/悪をなくすのではなく悪に負けない心を養う/悪に関与されないようになったら菩提心が出てくる/自分ひとりで行なうのではなく光の仲間と一緒に世界を変える/光の仲間と接するときは自分が光となる/光に出会うと悪の心が出てくる/仏の道を歩むものは他を批判しないこと/批判しているときは自分が悪になっている/悪をなくすのではなくなぜ悪を引き寄せるのか/悪を取るのではなく愛で包む/個性を認める/
2015/11/1 仏教セミナー2[密教] |
このメッセージのいいねポイントは |
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悪に負けない強い心を養う |
①悪そのものは消せない
私は密教の修行において長い間学びを続けていた僧侶の一人です。皆さん方が密教という世界に学びを進め、真実を学ぼうとしております。およそ密教を学んでいるものたちの共通点として、真理を知ることが目的であり、そこでいう真理とは自分がなぜ今ここにいるのか、なぜこの現実にこの世界に自分がいるのか、今の物質的現象界、これは何を教えようとしているのか、それらのすべてを理解しようとして真理を学んでいきます。
多くの人間はより豊かに、より幸せになろうとして肉体を使い、努力をしてより豊かになることを考えていきます。しかし仏の道に入るものは、物質的なものには何の価値もないこと、ただ何かを手に入れようとしてそこで心を動かす時、純粋に人のためや世のためになることであれば、それは尊い輝きとなって自分自身の魂が磨かれていくこと、何かを手にしようとするより、手にしようとして努力したり、意識を向けたり、人のために何か良いことをしようと努力を重ねること自体にとても素晴らしい価値があること、そういったことを学んでいきます。
しかし仏の道において世のため人のために行を行なっていても、どうしても限界があり、世の中にはびこる悪や人の心の深いところに根付いている心の醜い面に関しては、どれだけ日夜時間をかけてもほとんど手に負えない状態になります。世の中を変えようとしても自分一人でコツコツと光をつくり上げたとしても、世の中全体に影響を与えるのはとても難しいでしょう。
この自分一人では世の中を変えることがでなきい、自分一人では人の心を変えることができない、これが普通の仏の道、いわゆる仏教の学びの中での生活になります。したがってそこではあえてすべてを光にするとか、完全に悪をなくすというところを目標にするのではなく、とりあえずは自分に覆いかぶさってるもの、自分が目にするもの、自分と関連する世界においてのみ光をもたらし、知恵を身に付け、まず自分が正しく生きられるようにする、自分が災いに悩まされたり、自分に覆いかぶさってくる悪に負けるのではなく、自分がしっかりと生きられるようにする、これが仏教の本質的な生き方になります。
しかし自分一人でそうやって自分は生きられるようになった、自分は悪に関与されないようになった、そういう状態になった時に訪れるのがやはり世の中、他の人をどこまで光の状態へと導いていくか、そういう思いが心から沸き起こってきます。この心から沸き起こってくる世のため、人のためという心、これが菩提心の始まりであり、これがすべての密教の始まりになります。
世のため、人のために何か尽くしたい、自分は悪から解放され自分は光で生きることができるようになった、これをどうやって世のため、人のために使っていけるか、そこで密教の学びに入っていきます。したがって密教を学ぶものは初めから世のため、人のためが基本であり、密教の力を自分のために使うとか、あるいは自分の悩み、自分自身の悪を退治するという使い方は本来の密教にはありません。
それは普通の仏教の世界で行なうべきものであり、それを終えたものが密教の世界で人のため、世のためとして使っていくのです。密教の世界に入り世のため、人のためを考えていくと、自分にはないさまざまな悪がはびこっており、一朝一夕で変わるものでもありません。自分自身の力でどこまでできるのか、自分はどこまで力があるのかどうか、そういう悩みが出てくる人もいるでしょう。
元々密教の始まりは、自分の力ですべてを行なうという考えは存在しておりません。それは初めからできないということが分かっているからです。自分が行なうのではなく、この世界を管理したり、この世界を見守っている多くの光の仲間たち、いわゆる菩薩様や如来、明王、さまざまな存在たちの力を借りて、そういう光の存在と一緒になって世の中を変えていこう、人間の心を取り戻そう、そのために密教が存在しております。
