2014/3/8 意識トレーニング1[謙虚] |
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形だけの謙虚さは破壊されていく |
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①形式的な謙虚さと崇高なる謙虚さ
私は日本において仏法僧として従事していたものでございます。皆さん方が魂の学びを進めており、自分を知るために本来の自分に戻るために修行を行なっております。修行する姿勢で一番大切なものが謙虚さであり、感謝の心ということができます。なぜ謙虚さが一番大事なのか。謙虚な心は真実を目の前にして真実をそのまま受け入れることができるのです。謙虚さがないといくら真実を目の前にしても真実を受け入れることができず、否定し、自分の都合のよい真理へとつくり変えてしまうのです。真理を手に入れようとするものは真理をそのまま謙虚に受け入れる心が必要なのです。
真理を手にするということがどういうことなのか。それは自分の心を素直に受け入れ、自分自身をあるがままを理解し、本来の自分を知ることで真理となるのです。自分を知ることが真理になる。ほとんどの人が理解できないでしょう。自分のことはあまり興味がない。自分を知っても真理は見つからない。そう思って自分の外に真理を求め、真理を見つける旅に出かけていきます。
しかし外側に真理を求めてもそこは他人の作った真理ばかりであり、自分の真理が見えてこないのです。ほかの人の口に出す真理を聞くことは何どもあるでしょう。でもそれは自分の真理には当てはまらないのです。自分の真理をどのようにして手に入れていくか。
自分を知るということは自分の魂を知ることであり、自分の魂を知るということは自分の目的やなすべきこと、今なぜ自分はここに存在し、自分がどこに向かっているのか、それを知ることが自分の真理になります。
今、自分はここに存在している。この存在している自分を真理として受け入れ、これを解明していく。なぜここにいるのか。どうやってここまできたのか。ここからどこに向かうのか。自分について深く深く、掘り下げていくのです。
自分を知ろうとして学びを始めたとき、なぜ自分はここにおり、なぜ自分はここで生活し、ここで何をするのか。この疑問から始まっていきます。自分がなぜここに生まれてきたのか。自分の両親、自分の両親の協力により、自分が生まれ、育てられ、そして今、生きている。
自分は大いなる生命のひとつであり、さまざまな生命とひとつのひとつとして自分が存在している。ほかの生命と自分はどういうつながりがあるのだろう。ほかの人と自分はどういうつながりがあるのだろう。自分の親と自分はどういうつながりがあるのだろう。この大きな生命の中に、自分を感じ、自分を見つけていくのです。
これから皆さん方が学びを深め、自分を知るために進んでいくと、自分について新しい意識が目覚めていきます。はじめのうちは今の自分で学びを行なっており、いわゆる概念、知識や身についてきたいろんな思いに従って自分をつくり、それを自分と信じて、生活を始めていくでしょう。
しかしその考え方や思いが少しずつ当てはまらなくなってきて、どうみても自分の本心とは違っている。いろいろ学んだことや教わったことがなぜか自分の本心とは違う感じがする、こういう時期がいずれやってきてくるのです。今までいろんな学びを進めてきて、いろんなことを教わってきても、何か自分の心では違う感じがする。こういう段階にきたときに、次の学びの段階へと進んでいきます。
普通に教わっている知識や学びが当てはまらなくなり、自分は自分のことを自分で見つけなければならない、自分だけの自分のことを自分で取り組み、自分で解決しなければならない。こういう意識の段階に入っていき、自分でたった一人で自分を見つけていく作業に入っていくのです。
この段階にきている人は自分についてかなり理解できるようになってきて、周りの人は周りの人の人生、自分は自分の人生、ほかの人と自分は生き方が異なり、人生の意味や目的もすべて異なっているために、自分は自分のことしかいうことができない、ということが分かってきて、ほかの人に対して介入することがだんだんなくなっていきます。
