/薬師瑠璃光如来/シャンバラ/すべてが大いなる意志で動いている/大いなる本質的な意志での統合/自然界が破壊を招くのではなく人間が自然を破壊している/自然界はただ守ろうとしている/富士山/
2017/7/18 光の交流会 |
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第四密度は大いなる意志による統合 |
①意志によってすべてが完璧に一体化している
薬師瑠璃光如来としてお話をいたします。シャンバラという世界と皆さん方の地上の世界、この関係について話をしていきます。この地球にはさまざまな文明圏が同時に存在しております。地表の文明でも数多くの文明が、また内部の世界でも多くの文明が存在しております。
文明一つひとつが異なる意識で構築されており、日本の人々は日本という一つの文明を体験しております。それぞれの民族や国家ごとに異なる文明が存在しております。その文明によって体験すべきこと、学ぶべきテーマが異なっており、ある一つの文明の体験の段階を終えると、次のレベルへと引き上がっていきます。
内部の世界においても同じように、やはりどの文明も進化成長を行なっている最中であり、地上の文明が意識レベルを高めていくのと同じように、内部の住民たちも意識レベルを上げていきます。地表の人間たちが第三密度から第四密度へと上がっていく、それと共に第四密度の中にいるものたちは第五密度、第六密度へと上がっていくものもいるでしょう。
この地表の文明は人間は人間という意識で強く維持されており、人間のつくり上げた文明社会が基本的に強い力を発揮しております。内部の世界は人間が数多く生存していても、人間の文明ですべてを管理しているわけではなく、人間と同時に自然界、動物界や植物界も含め、あるいは宇宙や天の神々たちの意志も感じながら、全体が一つになって大きな文明をつくり上げております。
いわゆる地上の文明では日本の人々は日本の文明の中で、その他の国や文明においてはそれぞれの体験している文明の中で進化が進んでおります。内部にもさまざまな文明がありますが、基本的にはどの文明も大きな一つの意志によって動いており、大きな意志の元でそれぞれの文明がお互いに統合し合い、関連し合い、共存している状態をつくり上げております。
したがって内部にいる数多くの人間や動植物、自然界のものは個別に考えることがとても難しく、すべてが大いなる意志につながっている、すべてが大いなる意志の元で動かされている、こういう感覚が身についております。地表の人間たちが統合という言葉を使う時、異なるものを一つにもっていかせようとする、異なるものを組み合わせる、異なるものが一緒になるという意識で統合という認識が行なわれていきますが、内部にある世界の統合は、一つの大いなる意志にすべてが合わさっている、大いなる意志ですべてが動いている、こういう統合になります。
異なるものを合わせた統合ではなく、大いなる意志にすべてが動いている、こういう統合が実現されているのです。したがって今の地表の人間たちを、これを分離した文明の人間たちを統合しようとする時、ただ仲良くするとか、相手を尊重するとか、一緒に協力するという形で統合が行なわれるのではなく、もっと大きな本質的な意志を感ずる、本質的な意志につながる、すべてがそういう本質的な大いなる意志につながることによって統合が行なわれていく、これが本来の統合のプロセスになります。
ただこの大いなる意志をどのようにして感じ、理解し、すべてがそれに動かされていくか、そこに向かうためには難しい問題がたくさん残っているでしょう。今の地上の人間たちがいくら協力し合っても統合することはとても難しいでしょう。異なるものたちが統合しようとする時、新たなるルールをつくる、協定を結びけんかしないようにする、こういった統合の仕方になるために大いなる意志につながることができません。
大いなる意志につながらない限り統合は難しく、いずれ仲良くしたとしても進化の流れにおいてお互いの進化の速度が異なるためにまたどこかで分離や対立が始まっていくでしょう。人間に限らず動物、植物、あらゆる自然界が一つになる、それは足して一つになるのではなく、それぞれが大いなる意志につながっていく、それぞれが大いなる意志につながることによって統合がなされていく、この統合のプロセスを忘れないことが必要になります。
自然界が人間の世界を破壊的な状態へと行なっている、このように人間的な意識から判断されております。しかし自然界は人間世界を破壊するために現象を起こしているわけではなく、むしろ人間が自然界を破壊しているためにこういう現象が起こっております。
