/尊い教えを受け取るときの姿勢/学びに対する心の隙や甘さ/光を求めるものは心の魔と戦う/
2016/1/26 仏教/密教セミナー5 |
このメッセージのいいねポイントは |
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高度な教えを得るときの姿勢の甘さに注意すること |
①魔は自分の心の中にいる
私は密教の僧侶としてお話をいたします。皆さん方が密教の学びを行なっていることに喜びを感じます。密教というのは我々の時代においては、真理を求めるもの、自分自身の本当の光を見つけようとして修行に入り、師を見つけ、そして師を絶対的なものとして認識しながら、その導きを得ることができました。皆さん方が日常の生活の中でこのような学びができるということを喜ばしく思っております。
密教という教えが広がること自体に喜びを感じておりますが、それと同時に本来の大切な何かが失われていく傾向があることをまた案じております。まだ密教という教えがそれほど一般的ではない時代、まだほんの一握りの人にしか知られていない時代においては、教えを受けるという、そういうチャンスそのものに大きな喜びを感じ、また光に導かれることや、教えに導かれることにとてつもない喜びの心を感じておりました。
そこで学び得たものは大切なものとして丁寧に扱い、正しく扱い、またいい加減に他の人に話すことも行なわず、自分自身の本来の成長のために大切に大切に扱っておりました。皆さん方の今の時代においては、さまざまな学びをある意味では自由に選ぶことができます。さまざまな学びを自由に選ぶことができる、こういう時代であることに素晴らしさを感ずることができますが、それと同時に素晴らしい教えをここまで残してきた素晴らしい偉大なる師の存在たち、師から正しく受け継がれた教えをそのまま伝えてきた者たち、そういうたずさわったものたちが皆さん方のために残してきた数々の真実の教えをしっかりと受け止めていただきたいと望んでおります。
あまりにも多くの学びの機会が得られると一つひとつの学びに対し、どこかで心の隙や甘さ、意欲が低下する、そういうような気持ちが現れてしまい、本当に体得したい、本当に最後まで学びたいという意識が薄れていくのを案じております。確かに今の時代はさまざまな教えを自由に選ぶことができるでしょう。どの教えも人々の意識を高め、自分の知らない素晴らしいものを教えてくれるでしょう。
どの教えをとるのも皆さん方の自由であり、それは本当に自分が望むものを手にして構いません。しかしどれをとっても皆さん方が手にするまで正しい教えから始まり、正しい教えを残そうとしたものたちが数々の苦難を通して必死になって守り通してきた素晴らしいものが残されております。
中には生命をかけてまで守ったもの、いずれこれを手に入れるものが必ずいることを信じて、まったく誰からも評価されず認められることもなく、貧しいながらで必死になって経典を守り通したものもおります。皆さん方はそういう先代の方々の生命をかけた教えを手にしていること、それを感じとりながら一つひとつの教えに真剣に耳を貸し、真剣に受け取っていただき、そして自分のものに生かしていただきたいと望んでおります。
皆さん方の今日の学びにおいても、一生懸命学ぶという心はありますが、それでも私たちの頃の時代に比べればかなりの心の隙や甘さ、ゆるさが見られており、少しくらいいい加減でも良いとか、完全に分からなくても良いという心によって、いろんなところに魔が入り込んできます。この入り込んできた魔はそのままにおいておくと次第に膨らんでいき、膨らんできた魔はだんだん皆さん方の心をむしばんでいき、もうここで大丈夫、もうこれ以上学ぶ必要はない、もうここまでやったら大丈夫という意識を植え付けていき、光を教えるものから遠ざかるように働きかけていくのです。
もうこの辺で良いだろうという魔の心はその時に現れたのではなく、それ以前の小さな油断や隙、安易な心から始まり、それが日を追うごとに少しずつ膨らんでいき、そしていつかの時点でもう行きたくないという心に成長させていくのです。この入り込んできた自分の魔の心に打ち克つためには、それ以上のやる気、真剣さ、本当に真理を手にしたい、本当に自分が光になりたい、本当に悟って人々のために奉仕に生かしたい、こういう心が必要であり、最終的には自分のためではなく人々のために何かしたい、仮に自分が覚えてきたこともできれば人のために生かしたい、人のために残しておきたい、こういう心が強ければ魔に打ち克つことができます。
こういう心が失われている時は魔の心がどんどん大きくなっていき、いずれはもう卒業したという意識を身につけていき、学びから遠ざかっていきます。真理を求めるものや光を求めるものは常に自分の心の中の魔の心と戦うことになります。魔は外側にあるのではなく自分の心の中にあるもの、常に自分の心の中にある魔の心と奉仕の心をしっかりと感じて、奉仕の心が魔に打ち克つように力強い奉仕の心をつくり上げていってください。