したがって密教における多くの秘伝は、こういう菩薩様や明王、如来という光の仲間たちにいかに正しく自分の意図を伝え、良いタイミングで最高の光が発揮できるような状況をうまくつくり、そして彼らと共に世の中や人の心をうまく浄化したり、悪を排除したり、光を取り戻したりしていく、こういう世界が密教になります。
したがって密教でいう、マントラ、御真言はあくまでもそういう光の仲間たちとつながりをつくり、彼らの力を借りて現実に働きかけるやり方を教えていきます。皆さんが今日学んだのはその基本の部分であり、自分が光の仲間と交わる時に何が必要か自分が光の仲間と最初に行なうことは何なのか、そういったことに関与するマントラになります。
皆さん方が光の仲間と接したり、交わる時には皆さん方自身が光の存在になる必要があります。まず自分自身が光となり、光の言葉で光の考えで光の仲間たちと接すること、これが基本的なルールになります。もし光の状態になっておらず、邪な心、誤った心で光の仲間を呼ぶと、たちまちにして自分自身が不愉快な思いをもつことになるでしょう。
自分自身の中にある悪の心、闇の心を見せつける働きが行なわれていき、自分の心の中の悪が騒ぎ出し、それによって何か不快感を感ずる、嫌な感じになる、とてもいられなくなる、そういう感覚が沸き起こってきます。したがってもし皆さん方がこれからの修行において、光の仲間を呼んだ時に何か心が違和感を感じ、不愉快になった、そういう気持ちが沸いてきた時は、自分の心の中にある悪の心を光の存在が見せつけている最中と思ってください。
たとえば、隣の人のマントラの読み方が間違っていて気になる、隣の人が読み方をおかしい読み方をしていて気になって先に進めない、隣の人の匂いが臭い、いろんな意味において自分の心が動いている時は自分自身が悪の心になっており、その悪の心を光の仲間が見せつけている最中となります。
仏の道を歩むものは、どのような状態にあっても人を批判したり、人をののしったり、人を悪く言うことは絶対にあってはなりません。人を悪く言う時は自分自身が悪の心になっているからです。自分自身の悪の心を見せつけているためであり、その人自身は何の問題もないこと、これをはっきりと理解しないと仏の道を進むことはできません。
まず最初の段階に皆さん方に襲ってくる自分の修行は、自分の心の中にある悪の心をいかに自分でコントロールするか、悪の心を一瞬にしてなくそうとか、すぐに取ってしまうという発想は好ましくありません。悪の心をしっかり自分で見つめていき、なぜ自分に悪の心が動くのか、自分はその人の何に反応して何が気に入らないのか、すべて気になっているのは自分自身であり、相手ではないのです。
気になっている自分の心をしっかりと見つめ、なぜ気になるのか、なぜそこに執着するのか、なぜ相手を許せないのか、なぜ相手をおおらかに暖かく見ることができないのか、なぜ相手を心から許し愛せないのか、常にそこに意識を向けてください。自分自身の心を常に自分で見ながらコントロールし、原因を自分自身で見つけていくのです。
自分自身の心の中にはびこっている悪に気づき、それを何とか取り除こうとする、そう思った時一瞬にして取り除いたり消えることはほとんどありません。今の皆さん方の意識レベルで見た時、やはり自分自身に悪の心があるということを理解した上で、それ以上の愛の心を出していく、自分が気になる人、気に入らない人に対して避けたり悪口を言うのではなく、大きな心で相手を包み込む、愛のある言葉を優しく出していく、嫌な人ほど心から優しく接していく、これが唯一自分の心を中の悪を取り除く方法になります。
人によっては、私は正しい、私は悪ではない、こういう言葉をマントラのように何十回も言うことにより、良い心になったと思っている人がおります。私の心は正しい、私の心は正しい、こういう言葉を何万回口に出したとしても正しい心にはなりません。それはマントラではなく、単に自分で思い込んで自分で勝手につくった自分だけの世界に通用する言葉になります。
マントラというのは普遍なる正しい言葉であり、普遍というのはどの人にも、どの時点にも、どの世界にも通用する言葉のことを普遍といいます。マントラは常に普遍の言葉であるために、私は正しい、という言葉はマントラには存在できないのです。私という段階で人一人の私が存在し、一人ひとりの価値観があるために私は正しいといエネルギーが一人ひとり異なり、その段階で普遍のマントラではなくなります。自分だけに通用するもの、自分にしか通用しないものはマントラではないのです。