自分は自分の人生を解明することに意識が向けられ、より細かく自分を見ようとして自分の内面に深く入っていきます。なぜ地球に生まれ、なぜ地球を選び、なぜ地球で生きていくのか。その本当の意味が少しずつ分かってきて、自分で自分の人生をあるべき方向へと修正していく。本来の自分に向けて正しい生き方を進めていく。こういう時期に入っていくのです。
自分の人生を理解し、自分の真理を手に入れようと学びを進めるものは、自分だけの真理の世界に進んでいくと、そこで得られたもの、手にしたものはすべて自分にしか当てはまることがありません。自分だけのものであり、自分だけの真理になっていくのです。
この自分だけの真理を正しく受け入れ、間違った真理ではなく、本来のあるべき自分の人生の真理そのものを手にする。そのとき謙虚さが必要であり、自分の真理を自分の謙虚な心で受け入れていくのです。
謙虚な心はあるがままを受け入れていく。自分の心があるがままを受け入れることができる心になっていく。そのようにあるがままを受け入れることができる心、これが謙虚な心であり、自分の考え、思い、自分のこれまでの知識に当てはまらなかったとしても、それをそのまま受け入れてく。こういう心が謙虚な心になります。
今、日本人として、皆さん方は謙虚を学び、謙虚さを日本人の心の中にとどめ、しっかりとその人が謙虚であるように、使えるようにしようと考えているのです。皆さん方の心にある謙虚さは、本来のあるべき謙虚さから少しずつ離れていき、自分の真理を受け入れるために、自分を知るためにという目的ではなく、社会の中で、自分がおかしく思われないようにするために、自分が目立たないようにするために、恥をかかないようにするために謙虚な心を維持する。こういう謙虚さに変わってきているのです。
これは見た目は謙虚であり、相手のために自分を抑え、あまりでしゃばらないようにする、こういう謙虚さであり、あるがままを受け入れ、自分の真理を知るための謙虚さとはかなり異なる謙虚さになっております。
今、日本の世の中に、この周りの人のために自分がただ引き下がる、場をおかしくさせないようにするためにあまりでしゃばらないようにする、自己主張を抑えて皆にいろいろと考えてもらう。これは本来の謙虚さではなく、間違った謙虚さということができます。
このようにただへりくだっても、本当の自分を見つけることができず、自分を高めることにもなっていきません。したがって今、日本人の中で残っている謙虚さのエネルギーは間違っている謙虚さのエネルギーであり、本来の自分を知るための謙虚、自分の真理をあるがまま受け入れるという謙虚さとは異なっているのです。
このように異なったエネルギーは正しくない波動を呼び寄せてしまい、そして好ましくない現象をつくり上げていくのです。今までの間違った謙虚さというエネルギーによってこの間違った謙虚さを破壊させる現象が起こっていき、それが普通の日本人の意識からすると、謙虚さがなくなってきた、謙虚さのエネルギーが失われてきたと感じている現象といえます。
今、日本の社会から謙虚さが失われていく。それは謙虚さが失われたのではなく、本来のあるべき謙虚さのエネルギーがなくなっていき、別の謙虚さ、ただ控えている、ただおとなしくしている、ただ相手を優先する、こういう間違った謙虚さが広がっている、間違った謙虚さのエネルギーを破壊させようとする意志から謙虚さがなくなっているのです。
今、なくなっている謙虚さはこの違った謙虚さのエネルギーであり、本来の正しい謙虚さのエネルギーがしっかりと残っていれば、間違った謙虚さがなくなっていっても正しい謙虚さは残ることになります。したがって皆さん方が本来のあるべき謙虚さ、自分をしっかりと見て自分が真理を手にし、自分が成長していくために必要な本来の謙虚さ。この謙虚さを皆さん方が身につけ、正しい謙虚さのままで毎日を暮らすことができるようになっていく。間違った謙虚さはどんどんなくなっていっても、本来の自分を知るための、自分の真理を手にするための謙虚さは残ることになるのです。
今の日本の社会において、謙虚さに限らず、ほかのいろんな習慣が本来のものとは異なり、間違った価値観、間違った認識で使われてしまい、この間違った習慣を破壊させようとして間違った習慣のエネルギーが失われていくように見えていきます。
しかしどれも間違っているものが破壊されているだけであり、本来の正しい習慣は失われてはおりません。この失われていない、本来の日本人の心に残っているよきもの、これを決して失わせることなく、皆さん方の心に常に残しながら使えるようにしていく。これからも多くの人々に伝えていき、心でつながりをつくっていく。こういうことが必要となっていきます。
