/アデプト/
2016/3/2 アデプトの世界[韓国] |
このメッセージのいいねポイントは |
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意識の進み具合で分離が進んでいく |
①第四密度では意識の流れが速くなる
アデプトの世界からお話をいたします。アデプトの世界というのはアデプトになったものたちの集まりだけではなく、アデプトを目指しているものたちも一緒に活動を行なっております。完全なアデプトになる前の段階として、最後の修行のために多くのものが集まっております。
皆さん方が聖者と呼んでいるものたち、ヒマラヤや多くの場所で修行を積んだ聖者たちは、このアデプトと呼ばれているものたちと一緒になって活動を行なっております。今の聖者の多くのものたちは、いずれはアデプトとなり、正式なアデプトとして皆さん方を手伝うことになるでしょう。
この聖者と呼ばれているものたちはほとんどアデプトに近い状態になっていながら、最後の修行を行なっております。彼らには彼らの役割があり、まだ肉体を使う必要があるのです。肉体を使い、弟子たちを導き、また肉体をもった人間たちをサポートするために、肉体が必要となります。
しかしもう肉体を必要としない、そういう段階になってアデプトになっていきます。皆さん方は今人間としてまだ初期の段階にあります。知性を発達させてきたとしても、まだ人間の歴史の初歩の段階といえるのです。いろいろ体験を積み重ね、知恵を身につけ、人々のために目覚めた時にアデプトが見えていきます。
今の皆さん方にとって、アデプトへの道はまだ遠く感じられるでしょう。しかし今からそれを理解する意味もそこにあり、ある程度人間の流れがどうなっているのかを把握していた方が良いでしょう。今、皆さん方はいわゆる第三密度という人間の意識の中にあり、これから第四密度の意識と第三密度の意識に分離されていきます。
自分がどちらの意識の中に入っていくか、これから少しずつ選別されていきます。第四密度の意識の中に入っていくと、第四密度としての学びが始まり、そこにおいては光の流れが速くなっていきます。これまでよりも速いペースで進むために、速い意識の人が付いてこれることになります。速い意識に付いてこれない人は、第三密度の意識の方が自分に合っているように感じ、おのずと第三密度の意識の中に入っていきます。
したがって第四密度と第三密度に分かれていたとしても、自分の意識がどちらに合っているか、それは一人ひとりまったく異なっており、人によっては第四密度では自分に難しく、第三密度の方が自分に合っているという人がいるでしょう。第四密度の意識の在り方についていけない、第四密度では逆に恐怖を感ずる、こういう人は第三密度の意識の中に入っていきます。
しかし十分に第四密度の意識に自分が合っている、こういう人は第四密度の中に入っていくことになります。こうやって第四密度と第三密度は自分で振り分けていき、自分で自分に合うところへと入っていくのです。第四密度の意識に入っていくと、アデプトと呼ばれている存在がもっと身近に感じられてきます。
聖者やアデプトという存在がもっと近くで見られるようになり、チャネリングの練習をしている人はどんどん自分の中に現れてくるでしょう。自分が何のために生まれてきて、どこへ向かうのか、自分の役割がどうなのか、そういうことがだんだん自分で分かるようになり、あるいはチャネリングで聞きだせるようになっていきます。こうやって第四密度に進む人は比較的早くアデプトの道が見えてくるでしょう。
第三密度の意識をまた選択した人は、かなり難しい学びの中に入っていきます。また第三密度という同じ学びですが、これまでよりも複雑な現実の中に入っていくために、これまでと同じやり方では生きることが難しくなっていきます。これまでよりもカルマが複雑になり、さらに一人ひとりが個別化していき、極端な分離主義の中で生きることになります。
このようにして第三密度と第四密度に振り分けられていきますが、第三密度の場合は自分を高めることがとても難しくなるでしょう。一人ひとりがより個性化していき、より自分本位の考え方になっていくために、ますます対立が激しくなっていきます。
皆さん方がアデプトの仲間たちと交流する時、彼らに対する敬意をしっかりと表す必要があります。確かに同じ人間ですが、アデプトになるためにさまざまな修行を通して、やっと自分がアデプトになった状態になります。そういう人たちに対する敬意の心を忘れないようにしてください。
アデプトの仲間たちは皆さんのことを真剣に考えており、どうやったら成長できるのか、どうしたら真実に目を向けるか、そういったことを常に考えております。皆さん方も適宜必要な時に情報を降ろしてくる、常にそこを意識するようにしておいてください。
②自分の心を正しく見れること
