2014/1/14 意識トレーニング1[正直] |
このメッセージのいいねポイントは |
善なる心を表すのが正直な心 |
意識トレーニングの閲覧は会員制になります。このセミナーの参加者、あるいは過去1年間に1度でもセントラルサンに参加された方、過去1年に100円以上の支援金を送金された方などが会員となります。会員の方は自由に閲覧してかまいません。といっても、こちらで会員かどうかの確認は行ないません。自己申告です。
①思っていることと行動が違うと悪になる
私は毘沙門天としてお話をします。今日ここに現れたのは心のあるべき姿について話をするという機会が与えられ、ぜひ皆さんを通して人々に伝えていただきたいと願っているからです。人は正直な心を身に付けることがどれほど大事なのか、その本当の意味を理解しておりません。
なぜ正直な心が大切なのか。ただ単にうそを言わない、親切である、丁寧で優しく人当たりが良い、そういう心を良い心と思っているでしょう。しかし人間は心で偽りながら見せかけだけを良い人間のように振り舞っているものがたくさんおります。
見た目も穏やかで優しくとても相手のことを良く思っているように見せながら、心の中では相手をさげすみ、愚かと思い、自分だけが正しいと思っている人がたくさんおります。心で思っていることと行動していることが一致していない、これを悪といいます。
心で思っていることと行動していること、一致していないことが悪である。ならば心で思うことと行動していることが一致していれば善となる。こういうと、では心で邪悪なことを思っているものは邪悪な行動をとっても良いのか。
本来の人としてのあり方は心のあり方そのものをいかに行動に移すか、心のままに行動に現れるかが一つの基準になります。心で思うことと行動することが違っていると、どこかで魔が入り、悪を生み出していくのです。心がまだ未熟で十分に理性が発達していない時、未熟な行動をとるでしょう。未熟な行動をとっている時、それが未熟であるということをお互いに教えていく、未熟な行動をとっているということは心が未熟であるということを教えていき、心がどうあるべきかを伝えていく。
心のあり方がそのまま行動に移されていれば行動を見るだけで心を知ることができ、それによって自らの自分の未熟さに気がつき、自分で心を改めることができるでしょう。そうすれば行動を改めることができ、心と行動が常に一つになって新たなる心を身に付けていく。
今の地球の人々は心と行動をわざと変えていき、思っていることと行動が違っていて当たり前、それで普通と思い込んでおります。この悪の状態が広がり発展していくと心と行動に現れる世界がまったく異なってしまい、二つの世界を同時に生きることになっていきます。
心でつくられる醜い世界と、一見他の人に良いように感じられる表向きの世界が別々につくられてしまい、それによって自分自身が迷い、混乱し、自分が何なのかが分からなくなってしまうのです。この分離された心の世界と物質的な世界のずれにより、心が迷い、自分自身が分からなくなり、最終的に人の心を知ることもできず、どんどん迷いの中に入っていくのです。
心と行動を一つにすること、これがまず本来のあるべき生き方であり、心をそのまま生きることによって正直な心が芽生えていきます。正直な心というのは本質的に心の中に持っている善なる心であり、これは他者を生かし自分は他者のために何か良いことをしていく、他者を生かすためにできることをしていく、これが善なる心であり、人間の心の中にはこの心が必ず存在しています。
他者を生かす、まだ未熟な時ははっきりと意識はできていないかもしれませんが、それでも親のために、兄弟のために何かしようと思う心は少なからず身に付いております。この他者を生かすという善なる心が次第におかされていき、自分を生かすという意識へと変わっていきます。
どこかで自分が大事、自分が生きること、それを優先的に考える心がつくられていくのです。自分を優先的に考える心が魔の心であり、この心が心のあり方と行動のあり方をずれさせてしまい、思っていることと行動することが違うものへと移っていくのです。自分の心の中にある自分という意識や自分を大事にする、自分を正しいとする、自分を良しとする心がすべての魔の始まりであり、そこから心と行動がずれていき、いつの間にかうそをつき、人をだますような行動へと変わってしまいます。
