2014/1/12 意識トレーニング
徳が身につくには数年かかる |
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①はじめは意識してしてでも良いことをする
私は観音の一つの現れで皆さん方の言葉ではまだ表現できないエネルギーで現れてきました。千手観音が皆さん方には一番近い表現と思われます。皆さん方が精神を修養させ新しい地球にふさわしい心を身に付けていく、精神修養を大事にしてあるべき人間の姿に近づいていく、そのためのプログラムとしてこのカリキュラムがつくられております。
これから皆さん方と共にこのプログラムを進めていきながら、皆さん方の心や精神がどう成長していくか、皆さん方と共に私たちも人間について理解を深めていき、多くの人が新しい地球の世界に入ってこれるのを楽しみにしております。今日は徳について皆さん方に考えていただき、心のあり方を学んでいこうと思います。
日本においては徳という観点から心を見る習慣が身に付いており、これは世界的に見ても数少ない国民の意識になっております。今この地球の文明において力こそがすべて、勝てばそれで十分、結果がすべてという意識が広がっており、今の経済社会を牛耳っているのもこの力あるものがすべてを手に入れております。
力を手に入れることにより物質を手にし、人間を支配していく、こういう構図ができ上がっており、力あるもののほとんどがそのまま人間を支配していきます。本来日本においてはいかに相手を生かしていくか、自分が一人で生きることはできないために他と協力し合い、他を生かしなるべくお互いが良い関係で繋がりをつくろうとする、こういう意識を身に付けておりました。
場合によっては今自分がうまくいかない状態であったとしても後で良くなる、今は自分が苦しくても相手のために何かしてあげよう、こういう気持ちを持つものがいることにより、自分よりも相手のことを大事に思う、自分よりも隣の人や近い関係にある人を大事にしておく、こういうところが本質的に身に付いており、そこから思いやりやいたわり、相手のことを考えるという心が身に付いておりました。
だんだん日本人の心からこのような思いやりが消えていき、今となっては物質的なものが力を持ち、手に入れればそれで十分、多くのものを手に入れたものが偉い、素晴らしい、物を手にしていないと何か不安になってくる、こういう意識構造をつくり出しております。今皆さん方に一番必要なのは、自分の意識レベルがどの辺にあるのか、自分はどの程度の意識レベルで生活しているのか、これを知ることがとても大事です。
意識レベルというのは自分の本来のあり方を示す一つの基準であり、意識レベルが低いというのは自分のことばかりに意識を向けてしまい、他の人に意識が向いていかない、他の人を気にかける余裕がない、これは意識レベルが低い生き方になります。意識レベルが高まっていくと他の人に意識を向け、自分と同じように他の人を大事にしていく、それが身内である場合や兄弟、家族、友人と広がる場合もあるでしょう。
それがどんどん成長していき見知らぬ他人にまで思いを馳せていく、敵対する人間にまで思いを向けておく、嫌われたり意地悪される人にも思いをかけてあげる、そして別の人種や他の国々の人にも意識を向け、少しでも調和や平和が保たれるように心を向けてあげる、このようにして意識レベルが上がっていきます。
今の多くの皆さん方にとって毎日生きるのが精一杯という意識レベルがあります。毎日毎日やることがたくさんあり、余裕がない、来る日も来る日も同じことを繰り返し変化がほとんど感じられず喜びがない、こういう意識レベルがあります。
毎日が同じことの繰り返しで余裕がないというのは心のあり方から感じられるものであり、それは社会のせいでも周りの人のせいでもありません。あくまでも自分の心のあり方からつくられる現実であり、自分の心のあり方を変えるだけで毎日が変化にとんだ楽しい毎日へと変わっていきます。
