/光のハイアラーキ/集団の意識と個の意識/集団意識から個別化へ/自立によって個が形成される/全体意識と個人の意識/
2018/2/12 宇宙交流会 |
このメッセージのいいねポイントは |
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集団生活の中で自我の形成を学ぶ |
①集団の意識と個人の意識
光のハイアラーキとしてお話いたします。日本人のグループや集団における意識の話がありました。集団になると自我の意識よりも集団の意識を優先させる、いわゆる空気を読む、場を読む、全体に合わせる、そういう意識が動いてきて、自分個人の意識よりも団体や集団の意識を大切にする、こういう意識構造の話がありました。
日本人特有の意識ということもできますが、また見方によっては多くの部族や集団、集団社会の中で見られる意識ということもできます。日本人に限らず、アジアの人々やアフリカや一部の部族たちの中で見られる意識構造ということもできます。
この集団を大事にするという意識は、人間としての意識の進化過程の中で身につけてきた意識になります。はじめは集団で過ごしているとき、まだ自我が確立されていないために、集団の方々を優先させる。それによって集団、部族、チーム、皆という全体意識がまとまり、 一つの方向にうまく進化していく。そうい状態の進化の段階があり、そのときの意識構造がまた日本人の意識の中に残っているということができます。
この集団の意識の中でだんだん個別化の意識、自我の確立という進化の流れが現れてきて、一人ひとりの自覚、自立、自我の形成が進むことになります。この集団の中ではじめは集団意識を大切にし、集団意識の中で進化しながらも徐々に自分の意識が目覚めきて、集団の価値観と自分個人の価値観の違いが自分の中で生まれ始めていきます。
集団に貢献することと、自分自身の意識の進化、そこに矛盾を感じてくるときに、どちらを優先させるか、自分を犠牲にして集団に合わせるのか、それとも集団を無視して自分の自我の確立にも向かうのか、そこにいろんな葛藤が起こり始めていきます。
ほとんどどの民族、どの国の人々もこの意識の進化の流れは必ず体験することになります。一般に西洋人と呼ばれている人々は自我の確立がかなり進んでおり、集団の意識の学びから個人の人格の学びの方へと移っております。
今の日本人という集合意識でみたとき、この集団での意識の学びと個人の自我の形成という学びがちょうど同じくらいの割合で進んでいることになります。集団の中で集団を大事にするという意識から、個人の人格の形成、個人の自我の形成という方向へと向かってきており、今、その個人を優先する意識がかなり多くなってきているのが日本の状況ということができるでしょう。
どちらが正しくてどちらが間違っているかということは言うことができません。一人ひとりの魂の進化レベル、一人ひとりの自我の進化のレベルによって異なってくるために、まだ自我の形成がそれほど進んでいない魂においては集団における学びが優先することになるでしょう。十分に自我の形成が進み、集団よりも自分の行動が優先されるようになってきている人は、個人の活動、個人の人格の尊重が重視される人生を進むことになります。
今、日本においては集団や全体を大事にするという意識と、全体よりは個人、自分を大事にするという意識のちょうど両方が同じくらいの割合で存在している状態になっております。そのために全体を重視する人、個人を重視する人、ちょうどこれが同じぐらいの割合になっており、どちらが優勢とか、どちらが良いとかいうことができない状態になっております。
しかし今後の時代の流れとして、集団よりは個人を尊重する、個人の人格、個人の意志を尊重するという方向へと向かっていくでしょう。第三密度の流れとして、このように人格の形成、自我の形成という方向に向かっていき、自分自身の言動に対して自分で責任をとる、自分の言動のすべては自分の責任であり、自分で責任をとるという意識が確立されていきます。
自分個人で責任をとるという意識がまだ確立されない人はグループの意識が強く、グループで責任をとる、個人ではなくグループに合わせる、そういう意識の状態になります。したがってグループではなく個人で、自分で責任をとる、自分で自分の問題を解決する、こういう意識になった人は、個人の自我が形成されたということができるでしょう。
第三密度の良い自我の確立としては、自分の言動には自分で責任をとる、人のせいにしたり、社会やグループのせいにするのではなく、自分の言動を自分で責任をとる、この意識が必要となります。
また、自分が確立すると同時に、社会を尊重する、一人ひとりの集合体である社会、この社会も認めるという意識が必要になります。個人を尊重するだけで、一人ひとりがバラバラ、好き勝手にしてよいという意識ではなく、やはり個人の尊重と同時に社会としての秩序、社会の秩序の中に自分がうまく合っている、この認識が要求されていきます。個人がいくら形成されたとしても、社会の秩序を認めない、社会の秩序に合わないという行動をとる人は実際には自分の確立ができていないということができます。
つまり、個人の自分の存在や自分自身の確立と同時に、全体の社会の一員という意識、社会の秩序を維持する、この意識も要求されていきます。そういった意味において第三密度としての人間の確立、自我の確立という観点で見たときは、個人の自分としての意識の確立と同時に、社会としての全体意識につながり、全体の秩序を守ろうとする、この両方の意識が要求されていきます。
全体の意識を感じるというのは、集団や企業、家族、そこにおけるグループの意識とはまた違う意識が必要となります。家族や会社、グループの場合は全体の意識といっても、そこにおける秩序は必ずしも本来の秩序とは異なり、力関係や年齢、地位、役職、いろんな人間的な仕組みの中での造られた秩序が制限を与えることになります。
そういう人間的な秩序で維持するのではなく、社会の秩序そのものはもっと自然的なもの、もっと宇宙的な秩序にふさわしい秩序、そういう社会の秩序に合ったものを感じていき、社会の秩序に自分が合わせていく、これが必要とされる意識になります。
したがって、家族や企業、グループや仲間、そこにおける集団はあくまでもその場だけの暫定的なグループであり、そこにわざわざ何らかの秩序や何らかの特別な仕組みを見い出す必要はありません。その個別の集合意識に合わせるのではなく、あくまでもその場その場のただの集まえり、そういう程度の認識になっていきます。
そういう意味において家族やグレープや企業、そこでの全体的な意識に合わせようとする傾向は徐々になくなっていく方向になるでしょう。あくまでも自分の個人としての意識と社会という全体としての意識、この意識が自分を成長させる意識になっていきます。
空気を読むとか場を読むというのは、社会の秩序の中においてはある程度有効な働きをする場合があるでしょう。民族によって、国によってさまざまな社会の秩序が異なってくるために、ある程度その社会における秩序は理解する必要があるでしょう。
ただ、家族や企業、仲間、そういったレベルのグレープの集合に関しては、あまりそこにこだわる必要はありません。そういうグループ的な観点における一つのルール、場を読むとか空気を読むとか、そういう意識は徐々になくなる方向にいくでしょう。
皆さん方がだんだん進化を進めていき、第四密度の意識の流れに入っていくと、お互いのマインドが共通的なものとして感じられるようになっていく。そこで感じられるのは、ある意味ではその場における人間の意識の感覚ですが、これはあくまでもその場における思いを感じ取っているだけであり、それが良いとか、合わせるとか、何か特別な意味をもつことにはなってはいきません。
一人ひとりが感じようとするのはあくまでも社会全体としての意識の方向性、秩序の在り方、それを感じていき、社会全体の秩序に自分やグループや集まりがどの程度うまくバランスをもって入っていくか。そこに意識が向かうことになります。そういう意味において個人の自我の確立と社会の意識を感じ、社会の秩序を守ろうとする、この意識が皆さんにとって必要であることを理解しておいてください。
※個人アドバイスは省略します。