マントラは普遍なる言葉であり、自分にも相手にもどの人にもどの世界の人にも通用するもの、それがマントラであるために、そのマントラの中に私という言葉は存在できないのです。今の間違ったスピリチュアルな学びにおいて、よく私という言葉を使う人がおります。私は神、私は光、しかし本来私という言葉が入っている限り、マントラではなくなります。
その人だけの世界になり、人によって異なる波動になり、人それぞれ分離したものをつくり出していきます。私は神、私は光というごとに神や光が分離されていきます。これはマントラではないのです。本当の仏教の学びをする上において、皆さん方はこういう基本的なところを一つひとつ身に付けていってください。確かにマントラを教わったり、高いレベルのものを教わることは面白く興味があり、また成長した感覚を手にすることができるでしょう。
しかし仏教の世界で一番大事なのは、その基礎のところであり、皆さん方の心そのものなのです。どのような状況においても、どういう事態にあっても心がしっかりとできていて、悪にぶれない、邪魔されない、常に正しい光が心を保持しており、自分は大いなる光と一つになった心で修行を続けている、こういう意識が必要になります。
これから皆さん方がさらなる密教を学んでいく流れにおいて、この基本的なところだけは絶対に見失わないようにしておいてください。いろんなことを次々と教わり、高度なマントラを身に付けていったとしても、基本の心ができていなければ皆さん方自身がマントラの力に破壊されていきます。マントラの力は皆さん方の心の中にある悪をも破壊させていき、それは悪の心を持っている人にとっては、自分自身が破壊される感覚に入っていきます。
いわゆる自分の存在が否定される、自分の存在が無視される、自分をまともな人間として見てくれない、こういう風に自己否定や自分の価値観がない、自分は劣っている、さまざまな自分に対する自己否定や罪悪感、無力感はマントラの正しい光によって自分自身の悪の心が破壊されていく状況を見せているのです。それに負けることなく、正しい自分につながり、正しい光の心を取り戻していくことです。
そのまま自分がやる気をなくしたり、自分の無力さでもう勉強する世界から離れていったり、自分がどんどん皆から離れていくと、結局は自分の中の悪の心をずっと抱き続けたままになっており、自分自身が悪の心から変わらない状態にあるのです。自分自身を悪の心から正しい心に変えるためには、自分自身の悪の心をしっかりと見せつけられ、そこに取り組み、自分の力で乗り越えていくこと、これを決して忘れないようにしておいてください。
皆さん方の仲間同士で誰かがやる気をなくして離れていく、誰かが去っていく、もしそういう時、ただ放っておいたり無視するのではなく、よく相談相手になってあげてください。なぜやる気がなくなったのか、なぜ自分の弱さに負けていくのか、自分の中にある悪の心をしっかりと見つめながら、決してその人を否定したり、その人を悪く思うのではなく、悪の心そのものだけを扱っていきます。
その人が悪いのではなく、悪の心に負けていること、自分を守ろうとする心、間違った自分を正しいと思い込む心、こういった悪の心にしっかりと目を向け、そこに執着せず、本来の光の心を強くしていく、悪の心に向けていた目線を光の心の自分に変えていく、ただそうやって光へと戻ってくるのです。悪の心に負けているものの多くは、現代人に共通している、いわゆる優越感やプライド、自分が上でありたい、自分が否定されたくない、こういう心から悪の心へとつながっていきます。
自分が他よりも上でありたいという心そのものが悪の心であり、これが現代人を蝕んでおります。他よりも上にいこう、他よりも下ではまずい、こういう考えを完全に取り除き、一人ひとりの個性を認めることです。一人ひとり個性があり、あの人はこの点において私より優れている、この人はこの面においては私より優れている、一人ひとりの個性を認めていくことです。
自分は自分の個性を自分で見つけ、自分で大事にしていく、しかし個性でまた競争したり比較してはいけません。個性に良い悪いはなく、高い低いもなく、個性は比較できるものではありません。ただ自分らしさ、本来の自分の魂を目覚めさせる、自分の持っている能力を目覚めさせること、それが個性であり、個性そのものの比較はできないのです。
ぜひ自分の個性をしっかりと感じとり、その個性を生かしていく、自分の個性を生かすためには他の個性を生かすことです。他の人の個性を生かすことができれば自分の個性を生かすことができます。他の個性を否定し次々とつぶしている人は自分の個性もつぶされていきます。自分の個性が伸びない、自分の能力がなかなか開花しないという人は他の人の能力をつぶしていないかどうか、他の人が目覚めてきた時にすぐ悪口を言ったり、否定したり、無視したりしていないかどうか、自分の能力を目覚めさせたければ他人の能力を目覚めさせてください。
