2014/8/11 ブッダ意識 |
このメッセージのいいねポイントは |
私がない世界でただ流れだけを眺める |
①私という意識が苦をつくる
私はアーナンダと呼ばれていたものでございます。今日、お話できる機会が与えられ、とても光栄に思います。皆様がブッダ意識というお話を聞きたいということで、お話をさせていただきます。
私たちにとってブッダ意識というのはとても高い高い意識が感じられておりました。最初、お釈迦様に会ったときも、私たちとはまったく異なる発想を行なっており、別人のように思われ、私たちはとうていそこには及ばないという感覚がありました。
それから30年ぐらい修行する間に、お釈迦様の言おうとしている感覚が先に分かるようになったり、お釈迦様の感じているものが私たちにも同じように感じられることが起こってきました。その感覚が皆さんのいうブッダ意識というレベルの感覚と思われます。これは人の考えが分かるとか、ほかの人の思いが伝わるという意味ではなく、高い意識レベルに到達すると、同じ意識レベルのことが感じられてくるのです。普通の言葉が感じられるという意味とはまったく異なり、同じ世界にいるものたち同士で感じられてくるのです。
このブッダ意識について言葉でいくら説明をしても、ブッダ意識が感じられるわけではありません。いかにブッダ意識に感ずることができるか。いかにブッダ意識の世界に皆さんが入っていくか。そこが大きなテーマになります。
人間の普通の考え方は自分を中心に考え、自分個人の固有の心の動きをもっております。私はこれが気に入らない。私はこれが喜びと感ずる。人それぞれの喜びがあり、人それぞれの苦しみがあります。自分の心の動きをほかの人も皆、同じだと思って自分のしてもらいたいようにほかの人に押し付けていく。皆、自分がしてほしいことをほかの人に求め、自分中心の考え方で進めていきます。
これが普通の人の考えの世界であり、その世界で生きている人にとってはそれがすべてになり、お釈迦様はそういう心の世界には幸せはないこと、そういう心の世界で苦しみがつくられ、苦しみを広げていくことを教えていました。普段の心の動きは苦しみを感じ、苦しみをほかの人に広げていく。こういうことを行なっていくのです。苦しみから逃れたいと思う、ほかの人に何かしてもらおうとする。自分の苦しみを取り除いてもらう。自分に喜びが来るようなことを求めてしまう。こうやって苦しみの世界から解放されようとしております。
これは苦しみを減らすのではなく、余計に苦しみを広げていきます。苦しみをつくり出しているのが、自分の考えや心の動きであること。自分自身が苦を生み出していること。それに気がついたとき、どのようにして苦しみを取り除いていくか。自分自身をなくすといっても、心の動きは常に働いており、次から次と苦しみがつくられていきます。
お釈迦様が頻繁に言っていた言葉に、苦しみをつくり出しているのは自分のことを考えているから苦しみになること。自分という意識が苦しみをつくり出していること。自分という存在を忘れ、大きな観点で世界を見たとき、そこに苦しみはあるだろうか。一見、苦しみのように見えても、その中の一人ひとりの人間が苦しみと感じているだけであり、全体で見れば、苦しみというものが全体にあるわけではない。
私という考えが苦しみをつくり出していく。この私という考えがなぜ起こるのか。私ではないものと私が存在する。私という意識があると同時に、私ではないという意識がある。そうすると、苦しみが生まれていき、私ではないものに私の苦しみを取り除いてもらおうとする。
私ではないもの、私であるもの、これがすべての始まりであり、私を大事にする、私を良くしようとする、私の苦しみを取り除こうとする、これがすべての苦しみの始まりになります。なぜ私という言葉が生じたのか。私という言葉は何を教えようとしていたのか。
ブッダ意識という世界には、私という言葉が存在しません。ただあるがままを見つめ、物事の動きをただ感じているのです。そこには私はなく、私でないものもあります。すべてが私であり、またすべてがひとつのものでもある。その中でただ変化している。ただ変化だけが感じられるのです。その変化はどこから起こるのか。それは私という意識をつくり出しているものから変化が起こってきます。
私はこうしてほしい。私でないものにこうしてほしい。そういう私という思いをもっているものから動きがやってきます。そのさまざまな動きをブッダ意識の世界ではただ眺めているのです。私から訪れてくるさまざまな動き、それをただ観察していると、その動きに一つのパターンが感じ取られてきます。