自分の心の中の魔を見つける時、自分という意識をしっかりと見ることが大事になります。自分が正しい、自分を大事にする、自分はこうしたい、自分は自分は、自分はという意識、これがある限り自分の心は魔の心に汚染されており、この魔の心をいかに本来の善なる心へと修正していくか、自分の魔の心を自分で見つけ正直に自分の魔を退治していく、正直であるというのは自分の心の中にある魔の心を見ることであり、自分の心の中にある魔の心に気づくことであり、また自分の心の中にある魔の心を修正し取り除くこと、これが正直な心となります。
正直さは自分自身に対して必要なものであり、他人に対してどうこうというものではないのです。自分が本来のあるべき善の心に戻るために、自分の心を見つめ自分の中の悪と戦い、自分の悪を正直に見て取り除いていく、正直さは自分のためにあるといいながら自分という意識があると、それ自身が魔の心となってしまう。
自分の中にある常に他を生かす、他を生かすために自分に執着する心を取り除いていく、そのために正直に心を見つめること。正直さは自分自身がしっかりと善の心に戻り、他者を生かすために必要な心になります。自分の心を見つめずに他者にうそをつかない、他者にしっかりと生きる、他者のために生きると思って自分の心をないがしろにしていては、心は魔の心に汚染されたままになってしまいます。
自分の魔の心をしっかりととらえ、そして修正していく、今の多くの人にとってまず自分の心をしっかりと見つめ、自分の心の魔の部分を善の心に変えていく、ぜひその作業に取り組んでいってください。
今日は正直というテーマでプログラムを進めております。人間の心はとても複雑であり、また実に単純でもあります。自分にとって良いこと悪いこと、自分にとって気持ち良いこと、気持ち悪いこと、自分にとっての基準で心がいかようにも変化していきます。
この自分にとってという基準の心をいかに変えることができるか、私たちにとって全体にとって、神にとって、どういう基準で心を見ていくか、これによってかなり変化していくのです。多くの人は自分にとってという心で心が動いていきます。
これを多くの人にとって、自分たちにとって、人々にとって、このような基準の心へと変化していく時、心のすべての基準も変化していき、正直という意識や正しいという意識も根本から変わってくるでしょう。自分の心という感覚そのものを質的に変容させ、私たち、多くの人々、ぜひそういう心へと変容させることを進めていってください。
それでは一度休憩をとります、ありがとうございました。
②邪の心を善の心に変える
私たちは光のマスターとしてお話をいたします。今日は正直というテーマで学びを進めております。正直である心はとても大切な心であり、自分に対して正直に振る舞う、相手の言葉を正直に受け入れる、現実を正直に受けとり正直な心で現実をつくり出していく、正直という心の状態はあるべきものをそのまま受け入れ、あるがままの状態と一つになり、自分自身があるがままの心を感じていく、あるがままこの状態と密接な関係を持っております。
あるがままの心をそのまま感じとる、現実をそのままあるがまま受け入れていくと一人ひとりの心のあり様が感じられてきます。自分の現実を構成している一人ひとりの心のあり様がそのまま感じられてきて、自分の心をしっかりと動かし、一人ひとりの心のあり様、一人ひとりの心が自分の心で感じとられてくるのです。
自分の心をあるがままを受け入れる状態にしておくと、一人ひとりの心が感じとられていき、その人一人ひとりの心がどう動いているか、心がどう変化しているかをひたすら感じとっていきます。一人ひとりの心だけではなく自然界の心、大いなる宇宙の心や天の心も感じられてきます。
現実を構成するさまざまな心をそのまま感じとる、とても素晴らしい心の状態が現れてきます。そのまま感じとったものを自分の心で受け入れ、自分の現実としてしっかりと認識していく、この心の状態は正直な心の状態の時に感じとられ、すべてをそのまま受け入れていくのです。
もしそこで魔の心を感じてしまった、すべての心を感じ受け入れている時に、邪なる心を感じとってしまった、自分の心は邪なる心に反応し、邪なる心を少しでも天なる心に変えていきたいと願う、邪なる心に光や喜びを与え天なる心へと変換させていく、こういう心が正直な心のあり方になります。
