/レムリア/ムー/日本人の心の気質はムーのころから/心で感じ取る能力/アトランティスによって心が個別化していった/
2018/11/19 宇宙交流会 |
このメッセージのいいねポイントは |
|
ムーの頃の心を取り戻す |
①相手の心が分かることを思い出す
私はマイトレーヤ。日本の方々には弥勒菩薩と呼ばれております。皆さんとお話ができることを喜びとしております。日本人についていろいろ話がなされておりました。今のような日本人の意識、心になったのは、なぜなのか。どのような状況で今の日本人の心が作られたのか。いろいろな話がなされておりました。
皆さん方の言葉で言う、いわゆる縄文時代、まだ弥生という時代になる前の時代ですが、実際にはアトランティスが沈んでから弥生が入ってくるまで、約1万年ぐらいたっております。この1万年近い時代を縄文時代と総称して呼んでおりますが、実際には縄文時代といってもいろんな時代の変化があり、同じ文明を維持していたわけではありません。
もともと、皆さん方の原初の始まりはレムリアと呼ばれていた時代の民族から始まっております。きわめて古い頃から日本人の元になっている人種が作られ、進化し、レムリア、ムーという時代を生きてきました。
このレムリアと呼ばれた時代、ムーと呼ばれた時代のそれぞれの時期においても、大いなるマスターたちや、大いなる先駆者たちからのさまざまな指導、導きによって進化がなされ、意識的な成長もなされてきました。ムーと呼ばれた時代は特にその成長がきわめて大きかった時期であり、いわゆるムー大陸と呼ばれた時代において、当時の民族はとても安全で、仲が良く、お互いの心が分かり、今の言葉でいうとテレパシーという言葉になりますが、実際にはテレパシーの意味が今とは異なっているために、同じ認識ではありません。テレパシーというと言葉でのやりとりを連想する人が多いと思いますが、ムーのころの人々は心がそのまま伝わってしまう、心をそのまま感じ取るという特徴の交流を行なっておりました。
特に家族の場合はほとんど心がそのまま伝わってしまう、心が感じられてしまうという生き方をしていたために、あえて違うことを考えたり、違う発想をするという意識そのものが身についていませんでした。
家族兄弟においては、誰かが何か強い心をもつと、ほかの者たちもその強い心に自然に合わせてしまい、皆が同じ心で同じことを行なう。こういう家族形態になっていました。したがって、皆が同じ心で同じやり方で同じことをしようとしているときに、まったく別のことを行なうということは不可能な状態になっていました。
自然に心が通じ、心が感じられる。同じ心で同じことを行なう。もちろん個性の違い、考え方の多少の違いはありますが、それでも今の違いほど大きくはなく、ちょっとした違い程度であり、ほとんどは皆同じように考え、同じような発想で同じ行動をとるという人類になっておりました。
もちろん、これは部落が違ったり、住んでいる場所、いわゆる山の近くと海の近く、そういったところでは自然と異なるやり方が身についてきますが、それでも大まかな状況において、心はなんとなく分かる、心を感じ取れるという意識の状態にありました。
アトランティスという文明が発展してきて、ムーの文明の中に入ってきたとき、それまでのムーの間で作られていた文明とはまったく異なる文明が入ってきました。まずいちばん強かったのがそもそも心が通じない。ムーの者たちは同じ心で同じような感覚で通じ合うという暗黙の状態がありましたが、アトランティスの者たちに関しては心を感ずることができず、心を共有することもできず、まったく何を考えているのか分からない、何をしたいのか分からないというアトランティスの者たちが入ってきました。
そこで多くのムーの国の者たちが大混乱に陥り、そもそもどういう者たちなのか。良い者なのか、悪い者なのか。それすらも分からない状態が続いていきました。はじめは良い人間であるかのように接してきて、それでムーと同じやり方を行なおうとすると、ことごとく失敗し、怒りをもってきたり、場合によっては殺人を行なったりするようになってしまいました。
したがって、その頃から心が分からない、心が通じないという人間に関しては、同じ仲間と見ることはできず、だんだん敵対心のような感覚をもつようになっていきました。したがって、心が通じ合う人は同じ仲間であり、心が分からない人は敵という意識が作られていき、仲間と敵という、この意識が作られていきました。
今の日本人に受け継がれている仲間意識、同族の意識とそれ以外のよそ者、部外者という意識はその時にできたといっても良いでしょう。敵のように感じられてきたアトランティスという人間たちですが、実際にはムーの者よりは、いわゆる進んだ意識をもっていて、いろんな面においてムーの者たちよりは優れた人間になっていました。
何を行なうにも、ある意味では洗練されたうまい技術を手にしておりました。何かを作ったり、何かをとってきたり、細工したり、特に大きいものを作り出す時の能力はアトランティスの者たちはとても素晴らしいテクニックを身につけていました。