基本的に皆、幸せを求めている。皆が平和を求めている。自分が幸せになりたい。自分が平和になりたい。すべてが自分であるとき、すべてが平和であり、すべてが満たされています。ブッダ意識の世界ではこのようにすべてが平和で、すべてが満たされ、それぞれの望んでいる良いことしか見えておりません。なぜそれが私という世界にいたとき、苦しみを感ずるのか。
苦しみと感じているものは何なのだろうか。それをとらえていくと、思うようにいかない、願っていることがうまくいかない、願ってもいないことが起こる。そこに苦しみを感じているのです。
私という意識があまりにも小さいために、大きな観点で見ることができず、小さな私が苦しみを感じ、大きな私は全体の動きの中ですべてを理解し、すべてを認め、すべてをあるがまま許しております。苦しみをつくり出すのは、小さな自分、そして本当の自分はすべてを許している。この小さな自分は肉体の中に閉じ込められた自分であり、肉体の自分しか知らないのです。
まだ肉体の自分しか知らない自分がすべての自分のような勘違いをしてそれが苦しみに感じられていくのです。肉体に閉じ込められた小さな自分、これが苦しみを感じたとしても、大きな自分をそれをすべて理解しており、ただこの小さい自分は小さい自分しか知らないために、大きな自分につながることができず、ほかの小さな自分に意識することもありません。それゆえに苦しみが広がり、苦しみしか感じられなくなるのです。
この小さな自分がつくり出す苦しみ、小さな自分が自分のすべてと思っていること、これが大きな勘違いであること。自分は一部の肉体だけを請け負っており、大きな自分の一つの観点だけを自分が見ている。ほかの人は大きな自分の一つだけをまた担当している。一人ひとりが大きな自分の一つを担当している。大きな自分のできるだけすべてを知ろうとして、たくさんの人間をつくり、いろんな人間の目を通してすべてを見ることができるようになり、いろんな人間の口を通してすべてを語ることができるようになり、いろんな人間の手を通してすべての行動がとれるようになる。人間はそのようにつくられております。
元々、自分の身体は本の一部だけを見ている。ほんの一部だけを感じ、ほんの一部だけを語り、ほんの一部だけを行動する。そのようにつくられているのです。ほかの人は自分のできないことを行なうようにつくられていること。一人ひとりがそうやってつくられ、お互いに協力し合うことによってはじめて本当の自分がしたいことを行なうことができる。
多くの人が自分ひとりですべてを理解し、自分ひとりですべてを見よう、自分ひとりですべてを語ろう、こういう意識をもち、それによってできないことがどんどん増えてしまい、苦しみをつくり出していくのです。元々人間は多くの人と協力し、皆で見て、自分は自分にしか見えないことを見ていく。皆で語りながら、自分は自分にしか語れないことを語る。皆で行動しながら、自分は自分だけしか行動できないことを行動していく。
皆さんがブッダ意識につながれば、すべての自分を感じながら、その中で自分が行なえること、自分が見ることができるもの、自分が語らなければならないもの、それが感じられてきて、自分は自分の行動に満足できるものに喜びを感じ、ほかの人はほかの人の言動に喜びを感ずる。こういう感覚が感じられてくるのです。
ブッダ意識につながるまでは、まだこういう感覚が伝わってくることがなく、ただ頭で理解するだけで、ただ分かったつもりの行動だけになっていくのです。ブッダ意識につながると、すべてを許すことができ、自分がどのような状況になっても、すべてその意味が分かり、誰一人責めることもなく、自分を責めることもなく、ただすべてが完璧にできていること。すべてが完璧な行動になっていること。それが感じられてくるのです。
皆さん方がこれから学びを重ね、自分の意識を成長させていくとき、自分だけがんばろう、自分だけ成長しようとすると、ブッダ意識につながらなくなっていきます。自分という存在が何なのか。それをよく考える必要があり、自分と他人を分離する考えを持っていると、苦しみが生じ、ブッダ意識につながらなくなります。いかに自分と他人の分離を取り除いていくか。
他人の苦しみを感じ、他人の苦しみを取り除いてあげようとする。こういう意識を常にもっていると、ブッダ意識の目覚めが早くなっていきます。奉仕をすること。人のために活動することは、ブッダ意識につながりやすい行動となります。しかしそれで褒めてもらえる。自分が有名になる。自分は良い人間だと思う。こういう考えがあると、苦しみをつくり出していきます。
いかに苦しみをつくり出すことなく、自分を成長させ、ブッダ意識につながっていくか。自分がすべての人となり、ただ動きを見ている。ただ流れを感じて、喜びを感じていく。ぜひこのブッダ意識へと成長を進めていってください。
②深いレベルで物事の本質を探る