正直な心は自分の心を通して現実をつくるすべての心を反映させ、自分の心に映し出された魔の心を天なる心へと切り替えていく、常に心ですべてを受け入れる大きな心が必要であり、またそこで感じとられた邪なる心を光ある善なる心へと切り替えていく、自分の心の作用がそれらをつくり出していきます。
自分の心をしっかりと認識しとらえることができるようになってくると、このようにいろんな人々や生命あるものの心を自分の心で受け入れ、感じとり、また反応して喜びを与えることができるのです。正直な心は自分の心のあり様として大事な側面ですが、また現実を良き現実へと変換させるためにも大事な心になります。
自分の心に映し出される魔の心や邪なる心を見つけた時、光を当て喜びをもたらし善なる心へと切り替えていく、常にこの働きが必要となり、正直さは常に動いていなければなりません。人間の心は邪なる心を受け入れやすい状態になっております。つい他人を排除してしまう、現実を否定しようとする、すべてを受け入れるのではなく自分の考えを押し付けようとする、こういうことによって魔の心が動き出し、すべてを受け入れるのではなく自分の都合の良いように現実をつくり変えようとする、これによって魔の心が動き出し一見現実が自分の思う通りに動いたように見えても、魔の心によってつくられた現実になってしまい、本来の光が見えなくなってしまいます。
いかに現実を通して多くの心と通じ喜びを感じていくか、現実があるが故に多くのものたちと心で繋がり、心で感ずることができる、現実が多くのものたちと自分の心を繋げてくれて天に意識を向けることができる、とても大事な現実なのです。この現実と向き合うために正直な心を自分のものとして自分と向き合い、自分の心と向き合い、多くの心と繋がっていく、ぜひこの心の感じ方、心の繋がりを大事にしていってください。
③あるがままに受け取る
私は光のマスターの一人です。ここでも何度か話をしたことがあります。皆さん方は毎日の人間関係においてある意味ではいろんな取り引きを行なっております。何かをしてあげる、何かをしてもらった、お礼に何かをしてあげる、何もしてくれなかった、いつもこう言われてしまう、言い返していろんなことがお互いの取り引きで行なわれていき、自分が優位に立つのが相手が優位に立つか、少しでも自分が優位に立てると何か得をした、自分が上になった感じがする、相手が優位に立つと自分は何か弱みを持っている、相手の言う通りにしなければならない、いろんなことを考えていきます。
人間関係における取り引きがアンバランスになってくるとどちらかが優位になり、どちらかが不利になる、このバランスを取り戻そうとして言葉使いが変わったり、行動が変わったりしていきます。人間関係におけるバランスが崩れる時、心で何らかの違和感を感じ、バランスをとろうとします。
自分が不利になったと感じた時、何か自分がもっと良いものを手にしたかのような感覚を得るために言い訳をしたり、屁理屈を言ったり、 いろんなことを言って対等な状態になろうとします。あるいは相手を罵ったり、相手が不利になるようなことを言って対等なバランスを保とうとします。
何かのバランスが崩れるとバランスを戻そうとする心が動き、その時にうそをついてしまったり、違うことを言ってしまったりすることになるのです。これは心が自動的に行なっている状態であり、必ずしも意識してやっているわけではありません。お互いの人間関係において心で感ずるアンバランスを正常に保とうとして悪口を言ったり、正当化したり、うそを言ったり、だましたりしていくのです。
相手との関係においてバランスが崩れても、崩れたバランスそのものを認識していく、無理に対等としようとせずにバランスが崩れた状態そのものを認識し、それを正しく見る力があればそれを正直ということができます。相手と自分との心の強さや力関係において、どちらかが有利、どちらかが不利、こういうような意識を持った時それをそのまま感じとり、あえてごまかそうとか、うそをつくとか逃げるとかいい加減なことを言うとかせずに、そのまま感じとり相手はこう述べて、こういうことをしようとしている、相手は自分をこのように評価している、ただそれだけを受け入れ、それ以上自分を着飾ろうとしたり落ち込んだり、悔しさを感ずることなくただその言葉を受け入れていく、これが正直な心となります。