これから日本人が世界中の人々と交流し、心でお互いがつながりをつくろうとするとき、間違った心のあり方ではなく、正しいもの、正しい心の在り方をぜひ、ほかの国々の人々にも広げ、それを地球全体にまで広げていくと、本来の日本人の良き心は世界へと広がることが可能になります。
ただ本来の日本人のよき心をほかの国々の人々に伝え、広げるのはとても難しく、言葉で説明できるものではなく、実際に行動をとって身につけていく。実際の言動で身につけていくという日本の習慣であるために、頭で理解しようとするほかの国々の人にはなかなか伝わりにくいことがあります。
したがって皆さん方がこの日本の心を正しくほかの国々に伝えていくためには、言葉で教えようとせず、心でいかに伝えていくか。まず自分が行動で示していく、何度も何度も行動で示し、実際に行動で示していくと、相手が良い気持ちになっていく。この相手が良い気持ちになるということが一番大切なことであり、相手がよい気持ちになるということが行なわれない限り、広がることはありません。
いくら言葉で何度も何度も話しても、心で相手が良い思いを感ずるという現象が起こらない限り、伝わっていくことがないのです。言葉ではなく、言動を通して、相手が良い心の状態へと変わっていく。こういうことを通して、日本人の心の中のよきものを広げていくことがとても大事なのです。
謙虚さにおいても、ほかの国の人々に謙虚さを伝えることはとても難しいでしょう。それでも日本人が相手のことを思いやって、直接的ではなく間接的に、相手がショックを受けるような意識ではなく柔らかい言い方で自分の過ちに気がつくようにもっていったり、このような言動を通して接していくうちに、心が良い状態へと移る感覚がだんだん理解されていき、謙虚さや思いやり、いたわりといったことがほかの国の人々にも伝わっていくでしょう。
決して言葉で理解させるという意識をもたずに、実際の言動を通して心で伝えていく。ぜひそれを皆さん方が実践していただきたいと願っているのです。謙虚さにおいても同じように、ただ言葉で謙虚にするという使い方ではなく、自分の言動を通して相手を思う心、相手のためになす心、相手を尊重する心、ぜひこれを伝えていけるのを望んでおります。
皆さん方のこれからのいろんな学びにおいて、謙虚さはとても大事であり、真理を手にするためんひ、自分を知るために、そして天や大いなる存在と直接、交流するためにも謙虚さはとても大事な資質になります。
謙虚さを身につけていないと天と交わることはできません。謙虚さを身につけていない限り、神の言葉を聞くこともできません。すべては謙虚さが始まりであり、謙虚さを身につけることにより、天との交わり、神との交流が可能となるのです。
どのようにして謙虚さを身につけてくか。常に自分と接する人、自分と関連する人、一人ひとりに感謝の心を持ち、自分を見せてくれている一人ひとりの心に謙虚に耳を傾け、謙虚な心で向き合い、言葉の一つひとつを丁寧に受け入れていくのです。
自分にやってくるさまざまな現実、すべての現実を謙虚な心で受け入れていくと、現実とのつながりがいっそう強くなり、逆に現実を自分の力で変えることができるようになっていくのです。
現実を否定し、現実を無視していくと、謙虚な心が身につかず、現実は常に自分の敵となって現れてきます。謙虚な心を身につけることにより、現実は自分の心の中に入り込んできて、現実は自分の一部となり、また自分の心で現実を創れるようになっていく。こういう力をもっているのです。
謙虚な心はすべての始まりであり、神にも、天にも、すべてに通ずる一番大事な心でもあります。ぜひ謙虚な心を身につけ、天とともに、神とともに学べる姿勢を身につけていってください。
それではここで休憩にいたします。ありがとうございました。
②国・人種レベルの謙虚さに発展させる
私たちは光の世界からお話をいたします。今日は謙虚というテーマで学びを続けております。謙虚という心が真理を手にするにあたってとても大事な心であることを学びました。謙虚な心は真理を手にし、本当の自分を理解し、本当の自分を生きるようにするための一番大事な心構えとなります。
