20160315 of Central Sun Ascension Report

/人間と自然界/災害/カルマ/

2016/3/14 宇宙交流会

このメッセージのいいねポイントは

人間は自然界を生かす責任がある


①自然界の生命をむやみに奪うとカルマとなる

光の仲間としてお話をいたします。皆さんの質問の中で人間と自然界とのかかわりについての話がありました。災害という現象が人間のカルマで起こされるのか、人間と自然界との間のカルマで起こされていくのか、そのような質問がありました。まず災害という言葉そのものが人間からの認識による言葉であり、大自然や宇宙の存在たちは災害という言葉を使っておりません。

人間から見れば人間が被害を被る現象をすべて災害ととらえておりますが、実際に人間に危害が及んでいない自然界の変化があちこちにあります。今の状況においても、いわゆる山崩れやなだれや氷山のいろんな破壊現象が日常的に行なわれておりますが、人間が被害を受けない限り災害とは呼んでおりません。仮に動物や植物が被害を受けたとしても、人間は災害とは呼んでおりません。

ただ人間が育てた野菜や果物が被害を受ければ人間は災害と呼んでおります。災害という言葉そのものが人間の都合によってつくられた言葉であり、本来の自然や宇宙の世界においては災害という現象はありません。地球そのものが進化の流れを進めており、進化をするということは身体が変化していく、体が進化成長していくことを意味します。

皆さん方の体が成長するのと同じように地球も地球の体が成長を行なっております。地球の体が成長するという現象が皆さん方から見れば災害のように感じたり、天変地異のように感じているに過ぎません。地球はただ進化を進めているだけであり、古い体を脱ぎ捨てて新しい身体に変わっていく状態をただ続けている状態になります。

人間のつくり出したカルマにはさまざまな種類のカルマがありますが、自然界に対して人間がつくるカルマというのは、いわゆる自然界の中にあってはいけない言葉や行動、考えをもたらすことによって自然界が破壊されていく、自然界から生命を止めてしまい、その自然界がそれ以上進化できなくなってしまう、これが人間のつくったカルマになります。

人間が自然界の成長を止めた時、これが人間にどのようにしてカルマが戻ってくるか、人間が自然界の生命を止めたり、生命を脅かしたら当然人間も自然界から生命を脅かされたり、生命を奪われるという現象が起こっていくでしょう。それを皆さん方は災害や天災と呼んでおりますが、単純に自然界の生命を奪えば自然界から生命を奪われるということになります。

ただ人間が自然界の生命を奪うということがどういうことか理解できない場合があるでしょう。単純に皆さん方が植物や果物、野菜とかをいろいろ取り入れて、それを食べ物として食用していく、これはカルマになるかというと、これ自体はカルマにはなりません。元々野菜や果物は生命を与える目的としてつくられたために、動物たちがそれを食べるという行為をしたとしても、それは目的を達成しただけでありカルマにはならないのです。

ただ、まだ食す時期にきていないものや、あるいは食べ物として育てられていないもの、まだ生きる必要があるもの、そういうものの生命を奪った時、カルマが発生することになります。自然界のすべてのものが天に生かされ地に生かされ自然の法則に従って成長を続けていきます。

人間がその自然界の法則を知らずに無闇に生命を奪っていく、人間の都合によって生命を奪ってしまう、これがカルマをつくることになります。人間は自然界の法則を理解していき、自然界の法則をうまく維持するように人間も協力していく、まだ死ぬべき時期でないものがいた時、それを生かすように努力していく、こうやって人間が自然界を生かすようにもっていくと、人間は逆に自然から生かされるようになっていくでしょう。人間と自然界との間のカルマはこのように自然界の生命を無闇に奪うということによってカルマがつくられ、それによって人間の生命が奪われていく、こういう現象が起こされていくのです。


安倍晴明の話がありました。結界をつくった時、それがどの程度有効なのかという話がありました。まず安倍晴明自身がつくった結界というのは基本的に一時的なものが多く、恒久的に結界をつくり出したというものはそれほど多くはありません。ほとんどが一時的につくった結界であり、その場合の一時的な結界の期間はせいぜい数カ月程度になっております。