人間が人間の都合で自然界をつくり変えていく、人間に住みやすいように、人間に都合の良いように自然界を破壊し、自然界を人間のルールでつくり変えようとしていく、これは自然界から見た時、自分たちの世界が破壊されている状態になるために、自然界のものたちは生きるために自分たちが戦おうとします。どの生命も生命の危険を感ずると必ず防御反応が起こり、それ以上危害が及ばないように闘い始めていきます。
自然界が人間に対して攻撃的なのではなく、人間が自然界に攻撃的になった分、自然界が必死に守ろうとして人間に意識を向けている最中になります。したがって人間の方で自然界と共存する、人間の都合だけではなく自然、地球のことを考えて、お互いに良いところで妥協し協力し合う、そういう意識があれば自然は人間にはむかうことはありません。
しかし現実に人間はあまり自然のことを考えず、人間の都合でどんどん自然を変えてしまい、それによって人間にとって有害な動植物が現れてきたり、人間にとって生存が困難な環境が与えられたりしていきます。自然が人間を破壊しているのではなく、人間が自然界を破壊していること、それによって自然界が生命を守るために必死になって戦っていること、それを理解することによりどのようにして人間と自然界が共存できるか、それを人間側で考えていただければと望んでおります。
富士山の話がいくつか出ておりました。日本人にとって富士山は特別な山として意識され、崇められ、また自分たちの美しい自然の代表として挙げられております。確かに以前は霊山として富士山が見られており、崇拝、信仰の対象として富士山が認識されておりました。
崇拝や信仰の対象として見られている時は、富士山自身もそのような意識が動いていき、崇高な光や高い威厳のある光によって富士山自身が守られておりました。しかし人間の意識がどんどん自然に対して無関心になり、世俗的になり、言葉だけの状態になってしまい、自然との共存、霊山としての意識がなくなっていくに従い、富士山はただの山という状態に下がってきております。
本来は富士山自身の特徴として、やはり天と地をつなぐ大切な働き、特に日本人においては日本人の意識に影響する大きな光の役割をもっており、天と地をつなぐだけではなく日本人の意識構造にも大きな働きを行なっておりました。しかしだんだんその意識が弱くなっていくに従い、富士山自身のエネルギー的な特徴が日本人の意識構造にあまり影響を与えないような状態へと変わってきております。
日本人の意識から富士山に対する信仰、崇拝という意識はいずれなくなっていくでしょう。そうなった時、富士山はどういう存在になっていくのか。ただの山として認識される程度になるのか。これは皆さん方日本人がこれからどうするかによって変化していきますが、いわゆるシャンバラへの道としての富士山、シャンバラのシンボルとしての富士山は縄文の頃やそれ以降の時代においては、とても有効なものであり、確かに富士山を通してさまざまな奇跡的な体験をする人が数多く存在しておりました。
しかしその意識が弱くなるに従い、富士山の素晴らしい波動、富士山のもつ素晴らしいエネルギー的な特徴を有効に使える人が減ってきてしまい、今となってはほとんど富士山を通してシャンバラの世界を感じたり、また富士山につながっているシャンバラへの入り口を発見するということもほとんど不可能になっているでしょう。
人間の意識が世俗化すればする程、富士山自身の波動も世俗化されてしまい、本来の力を発揮することが難しくなっていきます。一部の人たちで富士山を崇める、霊山として残すという意識をもつ人は存在しております。しかしエネルギー的な力や特徴、波動の高さはかなり弱くなっており、現実にシャンバラのシンボルとしての富士山としての波動はかなり低くなっております。
だからといってそのままただ無視しておくということは必ずしも好ましくないために、やはり富士山に対する正しい認識、高い波動の信仰心、そういったものは要求されてきます。富士山に対し高い意識レベル、崇高な意識、高い波動の意識をもち続けていれば富士山を通してシャンバラの世界からのいろんなエネルギー的な影響を受けることができ、日本自身のさまざまな局面においても富士山からの見えない光線によって日本の人々を救うこともできるでしょう。
たとえ見えなくても富士山から素晴らしい光が出ている、シャンバラの世界からさまざまな光線が与えられている、そういったことを信じ、心から受け入れることによっていくらでも富士山の恩恵を受けることはできます。今まさしく世俗化への流れも急速に強くなっており、日本の人々の意識がどんどん世俗になっていくのか、それとも高い波動を保持し、何とかシャンバラへのつながりをつくる波動を残すことができるのか、そういう厳しい戦いが続けられております。