自分が毎日どこに意識を向けているのか、自分の生き方、自分が満足すること、自分が喜びを感ずることだけに意識を向けている人は、毎日が同じ繰り返しのように感じられていくでしょう。自分ではなく自分とかかわり合う人一人ひとりに興味を持ち、その人は今日どういう姿でやってくるのだろう、その人は今日どういう心で近づいてくるのだろう、今日初めて会う人はどういう心の持ち主なのだろう、自分と接する人、あるいは自分が行く場所一つひとつに興味を持ち、今日はどういうエネルギーで自分と繋がっていくのだろう、こういう気持ちを毎日持っておくと、毎日がとても新鮮な毎日になり、ただの同じ毎日を過ごすという意識がなくなっていきます。
自分の心がどこに向いているのか、自分の幸せだけを見つけようとしている人は逆に毎日が同じ自分の姿を見ることになります。自分とかかわり合う人、自分が行く場所いろんなところに興味を持ち、今日はどういう観点で自分の心と繋がるのだろう、こういう思いを持っていると毎回違う喜びを見つけることができ、来る日も来る日も新しい毎日を体験することができます。
意識レベルを高めるというのはいかに自分に執着しているか、それから離れていき自分以外のものに興味を持ち、執着することなくいろんなものの喜びを感じていく、自分の心をいろんなところに向けていき、それぞれ喜びを感じていく、こうやって自分の心の執着から離れることが最初になります。
自分が幸せになりたい、誰かに幸せにしてもらいたい、こう思っている人は自分への執着が強すぎるためにいつまでたっても心の喜びを感ずることはないでしょう。他の人に興味を持ち他の人の喜びを感じようとする、あるいは他の人との繋がりを大事にしていろんな繋がり方を楽しんでいく、こういう気持ちを持っている人はいろんな楽しみを感ずることができ、毎日を充実して生きるようになります。
すべては心の在り方一つで変わってくるのであり、現実が自分を変えるのではありません。同じ現実を体験したとしてもつまらないという心を出す人もいるでしょう。とっても良かったという心を出す人もいるでしょう。同じ現実でありながら受けとり方は一人ひとりまったく異なっているのです。
皆さん方が意識レベルを上げていき新しい世界に入るためには、まずいろんなことに興味を持ち、いろんなところから喜びを見つけ出していく、自分以外のところに意識を向け自分以外とのものと一つになり、楽しみを感じていく、喜びを感じていく、こういう心がとても大事になります。
自分の心に執着せずいろんな人の心やいろんな現象に興味を持ち繋がっていくと、自分の心そのものが大きくなっていきます。自分の心が大きくなりいろんな人の心に繋がるように心が広がっていく、心が広がっていくと自分の心が余裕を持つようになり、自分一人の人生の流れだけに振り回されることなくむしろいろんな人に生かされている、いろんな人とかかわり合ってお互いに生きている、他の人のいろんな喜びを感ずることにより自分も喜びを感じていく、こういう心が育っていきます。
まず皆さん方はこうやって自分の心を大きくすることを試してみてください。自分の心を大きくしていきいろんな人と繋がりをつくろうとする、いろんな場所やいろんな状況に自分の心を向けていき、そこに楽しみを感じようとする、こういう心を身に付けることにより心がどんどん豊かになり、器が大きくなり、他の人を受け入れる気持ちも大きくなっていきます。
そして他の人を生かそうとする気持ちも強くなっていき、どのようにしたら他の人が良い心になっていくのか、他の人と共に一緒に心を大きくするためにはどういう在り方が良いのか、それを見つけようとすると徳ということがとても大事なものをもたらしてくるのです。
徳という行為は他の人のためにやるようにみえて実際には自分自身の心の修養になっていきます。自分自身の心が豊かになり、心が強くなり、多くの人に対して寛大な心で接することができるようになります。まず他の人に目を向ける心の寛大さを身に付け、そして他の人を生かすために自分が強くなるために徳を行ない、徳によって自分の心が豊かになり、さらに満足できる現実が楽しめるようになっていく、こうやって皆さん方の心が豊かになり、そしてそれらが一つひとつ魂に身に付いていくでしょう。
徳を身に付けようと思ってもすぐに身に付かないかもしれません。最初はある程度意識して行なうことが必要になるでしょう。初めはこんなこと意識してやるとこれは徳じゃないだろうとか、わざとやっても何か偽善でやっているような気がする、そういう感覚を得るかもしれません。
