/国同士の争い/国のカルマが人間を動かす/隣国は強いカルマがある/国のカルマに理性で乗り超える/国のカルマと個人のカルマは別/スピリチュアルな学びの仕方/学びの次は魂の目覚め/自分で答えを引き出す/
2017/7/31 宇宙交流会 |
このメッセージのいいねポイントは |
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国のカルマに負けないこと |
①自分で答えを引き出すのが原則
光のハイアラーキーからお話をいたします。今のこの地球における人類の歴史において、国と国との争い、宗教の争い、民族同士の争いというものが表面化されております。国同士の争いというのは、単純に民族や人類同士の争いというよりも、国としてのカルマ、国としてのエネルギー自体が引き起こしている現象でもあります。
国の意識に国民が動かされている、国のカルマを解消するために人類が集められてくる、こういうエネルギーの仕組みになっております。いっけん国民同士が戦っているように感ずるかもしれませんが、実際には国としてのカルマ、国としてのエネルギーが人間を動かしております。
いろんな国々が地球上に存在している中で、いわゆる隣の国、すぐ隣の国というのは意外と争いが多い国の関係になっております。いわゆる家庭においても、兄弟だからといってすべて仲が良いわけではなく、兄弟もいろんな対立を起こしたり、けんかをしたり、激しい憎悪をつくり出したりしております。
家族や親戚間における憎悪、憎しみ、こういったものがいつの間にか国に広がっていき、国と国の憎悪、憎しみや争い、攻撃、こういった意識を身につけていき、それに民族や人類が集められ、動かされていきます。それぞれの一人ひとりの意識は必ずしも国と同じというわけではありません。
本来一人ひとりの意識、一人ひとりの意識の中にある良心や理性、一人ひとりが正しい心をもって正しい理性、正しい判断を行なっていけば、国のカルマに負けることはなく一人ひとりは正しい行動をとることができるようになります。したがってエネルギー的に見た時に国同士は強い争い、強い憎しみのエネルギーをもっていたとしても、国民自身が理性を使い、正しい判断を行なって憎しみを具現化しない、憎しみや争いを行動に移さない、こういう行動をとっていればカルマはそのまま消えていき、国としてのカルマを消化させたことになります。
しかし国がもっている憎しみや争いの意識を国民がそのまま受け取り、そのまま憎しみや争いの行動をとる、隣の国に対してそのまま国のカルマを個人が行動に移す、そうすると又このカルマは新しいカルマのエネルギーをつくり出してしまい、さらなる憎しみや争いの力を身につけることになります。
国としてのカルマと個人のカルマは基本的には別であること、ただ国民として国で生きている時には国のカルマを解消する責任があること、そのカルマを解消するために理性、正しい判断、良識を使うことによって争いや憎しみに移らないようにする、この心を抑え、正しい心で相手を許し、相手を愛する心で自分の理性を働かせていくとカルマは消えることになります。
国としてのエネルギーと一人ひとりのエネルギー、これは別であると同時に国のカルマを解消するためには、国民一人ひとりの理性、良識が必要であること、正しい判断や行動によって国のカルマを解消できること、これを理解して国のカルマに負けずに、一人ひとりの良心が国のカルマを消していく、良心によって国のカルマを解消していく、そういう方向へ動いていくことを望んでおります。
スピリチュアルな学びをどのようにして進め、意識を高めていくか、自分自身がどの程度スピリチュアルな意識につながり、そのスピリチュアルな意識をどの程度具現化するようにもっていけるか、これは一人ひとりのスピリチュアリティのレベルによって異なってきます。
まったくスピリチュアルな世界を信じていない人は、スピリチュアルな意識に目覚めるようにいろんな仕組みがつくられていきます。占いのようなものに興味をもったり、死後の世界に興味をもったり、あるいは天や神様を考えるようになったり、そのようなきっかけを通してスピリチュアルな方向へと導くように仕組まれていきます。
スピリチュアルな学びを少し始めてくると、今度は自分の魂が目覚めるように働きが行なわれていきます。自分の魂がどうなっているのか、魂を目覚めさせるとどうなるのか、いろんな面において魂を目覚めさせるように仕組みがつくられていきます。魂を目覚めさせることによって本当の自分を知る、自分に適しているもの、自分が人生でなすべきもの、自分自身の前世や自分自身の役割、いろんなことに興味をもつことが魂を目覚めさせるきっかけになっていきます。
そしてスピリチュアルな世界にどんどん興味をもっていくと魂の力をどのように発揮していくか、いわゆる人に対する奉仕、慈悲や愛を通して人のため世のために使うようにもっていく、社会のため人のために自分は何ができるのか、自分が奉仕できること、愛や慈悲をどの程度社会に貢献できるか、そういったことに興味をもつものが次の段階になります。
このようにして自分の目覚め、魂とのつながりや目覚め具合によって自分の学ぶべきこと、日常トレーニングすることが変わってきます。一人ひとり特性が異なるために、自分に何が適しているのか、自分が何をしたら良いのか、それは自分で考える必要があります。
自分で考えることにより自分のガイドやハイヤーセルフからいろんなアドバイスやメッセージが届けられてきます。自分のところに流れてくるアドバイスやメッセージを自分が受け取る、これが最低限必要なスピリチュアリティの能力であり、自分がその内側からくるメッセージに耳を傾けない限り、スピリチュアルな流れに入ることはできません。