長く続かせるためには普通の陰陽道の術の中ではあまり該当するものがなく、特別なことをしない限りは長く続くことはありません。安倍晴明以降さまざまな陰陽師が現れていますが、彼らにしてもほとんどの結界は一時的なものであり、長く続くものはほとんどありません。平安時代いわゆる呪いをかけるような感覚でさまざまな術が使われておりました。

相手の家系をつぶそうとして呪いをかけていくとか、土地そのものに呪いをかけるというようなものが行なわれておりました。そういう呪い的なものは意外と長く続いていき、結界というよりは呪いというエネルギーによってその家系を代々まで呪うエネルギーが動き続き、長い間人々を苦しめた時代があります。

こういう呪い的なものは確かに悪影響がとても強く、いずれはかけた方にも戻ってきてお互いに苦しむ状態が続いておりました。こういうものはかなり長い間続くこともあり、場合によっては数百年、あるいは千年を超えても家系に悪影響を与えるものが残っておりました。家系の話がありましたが、今のような呪いによって家系が呪われた場合、この呪いのエネルギーが一族郎党にまとわりつき、生まれてくる子供が次々と呪われてしまうという現象が起こっておりました。

これは呪われた方も実際には以前呪いをかけたものが、次に生まれてきた時に呪われるという形で体験を行なっているものであり、自分が呪われたことによって反省する、人を逆に愛する方向へともっていく、あるいは呪いを取り除くような手法を学んでいき、自らの力で呪いを取り除いていく、このようにすれば呪いは消えていき、家系もそれによって解放されていきますが、呪いをかけられたことによってさらに生まれてきたものが、それをさらに他の人に呪いをかけようとする、相手の家系にも呪いをさらにかけてしまおうとする、こういうことによってさらに強い呪いのカルマをつくり出すものがおりました。

基本的に呪いをかけた場合は、本人が次に生まれてくる時に呪いをかけられるという形で生まれることがとても多く存在します。したがってこの場合、呪いをかけたというものが、自分がそれを体験して無くすまでこのエネルギーは消えることはなく、自分でこの呪いを取り除こうとする、あるいはいろんな人と協力し合って呪いのエネルギーを取り除いていく、こうやって浄化しない限りエネルギーは延々と続くことになります。

また家系から見た時、家系としてもっている家系の良くないカルマのエネルギー、こういったものが常に誰か一人に受け継がれていく、こういう現象があるかという話がありました。一般に家系という一つのエネルギーを見ていく時、どうしてもそのエネルギーを引き受けやすい魂の性質をもっているもの、魂の波動としてカルマや先祖の影響を受けやすいという魂が、自然にそのエネルギーを引き寄せることが普通にあります。

どうしてもその力が強いところに集まってくるために、それらのカルマのエネルギーを引き受けやすいという魂のところにエネルギーが集中するように現象化されていきます。したがって物事はすべて同じですが、一番低いところにエネルギーが集まってくる、こういう状況によって誰か一人がその役割を請け負うことが普通になっていきます。

このカルマを引き受けやすい人というのは、必ずしも魂が悪いとか低いという意味ではありません。そういう役割をもっている人は逆に光も強いことが普通であり、光と闇の両方の特性を身につけ、それを使い分けることができる、またそれだけの能力のあるものがその役割を引き受けていく、こういう状態が普通にあります。もし生まれてきた子供が、すべて光が弱く、カルマを浄化するほどの力がない時には、どの子供にもカルマは現れないかもしれません。

ただどうしても家柄としてカルマのエネルギーを浄化したいという魂の意志が強い時は、いわゆる養子やいろんな手段を使って魂のカルマを引き受けやすい人を呼び寄せることになります。基本的にいろんな家系や人間関係はカルマを浄化するために仕組まれることが多いために、カルマを清算したり、浄化する可能性がない時には、ほとんど人間そのものが生まれてくる意味がないということになります。

生まれてくる以上必ず何らかのカルマを引き受けていること、カルマを体験することに意味があり、カルマを浄化するために一人ひとりが愛を身につけ、徳を身につけていく、これが人間の基本であるためにカルマを恐れる必要はないようにしておいてください。カルマを必要以上に恐れる必要はなく、普通のことであり、個人差があったとしても、必ずしもカルマが強い人と弱い人、このようにはっきりと分かれるわけではありません。

