、日本で住んでいるのであれば、ほとんどを人種的な差別を感ずることがなくなっております。それでも日本の人々の心のレベルにおいて、何も初めから感じていない差別の意識と、差別を理解していながら差別していない意識では少し異なっております。

日本の人々は差別を知らないで差別をしていないのと、やはり国際的に見た場合に、差別を知っていながら差別をしないのとではかなりの重荷が違っております。日本人が国際的に働きかけるためには、まずその重みを知る必要があるでしょう。実際に国際社会においては、さまざまなレベルの差別があること。貧富の差もそうですが、家柄なり出身なり、宗教、さまざまなレベルにおいて何らかの差別が行なわれております。

日本人自身は、今はそういったことがあまり表に出てこない。表に出てこないために気づかない。気づかないから、自分も意識化せずに行動することもない。そういう人々が増えてきているために、若い人たちに限っては、差別意識をもたない人たちが増えております。

国際社会に訴え上げていくときに、この初めから差別意識を知らない、こういう子供たちが人類、皆兄弟として普通に接していく。本当はこれが理想的になります。ただ現実的に国際社会そのものは、さまざまなレベルでの差別が存在し、差別をなくそうとしても、差別があることを前提とした差別を取り除くやり方になっていき、日本人が差別をなくそうと活動しようとしても、ある意味では説得力がそれほどないということができます。

もともと差別の問題に何百年も悩まされていた人たちから見たとき、日本人の一言で変わるかどうかは人によって異なってくるでしょう。日本人の思っている通りに、初めから何も差別を感ずることなく、初めから対等に、平等に扱ってくれる、くれるそれを好む人も当然いるでしょう。その一方で差別があるということを理解した上で、差別をとってくれる。これを期待している人たちも数多く残っております。

初めから何もなかったかのように平等に接するのではなく、差別されていた、あるいは差別されている、それを理解した上で差別をとってほしい。こういったことを求める人もたくさん残っております。

日本人は、初めから差別を認識してない人にはとても効果のある働きをすることができるでしょう。何も違和感なく、そのままどんな人も対等に接していく。対等に接することによってそれが普通になり、差別意識も消えていく。こういう方面においては、日本人は強く貢献することができるでしょう。

差別意識をもっている人たちに、差別をなくすような意識をもってもらう。そのためには差別をしている時よりも、差別してない時の方が明らかに明るく元気で、良い方向へと人々を連れていく。差別ない方向で人々の社会が明るくなったり、元気が出てくる。こういったことが確実に保証されるのであれば、そのやり方は広がっていきます。

しかし、ただ単純に差別をなくす、差別を取り除くという意識だけだと、現実的に難しいことが多く、また新たなる差別を作り出してしまう場合があります。したがってそこで皆さん方が、自分だったら何ができるか。自分ができる差別のない心はどういうことか。それは一人ひとりが自分で挑戦し、自分で見つけ、行動していく必要があります。

差別のない社会をどのように実現するか。単なる理論や頭だけの問題ではなく、現実に生きている人、現実に生活している人を中心に考える必要があります。皆さん方はそのレベルで自分の家庭を見返したり、新しい家庭をイメージしたりして、自分の最高の生活がうまく進んでいくように、工夫をしてみてください。

③新しい魂の子は素直さがカギ

新しい魂の子供たちが増えてきたとき、その子供たちとの接し方やその子供たちの自由な生き方、その子供たちにふさわしい教育の仕方、そういったものにどういうやり方が必要で、また大人たちはどのように育てていくか。新しい魂の子供たちも実際には年々変化しており、あるいは進化しており、これまでの情報や教えと異なるところが現れてきます。したがってただ知識として身につけていても、現実的な言動ではうまくいかない場合もあります。その辺は各自で自分で工夫したりして、良い方法見つけるようにしてみてください。

今、新しい魂の子供として多いのは、やはりインディゴの魂の持ち主ですが、このインディゴの新しい魂の人々は、自分が否定されたり、拒否されたりすることに、とても強い反応を起こしていきます。自分を否定されると自分が本当に何もできなくなってしまう。本来の力がまったく動かなくなります。この子供たちは、自分は自分で進化を進めようとしていきながらも、やはり社会とのズレを大きく感じてしまい、結果的に何をやってもうまくいかないという意識が動き出していきます。