私はゴータマブッダ。お釈迦様と呼ばれている存在でございます。今日はブッダ意識というお話をするということでやってまいりました。一般には悟りという言葉で表現され、どうしたら悟れるか、悟りとは何か、そのように話をすることがとても多くありました。今日はブッダ意識という世界に、そこに焦点を当てることを喜びとしております。
ブッダ意識という世界は悟りの世界と呼ばれておりますが、十分に皆さん方にも感ずることができます。皆さん方の心の中に素晴らしいことを素晴らしいと感ずる、美しいものを美しいと感ずる、そういう素直な心があれば、ブッダ意識につながることができます。
ただこのブッダ意識につながるためには、人間の智慧に意識を向ける必要があります。智慧のある人間と多く接すること、智慧を使える人間と接すること。智慧を持つ人間と接すると、自分の智慧も磨かれていき、智慧を扱うことができるようになります。智慧を使わない人間をたくさん目の前に見ても、智慧は身につかず、ブッダ意識につながることもありません。
智慧を多く持つには、それは言葉でだまそうとせず、表面的なものだけで対応しようとせず、物事を本質的に解決しようとする。本当に大事なことをなそうとする。本当に必要なことをしようとする。そういう常に本当に大事なところに意識を向けていくことです。
表面だけつくろって、その場しのぎで対応しようとするものに智慧はなく、心も深い心にはなっていません。智慧を持つものはどの観点から見ても隙がなく、どのように論理的に話してもつじつまが合い、心の隙をつくらず、常に本質を見抜いている人です。自分自身がまずそういう人を目指し、本当に大事な生き方をする。嘘をついたり、ごまかしたりせず、常に本当に大事なことを実行していく。こういう人がブッダ意識につながっていきます。
これまでの人間の歴史において、自分の都合の良いように生きてきた人がいます。常に言い訳がましく、その場しのぎの言い方をして、できるだけ自分が楽して、ほかの人にやらせる。そうやって要領よく生きてきた人がいます。自分なりに知恵があると思っている人がいます。人をだますにはこういうと良い。相手の嫌なところをうまく使って人を利用していく。そういうことに長けており、それによって人をコントロールしている人がいます。
これは智慧ではなく、必ず自分にいつか、悪徳が戻ってきます。本来の智慧は人々を必ず喜ばせるものを秘めており、役に立ち、そしてとても貴いものが隠されています。この智慧を身につけるためには、物事を深いレベルでとらえていき、常にその本質とは何なのか。なぜこういう現象が現れ、なぜこういう風に変化するのか。その本質をとらえ、本質を感じようとする心。それを常に行なっていると、深いレベルで心が動くようになり、心が何かを感じていくのです。
深いレベルで何か、こうすれば良い。このようにした方が良い。そういうものにつながり、それが智慧となって使えるようになるのです。この智慧を使うために、普段からそういう意識を持っていること。常に深いレベルで感じようとする。もっともっと本質を感じようとする。そういう心を持っていると、だんだん智慧につながっていき、智慧を使うことができるようになります。
皆さん方がこの智慧を使えるようになると、常に物事の本質を感じ取ることができ、見た目にだまされず、本質の世界で生きることができるようになります。この本質の世界で生きる。あるべきままの世界で生きることができる。それがブッダ意識の世界であり、そこにはただの物事の流れ、人間でさえも大きな流れの中で動いている、そういうことが感じられていきます。自分の心を通して必ずこの智慧につながることができます。
智慧を感じようとしないと、智慧は感じられません。常に何かを見つけようとしてください。感じようとしてください。それによって智慧が動き出し、自分の心の中で動き出していきます。
今の多くの人があまりにも知識に動かされており、知識の力を勘違いしております。知識は人間を誤った方向に導く方が多く、正しい方向に導くことはとても少ないのです。逆に智慧は人々を幸せな方向へと導きます。知識にだまされず、智慧を使うこと。それが幸せに導くこと。それを感じて、自分と智慧をつなげていってください。
皆さん方が少しでも智慧につながることができるように、智慧の世界と心をつなげていきます。ぜひ心で智慧を感じてみてください。
それでは少し、休憩をとります。ありがとうございました。
個人メッセージは省略。
今日は皆さん方がどのようにしてブッダ意識とつながり、ブッダ意識として生きることができるか、それを話していきました。ぜひ自分のブッダ意識と早くつながり、喜びになる人生を歩むことができるようにしていってください。それではここまでにいたします。ありがとうございました。