まだそのころ、ムーの者たちは、何かを作って皆で生活するとか、共同で何かを行なうという意識は身についておりませんでした。アトランティスの者たちは、もう個別に一人ひとりの役割、役割分担があり、それぞれが自分のできることを行なう、それぞれが自分のできることを行ないながら、全体ではうまく一つにまとまっている。こういう能力はアトランティスが優れておりました。
そのやり方をムーの者たちが見習いながら、少しずつそれをできるようにしていき、心を通わせ合い、感じながら良いものを作り上げていくという意識が身についていきました。しかしアトランティスの者たちはムーの者たちといろいろ交流はあっても、深く繋がるということは最後までできない状態になっておりました。
いわゆるテレパシー的なところで相手が分かるということは、アトランティス人に関してはなされることができず、常に心ではない直接的なコミュニケーションによって、相手の考えていることが理解できる状態なっておりました。
それではムーとアトランティスの共存はある程度、続くことができました。いろいろお互いの戦い、ぶつかり合い的なものはありましたが、それほど頻繁というわけではなく、多くの場合はお互いが協力し合って、お互いの生命、お互いの部族を守るという形態が出来上がっておりました。
しかしさらに文明が進むにつれて、だんだん環境が不便になっていき、以前よりも農業の収穫や物事を作り出す場合において、うまくことが進まない状態が多くなってきました。自然とのかかわりがうまく進まなくなってしまい、自然界と人間界のお互いのやるべきことがうまくできない状態になっておりました。
ムーの者たちもその状態にだんだん感じ始めていき、アトランティスの者たちと親しく、仲良くしたとしても、実際には何も得るものがないこと、自分たちの民族のためにはならないことが感じられてきました。そのために、ムーとアトランティスは一つになることはなく、お互い別々の民族、別々の人種という意識でお互いが進化・成長をなすようになっていきました。
ムーやアトランティスの時代を過ごし、皆さん方の新しい時代の流れに入ってきたとき、最初はレムリアの頃にいろいろ導いていたマスターたちが協力して縄文の文化を守り、保持することができました。縄文と呼ばれている時代においても、その特性はとても素晴らしく、いろんな物事を作ったり、実際に野菜や果物などに素晴らしいもの、完成させるという特徴はとても素晴らしい能力として身についていました。
しかしだんだんアトランティスの文明がすさんできたころ、およそ1万年ぐらい前の状態ですが、アトランティスの者たちは強引に力を使って自分たちの思い通りに進めていく。こういうことが行なわれるようになってしまい、それ以来レムリアの者たちはあまりアトランティスの仲間に意識を向けずに、お互いに自由にさせる、自由にやってもらうという仕組みを作り出していきました。
今もうまくいかないことが多いと思いますが、レムリアの頃の経験を生かし、レムリアでどのようにして多くの人々とうまくやり取りできるようになったか。多くの人々が自分たちの進化・成長のためにどの程度、自分を犠牲にしてきたか。それを一人ひとりがしっかりと学び、受け入れていく事態に進んでいきました。
アトランティスが沈没したあと、ムーの人々がムーのテクニックをもってきて、独自で生活を始めておりました。しかし基本をかなり忘れてしまい、大まかなところだけを覚えておき、そのおおまかなところで儀式を行なうように進めておりました。しかし、実際には儀式は正しいやり方で、正しい方角や正しい知識で行なう必要があり、まだ完全でない状態でうまくムーの文化を育てることは難しい時代になっておりました。
日本人が深いところではお互いに信じられ、よい心をもっている、そういう風にいう人は意外と多いと思われます。ただ日本人そのものの役割、やるべきこととして、今のようなやり方が本当に良いのかどうか。これについては大きな議論がなされております。日本人に正しく考えてもらい、正しく決断を下してもらう。これを望んでおりマスターたちはとても多く存在しております。
しかしなかなかそれによいという言葉がこないのは、日本の人々は自分たち自身の力を使うことよりも、祈り、この祈りやほかのいろんなリチュアルによってうまくいくと信じている人がたくさんおります。しかし、実際にはいろんなものが日本に作られ、発展してきた流れにおいて、多くのものは日本人の気質や特徴、日本人そのものをつぶすために作られております。したがって日本人そのものはいかに自分たちの作り上げた素晴らしいものを残して、皆で共有する、皆で回して、良い情報をもらう。それが大きなテーマになっております。
皆さん方の心の中には、その頃のいろんな目覚めのエネルギー、自分の中で育ってきたよいエネルギーがあれば、好ましくないエネルギーもあります。それらを受け入れ、自分が良い方向へと使いこなしていく。自分ができることを行ない、少しでも地球が良くなる方向へと自分が手伝っていく。その意識をもっている人がとても多く存在しています。