それは最初のうちはそうかもしれませんが、あまり気にせずにその時その時に必要なことをただ行なってみてください。それを繰り返していくうちにだんだんそう考える必要がなくなっていき、自然に心から行動できるようになっていきます。最初だけはどうしても慣れていないために頭で考え、照れたり、ちょっと不自然な行動をとりながら徳を行なうことになるでしょう。
でもそれでやめることなくさらに何度も何度も繰り返していき、自然に行なえるようにする、わざとらしくするのではなく、頭で理解してやるのでもなく、心から素直に手が動き、足が動いていく、こういう徳のあり方を目指してください。したがって初めは頭で考えて行動するという徳から、自然に手足が動く徳になるまで数か月、場合によっては数年時間がかかるかもしれません。
それでも皆さん方は諦めることなく心から他の人と接する気持ちを持ち、徳を行ない、自分の心を修養していくようにしていってください。
②今の一瞬を充実して生きる
私は武士として生きていたことがある日本の魂です。武士として生きていた頃は世の中が荒んでおり、人間は毎日を恐れや不安で生きておりました。ただその中でも心豊かに毎日を充実して生きている者もおりました。その違いがどこにあるのか初めは理解ができませんでした。
毎日を不安や恐れで生きているものはまず食べるものがない、暮らしの根本ができていない、これからどうやって生きていこう、こういう思いを持つものがあちこちにおりました。しかし毎日を楽しく生きているものは同じ状況にありながらもすべては天によって生かされている、天が自分を生かしている、天を信じていれば困ることはない、今日一日を充実して生きよう、今あるこの瞬間を喜びをもって生きよう、こういう気持ちで生きているものがおりました。
そういう人々がたくさん集まるととても喜びに満ちた幸せな空間ができ上がり、その場に近づくとあたかも自分自身が天にいるかのようなとても安らぎのある空間を体験することができました。彼らは自分のことよりも多くの人々の心を明るくしようという思いを身に付けておりました。
すべてが天に生かされ天とともにある、天が生かしてくれている、これを信じている限り毎日が楽しく充実して生きることができる、こう信じており、そう信じているものは本当になぜか毎日が不思議と生きられているのです。自然に必要なものがめぐってきて、必要なものが手に入り、毎日が苦しむことなくそのまま生活できるように動いていくのです。
天と共に天を信じて生きているものはこのようにして毎日を充実して生きながらも必要なものが回ってくる、また他の人で何か必要なものを求めているものがいれば、自分が出かけていきその人のためになることをしてあげる、こういう生き方を見ていてとても感動したことがありました。
武士の生き方もある意味ではそれと似ており、生命あるこの瞬間、瞬間を貴重な生命として生きることです。生かされている思いをしっかりと持ち、生命ある限り他のものを助ける、他のものを守るという意識で生きております。武士は何かを守る、人々を守るという場合があれば名誉を守ったり、その人の地位を守ったりするために戦う、しかし無用な殺生はせずあくまでも必要な時にだけ敵をこらしめる、このような生き方を行なっており、基本は与えられた生命を大事にしてこの一瞬一瞬を、生命を多くの人に捧げるために生きている、これが本来の武士の生き方になっておりました。
今の日本の人々を眺めると、今を楽しんで生きている人がほとんど見当たらず、なぜか不平不満や心配、恐れ、怒り、こういうものに惑わされ自分でつくり出した苦しみの中でもがいているように見えております。わざわざ自分で不安を取り寄せ、自分が引き寄せた心配の中で苦しんでいるのです。
皆さん方がいろんな学びをすることは大事かもしれませんが、どのような学びをするにおいてもまず根源として自分は天に繋がり、天と共に生き、天に生かされ、十分に今この瞬間を生きている、今この瞬間、他の生命を守るために生きている、今この瞬間充実して楽しんでいる、与えられた生命を最大限に生きている、まずこれを根源に持っていただきたいと願っているのです。
