/問題がある人の意識が問題をつくる/ルールは人間がつくった/ルールを守らなければダメと思う人が問題をつくる/ルールを守る人が正しいという考えは人間の考え/問題をつくるのはルールを守らない人ではなくルールをつくった人/ルールを守らない人を責めない心が大事/イニシエートは肉体のために生きるがイニシエートは魂のために生きる/自分に正直に/皆が同じルールを守るのではなく各自が自分に素直に生きること/
2015/8/17 宇宙交流会 |
このメッセージのいいねポイントは |
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魂の喜びのために生きる |
①スピリチュアルな生き方と物質世界での生き方は共存できる
光のハイアラーキーの仲間としてお話をいたします。日常生活の中で普通の人々、いろんな人々との交流をしながら正しい道に進むにはどうしたら良いか、そういう質問がなされておりました。皆さん方の日常生活において、普通の生活というのがどういう生活をいうのか、多くの人は悩みを抱えたり、何かしなければならないことが山積みになっていたり、解決できないまま時間が過ぎてしまう、そういう日々を続けていることでしょう。
皆さん方の日常生活に現れてくる現象の一つひとつは、すべて自分の心が生み出したものであり、自分の心が出発点になっております。心の中にしなければならないという思いがあるとまずそれがすぐに現実に現れてきます。毎日これをしなければならない、これをする必要がある、そういう意識があるとそれをせねばならない現実がつくられていきます。
それをしないとどうなるか、いろいろ問題が起こる、迷惑をかける、そういう意識をもっている人は本当にそれをしないと迷惑をかけたり、問題が起こったりします。ではしなくて良いと思えば良いのか、問題が起こらないと思えば良いのか、ここが大きなポイントになってきて、本人がしなくても良いと確信していても他の多くの人がそれを非常識だ、やるべきことをやっていない、そういう意識をもつとやはり自分がそのエネルギーに負けてしまい、やらなかったから問題が起こる、非常識な行動で迷惑をかける、こういう現実がつくられていきます。
そこにかかわっている人すべてがそれを問題と思わず、誰にも迷惑をかけることなく、特に毎回やる必要はないという意識をもっていると何もしなくても一切問題は起こらず、誰にも迷惑をかけない状況になります。問題が起こるという人の意識が問題をつくり出していきます。今の世俗と呼ばれている人間の価値観の世界は、常識やルール、しなければならないというルールでつくられた世界であり、それを皆が守ることによって調和が保たれる、皆がルールを守り、皆がマナーを守り、皆が正しいことをすることよって社会がうまくいく、こういう認識でつくられたのが今の人間社会になります。
したがって今の人間社会は根本的にルールがあり、それを守っている人が正しい、守らない人が悪い人、こういう価値観を多くの人がもっているために、ルールを守ることによって正しい人、ルールを守らない人が悪い人という分類をつくり上げていきます。これは人間のつくった価値観であり、宇宙から見た価値観ではありません。これだけルールがたくさんつくられ、ルールを守らないとだめだという人々が多いと、そのルールを守らないと実際に問題が起こっていきます。
問題をつくり出したのはルールを守らない人ではなく、ルールを守らないとだめだという人たちによって問題がつくられております。人間社会はお互いの調和をとろうとしてルールをつくり、マナーをつくり、基本的な在り方を習得してきました。それによって皆がうまくいく、これが人間のつくった社会であり、ルールをまず先に学ぶ、ルールを学ぶことが常識であり、教養があり、高度に知性をもっている人という判断を下しております。
でも実際にはこういうルールにしがみつき、ルールを前提にしている人がルールを守らない人に対して問題を起こすように仕組んでいるのです。ではルールが一切ない時にはどうなるか、当然ルールがないと一人ひとりが勝手気ままなことをし、ただ欲望を満たすまま、何の秩序もない社会がつくられていきます。それはルールがある社会よりもさらに混沌とした社会になるでしょう。したがってルールがある社会とルールがない社会ではルールがある社会の方がまだ秩序を身に付けているといえます。