ただ皆さん方から見た時、かなり不幸な人がカルマが強く、うまくいっている人がカルマが弱いかのように感じられているでしょう。しかしどんなにうまく成功している人でも、何も苦労せずにすべてうまくいっているという人生はほとんど存在しておりません。うまくいっているように見えても基本的には一人で悩んでいたり、苦しんでいたり、誰にも相談しないですべて自分だけで問題を解決したりしている人がたくさんおります。

見た目だけでその人がうまくいっていると想像しているだけであり、本来は一人ひとりいろんな苦労をもっております。したがって単純にあの人は楽しているとか、あの人はカルマが軽いとか、そういうことはあまり言わないようにしておいてください。自分が知らないだけであり、すべての人間がいろんなカルマを身につけて、その人にしかできない重圧の中で全力を尽くして生きているのです。

今の時代ほとんどカルマを身につけず楽して生きているという人は、ほとんど存在していないことを理解しておいてください。自分だけが苦しいように思う人もいるかもしれませんが、確かに人によってはとても信じられないようなカルマを体験する場合があります。生まれながらに不遇な人や、次から次と良くないことばかりが行なわれていく、そういう人もたくさん存在しています。

そういう人の魂は初めからそういう人生を自ら選び、わざとそういう人生をつくっているのです。多くの苦労をしている魂ほど、実際にはかなり魂の進化を進めた状態になっており、最後の最後で体験すべきことをまとめてもってきている場合があるのです。したがってむしろカルマ的に見ていろいろ苦労している人ほど、魂としてはかなり進化が進んでいること、かなり最後の段階にまで進んできていること、それを理解しておく必要があるでしょう。

皆さん方の日常生活の流れにおいて、どうしてもいろんな人とのかかわりの中で比較ということを行なってしまう場合が頻繁にあります。いろんな面においてすぐ比較をしてしまう、良いか悪いか、上か下か、いろんな意味での比較が行なわれており、それによって自分がまだ駄目だと自分を否定したり、自分が力がないと決めてしまったり、あるいは他の人が素晴らしいと思ってその人を崇めるようになってしまったり、いろんな意味で比較というエネルギーが自分の存在価値をつくり上げていきます。

この比較という意識は、自分を成長させるためには良い働きをしますが、一般に日本の人の場合は、必ずしも自分が成長するというよりは、相手を引きずり降ろす、あるいは自分がもう努力しなくなる、こういう風に使われることがとても多く、これは正しい比較の使い方にはなっておりません。

比較そのものがすべて悪いのではなく、比較してどうするか、自分が比較のエネルギーをどのように使うかということに意味があるのであり、比較して相手を良く思いながら自分も努力して頑張る、自分はもっと良いように自分自身を鍛えていく、これは良い比較の使い方ですが、一方的に相手だけを崇めてしまう、あるいは一方的に自分だけを駄目だと決めつけてしまう、これは好ましくない比較のエネルギーになります。

この好ましくない比較のエネルギーが出された時、必ず自分に良くない現象が起こされていきます。この比較のエネルギーが良くないということを知らせるために、比較によって自分自身に良くない現象が起こされていくのです。いわゆる他の人から比較されて自分が楽しくない感覚をもつ、やたらと他の人から自分のことを誰かと比較されて良い思いをしないようにさせられてしまう、これは自分が比較の心をもっているために起こされる現象であり、比較したとしても自分が正しい比較の仕方、自分を成長させ相手も成長させる正しい比較の使い方であれば、他の人から比較されたり、あるいは不愉快な思いをもつ現象は起こらなくなっていきます。

今のこの日本人は比較というエネルギーを間違って使ったり、良くない方向で使う人がとても多く、それが日本全体の成長を止めている状態にあります。本来日本の人々はもっともっと意識レベルを高く、又日本人としての徳の性質ももっともっと上がって良いはずなのですが、なかなか上がらない状態で、場合によっては足を引っ張り合ってむしろ下がっている場合があります。

これはほとんどが好ましくない比較のエネルギーの使い方によって起こされており、天界から見てとても残念な状態になっております。こういうスピリチュアルな学びをしている人は、是非この比較という意識において正しい比較のエネルギー、良い比較のエネルギーをつくり出し、決してどちらかを下げたり、あるいは成長しないという状態をつくるのではなく、比較しながらも相手を認め自分を認め、正しくお互いが進化成長していく、そういう比較のエネルギーをうまく使いこなしていくようにしていってください。