形式的に富士山を崇めるのではなく、心から富士山を感じ、高い波動を感じながらつながりをつくり、常に富士山の高い波動を日本全体に広がるように祈りや信仰を行なっていく、そういうやり方によって富士山の影響力をもっともっと残すことができることを望んでおります。
②気が短くなった日本人
シャンバラという世界から日本の人々へ伝えることがあります。まず今一人ひとりの心があまりにも文明的な心になってしまい、いわゆる短気的な意識になってしまう、すぐに結果を求めたり、すぐに何か答えが出るもの、すぐに結果が出るものばかりを追い求めてしまう、自分でゆっくり考え、自分でいろいろと計画を立てながらコツコツと努力して手にするという意識がかなり弱くなっております。
自分でじっくり考えることができなくなってしまい、結果だけをすぐ手に入れようとする、こういう意識がかなり強くなっているために、日本人のアイデア、日本人の創造力がかなり弱い状態になっております。本来の日本の人々は天につながる意識で独創的なアイデア、合理的なアイデア、また人間や自然を理解し、無理のない自然な力をうまく使っていく、強引な科学的な方法を使うのではなく、自然の力をうまく使い、お互いに調度良い状態を感じながら無駄のない、無理のないものをつくり上げていく、こういったものに適していたのが以前の日本人の姿でした。
しかし今はそういう意識がどんどん弱くなってしまい、すぐに手に入れる、すぐに結果をほしがる、誰か他の人がもっているとすぐに自分もほしくなる、こういう好ましくない意識がとても強く広がっております。本来のこの日本の人々がもっているどっしりとして天につながり、自分の本質につながり、余裕をもってアイデアをねっていた、余裕をもって自分のアイデアを具現化するよう努力していた、そういった本来の日本人がまだまだ残り、これからも日本の人々に良い影響を与えていく、そういったことを強く強く望んでおります。
それではアドバイスをしていきます。
Aさん、シャンバラの世界から眺めた時、あなたの心の中にさまざまな種類の心が同居しております。本当に人のために奉仕をし、自分をこの地球や多くの人々のために捧げようとする心、それと同時にやはり自分自身の能力をもっともっと高め、できれば自分だけの特殊な才能を発揮して、何とか自分自身のレベルを上げていきたい、こういう心と同時にいろんな人々との良い関係をつくり上げ、皆が仲良く、皆で一つになったような社会を求めている、こういうさまざまな心が同居しております。このあなたのさまざまな心の動きの中で、実際にシャンバラに向け、第四密度に向け、あなたが一番貢献できる心はどこにあるのか。もちろんそれは奉仕の心、人々のために自分が犠牲になってでも奉仕をする、この心にとても強いものがあります。ただどうしても奉仕をしようとする時、なぜか余裕がなくなってしまう、思っていても何かそういう状況になる時にうまく都合が合わなかったり、余裕がなくなったりして、小さい心のままで奉仕せざるを得なくなってしまう、こういったことが何度か訪れてしまいます。なぜ肝心な時に心が小さくなってしまうのか、ここがあなたの大きなテーマになっております。大事な時、肝心な時に心が小さくなってしまう、これは奉仕に意識を向けている時に、つい奉仕の方にばかり意識を向けてしまい、相手の心が見えなくなったり、自然の心が見えなくなってしまう時があるのです。この相手の心が見えない、自然の心が見えなくなった時、自分の心が小さくなってしまうのです。したがって本当に奉仕しようとする時、相手の心、自然の心、宇宙の心を感じ、大きな心になっていくと、自分の心も大きくなり、いろんなものが見えてきて余裕のある奉仕ができるようになっていきます。奉仕という大事な局面ほど大きな心を身につけるように、自然界や宇宙界につながっていく、そういう意識で奉仕を行なうようにしてみてください。
Bさん、シャンバラの世界に意識を向け、自分自身の人生の流れの中でシャンバラをどのようにして理解し取り組んでいくか、新しいテーマがあなたの中に入ってきました。今まで自分の人生は自分のもの、自分の社会、自分の家庭は自分のもの、こういう意識の流れの中で自分の人生を進めることができました。しかしシャンバラという世界に触れ合うと、その意識が少しずつ変化を起こしていきます。自分の人生、ただ生きていくだけで良いのかどうか、自分の人生は誰のためにあるのか、人のために生きるということはどういうことなのか、こういったことがさまざまな形で自分に問いかけ始めていきます。自分ができることは何なのか、家庭において人々に接するということはどういうことなのか、いろんなことが自分の心の中で動き始めていくのです。シャンバラに向けての道を歩み始めた時、新しい人間関係が感じられていきます。