自分の心の中に何か悔しい、やられた、負けた、こういう心が出てくると、無理やり自分を正当化しようしたり、相手を罵ろうとしていろんなことを考えようとします。これが魔の心であり自分をもだまし、相手をだまそうとするエネルギーに変わっていきます。
いろんな状態において、お互いの関係においてバランスが崩れた、自分がやられたと感じてしまう、自分が不利と感じてしまう、あるいは自分が上という感覚を持つ、これらがすべて魔の心をつくり出し正直な心を隠してしまいます。そのままを感じとる、そのままを受け入れる、これを身に付けることによりあえてだまそうとか、うそをつくということがなくなっていき、ただそのままを感じとりそのままを受け入れていくのです。
心の修行はこの自分の心をあるがまま受け入れ、あるがまま認識していく、ひたすら心そのものを感じとっていく、これが心の修行の学びになります。相手に対して不快感を感じた、自分の心の中に不快感を感ずるという心がある、なぜ不快感を感じたのか、自分を認めてくれなかった、自分の言っていることが否定された、自分の考えが無視された、そういうことに不快感を感じたのであれば、自分の考えが必ずしも相手とは違っていた、他の人の考えと自分の考えが一致していなかった、単純にそれだけでありそこにそれ以上の感情を入れないことがとても重要です。
考えが否定されても考えが無視されても、ただそれだけのことです。それ以上の状態にもっていく必要はなく、また別の考えで単純に議論を重ねれば良いだけです。自分の世界は自分の心がつくり出し、自分の心によって動いていきます。自分の心はその時々の状態によって常に変化し、今は心が落ち着き安らぎを感じても、すぐに不安を感じ恐れを抱いてしまう場合があります。
その状態そのものをただ感じとり、心の動きを見ていく、こういうことにより正直な心が少しずつ成長することになります。心を成長させるためには正直な心で自分の心をしっかりと感じとり、自分の心をある程度コントロールできるようになってくると、心が少しずつ大きくなり他の人に十分に届くぐらいの大きな心が養われていきます。
心が大きくなっていくと他の人の心に通ずることができ、他の人の心を感じとり他の人の心に影響を与えるようになっていきます。自分の心をしっかりとつくり上げ、大きな心にしていくと他の人の心を感ずることができるようになり、他の人の心に応じて一番ふさわしい状況が心でつくられるようになっていきます。
一人ひとりの心がつくり出す現実は喜びをもたらし、幸福感を与える心へと成長していくでしょう。恐れや不安を感じていた心が次第に消えていき、喜びをもたらす心へと変化していきます。これまでは他の人とのかかわりにおいて取り引きを行ない、どちらが上なのか、どちらが下なのかという感覚を感じとっていました。
その感覚も少しずつ薄れていき、取り引きをしないようになりあるがままをただ受け入れていく、こういう心によって心が大きくなっていき、他の人の心をそのまま感じとることができるようになっていくのです。自分の心が大きくなっていくと天なる心へと繋がったり、宇宙の心に繋がったりしていき、どんどん大きな心へと成長することになります。
これからの学びにおいて心を成長させていく、あるがままの心であるがままに受け入れていく、これがどんどんできるようになっていきます。皆さん方の心が自分との戦いにおいてしっかりと自分の心の闇の部分を見つけ出し、自分と戦い、そして多くの心と一つになっていく、ぜひそれを実践できるように進めていってください。
