20180116 of Central Sun Ascension Report

/奉仕/無償の奉仕/一般の人への接し方と身近の人に対する接し方/神への奉仕/奉仕させていただく/神の奉仕のエネルギー/

2018/1/15 宇宙交流会

このメッセージのいいねポイントは

身近な人にどこまで奉仕できるか


①見返りを期待しない奉仕を学ぶ

宇宙大靈としてお話をいたします。皆さん方のこの地球の質問の中で、奉仕、仕事、契約、使命、役割、これらについての話題のあげられておりました。奉仕は皆さん方が行なう働きであり、いわゆる人の成長のために役立つこと、人の成長に役立つながらも自分自身の霊格を高めてい苦、自分自身が神に近づき、神が行なう奉仕を自分が代わりにやっていく、こういう意味があります。

したがって奉仕は、最終的には神への奉仕になります。確かに今の皆さん方からすれば他人に対する奉仕、生命あるものに対する奉仕が考えられているでしょう。しかし実際は神が創ろうとしているこの世界、この宇宙、この世界を素晴らしい世界にするために皆さん方が奉仕を行なっております。

皆さん方の行なうべき奉仕の対象は生命あるものすべてになります。本来は生命に差はありません。どの生命も大切な生命ですが、比較できない生命の重さの中で、あえて比較をするとなれば、進化している生命を大切に扱う。しかし皆さん方がまた奉仕すべき相手は自分の目の前にいる人、自分の近くにいる人、自分と共に歩んでいる人、こういう人々も自分の奉仕する対象になります。また見知らぬ人でも出会った人、自分が目にした人、目の前にいる人、こういう人も奉仕の対象になります。

こういう人々に対する奉仕は自分の打算的なことは一切考えずに、ただその人の成長につながること、その人の真価につながること。しかし皆さん方の多くの場合は、迷っている人、悩んでいる人と共に考え、共に良い方法を見つけていく。場合によっては癒してあげたり、相手の心を理解してあげたり、相手の心につながることを行ないながら、相手が元気よく生きられるように手助けしていく。こういったことが奉仕になっていきます。

もちろん自分ができることを行なうということも立派な奉仕になります。癒しの力をもっている人は癒しの力を使って相手を癒していく。元気付けていく。知識や知性がある人はその知性を使って問題解決がスムーズにいくように手助けしていく。肉体的力がある人はその力を使って、自分ができる労働を行なっていく。いろいろ自分のできることをうまく活用しながら、人のためになることを行なっていきます。

こういう奉仕と仕事、ビジネスというのがどういう関連があるのか。仕事という場合は、基本的には決められた仕事を決められた通りに行なう。場合によっては1時間ただやるべきことを行なう。あるいは与えられた職務を全うする。こういうやり取り、あるいは決められたこと、規約、お互いの契約の内容に従って行なうものは、仕事になります。

しかし決まった仕事以上に相手のことを考え、相手が少しでもやりやすいように、相手のことを考え、相手が不快感をもたないように行なっていく。こうやってただに仕事、ただのビジネスにおいても、決まっている内容以上のことを考えて、相手のためにいろいろとしてあげる。この場合は仕事以上の良い波動が入っており、見方によってはこれは奉仕ということもできます。

誰にどう奉仕しているか、明確に定まることはありませんが、奉仕の対象は必ずしも人間というわけではなく、組織や社会、国であったりする場合もあります。したがって相手が目に見える人間でなかったとしても、自分の行なった気配りや自分の考えていた良いやり方が社会や国にとって良い方向へと進む場合もあります。

したがってただの仕事という場合は決められた契約、決められた範囲の中でのやりとりになりますが、それ以上に相手のことを考え、周りのことを考える。ほかにもいろんなことを考えて少しでもスムーズに運ぶように、周りの人も何か良いことがあるように、こういったことを考えて行なっていくのは奉仕と考えてもよいでしょう。

役割、特に魂としてつくられた役割、魂として体験すべきこと、特に仕事の内容においては魂のレベルで決まっているものがあり、これは魂がもともと体験すべきエネルギーとして創られたものになります。したがって、自分があまり得意ではない、あるいは得意である、そういった仕事に入った場合、これは魂が体験のためにただ創った場合があります。

それを体験することによって魂がその技術やノウハウ、知識、いろんなものを習得していく。その分野における体験を行なうことにより、魂自身がその分野で専門的な力を身につけていく。こういった意味で魂が何らかの役割をつくる場合があります。

また、この役割の場合でも、ただの専門分野的な役割という体験のエネルギーだけではなく、そこにおいていろんな人とのやりとり、そういういろんな人とのやりとりの場合はいわゆる初めから決まっている場合があります。仕事するときのメンバーそのものが、ある意味では決まっているメンバーで仕事を行なう。仕事の相手が決まっている部署とやりとりをする。このように初めからある程度決まっている場合もある。

このように決まっている場合においては、ある意味では契約、役割として体験する状態ということができます。初めからその部署、あるいは特定の人と何らかのやりとりをする契約がなされていた。お互いがそれを体験することによってお互いのカルマを解消していく。そのような役割として、あるいは契約としているつくられている場合があります。

この場合は必ずしも奉仕というわけではなく、たしかに役割、仕事としてお互いがエネルギー交換をすることになります。ただその時に前世のカルマとは別に、本当に相手のことを思って何かしてあげる、仕事に限らず、個人的にもいろんなつながりをつくり、いろいろ相手のために親切にしてあげる。こういう場合は奉仕の心が動き始めた状況といえます。