この謙虚な心、謙虚さというものがだんだん歪められて伝わってきており、本来の謙虚さとはかなり異なった謙虚さが日本人の心に芽生えております。謙虚なる心は本来、神と共に存在し、常に自分が神のような心を身につけることにより、謙虚な心が現れていき、またほかの人との接し方においても謙虚な姿勢で付き合うことができるのです。
神なる心を身につけるというのはある意味では難しい言葉のように感じ取れるかもしれません。神の心を身につける、これは本来、とても難しいことではなく、誰でも身につけることができ、ある意味では身についていたということもできます。
人間は本来、生まれた当初は神のような心にふさわしく、純粋で素直で、無邪気で、また謙虚な心も持ち合わせているのです。だんだん自分という意識が育ち、自分中心の行動ができるようになってくると、自分の思い通りにしてもかまわない、自分が好きなことをやっても良いんだという意識をつくり始め、そのときから神から離れた心を身につけていくのです。
したがって謙虚な心は誰でも小さいときは身につけていて、自分という心が成長する過程において裏の方へ隠れてしまった、表に出なくなったということができます。特に日本の人々は小さいころは多くの人が謙虚な心を身につけており、はじめから傲慢で自己中心的な子供というのはそんなに多くはいません。
日本人の心の在り方の中に謙虚さを大事にする習慣がとても長く続いておりました。神聖なるものに対して敬う、聖なる心で面と向き合う、素晴らしい波動をもっている人や智慧のある人、位の高い人に対しては謙虚な姿勢で対応していく。こういう心が長い間、日本人の心に身についており、それによって日本人の多くの人が謙虚な心に違和感を持つことなく、自然に接することができるようになっておりました。
だんだん時代が今に近づいてくるにしたがって、謙虚な心が失われたように感じられてきているのは、ある意味では僧侶や位の高い人、波動の高い人と出会うことが失われてきて、単なる会社の上司、学校の先生、役人たち、そういう人々たちだけが尊敬すべき人間になってしまい、心から謙虚であるという態度がかなり物質的なものに変化を起こしているのです。
以前は素晴らしい心の人に対して謙虚さを示す、素晴らしい心を持った行動に対して謙虚な心で接するという思いがありましたが、今では物質的に上の地位にいる人、物質的に指導者となっている人、そういう人に謙虚を示すようになってきて、必ずしも心を感じているわけではなく、物質的な分類によってのみ謙虚さを表すようになっているのです。
このような日本人の心は当然、好ましくない波動であるために、本来の心を重んじて素晴らしい心の人に謙虚に接する、素晴らしい言動をとった人に謙虚さを感ずる、という謙虚な心が必要となってきております。物質的な観点で見るのではなく、心をしっかりと感じて、心で接していく。こういう文化をぜひ取り戻し、またに本身の心の中に復活させていただければと願っているのです。
日本人の人だけが心を感じているわけではなく、実際には多くの国が心を大事にし、心で感ずることを大事に扱っております。ただ一般に心を大事にしている国は貧しい国であったり、まだ力がない国であることが多く、むしろ謙虚さをもたない、力だけがすべてという国が権力を使い、力づくで国を支配し、国々との関係もつくり上げております。
いずれこういう武力による支配関係がだんだん不自然なつながりを作り出し、この地球においていろんな混乱を作り出すようになっていくでしょう。力づくで作り上げた支配関係はいずれ力によって崩壊していきます。
力による支配がだんだん続かなくなってくると、やはり力ではなく、人間の心が大事であり、優しい心で、あるべき自然な心で関係をつくり上げていく。人間関係だけではなく、国と国との関係も心でつながりをつくっていく。そういう時代へと移り変わっていくでしょう。
そういう時代がやってきたとき、日本の人々やその他多くの心を大事にしている国々が心でのつながりを取り戻し、お互いに心でのつながりによって助け合い、そして強い絆をつくり上げていきます。
武力ではなく、心によるつながりが強い絆をつくり上げ、そして良い関係をつくり上げていく。そのためにも国のレベルで見た謙虚さ、大きな人種や大きな宗教レベルで見た謙虚さが重要になってきて、今一人ひとりの謙虚さという心のエネルギーが国や人種というレベルでの謙虚さのエネルギーへと発展していき、弱い国を守っていく、弱い国同士が協力し合って強い絆をつくり上げていく、そういうこれからの地球の在り方、民族や国や人種のつながりを作るための絆としての謙虚さをぜひつくり上げ、それによって多くの国々が良き関係をつくることができるようにもっていっていただきたいと願っております。