Aさんの心の正直において、あなたはこれまで多くの時間を正直なる心の波動で生きようと努めていました。できるだけ自分に正直に生きる、これを目指しており、他の人にうそをつかないように、自分が悪く思われないようにするという意識を持っておりました。自分がそのような心を持っていてもなぜか利用されてしまったり、うまくいかなかったりする、自分は真面目に正直に生きていてもなぜかうまくいかない、こういうことが現象化されてきます。あなたの心の中に正直さを保持していても、その正直さを試そうとする動きが常にやってくるのです。自分が正直に生きていたとしても常にその正直さが本物かどうかを試そうとするエネルギーが押し寄せてくるのです。そのためにどこまであなたは正直でいられるのか、どこまで正直を続けることができるのか、それを試すためにゆさぶりがやってくるのです。あなたの弱いところを常に攻めてくるために自分自身の弱さを見ることになるでしょう。自分としては気になっているところ、言われたくないところ、あまり表に出したくないところ、そういうところからゆさぶりがかかってきて、つい自分でごまかそうとしたり、無視したりする言動によってゆさぶりが動いていきます。これからの心の動きにおいて自分の苦手なところ、嫌なところ、言われたくないことに意識が向くような言動がとられた時、それは自分の正直さを試すテストであること、自分はどの程度正直に行動をとることができるか、その学びの一環だと理解しておいてください。それをしっかりと理解し自分に正直に生きることができるようになれば、さらなる大きなレベルでの学びへと進んでいき、これまで繰り返していた嫌な思いはだんだん消えていくことになります。大きなレベルへと引き上げる意識を持っていってください。
Bさんの正直さ、あなたの心の中にある正直、この波動はとても純粋な波動であり、細かい波動となって自然に多くの人に伝わる状態になっています。細かな振動で広がっていくために、周りにいる多くの人はその波動によって自然と心が落ち着き、あまり表立ってうそを言うという波動が起こらなくなっていきます。したがってあなたに正直ではない波動が押し寄せてくるのであれば、それは明らかにあなたを利用しようとしていたり、故意にだまそうとする波動によって起こるだけであり、あなたの自然な心の中からあなたを映し出すうそとして映っているものではありません。あなた自身にとっていかにもあなたをだます、利用するという大きな波動が来た時は、それは単なるうそとか正直ではないという学びではなく、根本的に違う意図であり、あなた自身をだまして利用する、あなた自身の欠点を追求しだめにさせる、こういう波動によって押し寄せてくるものです。これは正直さやうそとは別次元のものであるために、ただ正直であれば良い、うそをつかないというレベルで対抗できるものではありません。したがってもしそのような強い波動を感じた時は、まず自分自身が負けない強さを身に付けることであり、本当に自分自身がどのようなことを言われても決して屈することなく、自分の正しい心と向き合い、しっかりと言葉で表現すること、自分を光の状態に保ちながら光であり続けるために正しさを追求すること、これが要求されてきます。自分の心の正しさをしっかりと保ち表現していれば、あなたをおかしくさせようとする波動はそれ以上進むことができず、あなたは何も問題ない状態で保持することができます。自分自身が先に負けてしまい弱くなり、相手のペースになってしまうと、自分の状態が悪化していき、なかなか楽にならない状態になります。自分の心の中の正しさ、本来あるべきものにしっかりと目を向け、決してひるまず、相手に合わせたりせずに正しい心で切り抜けていく、そうすることによって自分の身をしっかりと守ることができます。
Cさんの正直、心のあり方において、あなたの心の中にある正直は常に自分に対して正直であるかどうかを確認させる波動が常に現れてきます。いろんな人の心を通して自分が正直であるかどうか、自分の言動が正直であるかどうかを確認する作業が行なわれております。他の人の言動を見て何かうそをついている、何かだましている、もしそう感じた時は明らかに自分がうそをついていなかったかどうか、自分自身にもうそをついていないかどうか、それをしっかりと感じとることが必要です。ほとんどが自分にも気づいていないレベルで自分にうそをついている時があり、それが他人を通して現されてきます。他人の心に何かうそを感じた時、まず自分自身の心と向き合い、自分で自分の本心と違うことをしていなかったかどうか、本来あるべきことと違うことをしていなかったかどうか、そこに目を向け自分の心を正直に見ていくと、あるべき行動が見えてきて直すべきことを直すようになり、相手の言動も変わっていきます。相手を変えようとせず自分が変わることにより本当に世界が変わっていくのを感じとってください。