それではアドバイスをしていきます。

Aさん、あなたのこの人生の流れの中でさまざまな人生のエネルギーが動いてきましたが、まだこれからの人生の中でいろんな意味において、自分の自己主張や表現ということについて学ぶテーマが残っております。自分自身を表現する時、何を基準に表現し、自分は何を基準にして良い悪いの価値観をつくり上げていくか、これがテーマとして残っているのです。いろんな人とのかかわりの中において、そもそも良い悪い、正しい正しくないという価値観が自分の中でどこまで身についてきたか、これは自分の人生の中でどのように理解して、どのように自分自身の人生を正しいもの、良いものとしてつくり上げていくか、このテーマが最後の段階として残されております。日常の生活の中で良いこと、正しいことを見つけていきながら、この基準を自分の中で明確にできるようにしてみてください。

Bさん、あなたの今のエネルギーの学びにおいて、自分の意識レベルが少しずつ少しずつ天に向かってきており、自分の人生の中で大きな動きを見せるようになってきております。まだ自分の中で理解できないことや自分の意識でとらえられない世界もあるでしょう。今のあなたの意識の学びにおいて、精神ということをもう少し学んでいき、精神のいろんなレベルや精神の使い方、この精神をどう使うことによっていわゆるスピリチュアルな世界とのつながり、あるいはスピリチュアルな能力にどう関係してくるか、そこを自分なりのやり方で学ぶことをやってみてください。

Cさん、あなたの日常の学びの流れにおいて、人のために良いことをするということと、宇宙のために良いことをするということ、この区別がまだついていない場合があります。人のために良いことをするということと宇宙のために良いことをするのとでは、心の動きがまったく異なってしまい、それによって現れてくる現象もかなり変わってきます。人のために良いことをした時の反応は良かったか悪かったか、楽しかったか楽しくなかったかという心の反応になりますが、宇宙に対して行なったことの結果は、あくまでも天が喜んでいるか天が喜ばなかったか、こういう結果の反応になります。自分の中でまだ人間のために行なった良いことと、宇宙のために行なった良いことの区別がついていないために、もう少しそのレベルで考えてみて宇宙と人間との間の違いを学ぶようにしてみてください。

Dさん、あなたの意識の扱い方にとても興味があり、今の日本人の多くの人の意識の使い方とあなたの意識の使い方に少し違いが生じております。いわゆる日本人にとって苦手なことや日本人のできないことをあなたができることが多く、日本人がむしろ避けていたり、あえて見ないようにしているところをあなたは堂々と見て、堂々と表現する能力を身につけております。これは日本人にとってある意味一つの刺激であり、日本人は口に出さなくても分かってもらえるというもの、当然と思って口に出さないものがたくさんありますが、あなたはそこにしっかりと意識を向け堂々と口に出し表現していく、堂々と問題を指摘しそれを表に出していくという使い方が行なわれております。これはあなたよりも周りの人にいろんな刺激を与えていきますが、そこからあなた自身もいろいろ学んでいく必要があります。多くの人が言って良いことと言ってはいけないことの暗黙のルールをつくっていますが、それはあなたにはあまり関係なく、あなたからすれば宇宙や自然の法則に従って良いこと正しいことを行なおうとする、しかし多くの日本人は暗黙のルール、昔からのやり方、それに従ったルールで生活を続けているのです。そこに刺激を与え宇宙の法則、自然界の法則を皆に教えていく、そういう意味でとても刺激のあるものですが、そういうルールを分かりやすく納得できるように説明できるかどうか、ここがあなたのテーマになっていくでしょう。人間がつくり上げた人間の調和の法則と宇宙がつくり上げた宇宙の法則、これをうまくまとめさせるために、あなたが宇宙の法則を正しく理解して分かるように説明していく、この能力をうまく身につけるようにしていってください。

Eさん、あなたの日常の意識の流れの中で、自分に興味があり関心のあるものには、いろいろ意識を進めていって問題点を調べたり対策を考えたりすることができます。しかし自分に興味のないものや関心のないものは、はじめからほとんど介入せず、あまり関与しないようにしてしまう傾向があります。しかしそろそろあなたの意識レベルにおいては、興味がなかったりあまり関心がなかったとしても、まずはその世界を感じてみて何が問題でどうなっているのか、宇宙の法則や光の法則ではどれがふさわしいのか、一応そういったことも考えてみて、自分の興味のある範囲を広げていく、そういう意識で自分なりの意識の成長を行なうようにしてみてください。