自分の個性を生かしたければ他人の個性を生かしてください。いずれにしても一人ひとりが世のため、人のためにどこまで自分の本来の能力を発揮させ、どこまで正しい光で世の中に奉仕できるか、それをしっかりと自分で見つめていき、その方向へと進んでいってください。
Aさん、あなたは世のため、人のために行動するためには、自分の心の中にある自分が未熟であるという心がすべてを邪魔しております。自分が未熟であるからまだ社会や人のために堂々と行動できないという意識があり、これがすべてのあなたの行動を封印させております。自分はできないという心を完全に取り除くためには、他の人を見てその人はできないという思いを止めることです。あの人はこれができない、この人はこれができない、こういう言葉がすべて自分ができないという風に戻ってきています。他の人を見た時、これができる、あれができる、この人はこれが得意だ、そういう観点で他の人一人ひとりを見ていき、それを行なうことによって自分自身の心の封印をはずしていってください。
Bさん、あなたが世のため、人のために動くためには、まだ何が人のために良いことで何が世の中のために良いことか、それの判断が自分で明確にできていないところがあります。いわゆる世間一般的に見て良いことと、スピリチュアル的に見て良いこと、宇宙の法則的に見て良いこと、これらの区別がついていなために、その時々の状況によっては、いわゆる世間の価値観で良いことをしたり、その時の状況によっては宇宙の法則で良いことをしたり、良いことという内容の一貫性が保たれておりません。やはり基本は宇宙の法則に従った良いこと、これが基本であり、宇宙の法則に従うということは社会的なことや、自分の判断から見た良いこととはかなり異なってきます。あくまでもすべてを生かすこと、他を生かすこと、特定の人を生かすのではなく、すべてを調和をもって生かすこと、これが宇宙の法則の原点であるために、いかにすべてを生かすか、いかに他を生かしていくか、そこに取り組んでいき、これまでの常識や概念に惑わされない他を生かすやり方を自分なりに見つけるようにしていってください。
Cさん、あなたが世の中の奉仕として動くためには、あなたの心そのものは世の中の奉仕に向いている心を持っております。ただ自分の心の中でどのように具現化していくか、奉仕したいという心をどうやって具現化させていくか、そこで悩んでいるところがあります。初めから大きなことは考える必要はありません。どんなことでも小さなことでも構いませんが、これはこの人のためにこうしてあげよう、これはこの時にこうしてあげよう、身近なことで何か一つひとつまずできることをどんどん行なっていきます。前からやろうと思っていてできなかったこと、身近なことですぐできるのに後回しにしてできなかったこと、まずそういったことをどんどん始めてください。身近なことで一つひとつを行なっていくと、だんだんそれが広がっていき、いつの間にかより大きなことができるようになっていきます。初めから大きなことを考えるより、まず今考えている身近な小さい良いこと、これを日常的に行なうようにしてどんどん世の中の奉仕へと向かっていってください。
Dさん、あなたのこれからの奉仕の道において、自分自身の心の深いところでは、本当に人の幸せを願う、人のために何かしたいという強い思いがあります。しかし毎日やることが一杯で時間がなく、つい自分のことだけで終わってしまう、何かしたいと思っていても自分自身で手一杯、こういう現実が動いております。毎日時間がなくなかなかできないと思っていても、実際にはそれはすべてが言い訳や理屈として戻ってきます。自分がそう思っていると結局は自分のところにやってくる人も、同じように人になってしまい、言い訳や屁理屈を言う人が自分のところにやってきて、結局その言い合いだけで終わってしまいます。まず時間がない、そういう言葉を口から出さないようにすること、考えることもないようにすること、時間がないのではなく時間はいくらでもあるのです。実際には時間はいくらでもつくることができ、わずか数秒でも数分でも気がついた時、何かできることを周りにやっていく、少しでも気にがついたらそれを光の方向へと良い方向へとやってみていく、どんな小さなことでも構いませんが自分が気にがついた時に何かできることをやっていく、そしてその時、これしかできなかったとか、ちょっとしかできなかったという意識を持たないでください。すべてこれをこうした、この時これをこうした、そうやってしっかりと意識しておきます。それを積み重ねていくとだんだんその世界が広がっていき、結局意識することによって時間と空間がつくられるという宇宙の仕組みが理解されていきます。意識していないと時間と空間はつくられず、時間がないという意識だけが広がっていきます。意識していき、そこで何かしようという気持ちが沸いてくると、そこに時間と空間がつくられていき、その世界がどんどん広がっていき自分がやりたいことができるようになっていきます。こうやって少しずつ自分の世界を新しい大きな世界としてつくり上げていってください。