自分は何をしたら良いのか、どうしたら自分は目覚めていくのか、それを自分で自分の中に聞いていく、自分で自分に問いながら自分で答えを見つけていく、この作業が必要になります。ある程度スピリチュアルなレベルが上昇してくると、人から聞く情報はことごとく当たらなくなります。信じていた人からのアドバイスが自分に当てはまらない、信頼できるスピリチュアルな人が自分にはまったく良いアドバイスがなされない、こう感じてきた時には、もう人から聞くのではなく自分で自分の中から答えを引き出しなさい、自分で答えを引っ張ってきなさい、そういう意味であることを理解する必要があります。
分からなくなるとすぐ聞くという意識を変える必要があり、自分で自分に聞く、自分で答えを見つける、これがスピリチュアルな学びの最低限のルールであり、まず自分で自分のことを聞く、自分で調べる、これができないとスピリチュアルなレベルは上には上がっていきません。
スピリチュアルなレベルの最低ラインが自分で答えを導き出す、自分で自分を理解する、このやり方なのです。スピリチュアルな道を目指すものはまず自分の中から自分で答えを引き出す、これを自分のものにすることを目指していってください。
Aさん、あなたのこの人生の流れにおいて、自分の中に流れている国のエネルギー、国のカルマとしてのエネルギー、人類のカルマとしてのエネルギー、こういったものも魂の中に刻まれております。もちろん自分の人生としてのエネルギーが魂に入っていますが、それと同時に人類や国、国同士、あるいは地球としてのカルマのエネルギーも自分の中に入っているのです。国としてのカルマ、国としてやるべきこと、そのエネルギーの一部にいわゆる仲の悪い国をどのようにして仲の良い国へともっていくか、分離している国をどうやって統合させるのか、なぜ国が分離しなぜ統合に向かえないのか、こういったものに関してのテーマのエネルギーも身につけております。これまでのいろんな人生の体験において、いわゆる自分の生きていた国が二つに分離される、あるいは他からの国の侵入者によって自分の国がなくなる、いろんな国の体験を行なってきました。今回はそういったエネルギーを身につけた上で統合とは何なのか、分離とは何なのか、その本質を理解し、本質のレベルで国に左右されないエネルギーを身につけていく、国を分離させる、国を統合させるという本質的なエネルギーに意識を向けながら、その本質を理解することによって国のエネルギーに関与されないようにする、国のエネルギーに動かされず自分は自分の人生を生きていく、こういったところに向かっていくのが今回のあなたの人生のテーマになっております。したがって最終的には国というエネルギーに動かされず、国というカルマに依存せず自分は自分で生きられるようにする、そのためには国のエネルギー、国のカルマに惑わされない、国のカルマに動かされず、そのエネルギーから離れて自分独自で動けるようにしていく、しかしそれを達成するためには、なぜ国が分離し、なぜ国が統合する、その本質的なところを見抜く必要があるのです。この本質的な国の分離、統合を見つけていき、国のエネルギーから解放される、そして自分自身の本来の人間の人生を生きていく、それを自分の手で達成できるようにしていってください。
Bさん、あなたのスピリチュアルな学びにおいて、自分ではスピリチュアルな学びをしていると思っているかもしれませんが、実際にはほとんどスピリチュアルな意識は目覚めておらず、物質的な意識、世俗の意識の中で学びが行なわれております。自分の内面とは何なのか、自分の心とは何なのか、自分の魂とは何なのか、そもそも自分の内側から情報を得るということはどういうことなのか、一つひとつが中途半端に終わってしまい、中途半端で終わっているにもかかわらず自分はある程度やったという意識を身につけております。中途半端で終わっているのはやったことにはなっておらず、まだ始まってもおりません。実際に本当に魂やハイヤーセルフにつながり、ハイヤーセルフからのメッセージを通して又悩み、新しい情報を得て進み、又悩む、こういったことを繰り返してやっとスピリチュアルな道が始まったということができるのです。まだそういった意味においては本来のスピリチュアルな流れに入っておらず、入り口の段階で自分で自分を勝手に正当化しているところがあります。もっと真剣にスピリチュアルな意識に目を向け、もっともっとスピリチュアルな学びに時間をさく必要があるでしょう。妥協せず中途半端なところで良いと思わず最後まで成し遂げること、完全に何かを達成したというレベルまで真剣にやってみること、そういったことを通してスピリチュアルな学びを進めていくようにしていってください。
Cさん、今さまざまなレベルで自分のスピリチュアルな可能性を調べております。どういう方面から自分のスピリチュアルな能力を高め広げていくか、何を学び何に挑戦し、どのようにすれば自分のスピリチュアルな意識レベルが上がっていくのか、いろいろ挑戦している最中になります。調度時期的にも今あなたの魂のサイクルが新しくなり、人生の流れも変わりつつあるところであるために、まさしく今新しい能力が目覚めるところ、新しい意識や新しい流れに入るところ、そういった意味においてはまさしく今が新しい気づきにとても良い条件になっております。ただ何かやろうとして少しやってすぐに分かった感じになったり、諦めたりすぐに止めてしまうと元に戻ってしまう可能性があります。本当に必要だと思うもの、本当にこれをやりたいと思ったことをある程度長くやってみる、すぐに結果や成果が現れなくてもある程度長くやってみて、そして少しずつでも、少しずつでも能力が目覚めたり、能力が発揮できるようになったら、それを喜びとしてさらにもっと高めることをやってみる、こうやって気長にゆっくりゆっくりと自分の能力を成長させていく、それを意識しながらいろんなトレーニング、新しいチャレンジ、思いついたことをどんどん行動に移していく、そういったことをやってみてください。
それではここまでにいたします、ありがとうございました。