しかしこのルールがある社会において、ルールを守らない人を責める、ルールが守らない人が悪いという意識をもっていると、そういう意識をもっている人によってルールを守らない人がつくられていきます。ルールをつくったとしてもルールを守らない人をいちいち見つけようとしたり、そういう人を責めようとする心をなくすことが大事であり、ルールを守らなかった場合に問題が起こるかどうか、問題が起こった時はそれは本人の問題であり、他の人がいちいちそこに介入しない、ルールを守らずに問題を起こして迷惑をかけた場合は、お互いで解決していく、ただそういう風に軽い気持ちでルールを見ていくと、ルールからつくられるコントロールのエネルギーは弱くなっていきます。
どんな場合においてもルール、規則やマナーが大事だと、そういう意識をもっている人はそのルールのエネルギーを強く引き寄せ、自分自身がそのゲームの中に巻き込まれてしまいます。
イニシエートがスピリチュアルな学びをして、意識レベルを高めようとする人生の中で、人間のつくり出した社会的なルールとどううまく接していくか。イニシエートと呼ばれているものたちは宇宙の法則に従い、本来のあるべき魂をしっかり成長させるように現実を動かしていきます。イニシエートは現実の肉体のために生きるのではなく、魂のために生きることにあり、現実と魂とのつながりをしっかりと感じとることがイニシエートになります。
イニシエートでない普通の人は魂と現実を感ずることができないために、どうしても物質レベルで現実を認識し、肉体が満足すること、肉体が喜びを得ることに意識を集中させていきます。しかしイニシエートは魂に意識を向け肉体ではなく魂が喜びを感ずること、魂が進化成長することを第一に考えていきます。
ルールを守る場合においても、それによって魂が進化成長するのであればルールを守ることに意識を向けていくでしょう。ルールを守ることが魂の進化成長に結びついていない、単に人間を支配するだけであり、魂の進化成長にはまったく関与していない、こういうことに気がついた時はイニシエートはルールにこだわらず、魂が進化成長するやり方を見つけるようになります。
世俗の生き方とイニシエートの生き方をどのように組み合わせていくか。世俗の生き方はあくまでも肉体が満足する生き方であり、イニシエートの生き方は魂が満足する生き方になります。基本的にこれは共存可能になります。真理の道に従おうとしても皆が常識やルールに意識が向いていて、常識通りにしないと怒ってくる、こういうケースがありました。常識通りの行動をするとか、ルールを守るというのは肉体レベルの話であり、魂はまったく別になります。
したがって肉体的にはルール通りに行なっているように見えても、そこから魂を解放させ、魂が進化成長する在り方は無数にあります。人間社会の中で常識や規則、ルールに合わせていき、肉体的な行動であり、一見そのルールが実際には人間のために役立っていない、人間の進化成長に役立たず、逆に意識レベルを下げている、そういう言動の時、物質的な肉体そのものはそのように行動をとったとしても、魂のレベルや心のレベル、あるいは口から出てくる言葉やいろんな自分の行動において、魂を成長させたり、魂を引き上げていく魂の在り方や行動の在り方はいくらでもあるのです。
低い波動の話がやってきて、相槌を求めてきている、相手に同調しないと嫌われてしまう、こういうケースがあったとしましょう。相手が明らかに同情を装ってくる、相手が同情してくれないと怒り出すような人であったとする。自分自身は話を聞き相手の言おうとしていることを確認して、それでも相手の言っている内容において正しい考えや、正しい論理に従った生き方をしているかどうか、本来のあるべき正しい生き方を見つけていき、それに沿っている内容であれば、相手と話を合わせても問題はないでしょう。
しかし相手が魂が良い状態になる方向とは反対の方向で同情を求めてくる、魂の喜びとは違う喜びを見つけようとしている、そういう時は自分の魂はそこに同調する必要はなく、自分の魂は解放された良い状態を保持する必要があります。しかし相手は同情を求めている、そういう時はあくまでも相手の言おうとしていること、相手が理解してほしいということをしっかりと汲み取り、その相手の言おうとしていることは理解していく、相手が考えていること、相手が心で感じていること、それらはしっかりと感じておきながらも必ずしも自分のすべてを相手に合わせるわけではなく、自分はもっと新しい考えや別のアイデア、いろんな意見をもっていること、相手の考えていることはさまざまな考えの一つに過ぎず、それでも相手の言っていることは理解できるが、自分はほかにもさまざまなアイデアをもっていて、それだけが回答ではない、まずそういう自分自身の考えを明確にしておきます。