こういう新しい魂の子供たちは、同じ良い魂の人々たち同士では会話ができたり、問題もうまく解決することが可能になります。しかし、そこまで進化していない人の場合は、自分自身の身につけてきたさまざまな概念や観念、そういったものの影響を強く受けてしまいます。いろんな人々からの影響をそれほど受けることなく、ただ素直に行動に移す、素直に行動で現していく。この素直さが重要になっていきます。

素直さをどのようにして身につけていくか。人間はどちらかというと、戦いながら成長する。戦うためには、勝ちを理解する必要があり、勝つためには負けるということをしないようにする。こうやってできるだけ負けないように、こういう意識で育ってきたのが、今の人々になります。

新しい魂の子供たちはとても繊細な感覚器官をもっているために、大人の考え、大人の思いをかなり受け取りやすくなっております。大人の考えていること、周りが考えていること、皆が考えていることをすぐに感じてしまい、それによって身体自身が硬直してしまったり、動けなくなったりする場合があります。

まず大人は子供のすべてを受け入れる意識が必要でしょう。言っている内容だけではなく存在そのものを受け入れてあげる。生き方、考え方の一つひとつを受け入れてあげる。こういう受け入れるという意識が要求されてきます。この受け入れるという、親や先生たちの立場と、子供自身の、いろんなことを自由にやって広がっていきたいという意識、この違いがうまく噛み合って、新たなる自分たちの生き方を作ろうとしております。

基本的に魂は一人ひとり個別のことが多く、分類できたとしても、いざ人間として接する時は魂だけではなく、遺伝的なものや個人的なものも大きく影響を与えていきます。親はそこを理解する必要があるでしょう。インディゴだから単純にこうなるとか、そういう見方は当たらなくなります。同じような状態、同じようなものであったとしても、人間としてはまったく異なる場合があります。

したがって自分たち自身も、学びを続けながら成長を続けていく。その方向性を正しく理解していき、自分たち自身が正常な流れの中で進むことができるようにしていってください。

④国際関係・民族問題は共存の意識で解決

日韓関係がどうなるかという質問がありました。民族同士の問題はとても大きく、ある意味では先がまだ決まっていない、先が見えていないという状況があります。国同士の紛争のレベルになってくると単純に理解することは難しく、必ず背景にいろんな問題が入っております。

過去のさまざまな問題を振り返りながらも、それを無事に解決していく。そのためには、それこそを智慧を身につける必要があります。単純に論理的に「○」か「×」かを考え、○の方だけで進めるとすると、実際には大きな大きな問題を抱え込んでしまいます。日本と韓国は、ある意味ではシンボル的なものが入っており、仲の良い国民性と仲が悪い国民性の両方のモデルがうまく使われております


仲の良かったころは、それぞれのやりたいことやしたいことが明確に作られており、その方向性に向けて一体感や、協力関係がそういう意識で成長することができました。しかし今はそのバランスが崩れてきており、すべてをうまく完璧に行なうことが困難になっております。

現実的にいろんな問題があったとしても、皆さん方自身は戦うのではなく、共存する、協力し合う、この意識が必要になります。直接的に戦うのではなく、ただ心でお互いを尊重し、お互いが良い方向へ向くように意識をもっていく。この意識が重要になっていきます。

いずれこのエネルギーが大きくなってきて、いろんな国々における援助や手伝い、いろんな人々が現れてくるでしょう。日本のこれからの発展のことを考えたとき、あまり限定させたり、小さなことにこだわらず、大きなレベルでまず進めていく。大きなレベルでお互いが理解できるようにする。そういう力が必要になります。これからの皆さん方の新しい活動において、ぜひこの新しいスタイルの手法、スピリチュアルなトレーニング、いろんなものが即時にできるように育てていってください。