家族や兄弟や友人たちにおいてでも、新しい心の関係が感じられていき、これまでの関係とは違う関係が始まっていきます。そしてシャンバラに向け正しい接し方はどういうことなのか、友人においても正しい人間関係はどうあるべきか、一つひとつが新しいテーマとして表に出ることになります。だんだん動き始めていくとどう行動したら良いのか、どう考えてどういう行動をとるのか、いろんなことが次々と頭の中で動き始めていきます。だんだんそういったことが複雑になってきて分からなくなってしまう場合もあるでしょう。その時は自分一人で悩んだり考えるのではなく、分かっている人に聞いてみる、信頼できる人に聞いてみる、そういった相談するということも適宜組み合わせながら、新しいシャンバラの道を歩んでいく、こうやって少しずつ新しいシャンバラへの道を進み、自分を高めていく方向へと導いていってください。
Cさん、あなたのシャンバラへの流れにおいて、自分の心の中で自分の進むべき道、シャンバラへの道を理解し、日常を過ごしております。自分の心の中でシャンバラを理解し、自分の道を理解しても現実の一つひとつにおいて、いざ行動する時どう行動したら良いのか、どのように考え、どのように行動したら良いのか迷うことが何度もあります。勉強して理解できるわけではなく、その時その時の正しいやり方はその時にしか理解することができません。その時何するのか、今何するのか、これは知識ではなくその時に心から沸き起こってくるもの、その時に心で感じ、その時に行動に移すもの、これが本来のシャンバラの生き方になります。したがってどういう時にどうするか、何があったらどうするかと理解したり、覚えるのではなく、その時その時に正しい行動の仕方はどうなのか、それを直接感じとっていく、直接見つけていく、直接分かっていくというのがシャンバラの生き方になるのです。このその時に分かる、その時に理解するという生き方、それを身につける必要があります。始めに理解しその時にちゃんとできるようにしておこうとする発想は第三密度の発想になってしまいます。始めから理解し、答えをもらってその時に行動するのではなく、その時その時に正解を感ずる、その時に良い方法を感ずる、こういう生き方、これをぜひ身につけていき、シャンバラへの道を一瞬一瞬判断できるようにしていってください。
Dさん、あなたのシャンバラへの流れにおいて、自分自身はシャンバラの方向を理解し、シャンバラに向かってまっすぐ進んでいこうと願っております。自分の意識はまっすぐ進むことを理解していながらも、現実がなかなかまっすぐ自分に向かってくることがなく、現実は不意に横からやってきたり、不意に後ろから攻撃したりしてきて自分を襲ってきます。自分はまっすぐ前に進むのがシャンバラへの道と理解していきながら、現実は横から後ろから襲ってくる、その度に混乱し、迷い、自分はどこへ向かっているのか、まっすぐ前に向かって歩いているつもりが現実が後ろから襲ってきた時、後ろに進まなければならないのか、いろんなことが頭の中で混乱して現象化されていきます。まずあなたが自分で感じているシャンバラへの道、ひたすらシャンバラに向かい、前を進んでいく、それはあなたにとっての正しい選択であり、正しい道であり、それを変える必要はありません。ただ自分がまっすぐ前を進んでいるにもかかわらず、現実が不意に後ろから襲ってくる、不意に横から襲ってくる、これはある意味ではあなたが前に進むために必要な現実といえるのです。現実が後ろから襲ってきたからといって後ろを向いて後ろに戻る必要はありません。現実が横から襲い掛かってきたとしても横に進む必要はありません。ただその現実を体験すること、現実を体験しながらも自分を見失うことなく前に進んでいく、横や後ろからいろんな現実が攻撃してきても、そこは進むべき道ではないということ、これを理解する必要があります。確かに後ろから襲われた時後ろを振り向いたり、振り向いてぎょっとする場合もあったりするかもしれませんが、それは進むべき道ではないこと、後ろから襲われても単に振り払い、無視し、何も感ずることなくただ前に進んでいく、横から攻撃されても相手にすることなく、戦うことなく、ただ前に進んでいく、これがあなたにとってのシャンバラの道になります。後ろから攻撃されたり横から攻撃されたからといって自分を否定する必要はありません。また攻撃してきたものにいちいち刃向かったり分析する必要もありません。ただ振りほどき無視し感じないようにして進むべき道を前に進んでいく、これがあなたにとってのシャンバラへの道になります。さまざまな現状で後ろや横から襲ってくるものがいたとしても、それに負けないようにしてひたすら前に進む、その強さを身につけるようにしていってください。
それではここまでにいたします、ありがとうございました。