Fさん、あなたの学びの流れの中で、自分自身を何とかして高めていこう、自分も早く進化成長して高いレベルにいこうとする思いを強く感じております。しかし自分の意識の中では、やるべきことをやって一生懸命やっているのになかなか分かってもらえない、評価されないという意識があります。あなたの心の中に分かってもらえない、評価されないという意識があると、いつまで経っても分かってもらえない、評価されないという現象が生み出されてしまいます。まず自分が他の人の心を分かってあげる、他の人を評価してあげる、このようにして自分から変わらない限り、自分のことを評価してくれる状態が現れなくなってしまうのです。自分から率先して他の人を理解していく、他の人の本当のことを分かってあげる、こういう意識で他の人との関係を進ませるようにしてみてください。

Gさん、あなたの今の学びの流れにおいて、自分なりに自分の論理で自分が整理され自分のことが分かってきていますが、どうしても人とのかかわりの中で何か自分にとって腑に落ちない、何か自分にとってうまく整理できないという状態が残っております。自分なりに自分の考えで整理がつきまとまったように見えても、いざ人間関係を続けるとなぜかうまくいかない、何か問題が現れるという現象が起こされていきます。これはあなたの心の中に本当に人間をどこまで信用しているかどうか、表面だけ信用していて深いレベルでどこまで人間を信用しているか、この部分が現象化の鍵を握っているのです。本当にその人のことを信用し、完全にその人を認めていけば自分も相手から認められるようになっていきますが、深いレベルでどこか人を正しく見ていなかったり、大まかに見ていたり、あるいは自分の観点で見ていたりするところがあるために、本当のところで相手を正しく見えていない場合があるのです。そのほんの少しの部分が現象化してきて、どうも深いところで理解できない、分からないという状態が生み出されていきます、自分の方から深いレベルで相手を受け入れていく、相手を本当に信用していく、その最後のところの学びを自分なりに整理できるようにしていってください。

Hさん、あなたの今の学びにおいて、自分の心の中で自分のことがだんだん理解できていき、いろんな人間関係の中での自分の役割や、自分の立ち位置も分かるようになってきました。これからあなたの意識は少しずつ自分の魂に向けられていき、自分という人格的なテーマから魂を含めた人格的なテーマへと移っていくでしょう。自分について単なる人格的な自分ではなく、魂を含めた場合の自分を理解していく、その時に改めて自分は今の肉体の自分だけではなく、いわゆる家族やこれまでの家系のエネルギー、あるいは自分を含めた関係するものすべての人たちのかかわり、いろんなものが自分の中にあり、自分と関係している人がいろんな周りの人と関連し合って学びを続けている、こういう感覚が少しずつ分かるようになっていきます。これらが分かってくると自分の行動の仕方も少しずつ変化が現れていき、ただ自分のしたいことをするというのではなく、自分と関係する人々との間を良くするためにどうしていくか、自分と関係する人々との関係を良くするために何が良いのか、こういったような考え方が動き出していきます。こうやって自分という存在の世界が大きくなっていくこと、自分とかかわり合う人とのエネルギーも大きくなっていき、さまざまなレベルのエネルギーが動き出していくこと、これがこれからのあなたの流れになっていきます。いろんな人とのかかわりを整理しながら一つずつ一つずつ、自分の体験を良いものへと切り替えていってください。

Iさんの学びの流れの中で、自分自身をさまざまな角度から学んでいる最中にあります。自分という存在をいろんな人の目から眺めていき、自分を変えられる可能性があるものにはどんどん挑戦していく、かえるべきところを変え、必要なものはさらに必要なものを集めてきて自分のために生かしていく、こういう一連の学びの中において、本来の自分の姿が少しずつ少しずつ現れ始めてきています。まだ今のあなたの中では実感できないかもしれませんが、少しずつあなたの本来の部分が動き出してきており、この学びをもうしばらく続けていくと、明らかに自分の内側から別の自分が動き出してきた、本来の自分が表に出始めてきたという実感が出てくることになるでしょう。もしそれを感じた時、それこそがあなたの本当の自分であり、それをしっかりと表に出して目覚めさせていく、そうやって自分という世界を完全に自分のものにできるようにもっていってください。

それではここまでにいたします、ありがとうございました。



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