Dさん、あなたの心の正直は、あなたは常に多くの人に対して自分はどうあるべきかを考えております。自分はどのように接し、どのように対応し、どのように表現していくか、常にこれを感じとり相手に対して良い波動を送り届けようとしております。自分の心を感じとり正直と向き合うためにはとても良い波動となっているでしょう。わずかでも自分の思いと違うことを行動に移すと何か心で違和感を感じ、自分なりにすぐに修正しようとする思いが動いていきます。これはあなたにとっての純粋な正直な心であり、常に自分で自分をチェックしながら良き心へともっていこうとしております。あなたがこれからの学びにおいてさらなる正直を手にするためには、自分自身の心を客観的に見る時、自分の客観性がどの程度客観性を持っているのか、客観的に見ている感覚が本当の客観的であり、まだ自分の一つの側面から見た状態だけに留まっていないかどうか、本来の客観性というのはどの視点から見るのが本来の客観性なのか、それを追求していく段階に入っております。自分個人から見る客観性と本来の客観性にはずれがあるために、自分の考える客観性ではなく本来の客観性を持って見ていく、この本来の客観性というのがどの視点からどのポイントでどのように見るのが客観性なのか、それを追求していくと客観性の度合いがどんどん高まっていき、それによって正直さも映し出されるものが変化していきます。高いレベルから見た客観度により自分の正直さを高いレベルで見ることができます。次の段階として正直さのレベルを引き上げるようにしてみてください。
Eさんの心における正直は、あなたは心がいろいろな変化をもたらしながらも、常にある方向へと向きを保っております。どのような状態にあってもあるべき方向を保持しており、調和を保つ、一つになる、天界のように調和のとれた一つの世界、そのようなものを常に考えております。したがって自分の心の基準が一つになった天界のような状態であり、そこに向けて自分の心も他の人の心もそうあるように導こうとしております。しかし他の人といろいろ交流すると自分の心と他の人の心の違いに意識が向き、自分の心を他の人に合わせるのか、他の人の心を自分に合わせるのか、お互いの心をそのままにしておくのか、いろんな思いが沸き起こってきます。今は大分意識が上がっていき他の人の心をそのまま認め、そのままにしておくということが意識できるようになってきました。これからの学びに際し、他の人の心をそのまま認めながらも他の人の心が少しでも天なる方向へと引き上げる為に自分はどう接していくか、自分は自分の心を天なる方向へと持っていくために、自分の心をどうコントロールしていくか、接する人一人ひとりの心を引き上げるためには自分がどのような発言をしていくのか、一人ひとりの心と接する時の自分の言動について考えるようになっていきます。そして心の調和を保つためにただその人を認め、そのままにしておくのが良いのか、それとも天に引き上げるために少し混乱をさせながらでも上に上がる方向を教えていった方が良いのか、そういう葛藤が始まることになります。相手のことを考える、そう理解した時、そのままにしておくのが相手のためなのか、それとも一段階引き上げることが相手のためなのか、望んでいない人を引き上げるためにはいろんな労力が必要となり、本人の苦痛も伴うでしょう。何がその人にとって良いのか、自分のあるべき言動がどうなのか、こういったことにより常に自分の心と向き合い、自分の正直な心とは何なのか、そこと戦う日にちがやってきたりします。常に上に上がっていく、成長していく、そういう方向に向けた正直な心とは何なのか、それを学びながら自分の心を大きくしていくようにもっていってください。
皆さん方の心、正直についてアドバイスをしてみました。実際正直という心の状態は人さまざまであり、必ずしも一つの言葉で定義できるわけではありません。場合によっては他の人から見た時は、まったく正直でないように見えても本人は本当に正直な場合があったりします。
あくまでも自分の心の正直と向き合い、他の人に関しては正直かどうかを判断することはとても難しいと思ってください。自分との戦いであり自分に対して正直でいられるがとうか、常に自分に目を向けることを忘れないようにしておいてください。それではここまでにいたします、ありがとうございました。