生きるということの本質が失われております。なぜかただ長く生きれば良い、薬を飲んででも手術をしてでもいいから長生きすれば良い、このように間違った認識がつくられております。生きるというのは長く生きるのではなく今の一瞬一瞬を充実して生きることです。
与えられた生命を全うすること、それが正しく生きることです。今与えられた生命を他の人を救うために使う、他の人を喜ばせるために、他の人を生かすために自分の生命を使っていく、これが生きることです。まずいろんな学びをする前に生きるということ、今をしっかり生きるということ、これをまず身に付けてください。
そして幻想に惑わされず、将来、未来や長生きなどという言葉に惑わされず今をしっかりと生き、与えられた生命を大事に大事に他の人のために使っていってください。それではここで一休みしておきます、ありがとうございました。
③形だけの徳から身のある徳へ
今日は皆さん方と徳についてお話をする機会がありとてもうれしく思っております。徳について今の皆さん方の意識といろいろ感じてみたところ、皆さん方が古来の日本の時点で身に付けている徳と今皆さん方が言葉で解釈している徳との間にはかなりの大きな違いがあるのを感じざるを得ません。
やはり今身近に徳を具現化している人がほとんど見当たらず、まったく分からないまま想像で話している、具体的に何か徳のある人をイメージして話しているというよりは、まったく見当もつかない状態で言葉によって理解している、こういう徳の会話になっております。そのために古来の日本で認識されている徳と今皆さん方が話し合っている徳との間ではやはり根本的な質が異なっております。
まず根本的なところをしっかり理解しておく必要があるでしょう。古来日本人が徳を大事にしていた一番の理由は、お互い人間は知らない人同士の集まりであり、それぞれ自分の生活があり、自分の家族がおり、異なる人間たちが同じ土地で一緒の習慣で生活をする、異なる人間が共同で生活をする時にどのようにして異なる人間の心を受け入れ、良い働きをするようになっていくのか、そういう状況においてできるだけお互いが違和感を感じたり、不安を感じたり、嫌な気持ちをしない程度に付き合いながらも本当に困った時は助け合い、いくら他人であったとしても本当に相手のために何かをしてあげる、困った時はいくらでも力になってあげる、こういう人間関係をつくろうとしてお互いに知恵を出し合い、お互いのことを気遣いながらつくり上げてきたのが徳というものになるでしょう。
したがってこの徳というものの本質は知らない人同士が共同生活をする時に、お互いに生かし合い、助け合い、成長し合い、でも異なる人間であるということを理解し、無理強いをしたりせず無理やりコントロールしたりせず、そのままを認めて生かしていく、こういう気持ちから行なわれているものです。
今の日本の社会は特に都会の人々はかなり異なる人間たちの集まりであり、考えや習慣、それぞれのやり方がまったく異なっており、共同生活をするという状況にはなっておりません。隣の人でも他人でありほとんど日常生活に影響を与えることはなくなっております。
単なる他人の寄せ集めが都会をつくり上げております。都会において徳を身に付けるというのは正直かなり困難な心の使い方になるでしょう。それでもだからといって他人として無視したり、しょせんはただの人間としてかかわり合わないようにするというのは、これはあまりにも心の狭い生き方になります。
やはり心を大きくしてどのような人に対してでも良い気持ちになるように接していき、相手が困っていたら少しでも助けになることができるように、お互いに協力し合ったり、お互いがせめて挨拶でもして日常生活で良い関係を続けることができるようにしていく、こういう気持ちから始まるものと思われます。
したがってもし皆さん方が徳というものをこれから大事にして生活で生かそうとするのであれば、まず自分の生活している地域の状態をよく理解しながら、まずどんな人にでもそれなりに挨拶をしたり、礼儀をつくしたり、何か困っている人がいたら助ける心を身に付けていく、譲り合う精神やお互いに助け合う精神、まずこういう心をしっかりと身に付けることから始まるでしょう。