Eさん、あなたが世の中へ奉仕する流れにおいて、あなたの考えている世の中への奉仕の仕方と、あなたの魂が行なおうとしている世の中の奉仕の仕方が必ずしも一致してはおりません。やはりあなたは頭の中ではこれまで学んできたことや、見てきたこと、いろんなことを前提として世の中の奉仕をしようとしているでしょう。しかしあなたの魂が求めているのは、あなた自身の言葉や考え、そこに常に永遠の光が入っていること、あなたの考えや言葉から出される永遠の光を常に広げていくこと、これがあなたの魂の奉仕になります。つまりあなたが何か言葉を出す、何かを考えたり、何かを行動に移す時に必ず永遠性をそこに感じながら、永遠なる波動を入れて言動をとること、これが魂の奉仕として設定されております。口から出てくる言葉は常に永遠性を入れておいてください。したがって限定した言葉使いは一切しないこと、できないとか、少ないとか短いとか、そういう限定する言葉を極力使わないようにし、永遠なる空間の中で、永遠なる時間の中で人は何でもできる、限界がなくいつでもどこでもやりたいことがすべてできる、そういう言葉を常に口に出してください。一切限定のない言葉を使うことにより魂は喜びをもってどんどんその波動を出していくでしょう。それ自体があなたの奉仕になります。出会う人、限界で苦しんでいる人、先に進めず困っている人に永遠の力を与えてあげてください。
Fさん、あなたが奉仕の世界で成長を進める時、いろんな面において自分自身の未熟さや非力さ、自分自身の力の無さを感ずることがあります。自分のやるべきことが他にもあると、つい億劫になったり、面倒臭くなったり、なかなか集中できない心が自分の成長にいろんな邪魔を起こしていきます。しかしそれだけですべてを判断しないでください。本当はあなたはしっかりと身に付けていけば、それを強いものとして使えるようになっていき、それによって先へ先へと進む力を本来身に付けています。なかなかそういう状態になれなかったのは基本的に自分は所詮こういう程度、私はいくらやってもここまでという自分で自分を制限している心があり、それによってある一つの段階で留まってしまう状態がつくられております。自分の中にあるこれで十分とかこの程度私はここまで、こういう意識を取り除いてください。これを取り除くためには、あなた自身がそれを身に付けた一番の理由として、自分よりも優れている人や自分よりも上の人に対し、時々何かを感じてこの人はここまでにして欲しい、その人はそこまでで留めて欲しいとか、他の人を制限させる思いを時々もつことがあります。それが結果的に自分に戻ってきて自分を制限させる心として現れてきます。他の人の能力やできることをそのまま認め、すべてを素晴らしいもの、すべてをもっともっと輝かせるように感じていく、そういう心をもってください。他の人のもてる能力をどんどん認めていく、それを良いものとして感じとっていく、そうすると自分自身を制限した心もなくなっていき、自分もどんどん先へ進むことができるようになります。自分よりも優れている人、どんどんそういった人たちの価値を認め、先へ先へ進ませることができるようにしていってください。
Gさん、あなたが奉仕の道を進む時、常に大きな存在があなたのところにやってきて、あなたに何かを話しかけていきます。あなたは時々それを感じとり、何かをしようとする時に、あ、こうしよう、こうした方が良い、これはこういう風にしよう、こういう風に感じている時は、その存在があなたに働きかけている状態といえます。この大きな存在はあなたをしっかりと光の流れに導こうと常に協力を行なっております。したがってなるべくあなたはそういう存在と意識を合わせ、いつでも直観を受け取れるようにする、何かをしたい時、それを大事にして直観を大事にして方向性をしっかりと見つけていく、この練習をしておいてください。あなたの直観がだいぶ研ぎ澄まされ、その存在とつながっていくと、いろんな意味においてやるべきことのほとんどを直観で感じとり、本来の光の流れを正しく進むことができるようになっていきます。自分自身の本来の能力をうまく生かすために、この直観の能力を磨き、ぜひ光へ光へと自分を高めていってください。