一つの答えに執着することなく、さまざまな解決策を考えながら、相手にもいろんな選択肢を伝えておく、相手がどうしても自分の意見、自分の考えに同調してほしいという執着的な人間である場合は、正直に自分はそうは思わない、自分は自分の考えからするとそこまでは同調することはできない、これは正直に言う必要があるでしょう。自分の本心や魂に嘘をついて相手に合わせる必要はないのです。
最終的には自分の魂に嘘をつけるかどうか、自分の本心に嘘をつけるかどうか、そこで考えていただく必要があります。本当の自分の本心に自分で聞いてみて、自分に嘘をつけるかどうか、自分は本当はそう思っていないけれども相手に同調した、相手の言う意見に賛成した、もしこういう現象をつくると必ずこれが後で戻ってきます。いろんな戻り方がありますが、また同じように自分は同調できないのに相手に同調してしまう、こういう現実が訪れる場合もあります。
また自分は同調することなく、相手は相手のやり方を認めていながらも結果的に自分が相手に同調したような状況に追い込まれていき、結局は相手に同調したかのような現実となって相手が納得してしまう、こういう風な現実もあります。どのように現実をごまかそうとしても自分が自分に本当の自分を見せることなく、自分を欺いて相手に合わせた現実をつくると、必ずそれが戻ってきてまた体験することになるのです。
相手に嫌われても良いから自分の本心で本当のことを表現していく、自分は正しいことを表現していく、あくまでも自分にとって正しいという表現であり、絶対的に正しいかどうか、相手にとって正しいかどうかはまったく分かりません。あくまでも自分に正しいという行動になります。これを行動に移していくとこれが戻ってくる時には相手とのやり取りの中で相手がその人にとって正しいという行動をとって、自分の言うことを認めてくれなかった、自分がいろんなアイデアを出したとしても、相手は自分の考えでそれは否定されてしまい、相手の言う通りの流れに入っていく、こういう風に戻ってきます。
基本的に自分は自分にとって正しい行動をとれば良いのですが、それを行なうことによって相手も自分にとって正しいという行動を自分に戻してくることが現象化されてくるのです。相手が相手にとって正しいという行動をとり、自分の意見を認めてくれなかった場合でもまったく気にすることなく、相手が正しい行動をしたのだ、それが正しいのだ、そうやって相手を受け入れることができた時、こういうさまざまな問題は起こらなくなっていきます。
基本的に相手がどう受けてくれるか、相手がどう反応するか、相手が常識で反応しているかどうか、自分のことを分かってくれているかどうか、こういう気持ちがある限りこの問題はずっと続いていきます。相手がどういう反応をしようとも気にしない、相手は相手の判断で行動しているために相手の考えを尊重する、自分は自分の考えに従って本当の自分、内なる自分の考えていると通りに行動する、これを本当に実行していくとだんだん問題はなくなっていき、いつでも自分の思う通りの行動がとれるようになります。
ただし、もちろんかかわり合う人はこの人はまったく考えを変えない、この人はまったく言う通りにしてくれない、そのように受け取られていくでしょう。でもそれはその人の意識レベルであり、そうやって相手に対して判断している意識によって自分が何度もそれを体験することになるのです。自分自身が相手の言動をいちいち気にしない、同情してくれなくても、賛同してくれなくても一切気にしない、自分は自分の心の声に従って行動する、これを行なっていけばこれが普通にできるようになっていき、仮に問題が起きたとしても勝手にその人が問題をつくり、勝手にその人が一人で苦しんでいる状況になります。
皆さんがスピリチュアルな学びを続けていく中で、自分たちが教わって身に付けたスピリチュアルな法則や原理、生き方をどのようにして実践に生かしていくか、本来は自分が身につけようとしている宇宙の法則は、言動で現されるのではなく、その内面に深いものが隠されております。その深いものというのは相手の意識レベルによって異なり、現実によって異なり、状況によって異なるために、毎回現れ方が異なってくるのです。