⑤カカロ

カカロと言います。皆さんとお会いできて光栄に思います。人間と直接触れ合うのは久しぶりですが、だいぶ慣れてきました。最初はとても怖かったのですが、だんだん分かってきて、慣れてきて、それほどを怖くはなくなってきました。それでも動物の集合意識から比べると、人間の意識はとても荒い、怖いという感覚が時々、くることがあります。

この怖いという感覚は、ある意味では人間の進化の状況によって作られた意識ということができるでしょう。皆さん方から見れば、動物が戦っている、動物が獲物をとるために追いかけ、戦っていると見えているでしょう。

人間がそういう意識で動物を見るのは、人間同士がいつも戦っており、人間が戦って、勝ったものがすべてを手にするという意識を身につけているからです。動物が動物を襲って、そして食料にするという現実は、本来、人間がもっているような食物の競争ではなく、単純に、いわゆる捕まる方は初めから分かっていて、許可をもって自分の身体を受け渡しております。襲われているという発想ではなく、単純に生命を預けている。あるいは生命を提供するという感じになります。

なぜ逃げるのか。これは人間には理解できない仕組みであるために、言葉ではとても難しいのですが、どの生命あるものも、必ず生きるために最善を尽くすということが要求されております。最後の生命が与えられたとする。もうここで最後という状態になったときに、それでも最善を尽くすという生命の法則によって、できるだけ生き延びようとする。できるだけ最後まで生きようとする。この生命の意識が動いていきます。

自分は別のものに身体を渡すという、そういう状態になったとしても、すぐに渡すわけではなく、生命として最善を尽くして生き延びる、最後の最後まで正しく生きようとする。この力が必要になるのです。この生きようとする力、それによってさらに長く生きられるようになったり、生命が強くなって魂に受け継がれていきます。

もし、相手に生命を預けてしまうという状態になり、すべてを諦め、そこでそのまま生命を差し出したとしても、それを自分のものにしたら、相手はそのまま自分の食料にするのにはとても考えるところが出てくるでしょう。

その生命をもらって本当に大丈夫なのかどうか。最善がまで生きたという力のない生命をもらって大丈夫なのか。そういう意識になります。どうせ獲得するのであれば、最大限に生きた生命を獲得する。最後まで必死になって身につけてきた生命を獲得する。それが相手に対する敬意になります。

どうせ生命を預けるのであれば、強い最強の生命を相手に受け取って欲しい。そのために最後できるだけ最善の生命を使い、たやすく相手に生命を渡すことはしないようになります。この辺の論理は人間には分からない仕組みになるでしょう。

もちろん人間がそうなれという意味ではありません。人間は人間のレベルでの生命の法則、生命の仕組みがあるために、人間は動物の真似をする必要はありません。あくまでも動物の世界におけるルールであり、では人間は人間の世界でどういうルールを作るのが良いのか。どういうルールがあると良いのか。それを皆で考えてもらう方が、よほど人間のためになります。

人間が最大限に生きる。そういう一つの意識と、動物同士がお互いに理解し、分かり合っている状況の中で、それでも最大限の生命を提供する。そういう動物の世界。それぞれの世界によっての法則が異なり、ルールが異なり、実際に在り方も異なってきます。

ただ、人間が動物から学ぶべきものは、まだまだほかにもたくさんあります。人間は、勝手に自分たちがすべて分かっている。自分たちは最高の生き方をしている。そのように思っている人が多いかもしれません。しかし動物の法則に照らし合わせると、人間は必ずしも進化しているわけではなく、また間違いも頻繁に行なわれております。

そういうことを自覚し、理解しながら、それでも人間としての道を進み続けていく。こういう心を身につけていくと、とても素晴らしいヒーラーになり、素晴らしい力を手にすることができます。

皆さん方がこれからまだまだいろんなテクニックを身につけ、社会に貢献し、動物にも貢献する。そういう流れに入り、自分自身を豊かな人間として育てていくことになります。自分を成長させる、ほかの多くの人々を進化・成長させる。そういう流れの中でそれぞれがふさわしい言動をとるようにしていってください。

それではここまでにいたします。ありがとうございました。






※個人アドバイスは省略します。

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