2014年11月レポート

2014年11月のレポートから

 11月は特別ワークがあります。11月1日~3日は「新しいパラダイムへの扉」です。天使や高次元の存在たちから私たちの人智を超えた話をいただきます。2015年は大事な年ですので、それに向けて私たちの考え方などをどう変えていくかなどを学びましょう。富士五湖ワークは14日(金)~16日(日)の週末版だけになりました。まだ間に合いますので、予約はお早めにお願いします。
 季節の変わり目ということもあり、体調を崩している人も多いようです。セミナーに来る場合は体調万全でくることが望ましいですが、万が一、咳などが出始めた人はマスクなどを用意するなどして、他の人に迷惑がかからないようにご協力をお願いいたします。こちらでもマスクなどは用意していますので、もし必要なときは一声かけてくださればと思います。よろしくお願いいたします。

感謝の心

 勤労感謝の日は戦前、新嘗祭(にいなめさい)と呼ばれていました。労働の産物として得られる農作物の恵みに感謝をするものです。でも勤労感謝の日、となってしまうと単に労働を感謝する感じになってしまいますね。労働の対価も賃金になってしまい、金銭に感謝するという感じになってしまいます。現代では、仕事とは金銭を手に入れる行為になっており、賃金に対する感謝の気持ちは薄くなりました。もらうのが当然の権利、という感覚ですかね。お金をもらって当たり前、ただ働きはありえない、少しでも多くもらいたいという感じです。

 勤労感謝の日って、具体的に何をする日でしょうね。新嘗祭は五穀豊穣を祝い、天皇が天照皇大御神に対し、新穀を捧げる儀式でした。戦後、GHQが勤労感謝の日と変えました。神や儀式的なことをことごとく日本から葬り去るためにこのような名前になってしまいました。勤労感謝の日となっても、私たちはお天道様や自然の意志を尊重し、農作物に感謝をしながら、生きていく心を忘れないようにしましょう。

人生は理不尽

 人生を生きるうえで理解できないことがたくさんあります。一人ひとりは平和を願い、豊かで、幸せな人生を求めています。にもかかわらず、現実はかなり違って見えます。自分なりに処世術をつくり、宇宙の法則を理解し、愛をもって接しようとしても、まったくうまくいきません。何でこうなるのだろう、どうしてこうなるの。不思議ですね。


 論理的にみても理不尽なことが続きます。感情的にみても心が乱れることばかりが現象化します。一人ひとりは、皆よい人で、それぞれが平和になろうとがんばっているのに、現実は分離と混乱に向かっています。社会は、経済的に見ても、能力的に見ても、多くを手にしている人とわずかなものしか手にできない人に分かれていっています。


 お釈様の最後の経典の中に『忍の徳は、いかに戒法をよく守り、どんな苦行を修することよりも優れている』と説かれているそうです。お釈迦様はこの世を娑婆界(しゃばかい)といいましたが、娑婆とは、サーハと言う梵語を音訳したもので、訳せば忍土(にんど)ということだそうです。この娑婆界に生を受ければ、とにかく、いろいろなことに耐え忍んで世渡りをしていかねばならない、と教えています。お釈迦様は婆羅門の難で90日間、馬麦を召し上がられた時も、提婆(だいば、お釈迦様の従兄弟の名前)が殺そうとした時も、釈迦族がコーサラ族に滅ぼされた時も、黙って静かに忍んでおられました。


 憂い目、つらい目、痛い目、悲しい目、悔しい目、寂しい目、とんだ目、思いもよらぬ目、たまには楽しい目や嬉しい目もあるだろうが、種々さまざまな目に遭遇して、耐え忍んで生きていかねばならない。このようにして、人としての樹木の芽も生じ、やがて花も咲き、実も結び、一人前となって繁る大樹となっていく、という教えです。


 人間の大罪はせっかちである、という言葉があります。私たちが学んでいるのはせっかちなことばかりではないでしょうか。他人より遅いと劣っているかのように感じてしまう。うまく進んでいないように感じる。人生の落伍者のように感じてしまう。人生がうまくいかない。そしてせっかちになる。日本の教育システムはせっかち人間を大量生産しているのではないのでしょうか。


 道元禅師が中国に行かれ、『仏様の御精神は柔軟心(にゅうなんしん)といって、やわらかき忍の徳の心である』ということを聞いたそうです。帰国して、道元禅師は、手を組み、足を組み、背骨を真っ直ぐに伸ばし、呼吸を整えて坐れば(坐禅)、たちどころに「柔らかき心」になるといわれたそうです。


 人生は、良く生きようとして生きるものではないのかもしれません。そもそも良い人生も悪い人生もないのかもしれません。生き方が問題であって、一瞬一瞬、どうやって生きていくか。今の私たちは、スポーツでいえば基礎体力を築き上げている段階、習字で言えば簡単な日本語を何度も何度も書いている段階なのです。人生の基礎を身につけるために「柔らかき心」をつくり、ひたすら「忍の徳」を身につけている段階なのです。今の段階で「人生をよく生きよう」と考えていること自体が傲慢なのではないでしょうか。与えられた現実をただ感謝をもって受け入れる、不平不満を言うことなく耐え忍んで受け入れる、どんな苦でも受け入れる柔らかき心を身につける。それで大樹になるのでしょう。

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