実際の肉体的な言動としては毎回違うことになるために、物質的な観点からすると一貫性はないように見えるでしょう。ある人にはこう言っても別の人にはまた別の言い方をしなければならない、相手の意識レベルや相手の学びに応じて言葉を変える必要があるために、同じ言い方ではなく常に異なる言い方をしなければならない、でも基本的な宇宙の法則は同じであり、宇宙の法則に従って生きている、こういう一つの方向性があり、自分はしっかりと宇宙の生き方をしているにも関わらず、周りの人から見ると一貫性がない、人によって違っている、毎回違うことをやっている、このように解釈されてしまうでしょう。
どのように解釈されようとも自分は自分の心に従って正しく生きる、あるべき生き方を追求していく、こういう生き方をすればそれはスピリチュアルな生き方を進めていることになり、十分に意識レベルを高めていくことができるでしょう。一つひとつの人間の行動を気にしたり、反応を気にしていると、常にルールや常識、普通や世間一般というところに意識が向いてしまい、自分の本心と結び付かなくなってしまいます。
自分の中にいる内なる自分の本当の部分、そこと常に意識を合わせながら、自分に正直になれるかどうか、本心は違っているのに嫌々相手に合わせていないかどうか、それをよく照らし合わせて自分にとって正直な生き方を進めていく、これが皆さんに要求されている生き方になります。これからスピリチュアルな人がどんどん目覚め動き出していくと、一人ひとりが常識ではなく、自分の価値観で生きるようになっていくでしょう。
スピリチュアルな目覚めがどんどん広がるに従い、一人ひとりがまったく異なる生き方を示していく、皆一緒で同じルールを守るということができなくなっていき、だんだんルールの存在や規則の存在が意味がないような状態になっていきます。しかしそれでもスピリチュアルな人は内なる自分の心に正直に生きており、そこには目に見えない宇宙の法則が感じとられていきます。
一人ひとりの言動が違っているとしても、宇宙の法則に従っている、全体が大きな意志に従い、宇宙の意志に従っている、こういう感覚が分かるようになっていきます。アセンションの時代は一人ひとりがまったく異なる行動をとりながらも、全体で大いなる意志を反映している、一人ひとりの異なる意志によって全体がうまく機能している、これがアセンションの社会になります。
皆で同じルールを守るという生き方ではなく、一人ひとりが自分の本心に従って行動していくと、結果的に全員が一つの大きなルールに合った生き方をしている、これがアセンションの世界になります。そこに向け一人ひとりが本心を生きる、自分を騙すことなく本心に従って行動していく、ぜひこれを身に付けていき、目先のルールや法則、目先のものに惑わされず、内なる法則に従って生きられるようにもっていってください。
Aさん、あなたの日常の生き方において、世俗という意識とスピリチュアルな意識がちょうど半々くらいになっており、世俗の中で行動しながらもどうやって全体をうまくまとめていくか、全体をあるべき方向にもっていくためにはどうするか、そういう意識が動いてきております。あなたのこれからの生き方において、人間の弱いところに意識が向き、そこにつながってしまう傾向があります。自分自身の弱い心や他の人のそれぞれ弱い心に反応してしまい、それによって低い波動に影響を受けてしまう傾向があります。まず自分自身の弱い心を克服し強くなる、そうすれば他の人の弱い心に反応することがなくなっていき、自分を留めておくことも減っていくでしょう。自分の弱い心を克服し強くなって、そして正しい生き方、本来の自分のあるべき方向へと力強く進んでいく、そういう力を身に付けていってください。
Bさん、あなたの日常の生活の中で、自分自身の意識を高め成長させる生き方と、多くの人との間で何とかまとめていく、何とか調和をとる、こういう意識が常に動き、このバランスをとるやり方で悩んだりすることがあります。周りのルールや社会に合わせることにより調和を保つことができますが、自分がそこに問題を感じたり、それは良くないという意識をもつと、本当に良くないエネルギーがまとわりついていきます。世俗のやり方や普通の人のやり方であったとしても、そこをどうやって高い波動、良い波動に切り替えていくか、それは世俗のやり方そのものを採用しているように見えて、こっそりと自分なりに何らかのエネルギーを入れておき、秩序を保つ方向や意識レベルが上がる方向、何らかの方向性のエネルギーをその中に入れ、そして世俗の中の人々が意識が目覚めていったり、高まる方向へとうまく導いていく、こういうテクニックを身に付けていってください。表向きは皆に合わせているように見えても、その中に意識を高めていくエネルギーを入れていく、こういう技を身に付けていくのです。