他人と思わず同じ地域に住んでいる人はすべて友人のように、家族のように接していく、自分がそういう気持ちを持っていればおのずと周りの人もそのような気持ちが身に付いてきます。自分が他人と思っているとその人は他人のままになります。自分の方から思いを変えていくと本当に現実が変わってくるのです。
まず皆さん方はそういうことを理解して自分の地域社会において、まず他人と思わずに友人、家族と思い、普段から明るく元気に接していく、こういう心を身に付けていくと、だんだんいろんな人との付き合いが本当に始まっていき、そして助けになることが現実化するようになります。
そうするとだんだん思いやりやいたわり、相手のために何かすること、いろんなことが現実化していき徳が本当に必要な社会に進んでいきます。まず自分の生活環境において自分の心を大きくし、いろんな人と毎日接する、そういう環境にいてお互いの心の繋がりを広げていく、まずそれをしっかりと根本につくり上げていってください。
皆さん方が話し合ったいろんなテーマの中でも、誠実さや謙虚さというものは本当に大事な心のあり方であり、偽りのない心、これは神に対して偽りのない心であり、自分に対して偽りのない心をいいます。多くの人は自分自身にうそをついている場合があります。
私はこういう人間だ、私はこれができる、これができない、全部自分に対してつくり上げた一つの価値観であり、場合によってはできないのにできると言ったり、自分自身をごまかしている場合があるのです。まず自分自身をごまかすことなく正直になること、自分自身に正直になり正直な自分をそのまま神の前に現すことができる、こういう心のあり方をまず大事にもっていってください。
自分の心がそのまま正直になれば他の人がだんだん見えてきます。偽りを言ってくる人や本音で接してくる人がはっきりと分かってきて、自分がどうあるべきかがおのずと分かるようになっていきます。自分がうそをついていると他の人も自分にうそをついてきます。
したがってまず他の人が自分にどの程度うそを言ってきているか、それによって自分がどの程度自分にうそをついているのか、これを知りながら自分に対してうそをつかない生き方を身に付けるようにもっていってください。
Aさんのこれからの徳の修行において、まずあなたの場合は神に対する忠誠心を学ぶことになります。神に対する忠誠心とは何なのか、これはあなたが自然界に力を行使する時に必要なものとなるのです。自然界に力を行使する時自然界をつくり上げた神の偉大さをしっかりと理解し、神がつくり上げた自然の中に自分も神のメンバーとして協力していく、そのためには神に対する忠誠心が必要であり、神に対する忠誠心によって自然環境の中に手を加える許可が下されていきます。神と自分との繋がりをしっかりと理解していき忠誠心を常に心にもって自然界と接していってください。
Bさんの徳の修行において、まずあなたに最初に訪れる一つの問題は自分自身の心を自分でコントロールできるかどうか、自分の心を自分でしっかりとコントロールし、正しい方向へと導いていく、これがあなたにとっての最初のテーマになります。あなたはまだ自分で自分の心がどうなっているのか、心がどこに向かい心が何を求め、心は何を安らぎとしているか、これをまだ自分で気づいていないために、その時々のいろんな情報によって心が揺れ動いております。まず自分の心の状態をよく理解していき、本当に自分が望んでいる方向は何なのか、自分が心から喜びとしているものは何なのか、それをしっかりと理解することです。それが分かってくると自分の進むべき方向性がしっかりと見えてきて、それが見えてくると自分のこれからの行動に対しはっきりとした意図をもって、はっきりとしたやり方で行動できるようになっていきます。自分の心を知りコントロールしていく、まずこれを身に付けていってください。