Aさん、自分自身の心の成長のために、自分なりのやり方で十分に修練を続けております。自分なりに一生懸命にお経を唱えたり、マントラを唱えたりしておりますが、できれば自分自身がもう既に仏になっている、自分自身が光となりお互いに同じ光でつながっている、そういう意識をもって堂々と光のマントラを口に出していけるようにもっていってください。
Bさん、穏やかな心で学びを行なっております。この穏やかさや優しさという波動は魔を育てやすい心でもあります。ある程度厳しさ、自分の心に一切の魔が入らないように、一切の魔を寄せ付けないようにする厳しさも要求されてきます。あまりにも優しすぎる、人の心に優しく接しようとする心ばかりが強いと、逆に自分の心が魔に犯されてしまいます。厳しさを伴い、自分の心をしっかりと自分で厳しく持ち続けることによってマントラの言葉も強くなり、魔を寄せ付けなくなり堂々とした波動が心から出るようになっていくでしょう。
Cさん、あなたの言葉にはとてもパワーがあり、あなたが本気でマントラを唱えている時は、マントラのパワーがかなり本来の世界にまで響き渡り、その効果が発揮されていきます。あなたの言葉から出るさまざまな波動は、密教のさまざまな世界に振動するために、多くの存在たちを動かすことができるでしょう。今はまだ初歩の学びですが、恐らくあなたは学びを続けることにより、本当に自分に合った如来やさまざまな存在たち、自分を生かし自分と共に戦えるさまざまな菩薩たちを味方にして本当の地球のためのワークを行なうことができるようになるでしょう。そのためにもしっかりとしたマントラのトレーニングを続けていき、堂々としてマントラを発するようにしていってください。
Dさん、自分の心の中にまだ自分はよく分かっていない、まだ付いていけないという意識があり、この意識そのものが魔を引き寄せてきます。まだ分かっていないという意識があると分かっていないというところに魔のエネルギーが次々と呼ばれてきて、本当に分かっていないという意識状態をつくり上げていきます。学びの姿勢において、分かっていないとか付いていけないという意識を一切持たないことが大事になります。仮に分からないところや理解できないところがあったとしても、これは学ぶべきチャンス、学ぶべきテーマ、これを理解すべきもの、単純にそのように考え、何々できないとか、何々分からないとかいう、そういう波動をつくらないようにする意識が重要になります。いろんなものに取り組む時、分からないという意識ではなく、これから理解していく、取り組んでいく、これから自分のものにしていく、常にそういう意識で取り組むことにより魔が入ることができず、常に自分を成長させる波動だけが呼ばれることになります。学びの心を常にこれから自分は学んでいく、これをものにしていく、そういう心で前に進み続けるようにしていってください。
Eさん、あなたの密教の学びの姿勢において、自分自身が密教の学びをどこでどのように生かし、どのように使っていくか、これがまだ明確に分かっていない段階の学びになっております。確かに今までの流れではどこでどう使うかは必ずしも分からないかもしれません。これまでの学びはどこでどう使うというよりは、まずは密教に対する心をつくり上げていく、自分の意識を密教という世界に合うようにつくり変えていく、そういう時期が今の学びになっております。したがって今は何かを手にして何かに使うとか、何かを自分のものにして自分が成長するとかいうものではなく、心を密教の世界に合わせるようにもっていき、奉仕に必要な心とはどういう心なのか、奉仕ではどういう光が必要なのか、奉仕をするために自分はどういう心を維持し続けるのか、それらを身につけるための学びになっております。したがって一つひとつの学びにおいて自分の心をしっかりと感じとりながら、奉仕に生かすためにはどういう謙虚さが必要なのか、どのようにして人々に接していくか、一つひとつが奉仕という感覚で見た時に、自分の心をどのようにもっていくかを常に感じとれるようにしてください。自分の心を常に奉仕の観点で維持しておき、そのためにそれぞれのマントラを使いこなしていく、そういうあくまでも修行の一環としての心、修行のための心を修練している、これを常に意識し続けるようにしていってください。
Fさん、自分の教わってきたことを体験を通してなるべく分かりやすく、初めての方々に教えていることは喜びと感じております。いろいろ教える時にいろんな教え方がありますが、ある程度参加者の人にも考えてもらう、始めから答えをすぐ言うよりも少し考えてもらい、人々の意識レベルがどこまで進んできたか、まだ次の段階にもっていくのに早すぎないかどうか、一人ひとりの心がどこまで修練できているか、それを確認しながら常に次の教えに導いていく、こういう意識を常にもち、一人ひとりの心の状態を感じとりながら教えを続けていくようにしていってください。
それではここまでにいたします、ありがとうございました。