Cさん、あなたの日常生活において、古くから決まっているやり方やルール、一つの体制的なものがあり、この仕組みの中に入ること、仕組みに合わせることがあなたにとっての正しい生き方になってきております。そのために大きな体系だったシステムに合わせていく、このようにエネルギーが動き出しておりますが、あなた自身の魂の声はあくまでもスピリチュアルな目覚め、スピリチュアルな自立であり、それと体制に合わせることが噛み合わなくなってきております。大きなシステムに合わせることと、魂が成長することはいくらでも両立させることができます。これらは相反するものではなく、いわゆる肉体レベルで大いなるシステムに合わせていても魂はそれに屈することなく正しい生き方をする、あなたの魂は常に多くの人に光を流し、何らかの気づきを与える、何らかの目覚めを与える、そういう役割をもっているのです。したがって体制の仕組みに染まっているように見せながらもそこに問題点や気づき、何らかの疑問からそこを解決するものを見つけ出したりしようとする、そういう意識を育てていく必要があります。うまく話しをしたりしながらも常に問題意識を与え、その問題意識によって世俗の社会から本来の魂の求めている方向へと導いていく、こういうやり方を身に付けていき、常にシステムに合わせながらも、そこにおける問題や課題、テーマを提示して意識をそこに染まらないようにさせていってください。
Dさん、あなたの日常の生活において、いろいろ接する人々との交流の中で明らかにこの人はまだ分かっていない、この人は分かる可能性がある、そういう感覚を得ることがあると思われます。この自分なりの直観をある程度大事にしてください。この人はある程度魂の本質を目覚めさせることができる、そう感じた人は世俗の話に偏ることなく、少しでも魂が目覚めたり内なる自分に目覚めたり何かに気づくようなことをうまく話に盛り込んでいく、相手がまったく魂に関心がなく、世俗のことしか考えていない、そういう人がいた場合でも完全に100パーセント相手に合わせるのではなく、どこかに少しでも魂を感じさせたり、魂が目覚めたり少しは真理に目覚めるような方向にいくように何かを話に入れてみる、こういう工夫をしてみてください。はじめはまったく受け入れられず無視されるかもしれませんが、それを続けていくとどこかで相手の魂が動き出してきます。あなたが何度も何度もささやき続けると、相手の魂も変化していき魂が動き出していくと、その人自身を動かすように変化していきます。したがってだめだと思っても完全に波動が低いと思っている人でも、どこかに必ず魂が目覚めるような言葉を入れておき、魂の目覚めを起こさせていくのです。それによってある時点まで高めていくと、あとは本人の魂そのものが少しずつ動き出していき、本人が自分の力で魂を成長させ魂を進化させる流れに導かれていくでしょう。
Eさん、あなたの日常の生活の中で、あなた自身がかかわり合う人々とのつながりの中で、いわゆる世俗という意識に完全に埋もれている人は約三割くらいになります。残りの人々はどこかで内なる自分や聖なるもの、スピリチュアルなところに結びつく資質をもっており、完全に話が合わないわけではありません。しかし初めから全部合わせようとか自分の思っていることを全部理解してもらおうと思うと話がまったく噛み合わなくなり、自分が孤立することになるでしょう。まず焦ることなくほんの少しだけスピリチュアルな話を入れていったり、あるいはそれをにおわすことや雰囲気的なことを言うだけにしておき、あまり一気に焦らないようにしながら話をしていく、完全に世俗に染まっている約三割くらいの人に対しては、表面的に世俗のテーマで話を合わせてしながらも、自分の心の中では魂が生き生きとする生き方を進めていく、世俗に負けることなく、魂はそこから真理を見つけたり、そこから何か光のあるもの、何か役に立つことを見つけようとしてそれで魂を喜ばせていく、そういうやり方が必要になります。どんな人と接している場合でも肉体を世俗に合わせながらも、そこから魂は良いものを感じとって魂を成長させる、こういったことは可能であり、自分もやればできるということを信じてください。これを行ない続けることによって魂は魂のレベルで進化成長し、肉体は肉体のレベルで人生を過ごしていく、こういったことができるようになり、自分自身をいくらでも高くすることができるようになっていくでしょう。