③銀河のレベルの謙虚さへ引き上げる
銀河連盟からお話をいたします。今、皆さん方が学んでいる謙虚な心は銀河のレベルにおいても存在し、またぜひ地球に広げていただきたい心の在り方といえます。ただ銀河のレベルに広がっている謙虚な心というのは、真実をしっかりと手に入れるために謙虚な心をまず養い、謙虚な心を養うごとに真実を手にし、自分の心の在り方もまた深いレベルで身についてくる。そういう意味において謙虚な心が広がり、それぞれのテーマにもなっております。
日本の人々は人間関係において謙虚な心を大事にし、お互いの関係を大事にする、相手を大事にするという思いで謙虚さが広がっております。銀河のレベルでは一人ひとりが自分の真理のために謙虚さを身につけ、自分が謙虚であるがゆえに自分と接する人、自分と出会う人、自分とかかわりあう人すべてに謙虚な姿勢を保ち、どのような現象であったとしてもすべてを謙虚に受け入れていくのです。
日本の人々は人間関係において相手のために思う、相手のことを考えて謙虚にするという意識が強いために、いつのまにか自分自身が見えなくなったり、ただ相手を優先させるという気持ちだけになってしまい、自分が何のために謙虚にしているのか、またどんな相手に対してもただひたすら謙虚であり続け、相手の一人ひとりが見えなくなってしまったりする状況があります。
したがって謙虚さという良いエネルギーを心にもっていながらも、本来の謙虚さとはちょっとずれてしまい、ただ相手のことだけに意識を向け、自分がなくなってしまう、あるべき自分の姿が見えなくなってしまうという欠点が隠されております。
これを宇宙レベルの謙虚さにもっていくために、ぜひ自分の真理を手にするために謙虚であること、真理をしっかりと受け入れるためにあるがままの現実や真理を受け入れるために謙虚な心を身につけること、それをしっかりと理解して、自分の心を謙虚な心にすることにより、すべてを受け入れ、あるがままを受け入れる、そしてあるべき心で多くの人々と接していく。ぜひこういう良いエネルギーをしっかりと根源にもった謙虚さを身につけていただきたいと願っております。
それではアドバイスをしていきます。
Aさんの謙虚さを見ていくと、あなたの心の中で養われている謙虚さのエネルギーはいろんな人とのかかわりの中に相手を大事にしたいという思いとあまり自分がおかしく思われないように、自分が変に思われないようにするという思いで謙虚さがつくられており、本来の自分をしっかりと正しく意識して自分の心を良い方向へと導くという謙虚さとは少し違う波動になっております。そのために自分自身がこれからのあるべき謙虚さを身につけるためには、まず自分自身が今、どこに向かっているのか、人間関係を通し、現実を通し自分はどこに向かっているのかをはっきりと理解していく必要があります。sで合う人一人ひとり、現実の一つひとつにすべて意味があり、自分を成長させていること、自分が成長する道を歩んでいく過程において、一人ひとりが役に立っていること。それを心から理解していくと、出会う人、出会う現象一つひとつに感謝の心がわいてきて、自分の心が成長していく過程も分かるようになっていきます。自分がいろんな人と接していろんな現実を通して心が成長していくことが分かってくると、一人ひとりが自分の心の成長のために手伝ってくれている。自分が成長するためにいろんな人が協力してくれている。これが心で分かるようになってきて、一人ひとりが自分のために現れてきている。自分のためにわざわざ自分の現実に入ってきている。こういう気持ちがわいてきて、謙虚な心が身についてきます。自分の現実、出会う人一人ひとりを大切に思いながら、自分の心をしっかりと育てていき、謙虚な心を身につけていってください。