仏陀としてお話いたします。アデプトになるための修行の学びとして、自分の心と常に向き合うということが要求されます。自分の心がどうなっているのか、常に人を豊かにさせる心になっているかどうか、自分の心が人を豊かにしようという心であれば、自分は常に豊かさに恵まれていくでしょう。他人の心に対し不快感を感ずる、うらやましく思う、さまざまな否定的な心が動く時、自分の心そのものに問題があること、自分の心をしっかりと見ていき、なぜ自分は嫉妬するのか、なぜ自分が気になるのか、そういうことを考えながら自分の心を見ていくのです。
他人の心を感じていて、他人を注意しようとしても、自分自身の問題であることが多く、自分がなぜ気になったのか、その自分の心を常に見るようにしてください。自分の心を自分で見れる人がアデプトの道を進むことができ、自分の心を正しく見れない人は、アデプトの道を進むことはできません。自分の心をしっかりと自分で見ていき、自分でコントロールしていく、こうやってアデプトへの道を歩んでいってください。
③真実の生き方をしないとこの国の道は困難
弥勒菩薩としてお話をいたします。皆さんにお話できることを喜びとしております。この国の人々にぜひ行なってもらいたいことがあります。今、国と国の対立のエネルギーがとても強く、このままでは国同士の大きな争いの中に巻き込まれてしまいます。この国が大きな波に飲まれないようにするために、皆さん方の意識がとても重要になります。
世界的に大きな渦を巻いていきながら、この国が巻き込まれないようにするために、正しい光が必要とされます。正しい光というのは真実を語ること、正しい考え方を身につけること、この真実の生き方が必要であり、見せかけの生き方や物質的な生き方に執着している人は、そのまま国同士の対立の流れに巻き込まれていくでしょう。
皆さん方がこの国の人の意識レベルを上げていき、人間的な衝突のエネルギーを減らしていけば、この国はとても明るい未来を手にすることができるでしょう。しかし人間的な世界に巻き込まれていき、正しい行動がなされない時は、この国はとても辛い現実の中に巻き込まれていきます。どちらの現実を選んでいくか、それを常に考えていき、常に正しい道を歩めるようにしていってください。
④アデプトの意識
キリストとしてお話します。皆さん方が人間の意識からアデプトの意識になろうとして学びをしております。アデプトへしっかりと意識を向け、つながり、すでにアデプトの意識として生きていく、これはとても大アデプトとして生きていく、これを行なうたびに自分の意識はアデプトにつながり、アデプトから光を受け取り、正しい行動をとれるようになっていきます。すでにアデプトの世界につながっている、そういう意識を保持することであり、ぜひ行なっていってください。まだ今は未熟だと思っていても、アデプトの世界につながり、日常を過ごすようにしていってください。
午前中の話の中で、スピリチュアルな学びを行なっていながら、キリスト教の神のおかげであると思っているという話がありました。まず皆さんは理解されていると思われますが、今のキリスト教とイエス・キリストはまったく別のものであること、イエス・キリストは今のキリスト教を説いたわけではありません。キリスト教はあくまでも人間がつくったものであり、聖職者が人間を管理するために教義をつくっていきました。
それはイエス・キリストの教えとはまったく異なっており、人間が人間を支配するためにつくられたものです。人間はそこからの教えを受け取りながら、神を崇め、自分が救われるために神を信仰しております。すべてを神のおかげと思い、神を大事にしていく、その心そのものは悪いとはいえません。
すべてが神のおかげであり、ありがたく受け取っていく、この心そのものは必ずしも悪いとはいえないのです。ただ自分は自分の能力で行なったことも、すべてを神のおかげとして理解してしまう、これはやはりあくまでも宗教的人間の欠点といえるでしょう。神は人間のためにいろんな都合をつけているわけではありません。
人間を楽しませたり、人間を喜ばせるために神がいるわけではありません。神は人間を進化させ、人間を成長させるために仕組みをつくっていきます。ただ人間が気づき目覚めたことを神のおかげと感じていく、これも必ずしも間違いとはいえません。しかし決定的なところで根本的に事実が矛盾している、根本的な論理関係が合っていない、それでも神のおかげとしてすべてを受け入れる、こういう人を宗教的な人と呼んでおりますが、必ずしもこれが良いというわけではありません。
やはり論理的な正しさ、事実を正しく見る必要があり、事実を間違って認識しながらすべてを神のおかげとして受け入れてしまう、こういう人は完全に宗教のエネルギーに負けており、自分の力で成長することが難しくなっていきます。一般に宗教的な意識になると、すべてを神に任せ、神に依存した考えになり、自分の努力ができなくなってしまいます。