Fさん、あなたの日常の生活において、自分自身の進化成長にあまり意識を向けておりませんでしたが、あなたの魂そのものは少しでも高いレベルに上がろうとあなたに働きかけております。元々あなたは真理を求めること、本質を探ることを好んでおり、表面的な物質世界に満足することなく、その裏に隠れているもの、本当のものを見つけようとする心が身に付いております。したがって日常生活において形式的に行なわれることや、表向きのことは感じとってはいてもそこに深く入り込むことはできないでおりました。むしろその裏に隠れている本質的なもの、本来のあるべきもの、そこに意識を向けることにより魂自身が目覚めていき、いろんな現実の仕組みの裏側や本当の原因が分かるようになっていきます。これからはなるべく表面ではなく内面の本質的なところに意識を向けていき、それによって魂自身が目覚めていく、魂が成長していく、それを感じて自分なりの魂にとっての良い生き方を見つけていってください。
Gさん、あなたの日常の意識において、あなたはある意味ではとてもクールな考え方が身に付いております。初めから無駄なことはしない、無駄な考えもしない、役に立たないことはしない、こういう意識が身に付いており、世俗の中において必要悪、必要だけれども意味のないものとか、必要と思われていて本当は正しくないもの、そういったものと向き合った時、なるべく本来の正しいことを行動しようとする意識があります。こういう意識の中で実際に世俗の多くのエネルギーの中で自分を確立するためには、一見世俗のように見えても世俗の中に隠された神聖さが常に備わっております。世俗のエネルギーの中に隠された神聖さ、あなたはそれを見つけることができるでしょう。そうすると世俗と思っても、そこに隠された神聖さを常に見つけることができ、どの状況においても、どんな現実においても神聖さとつながることができます。これができるようになっていくとあなたは常に自分を成長させ、常に自分を高める生き方が身に付いていきます。あらゆる状況において常に自分を高めていく、ぜひそれをマスターできるようにしていってください。
Hさん、あなたの日常の生活の中に、いわゆるあなたの認識できる世俗というエネルギーと、あなたがテーマとする神聖なるエネルギー、これらのエネルギーが常にあなたの感情の周りで影響を与えてきます。先に少し感情が動いてからそれに引き寄せられて世俗のエネルギーと神聖なるエネルギーが動き始めていきます。それによって自分の動く感情が世俗の波動に近いのか、神聖なる波動に近いのか、自分の感情は世俗の反応なのか、神聖なる反応なのか、常にこれを考え向き合いながら神聖なる心の在り方を探っております。あなたが神聖さと向き合い、神聖さを身に付け高めていくために、あえて世俗と闘う必要はありません。確かに世俗を神聖に変えたり世俗を亡き者にすることによって神聖なる波動に高まることはできます。しかし世俗を意識すればするほど世俗の力は強くなっていき、闘うことがだんだん困難になっていきます。世俗から離れる一番の方法は世俗を意識しないことであり、いわゆるルールを守らない人やいい加減な人、ちゃんとやらない人、そういった人に意識を向けずにその中に隠されている聖なるもの、一見乱雑な中にある聖なる仕組み、そこに意識を向けていくと聖なる部分がどんどん目覚めていき、動き出し、多彩なる聖なる波動があなたの体で目覚めていくのです。世俗と闘うよりももう世俗の波動を放っておきつながらない、意識しない、そうすることによって逆に神聖なるものがどんどん近づいてくる、この原理を学ぶ段階に入ってきております。これは今のあなたに通用するやり方であり、他の人には通用しないために、他の人にはいちいち言う必要はありません。自分だけのテーマとして自分だけの聖なるテーマとしてとらえていき、世俗の波動に意識を向けず、ただ聖なるものだけを追求していく、ぜひこれを習得するようにしてみてください。
今日は皆さんの日常生活の中でイニシエートとしていかに自分を高めていくか、イニシエートとしての行動はどうあるべきかを話していきました。実際には一人ひとり回答が異なるでしょう。人に話したり相談することもできないために、あくまでも自分で考え、自分にとっての良いやり方を見つけていく、そういう心で自分自身を前に進めるようにしていってください。それではここまでにいたします、ありがとうございました。