Bさんの謙虚な心を見たとき、あなたの謙虚な心はある意味では力のあるもの、権力のあるものに対しては本当に謙虚にその力を認め、地位を認め、パワーを認めるという心が養われております。逆に、権力のない人や力の弱い人を見たとき、自分の無畏意識の範囲内でその人に対して下に見てしまう傾向があります。これは謙虚な心とは違う心になってしまうために、自分より下のものや自分よりも弱いものに対して自分がしっかりと育て、守るという意識、自分が導いているという意識が必要となるでしょう。上のものに対しては謙虚な心であり、下のものに対しては導いていく、教えていく、育てていくという力が必要となり、これらがうまく統合されるとあなたにとっての好ましい謙虚な心が身についていきます。バランスをとりながら、また自分が混乱したりすることがないようにしながらしっかりと自分を保ち、その上で謙虚な心を養うようにしていってください。
Cさんの謙虚な心を見たとき、あなたの心の中にさまざまな種類の謙虚な心が存在しております。つまりあなたの場合は決まった謙虚な心のエネルギーではなく、状況に応じて、人に応じて、場合に応じて、謙虚な心が変わっていきます。その状況において、自分がそうした方が良いと思うときに謙虚な心が芽生えてきますが、あまりそういう心がわいてこないときはいくら素晴らしい人がいても謙虚な心がわいてこなかったりします。その時々の状況や環境によって謙虚な心が動く場合と動かない場合があり、それは自分自身の意識では必ずしもコントロールできない範囲かもしれません。したがってこれからはそれぞれの状況を理解した上で、素晴らしい波動や素晴らしい心、素晴らしいエネルギーの状態を感じたときに、それを素直に受け入れる謙虚な心、それを養うようにしていき、どのような場面でも、どのような状況でも常に謙虚な心が表れるように、動き出すように心を導いていってください。
Dさんの謙虚な心を見たとき、あなたの謙虚な心は神なるものに対しての謙虚な心が育っており、自然にあるもの、状況として与えられたもの、自分の立場の上で認識できるもの、いろんなものにおいて謙虚な心が育っております。したがってあなたの目指すべき次の謙虚さのレベルは、これからのいろんな人間が現れてくる社会において価値観の異なるもの、高い波動でありながらもまったく異なる考え方やまったく価値観の異なる人間が来たとき、そもそも自分よりも波動が高いかどうかも理解できず、どう考えてよいのか分からない場面や状況、人物に出会ったときに、心が戸惑ってしまったり、そもそも謙虚さがどう理解してよいのか分からなくなったりしていきます。そういう状況における謙虚さとは何なのか。まったく違う宗教や信仰を持っている人、まったく発想が異なる人、そういう人に謙虚に接するということはどういうことなのか。これがあなたのこれからのテーマになっていきます。こういう状況においても、常に自分の心を正しく持ち、自分の心が崩れないようにして自分の価値観でしっかりと見ていくこと。その中にいても決して判断を下したり、相手を責めたり、下に見るのではなく、ただ相手を理解しようとする気持ち、この気持ちだけを忘れないようにして接していくと、それなりの高いレベルの謙虚さが身についていきます。ぜひ自分を見失わないようにしながら、次のレベルの謙虚さを身につけていってください。
Eさんの謙虚さをみていくと、あなたの心の中にある謙虚さの中で、神や尊いもの、素晴らしいものを受け入れるという心が出来上がっており、これはあなたの心の中の謙虚さを高いレベルへと引き上げております。それと同時に波動の低いもの、弱いものに対してついそこを気にしてしまったり、そこのところに意識が集中してしまい、その観点だけでその人を見たり、その状況を決めてしまう意識もあります。あくまでもその一つの観点だけ、ひとつの波動がそうなっているだけであり、その人や状況そのものはそうではありません。自分が感じたことはほんの一部であり、ほとんどは正しく行動していること、良いエネルギーをもっていること、そういったことも感じているようにしていくと、全体的にすべてを謙虚な心で感ずることができるようになり、すべての人に対して神の心で通ずることができるようになっていきます。ぜひ一つにこだわらずに、全体を神の心で見ていきながら、すべてを神の観点での謙虚さとうまくかみ合わせることができるようにもっていってください。
今日は謙虚さを通して皆さん方が、今後、どのように心を導いていくかを話していきました。これからの地球の新しい文明のためにも、ぜひ高いレベルの謙虚さを身につけ、広げることができるように学びを続けていってください。それではここまでにいたします。ありがとうございました。