しかしある程度うまくいき、本当に相手のために何かしてあげる、相手のためにしてあげることが喜びとなってくる、こういう奉仕を感じていながらも、何らかのきっかけで急に仲が悪くなり、もう二度と顔を合わせなくなってしまう。相手に対し怒りや不平不満をもちながら、会わなくなる。こういう場合は新たなカルマをつくり上げたことになります。そうするとまたこのカルマを解消するために新しい体験が必要とされます。

したがって奉仕と思って相手のために接していたとしても、何かのきっかけによって仲が悪くなり、一方的にお互いの関係が悪化した場合、これはカルマとして残ってしまい、本当の奉仕なのかどうか、判定が難しい場合もあります。純粋に自分は奉仕と思って相手と接していても、相手がそれを嫌っていたり、相手の気にいらないやり方であった場合、自分の奉仕は完全な奉仕にはならず、カルマとしてまた体験する現実がつくられていきます。

本当の奉仕は自分が喜びをもって相手のためにすること自体が喜びである。そういう意識で相手に奉仕を行なっていき、相手もただそれを喜びとして受け入れている。相手も何も違和感がなく、喜んで受け入れてくれている。これは奉仕になります。しかし、何度も何度も奉仕を行なっていくうちに、いろんな感情が動き出していきます。

いくらあの人のために奉仕してあげても、何も変わらない。何もしてくれない。こういう不平不満、苛立ちが現れてきたときは、実際には純粋な奉仕になっておらず、何らかの見返りを期待していたこと、はじめは純粋に奉仕を行なっているきましたが、何度も何度も行なっていくうちにだんだん自分に苦痛が感じられるようになってくるころから、このような意識が動き始めていきます。

1回、2回、3回目ぐらいまでは喜んでやっても、頻繁に同じことが続いていくとだんだん奉仕という心が小さくなっていき、義務になっていき、だんだん無理強いをするような状態になっていきます。もうその時には奉仕ではなく、仕方なくやる、強制的にならざるをえなくなる。こういう感覚になってしまい、こういう感覚に入った段階で奉仕ではない別のエネルギーが動き出し、お互いの関係が悪化することになります。

したがって、すぐ近くの人、日常的に何度も会う人、頻繁に会う人という関係において純粋な奉仕をするというのは極めて難しいと考えてください。一度しか会わない人、あるいは数回しか会わない人、そういう人に対しては喜んで奉仕をすることができるでしょう。しかし、毎日会う人、頻繁に会う人、そういう人に対しては純粋な奉仕は難しくなります。どうしても感情が動き、いろんな思いが入ってきて、純粋な奉仕ができなくなっていきます。

このように身近な人、頻繁に会う人、こういう人においては、奉仕という意識ではなく、ある意味ではただの良い関係、家族のような、兄弟のような良い関係、できればお互いに気心の知れた良い関係になっていき、そのお互いの間ではあえて奉仕という言葉を使わず、仕事という義務感もなく、ただ楽に相手と心でつながっている。こういう状態でとても良い心のつながりができ上がったときは、奉仕ではなく、仕事でもなく、お互いにすべてが分かり合える関係として、お互いにいろいろとやっていく。こういう状態も十分に予想されております。

いわゆる人間が進化していくと、だんだんこういう意識に近づいてきて、奉仕という言葉を使わずにただ自然にお互いが楽になるような感覚で、お互いにやりたいことをやっていく。こういう関係になったときはほとんど奉仕というのはやはり神につながり、神に手伝っていく、神の奉仕したいことを自分が奉仕する、こういう感覚になって、まったく別次元の奉仕の働きになっていきます。

皆さん方のようにスピリチュアルな学びをしている人はその奉仕の心につながるのも十分にあり得るということができます。したがって奉仕をするといったとき、身近な人、あるいは普通の人に奉仕をするだけではなく、神につながり、神がしたいことをじぶんの身体を使って奉仕していく、こういう奉仕の形態はとても尊い奉仕になっていきます。

ただ神が求めている奉仕の姿は必ずしも楽なものではなく、人間でしかできないもの、分かっている人にしかできないもの、神につながっている人にしかできないもの、そういう奉仕になっていきます。いわゆるだれでもできる奉仕ではなく、お金さえあればできるという奉仕でもなく、自分にしかできない奉仕、これが神を具現化する奉仕なっていくのです。

皆さん方がいずれ神の意識につながり、神の意識として奉仕を行なっていく、このレベルに達した時、その本当の心が分かるようになっていきます。この神の心が分かり、神に奉仕させていただくという気持ちが心から動き出したとき、本当にこれが最高の奉仕であり、最高の喜びであり、奉仕させていただくという本当の意味が分かるようになっていきます。

皆さん方が神につながり、神の奉仕をする、神に奉仕させていただく、その時の奉仕の波動が少しでも分かるように、今、神の奉仕のエネルギーを流していきます。


光の神々よ、ここにいる学びの者たちに神の奉仕の光を送りたまえ。ここにいる者たちが神の奉仕の光を受け取り、神の奉仕につながり、神の奉仕のメンバーとして動き出すことができるように、神の奉仕の光を送りたまえ。

人々よ、我が神の奉仕の光を受け取りたもえ。神を知らぬ者、神を否定するものにただ光を流したまえ。ただ光ある行動をとりたまえ。ただ光の行動をとるだけで、神の奉仕の光は流れ、相手の魂に流れていく。あえて目覚めさせようとか、あえて何か教えるということはしなくてかまわない。ただ奉仕の行動をとるように。


※個人アドバイスは省略します。

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