本来神と共に生きるためには、自分ができることは最大限に自分で努力をする、人間が努力したことを確認して、神が次の段階へと引き上げていく、こうやって人間と神がお互いに共同してクリエーションを行なっていくのです。すべてを神のおかげと思い、人間はただ感謝だけして何も努力しない、これは正しい宗教の在り方ではありません。
本来人間は人間のできることを最大限に努力して行なっていく、それを神が認めて次の段階へ引き上げていく、これが人間と神との良い関係になっていくのです。したがってただ一方的に神のおかげと思っている人に対しては、神をただ崇めていたり、ただ信仰しているだけでは限界があること、ただ信じているだけで暮らしが楽になったり、家庭が良くなるわけではないこと、それを正しく認識してもらう必要があるのです。
先ほどの例に関していうと、本人は心から神のおかげと信じているでしょう。しかしすべてがそれでうまくいっているわけではなく、人生のあちこちにうまくいかないこと、現実の中にある不平不満、いろんなものが同居しております。もし本当にすべてが神のおかげとするのであれば、自分にとって気に入らないことや不平不満、それも神のおかげと思い、ただありがたく受け取っているかどうか、それをよく見てもらうようにしたら良いでしょう。
実際にはうまくいかない時は、不平不満ではなく、そこに何かやる必要があること、自分自身の心の在り方を見せているために、自分の心を自分で見ていき、自分で直していく、そういう心が身についているかどうか、あるいはそれを自分で理解できるように導いていく、そうやってある程度論理的な生き方を身につけるように導いていくのです。
今の人間は信仰心と、論理的な判断力、両方が必要であり、片方だけではうまくいきません。宗教的な人には論理的な判断をうまく用いていき、ただ神を信ずるだけではうまくいかないことを納得させる必要があるのです。そうやってまだ自分で気づいていないことを気づかせるようなことをうまく見つけていってください。
もう一人の人の話題がありました。カトリックの学びをしていながら途中で放棄してしまった、元々この人は何かを期待して宗教の中に入ったのでしょう。何か救われるとか、いわゆる病気が治るとか、生活が楽になるとか、何かを期待して宗教の中に入ったのでしょう。
しかし何年やってもその効果が見られない、期待が得られない、そういう時に止めてしまうことが多くあります。今の多くの人は必ず効果を期待しており、効果がないと分かるとすぐに諦めてしまいます。今皆さん方が学んでいるスピリチュアルな道は、効果が期待できるわけではありません。アデプトになるというのは効果ではなく、皆さん方の進むべき道の中にあるものです。
何かをすることによってアデプトになったという結果は存在しておりません。毎日毎日の正しい生き方によってアデプトへと近づいていくのです。宗教の道に入って効果がなくて、そこから止めてしまう、これは十分に存在している現実といえます。
こういう人を正しいスピリチュアルな道に招いたとしても、やはり何らかの効果を期待し、効果が得られなければまた止めてしまうでしょう。何をするにも何らかの効果が期待できないと行動しない、これが現代人の意識になっており、効果ではなく勉強そのものが自分を成長させる、修行そのものが自分を成長させるという気持ちが身についていないとスピリチュアルな学びにはなりません。
初めは何らかの効果のようなものを表に出しながら、スピリチュアルな道へと導き、後は本人に任せるというやり方もあるでしょう。でも効果を期待している人はやはり途中から来なくなります。効果ではなくスピリチュアルな生き方そのものが財産であること、正しい生き方そのものが財産であること、これをしっかりと理解してもらう必要があるのです。
初めからそれを受け入れない人も多くいるでしょう。こういう人は逆に何か自分が困った時、本当にどうして良いか分からない時に、何かスピリチュアルな見方や考え方、スピリチュアルな方法によって目覚め理解し、現実が良くなる、そういうこともよくあります。こうやって現実が良くなったことによってスピリチュアルを信じ、スピリチュアルな流れに入る人もおります。
したがって初めはそういうやり方を使ってみて、良い機会がくるまでチャンスを待ちながら何かスピリチュアルなことによって人生が変わるようなこと、問題が解決できるようなこと、そういった機会をうまく使いながらスピリチュアルな流れに導くということも一つの方法としてあるでしょう。しかし最終的には何かを期待するという心をなくしていき、生き方そのものがスピリチュアルな生き方、その道を歩いていけるように導いていってください。それでは一度休憩をとります、ありがとうございました。