Hさん、あなたが光の奉仕として動き出すために、まだいろんな意味において光の奉仕ということが自分で実感ができず、またそれを実践している自分もイメージできていない状態になっております。あなたがいわゆるスピリチュアルな学びをしている一番のポイントは、あなた自身が本来はスピリチュアルな能力を高いレベルで保持しておきながらも、いわゆる間違って使ったことが原因となり、それによって自らを封印させ、今度スピリチュアルな能力を身に付ける時は正しいやり方で、すべてを正しくして光を身に付けていく、そういうやり直しの意味で今学びを始めております。したがってある意味では時間がかかったり、なかなか前に進めない感覚があるかもしれませんが、本来はスピリチュアルな能力を身に付けてはいること、但し完全に光の状態ではなかった為に、常に自分の中で葛藤や混乱が起こり、どうしても正しいやり方をしっかりと身に付ける必要があったこと、そのために今新しい学びを続けているのです。今の自分の状態において、時間がかかるとか、なかなか身に付かないという意識はまず捨ててしまい、まず正しいことだけを身に付けていく、焦らず結果を気にせず、正しいことを身に付けていくこと、それだけに専念してください。どれだけ時間がかかろうとも、どれだけ効率が悪くても正しいことだけを行なっていく、これが一番の目的になります。もしそこで焦って間違ったことをすると、人生すべてが無駄になってしまいます。本来の正しい道をしっかりと学び、正しいことだけを行なっていく、そうやってスピリチュアルな能力を一つひとつ身に付けていき、そして奉仕も正しいやり方で身に付けていく、いわゆる自分が正しい光を身に付け、自分が正しい言動ができるようになって、他の人へと奉仕をしていく、そうやって一つひとつ時間がかかっても正しいことをしっかりと行なうようにしていってください。
Iさん、あなたが光の奉仕として活動していくために、あなた自身が身に付けているさまざまな邪な波動があり、これをあなたの日常生活でいつも体験させられております。本来の光の道を進もうとしても邪なものたちがあなたにいろんなことをささやいてきます。それは一般にあなた自身の優越感を誘い、あなたを満足させ、少しでも自分が快感を得るかのようにあなたの心を動かしていきます。したがって今の時点においてはまず自分自身の心をしっかりとコントロールし、決して自分の心の弱さに負けないこと、世俗的な意識や世俗的な考えに惑わされず、常に自分は神聖なる世界に意識を向けること、くだらない三次元的な意識に負けたり、そこに惑わされず常に本来の神聖なる方向へと意識を向けておく、まずこれが始まりであり、これがコントロールできるようになると、それから初めて他の人への奉仕が始まっていきます。いまのままで他の人を見ても恐らく世俗的な波動でしか他の人を見ることができないでしょう。他の人の神聖なるもの、そこに目が行くようになると少しずつ奉仕ができるようになります。したがって他の人をいろいろ見た時、他の人の心の中に神聖なものを見ることができる、どの人を見てもどの人の心にも神聖なるものが感じとれる、そうなってきた時その神聖なものを更に手助けするようにもっていく、それがあなたの奉仕の方向になります。したがって他の人の心に神聖なるものが見えない時はまだ奉仕ではなく、まずその人の神聖なものを見つけようとする、そういう心を育てていってください。
Jさん、あなたが世の中への奉仕として動き出すためには、一人ひとりすべてに天の光があり、天の心があり、あなたはその天の光で人々を見て感じとり、光を与えることができます。他の人を輝かせるためにも一人ひとりの天の心を思い出させていく、一人ひとりの中にある天の心を表に出させ、引き出し、その人が天の人間であるように導いていく、これがあなたの奉仕の方向性になります。そのためには人の心を見てすばやくその人の天の波動を見抜いていく、その人がどういう種類の天の心を持ち、どういう行動をすることによって天の意志をその人が発揮できるか、それを感じとれるようにすること、そのためには自分自身が常に天とつながり、天とのつながりを強く持って常に天界の意志を感じとれるようにする、そうやって自分自身を天界とつなぎ続けることによって、他の人の天の心を表に引き出すことができるようになります。まず始めはそうやって天界の心をうまく使いながら、人々の奉仕へと役立たせていく、それを目標に行動するようにしてみてください。
それではここまでにいたします、ありがとうございました。