Cさんの徳の修行において、あなたが今学んでいる状態において心が求めているものは、あなた自身の心に対する謙虚さ、自分の心に対する謙虚さが求められております。謙虚さというのは自分の心が本当は何を求め、心のあるがままをしっかりと認めることができるかどうか、あなたの心は聖なる世界に向かう心を求めているのです。あなたの心は聖なる世界に向け少しでも聖なるものを手にしようと望んでおります。しかし聖なる世界というものはあなたから見た時、本当の聖なるもの、神聖なるものをしっかりと理解し、そこに近づこうとする気持ちがなければ聖なるものを引き寄せることはできません。聖なるものをしっかりと見つけ認め、そこに近づこうとする時、心はそこに向かいながらも神聖なるものを見た時に恐れ多い気持ちになり、なんとなくそこから遠ざかるような感覚が入ってきます。聖なるものが来た時に退こうとするような心は本当は謙虚さの現われであり、より高きもの、聖なるものをしっかりと認めることによって自分自身のより聖なるものに近づこうとする力を強く身に付けることができるのです。自分自身の謙虚さをしっかりと認め身に付けながら、聖なるものに近づこうとする力を養っていく、謙虚さをしっかりとベースにしながらより神聖なるものへと心が動いていく、この自分の心を理解してその方向へ心を持っていくようにしていってください。
Dさんの徳の修行において、あなたが今テーマとする徳の項目は、意志の強さを身に付けることにあります。自分が何をしたいのか、時々自分でも分からなくなり自分のしたいことが何なのか、どこに向かうのか、自分でもコントロールできなくなってしまいます。しかし実際にはいろんなあなたの存在たちがあなたに意志を授けており、方向性を見せているのです。いろんな場面においてあなたに意志をもって働きかけ、あなたが喜びを得られるような方向に行くように、一つひとつの問題を解決して次のステップに向かうように話しかけております。しかしあなた自身がほとんどそこに目を向けず、耳を傾けていないためにそれをキャッチすることができず、結局意志が働かない状態になっているのです。日常の生活においてもっと声を聞こうという気持ちを持ってください。聞こえない声を聞こうとする、感じとれない思いを感じとろうとする、そういう思いを持ち少しでも何か感じられたらそれを真剣に受けとめ、それを意志を使って実行するようにしてみる、こうやって実際にはいろいろ伝わってきているあなたに対する思いをしっかりと受けとり、それを意志を持って具現化することをやっていってください。これがあなたにとって大事な始まりになります。これができるようになるとあなたは次々といろんなことができるようになっていきます。
Eさんの徳の修行において、あなたが身に付けるべき徳の項目で、自分自身に対する誠実さ、これが今あなたに現れております。自分の心の誠実さをまず身に付けると同時に、自分の心の中の誠実な部分をしっかりと表現していく、正しいこと、あるべきこと、認めるべきこと、いろんなことをそのまま表現していく、素晴らしいと感じたもの、美しいと感じたもの、それを表現していく、この誠実さがあなたにとって大事なテーマになっており、あなたがこの誠実さをしっかりと具現化できるようになると、心の波動が急速に変化していき大きな安らぎをあなたにもたらしてきます。あなたは誠実さを具現化することにより安らぎが得られるようにつくられているのです。ぜひ安らぎを手にするために誠実さから行動を移すようにしていってください。
Fさんの徳の修行において、あなたの次のテーマは新たなる人々や新しい人たち、これからやってくる人たちに対して常に新しい導きを与える波動を身に付けております。新しく近づいてくる人、新しく親しくなる人それぞれに導きを与える波動を持っており、あなたはそれらの人々に対して謙虚に素直に接していく必要があります。どんなに新しく初めての人であったとしても謙虚につつましく、自分の心から接するようにしていくと新しい人々が次々とあなたの心の中に繋がっていき、あなたは大きな助けを与えることができるようになります。常に心をしっかりと保ちながら新しい人々に対して心で繋がり、彼らを導いていく、こういう心の動きを認めそれを生かすようにもっていってください。
Gさんの徳の修行において、あなたのこれからの経験の中で人間として認められているかどうか、いろんな人に自分はどう認められているかどうか、そういうことに対する思いがいろいろ入り込んでいるために、心が常に揺れ動き自分でも心が分からなくなる場合があります。まずしっかりと自分を保持し、あるべき自分を保ち他の人の評価に揺れることなく、自分は自分であるという意識を確立すること、どんな状況でも自分はしっかりと天に繋がり、天の喜びを感じ、今天と繋がって生きている、この感覚をまず確立させてください。どんな状況でも自分が天と繋がり、天に生かされているという思いを持っていると人のいろんな思いや言動に振り回されることなく、常に天の一員としての心を保持し続け天の一員として言動をとることができるようになります。