今のこのアセンションという時期において、日本人がうまく切り抜けていくためには、常に世界見ながら、世界の本当のことを見抜いていく。日本との関係においてほかの国のほとんどは、ただ日本を利用しようとしたり、正しいことを言わずにいい加減な説明をして、いっけん表向きは良い条件であるかのように話してきます。しかしそれを見抜くとそんな簡単に利用されるわけではなく、いろんな日本人の特性が必要であり、日本人の特性を目覚めさせることが一番、重要であることが分かってきます。
特に今の日本人の多くの人が、まだ目覚めていない。眠ったままで目覚めていないという波動があります。それをいくつか、感じ取ってもらいます。
まず、他人の前に出たとき、いろいろ説明をして分かってもらおうとする人と、あえて説明はせずに、名前だけただ覚えてもらう、形だけ覚えてもらう。こういう2つに分かれていきます。この日本人の特性、日本人のいろんな個性をうまく使い出し、一人ひとりが自主的に自分で判断し、行動する、それまでの一つの心からだんだん分かれていき、同じ家族でも一緒の村でも考え方が変わってくる。このように変化してきたのが、いわゆる縄文としての文化が進んでかなりたった頃の意識になります。
その頃から同じ心で感じ取っていても、結果的に行動が違っていても、間違いではない。しょうしょう自分がその人と違うことをしたとしても、全体的な心の感覚から見れば、そんなに間違ってはいない。これが縄文の最初のころになります。その頃、その後はさらに意識が進化していき、同じ心の持ち主同士でもだんだん考えが変わってくる、相手が理解できなくなってくる。そのようになってきて、心で感ずるものと、頭で考えて頭で想像するのとでは、かなり違う状態が現れてきました。
心で感じていることと、口で言うことが違ってくる。こういう現象が起こり始めたのです。これがだいたい縄文の中期のころといえるでしょう。その頃すでに心を感じながら、別の考え方が頭に湧いてくる、そういう感覚になっておりました。そしてさらに時代が進んでいき、だんだん縄文の人々でも個性が表に出てくる。個性が発揮されるようになってくる。そういう時代に変わっていきました。
個性がだいぶ動けるようになったとき、自分の心で感ずること、自分だけが感ずること、皆のために役に立ちながら自分に関してもいろいろ思いがあるときは、一緒になっていろんなものを作ったり、作業を行なっておりました。しかしだんだん時間が進むにつれて、同じような心でも行動がまったく違っている、まったく違う行動携帯になっている、この事実に気がついたときから、まだ一緒に作業を行なうのは適切ではない、と判断されてしまい、それによって進化した人間をつくるというよりは、今、いる縄文の人々をいかに本来の神聖な人間へと引き上げていくか。本来の良い状態にもっていくか。それがテーマになってきました。
今の皆さん方は、まだこの学びを継続させております。いろんな人の心を感じながら、自分はどういう行動をとっていくか。皆と違う行動をとることが良いことなのか、悪いことなのか。皆の心がお互いに分かっていれば、何も具体的なことをしなくても、つながっている心だけで作ることができました。
しかし、だんだんそれが難しくなっていき、お互いの心を認識し合うが困難になっていきました。言葉による会話が進化していれば、心で合わなくなってもある程度、うまくいくことはできたかもしれませんが、言葉の会話はそれほど進んでいなかったために、心での感覚、これを大事に考える人がとても多く存在しておりました。したがってムーのころの最後は、心で感じ取っても、言葉では分からない。そういう人々が多く現れていた時代になります。
おそらく皆さん方が、今、現代人で、日本人の現代人で悩んでいるのは、この部分になると思います。皆と仲良くしよう、家族と仲良くしよう、そう思っていながらも、実際にはうまくつながっておらず、先へ進むことができない。こういう状態がまさしく今の状態を表しております。
これを乗り切るためには、もう一度心のつながりを取り戻すこと。頭や言葉ではなく、心そのものを感じ取り、心を通して繋がり、そこから別の方向へと意識を広げていく。こういう進化の仕方が求められております。
皆さん方もそれぞれ自分で瞑想したり感じたりしてみて、自分はどういった特性があるか。いつごろどういう状況でこの仲間とのやり取りの中に入ってきたか。あるいはどう調整をとっていったか。それを学ぶことになるでしょう。
皆さん方がそういう長い時間を経て、今の心が出来上がっております。理解できる人、理解できない人がいるかもしれませんが、頭で理解できなかったとしても、心で感じ取る、心でつながり感覚を感じてみる。この練習は続けてみてください。おそらく日本の人々は頭でやり取りするよりは、心で通じ合う方がかなりうまくできると思われます。
こうやって意見が違っていても心がつながってくれば、おのずと一つの心になっていき、いちいち会話しなくても、つながった一つの心がうまく設定されていきます。それを目指して、心での感受性を高め、心を感じ取ろうとして、学びを進めるようにしてみてください。
それではアドバイスをしていきます。
※個人アドバイスは省略