Hさんの徳の修行において、あなたの心の中にさまざまな心の葛藤があり、自分でもそれに揺れ動く状況があります。あなたの心を落ち着かせ周りとの関係を良くするためには、自分の心にあるいろんな悲しみや苦しみをしっかりと理解すること、自分の心の中の悲しみや苦しみを理解する、これは素直な心ということもできますが、自分が何を苦しんでいるのか何を悲しんでいるのか、これをまず理解することです。これを理解することにより自分がだまされて混乱していること、ついいろんな現実に惑わされどうでも良いことに振り回されている、本来価値のないものに揺れ動かされ自分の価値観が混乱している、こういう時に悲しみや苦しみが現象化されてきます。自分の本来の心はそういったものには惑わされず、本来心は明るく元気な心、どんな時でも明るく元気な状態でいられるのが心になります。そこにいろんな幻が入ってきてだまされてしまう、幻想に惑わされ明るさが消えていく、このようにして心が惑わされているのです。まず惑わされない心、他の人のいろんな言葉や状況に惑わされず自分の心は自分でしっかりと管理し、自分が明るく心を保っている、そういう意識を持って自分の心をしっかりと自分の元に戻すことをやってみてください。
Iさんの徳の修行において、あなたの徳を高めるための次のレベルは、自分が何か嫌なことや気に入らないこと、自分には望ましくないという状態がある時に、率先してそこに取り組む勇気が必要となります。これまではできないという理由で避けていたり、場合によっては面倒とか嫌ということで避けていたものがいくつかありました。しかしそういう状況を続けていくと心はなかなか成長することなく現状のままで続けることになります。これからはやるべきことややってきたものをしっかりと受け入れ、率先して取り組んでいく、どんなことにも自分の方から積極的に取り組む、こういう姿勢が必要となり、それによって自分の心が新しいエネルギーに変化していきます。新しいものを取り入れることによって自分の心が変化していく、是非それを理解し自分自身を新たなる波動のレベルへと引き上げていってください。
Jさんの徳の修行において、あなたの日常の生活において自分自身の気に入らないところを無視していき、できるだけ自分の能力を良い方向へともっていく、こういう意識がつくられており、自分の良い面をどんどん伸ばしていこうとする働きがあります。これは良い傾向といえますがただ自分の認めていないところ、自分で理解している自分の弱いところをそのまま放っておいてもなかなか良くはなりません。自分で見たくないところ、無視しているところや弱いところをしっかりと認めた上で、それを良い方向へと伸ばしていく、自分の弱さを克服する勇気、自分に挑戦する勇気が必要となり、積極的に自分の弱い面を回復していく、自分の方から取り組んでいく、こういう姿勢で自分の心を変えるようにしてみてください。
Kさんの徳の修行において、あなたの心の表面に他人との人間関係において常に何かワンクッションおくという波動があります。心で直接接するのではなくどこかに干渉的なエネルギー、ワンクッションおくエネルギーがあり、そこで自分に少し自分に馴染むように調整した後でその心と接するというやり方がつくられております。そのためにいろんな人と接する場合でも常に本当の心で感じとるわけではなく、ワンクッションおいて少し自分に馴染むように変化させた上で心で接するというやり方をとっております。この場合は徳を行なうにしても常にワンクッションおくことが普通になってしまうために、まずこういう状態をつくらずに直接心で接するように努力してみる、ワンクッションおく波動をだんだん弱くしていき、その人の心そのものをそのまま受け入れようとする気持ち、これを身に付けることです。そうすることによっていろんな人がいろいろ心で交流する時、これまで慣れていない波動が一気に心にやってくるかもしれません。初めは混乱するかもしれませんが、それによって相手の心を本当に理解し相手のためになり、何が相手の成長のためになるのか、何が相手の喜びになるのか、それがこれまで以上に分かるようになっていきます。ぜひ直接心で接することができるように心の波動を変えてみてください。
Lさんの徳の修行において、あなたの心の修行は順調に進んでおり、この徳においても少しずつ学びが進んでおります。次のテーマとしては相手の心の本当の深いところ、心の奥底にあるものをどうやって感じとっていくか、心の表面を何とか感じとることができるようになってきましたが、まだその深いところ、奥のところでは本当はどういう心なのか、これがまだ自分で分からないために常にそこで勘違いしたり混乱したりするケースが多くなっております。表面で感ずる心ですぐに判断せずにさらに一歩深いところまで意識を向け、本当はどういう思いなのか、本当はどういう心なのか、なるべくそれが分かるように意識をもっていき、それらを感じとれるように練習をしてみてください。
Mさんの徳の修行において、あなたの心の状態においていろんな人々との交流を考えた時、自分から初めから何か受け身になったり、あるいは弱気になったりするような感じで心の波動が動いていきます。したがって相手の心の波動を正しく認識するというよりは、どうしても何か弱いところから相手を見るような状態になってしまい、正しく相手の心が見抜けなく繋がることができなくなったりしております。まずは自分自身のエネルギーをしっかりとつくり上げ、堂々として相手と接する、相手の心と堂々と向き合い自分の心をしっかりと表現して相手の心と繋がっていく、こういう強い心で相手との交流ができるようにもっていくことです。自分の思いや考えをしっかりと保持した上で相手の心と正面から堂々と繋がりをつくっていく、こういう気持ちでいろんな人との心の繋がりを強化するようにしていってください。
Nさんの徳の修行において、あなたの心のレベルはかなり成長しており、徳ということに対して十分に学びを深める時期に入っております。あなたの徳の項目の中では、忠誠心や謙虚さ、これらはとても大きなテーマとしてやってくるでしょう。これらはいずれも神に対する忠誠心や、神に対する謙虚さや素直さ、神と向き合うために必要な徳の項目となります。自分が神と向き合う時どのような姿勢で向き合っていくのか、自分が真実を生きているということを神の前で表現できるかどうか、毎日の自分の言動がすべて正しいものであると神の前で表現することができるかどうか、神の前ですべてをさらけ出しすべてを認め、すべてを感じとり、そしてまたそれを現実に戻していく、この神と向き合った姿勢、これがとても大事になります。神を目の前にして動じない心ができた時、徳を行なう場合でも素晴らしい徳として人々に貢献することができるようになるでしょう。
Oさんの徳の修行において、あなたが今学ぶ徳の項目は、忠誠心や誠実さが大きな鍵を握っております。この現実をつくり出す神や多くの存在たち、精霊やマスターたちはすべて意味を持って人間関係をつくり、現実をつくり、すべてをあなたに与えていきます。あなたはそれらをしかりと受け入れ、受けとめ心で感じとり、そして現実を楽しんで生きていけるかどうか、天から神から与えられたものを謙虚に受けとめ、それを最大限に生かして自分の人生に生かせるかどうか、この自分の人生に生かせるかどうかをしっかりと行なえるようになった時、自分の心は天に対してとても良い状態になり、その状態で人々と接するとまるであなた自身が他の人に対して天のような働きをすることができるようになります。自分が天と向き合うことにより他の人に天として振る舞うことができる、この関係を理解し自分の特質を上げるようにしていってください。
今日は一回目ということで徳に関して基礎的な学びを行ない、アドバイスをしていきました。実際には深いレベルでいろんな話が残されております。皆さん方がこれを機会に徳について実践し、心を高めていった時また次のレベルで徳について新たなる学びがやってくるでしょう。
ぜひその時までに自分の心を成長させるように、精神を修養するようにしていってください。それではここまでにいたします、ありがとうございました。